Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

タケノコ掘り

2008-04-29 18:57:40 | エトセト等
J子のお絵かきのお仲間がタケノコ掘りに招待して下さった.

長靴で細身の鍬(専用の名詞を忘れた)を持っていざ出発.
素人にはどこにタケノコがいるのか見極めるのが困難.タケノコのてっぺんの毛?の向きで,根っこの在処を推測し,そこを目がけてくわを打ち込めば一発.とはいえ竹林は斜面で足場が悪く,付近の竹の位置によって鍬を振るえる向きも限られる.初めの半ダースほどはえらく苦労した.こつが分かった頃には疲労困憊.
ここ竹原はかぐや姫のふるさと.粘度土壌でタケノコはおいしいので有名だそうです.

あとはBBQとビール.明日はひとまえでヴァイブを叩くことになっているのだが,筋肉痛でだめだよと皆におどかされる.

広い座敷に風がさわやか.つばめも出たり入ったり.

このお宅のご一家は今では都会に住んでおられて,ときどきこちらにおいでになる程度とか.

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奇妙な果実殺人事件

2008-04-27 21:28:21 | 読書
藤田宣永 新潮文庫(1990)

現在は双葉文庫から出ている.その双葉版のコマーシャルは...
「密室殺人が起こった。首にロープを巻かれた死体は天井から吊され、その頭には巨大なパパイヤが被せられていた。その横に同じく吊り下げられたダイコンが二本。床にばらまかれたエン麦の種とサツマイモ……。これは偶然か、それともなんらかのメッセージか!? 直木賞作家が挑んだ唯一の本格ミステリー! 」

読むものはないかと書棚をあさって,20年近く前に買ったこの本を発掘.新潮文庫書き下ろしとある.読み返してみると,覚えていたのはドライブ中に暴走族に取り囲まれるシーンくらいのものだった.
「奇妙な果実」はビリーホリディのあの歌で,タイトルに惹かれてこの本を買ったらしい.小説中でもこの歌が歌われるが,ストーリーはジャズとは無関係.ここでは奇妙な果実は人工的につくられた巨大パパイヤのこと.これが深いところで小説のテーマとつながっている.
本格推理小説はこの作家に取っては余技らしいが,十分楽しめます.
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ドレミの科学@ScienceCafe

2008-04-25 22:30:07 | 新音律
私こと昨年9月に講談社(ブルーバックス)から「音律と音階の科学」という本を出したのですが,意外にゴマンと売れてしまいました (ありがとうございます).その結果か? 大学からお声がかかり,サイエンス・カフェとかで喋ることになりました.
サイエンス・カフェつて何? と思われる方は下記ウェブを見て下さい.

当日は広大ジャズ研サイエンス・カフェ・バンド (実体はホームレス・バンド) にもご協力いただくので,賑やかなものになるはずです.

入場無料ですが事前登録が必要.お暇な方はぜひどうぞ.

5/17(土) 1500-1700 東広島市 賀茂輝酒造
http://home.hiroshima-u.ac.jp/scicafe/

以下内輪のはなし.
サイエンスカフェなるもの,ほうぼうで行われているが,ぼくは不明にしてお話をいただくまで知らなかった.海外でも盛ん...というより,海外からの輸入らしい,この図はUCSF (カリフォルニア大サンフランシスコ校) のサイエンスカフェのロゴマーク.

タイトルの「ドレミの科学」はもともと自分が本のタイトルと考えていたもの.出版社が「やさしいタイトルだと,買った人から難しくてわからないと文句がくる」というので,長たらしい題の本となった.本のサブタイトル「ドレミ...はどのようにして生まれたか」の「して」は不要であるとある読者からお叱りを受けた.まことにごもっともだが,これも出版社が勝手に決めたことです.

サイエンスカフェのスタッフ諸氏緒嬢はすごく熱心で,リハーサルを2度はやらされそう...このはなしは,またの機会に.



**********

右は,電子書籍「ドレミの科学」.オーディオファイル・ビデオファイルを駆使して,ドレミ...を物理の視点から解明します.DL-MARKET, http://www.dlmarket.jp/product_info.php/cPath/799_800/page/1/products_id/145552
よりお求めただけます.2011 年 6 月刊.500 円です.
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もうひとつの「月の光」

2008-04-23 09:29:37 | ジャズ
このところ,ちょっとだけドビュッシーづいている.
iPod に入っていて,再生されてしまうのが,ジャック・ルーシェの月の光.これを聞いていて,スタンダードなクラシックの演奏を聴くと,ちょっとの間スイングしないこと,ベースとドラムスが聞こえない事に違和感を感じる.ジャック・ルーシェはほとんど原曲に忠実なのも原因かも.
たとえば On the Trail (グローフェの大峡谷より) はいろんなジャズメンがとりあげているが,冒頭の8小節をリフとして使っているだけであとは捨てている.ルーシェさんはそういうことは絶対にしない.

じつは私,練習の結果「亜麻色の髪の少女」を楽譜通り弾けた時代があったのです...そういえばクラシックギター編曲版でも弾けた.どちらも今は全然だめ.なんと人生のだいじな時間を無駄にしたことか.
閑話休題.このルーシェのCDには「亜麻色...」も入っているが,こちらはどうも面白くない...ということは,「月の光」も自分で原曲を楽譜どおり弾けたら,やはりイマイチと感じるのだろうか.

ジャック・ルーシェといえば,プレイ・バッハ以来クラシックのジャズ化で売れてしまった.本人はどう思っているのだろうか.ブルースやスタンダードはやらないのだろうか.たった一曲しかヒットがない歌手がテレビでいつも同じ歌を歌わされ,じつは「もういや」と感じている - というのと同じなのでは...なんて,余計なお世話ですね.

バッハ以外のルーシェではぼくはラヴェル,このドビュッシー,サティなどが好きだ.同じフランスということ以外に,これらの作品にはジャズと通じるものがあるようだ.
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ピアノ教室発表会

2008-04-20 21:09:36 | エトセト等
...に行った.ただし名目は「ピアノコンサート」.
前半がこどもの部.後半がおとなと先生の部.始まる前に,こどもたちひとりひとりに舞台でドレミ...を弾かせていた.こうしておくと緊張がほどけるのかな.
32曲もあったが,全部で2時間で,退屈する間もなく終了.こどものは知らない曲ばかり.六手連弾もあった.

若いふたりの先生が大車輪で,こどもたちにいちいち足台と椅子の高さを調節し,おとなのためには譜めくりをし,連弾をし,友情出演のボントロの伴奏をした.最後にこどもたちの合奏「クラリネットをこわしちゃった」で,S先生がピアノ,K先生が指揮だった.
写真は合奏の前にぐだぐだする子供たちをならばせているところ.先生を見てさえいれば演奏できるという,この合奏の指揮を見て,感激した.これにくらべると,テレビで見るN響とかの指揮者なんて,居ても居なくてもいいんじゃんいの,という感じ.

おとなの部はみなさんお上手だったが,「戦場のメリークリスマス」とか,「Twilight in Upperwest」とか,ポピュラー種の編曲が左手がコード,右手がメロディという機能分離が見え見えでおもしろくない.生徒のトリで知人が「月の光」を.これはやはり名曲! ずっと前から聴いている演奏だが,ピアノ教室で教わるようになって,ゆったりと,ていねいに弾くようになったようだ.

ちなみに先生のご芳名は木村未帆さんと清水淑子さんでした.

蛇足 昼食の「くるみざる蕎麦」がおいしかった.新メニューだそうだ.広島県広島市西区横川1-6-6 ふくべ三.
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コーヒーに憑かれた男たち

2008-04-18 14:53:39 | 読書
嶋中 労「コーヒーに憑かれた男たち」 中公文庫 (2008/03)

コーヒーに憑かれた男たちとは,自家焙煎珈琲店のあるじで,著者のいう御三家は
関口一郎 (東京銀座カフェ・ド・ランブル)
田口 護 (東京南千住カフェ・バッハ)
標 交紀 (東京吉祥寺もか)
そして別格が,襟立博保である.ただしコーヒーに憑かれた女たちも登場する.
全部コーヒーのことで一冊本が埋まるのかと思ったが,ときどき挿入される関係ない記述が息抜きとして働き,あっという間に読めてしまった. 

獅子文六に「可否道」という小説があって,茶道にならってコーヒー道を立ち上げようと言うはなしだった.とにかくこの本ではコーヒーはおいしければいいので,可否道・茶道よりは分かりやすい.とはいえこの本にも「品のあるコーヒー」などが云々され,紙コップは冒涜などという字句も出ては来る.うまい・まずいと良い・悪いは違うという禅問答みたいなくだりもある.

自分は毎朝コーヒーを淹れているので,コーヒーの達人たちの言うことも少しは理解できるつもり.
 コーヒーは豆でなく焙煎で決まる
 ブルーマウンテンとありがたがることはない
 コーヒーは枡で売れ
最後のは,焙煎すればするほど水分が飛んで軽くなるから,重さで売ると売る側は損をするということ.ぼくは深煎りが好きなので,かねがねコーヒー屋さんに悪いと思っていた.

湯を注いでふくれない豆は駄目.スタバは焙煎してから月日が経っているから致命的なんだそうだ.

良いコーヒー豆を何年何十年とおくと幽玄の味をかもすそうで,この本はこのレア・オールドにずいぶんページを割いている.視察に来たアメリカのコーヒー屋が「腐った豆を飲んでいる」とおどろくくだりがおもしろい.こんど東京に行ったらのんでみようか.怖いものみたさに共通する心理だな.
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結婚しなくていいですか

2008-04-17 08:42:15 | 読書
益田ミリ「結婚しなくていいですか -すーちゃんの明日」幻冬舎 (2008/01)

MARC データベースによれば
ときどき不安になる。このまま歳とっていくと、どうなるんだろうって-。夫なし男なし35歳。嫌いなことば「自分探し」。貯金、200万円。大逆転はなくても「あした」がある! 異色4コマ漫画。

帯には「香山リカ氏号泣」とあった.

4コマ漫画ではなく,1ページ8コマ,6-7ページでそこはかとなくストーリーが完結する.登場人物は35才の主人公すーちゃんと,彼女と一緒にヨガをやってるさわ子さんとその一家.すーちゃんの友人で結婚し現在妊娠中のまいこさん.
つい周囲の似たような状況の女性 (プラス そこから何年何十年か経ったらしい女性も) を思い浮かべてしまう.でも,似たような状況の男性の共感も呼ぶのではないだろうか.

絵は,背景はほとんど無く,1ページ長程度にわたって登場人物の向きや手足の動きがちょっと変わるくらいで,構図もほとんど同じことが多い.でも,とてもうまい.
ときどき1ページを費やして挿入される「ある日のすーちゃん」「ある日のさわ子さん」が五七五の味わい.たとえば
 五円玉拾わぬわたしナニサマさ
 かさかさになったかかとに見入っちゃう
...これらの句?はぼくが勝手につくりました.

じわじわとベストセラーの階段を上昇中とか.益田ファンとしてご同慶の至り.
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美波羅川の桜堤

2008-04-15 08:45:15 | エトセト等
三次市三和町を流れる美波羅川の数キロにわたる375沿いの桜堤.このように川の蛇行に従って,桜も見渡す限り蛇行している.平日のためもあり,人影はほとんどゼロ.

桜の下でランチ後,奥田元宋美術館で企画展「フランス近代絵画のながれ-バルビゾンから印象派」.ぼく的には印象派は食傷気味だが,J子はずいぶん時間をかけて見ていた.
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クラドニ・パターン

2008-04-13 15:56:44 | 新音律
オーディオ・スピーカを水平に置き,その上に板を載せて,塩・砂など,なるべくさらさらした粉体をばらまく.下から音波で板を振動させると,パターンが現れる.板の形状が円でも,正方形でも,バイオリンのような女体型でも,パターンはそれなりに楽しめる.YouTubeにいくつか映像がある.図はもともとのクラドニ Chladoni(1756 - 1827)の本に出ている様々なパターン.

音で板が振動すると言っても,部分的に振動する部分(腹)と振動しない部分(節)があり,粉は振動しない部分に集まる結果,パターンが現れる.かってぼくも研究所の一般公開の人寄せにこれをデモしたことがある.スピーカーを鳴らす周波数をゆっくり変えていくと,次々とパターンが現れては消えるのがおもしろかったが,落ちた砂を回収するのが面倒だった.

先日テレビででんじろう氏が,数人のタレントにクラドニ板にむかってわめかせていたが,きれいなパターンができたとは言えなかった.ノイズっぽい音源では駄目なんだろう.声量の大きい歌手にゆっくりと
「わたしの お墓の 前で...」
などとやってもらえば,iTune Visualizer みたいになるかも.
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ドビュッシー

2008-04-11 12:21:48 | 読書
青柳いずみこ「ドビュッシー―想念のエクトプラズム」中公文庫 (2008/3)

10年前にハードカバーで出たときは3600円だった.文庫で1200円は高いと思ったが,買うことにした.

著者は有名なピアニストだが,ぼくはその演奏を聴いたことがない.本書のもとになったのは学位論文とのことだが,それにしては読みやすい.ただし帯には
「神秘思想・同性愛・二重人格・近親相姦・オカルティズム….印象主義という仮面の下に覗くデカダンスの黒い影.従来のドビュッシー観を覆し、その悪魔的な素顔に斬り込んだ、一線のピアニストによる画期的評伝―没後90年.頽廃の作曲家の光と闇. 」
とあって,ある種の期待を抱かせる.ちょっと誇大にすぎる.

著者はドビュッシーのLP・CDのカバーには印象派の絵がしばしば使われ,それがドビュッシーの音楽は甘くおしゃれなものだという,固定観念を助長しているとするらしい.たしかにドビュッシーの音楽と印象派絵画とは関係ないというのが正しいのだろう.しかし,印象派絵画は甘くおしゃれではない.また,ぼくはここ数年で,ドビュッシーは初めて平均律を使って平均律でなければできない音楽を作った最初のひとと思うようになった.ドビュッシーはバッハやベートーベンに負けない大作曲家ではないだろうか.

しかしこの本の焦点はそこにはない.ドビュッシーというとぼくが思い浮かべるのはピアノ曲や管弦楽曲だが,じつは本人は文学青年で,歌曲やオペラにエネルギーをそそぎ,しかも途中で放り出したものが多い.その代表がオペラ「アッシャー家の崩壊」である.著者は,このオペラが未完に終わったのは文学と音楽の矛盾からくる必然であるという.人間というものは音楽するときはジキルとなり,文学するときはハイドとなるという喩えはおもしろい.だからドビュッシーのピアノ曲や管弦楽曲には世紀末の退廃の影が感じられないということになる.

ヴァレリー,ヴェルレーヌ,ジード,ボードレール,マラルメ,メーテルリンク,ランボーなど登場人物は多彩.フランス文学が好きならドビュッシーの音楽なんて知らなくても楽しめるという側面も持った本だ.
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