河北新報より転載
原発事故で酪農断念 菜の花に思い込めて
菜の花で黄色く染まった牧草地
東京電力福島第1原発事故で全町避難し、帰町に向けた準備宿泊が行われている福島県楢葉町の営団地区で、一面の菜の花が見頃を迎えた。
営団地区は開拓地。原発事故で酪農をやめざるを得なくなった植松武さん(69)が昨年10月下旬、牧草地だった5ヘクタールに種をまいた。約70年前に東根市から移住した父親が酪農を始める前、菜種油を採っていたのを思い出したという。
原発事故前は20頭の乳牛がいたが、避難中に死んだり処分されたりした。牛舎も取り壊す予定。植松さんは「ご飯を食べる暇もなく働いた。自分の代で酪農は終わりと考えていたが、原発事故で10年早くなってしまった」と言う。
植松さんと妻幸子さん(65)は準備宿泊に登録し、いわき市の避難先と自宅を行ったり来たりしている。
「長い避難生活でストレスがたまっている人が多い。楢葉に来たとき、一面の菜の花を見て、気持ちが少しでも明るくなってくれれば」と幸子さん。植松さんは「牛ふんで土が肥えているので成長がいい。これからもどんどん花が咲き、もっと黄色く染まるよ」と話した。
関連ページ: 福島 社会.
原発事故で酪農断念 菜の花に思い込めて
菜の花で黄色く染まった牧草地
東京電力福島第1原発事故で全町避難し、帰町に向けた準備宿泊が行われている福島県楢葉町の営団地区で、一面の菜の花が見頃を迎えた。
営団地区は開拓地。原発事故で酪農をやめざるを得なくなった植松武さん(69)が昨年10月下旬、牧草地だった5ヘクタールに種をまいた。約70年前に東根市から移住した父親が酪農を始める前、菜種油を採っていたのを思い出したという。
原発事故前は20頭の乳牛がいたが、避難中に死んだり処分されたりした。牛舎も取り壊す予定。植松さんは「ご飯を食べる暇もなく働いた。自分の代で酪農は終わりと考えていたが、原発事故で10年早くなってしまった」と言う。
植松さんと妻幸子さん(65)は準備宿泊に登録し、いわき市の避難先と自宅を行ったり来たりしている。
「長い避難生活でストレスがたまっている人が多い。楢葉に来たとき、一面の菜の花を見て、気持ちが少しでも明るくなってくれれば」と幸子さん。植松さんは「牛ふんで土が肥えているので成長がいい。これからもどんどん花が咲き、もっと黄色く染まるよ」と話した。
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