Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

文学全集を立ち上げる

2010-02-28 08:17:52 | 読書
文春文庫 (2010/02).読み出したら止められず,寝不足を新幹線で回復するという目論見が外れてしまった.

丸谷 才一, 三浦 雅士, 鹿島 茂の三人で文学全集を作るとすれば誰のどんな作品を入れるかを議論するという趣向.全300巻とする.世界文学約130巻,残りが日本文学.うち言文一致以降が約80巻.日本文学の部では司会(もと文春勤務氏)もかなり積極的に発言.

男の井戸端会議といった,下世話なおもしろさは最後の80巻に集中している.
「村上春樹はモダニズム,井上ひさしはプロレタリア文学,大江健三郎は私小説」とか
「死霊は滑稽小説として読んだらけっこう面白いな」「でもそうは読めないよ」とか
「白樺派は全部ストーカー」とか
芥川賞作家の丸谷が「芥川は外してもいい」というが,結局菊池寛とふたりで1巻に決着.漱石3巻.谷崎3巻.意外なところでは,宮沢賢治,斎藤茂吉,内田百﨤などがひとり1巻.

世界文学では
「嵐が丘はセックスを知らないで書く,元祖少女マンガ」
「ジェーン・エアで主人公をブスに設定してあるのは,勝ち組だからできること」
ここでは,ブラッドベリ・バラード・ウォネガット・ディックで1巻というのがぼく的にはヒット.

ここに挙げられた本を,語り手3人がすべて読破しているわけではないようだ.自分はといえば,ここに出てくる本の1割も読んでいないし,読んでないものをこれから読もうとも思わない.にもかかわらずおもしろい.金がないのに「特選街」や「暮らしの手帖」の商品テストを読む感覚である.

巻立て一覧として,世界文学のほうは作者とともに作品名もまとめてあるのに,日本文学は作者だけというのが不満.
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水銀灯が消えるまで

2010-02-26 08:41:14 | 読書
東 直子 集英社文庫(2010/02)

出版社の CM によれば
*****遊園地で交錯する奇妙でいとしい人間模様
その遊園地には、なぜかわけありの人々が集まってくる。勤め先の金を持ち逃げした女性銀行員。愛人に会社をクビにされた美人……彼らが織りなす、切なく不思議な全6編+番外編。*****

ブックカバー (酒井駒子) が良い.焼酎のお湯割りのシミを作ったが,これもこの一冊だけに固有のデザインとしては悪くない.

人物は奔放に行動するが,ストーリーはないような短編集.ウエットではない.ユーモアは感じられる.解説 (穂村弘) の文章を借りれば「登場人物のぼろぼろで支離滅裂な自由さに奇妙な憧れを感じてしまう」ということだ.「道ばたさん」と「横穴式」が記憶に残りそう.「水銀灯が消えるまで」というタイトルは文庫化に際してつけられたので,こういう作品はない.

著者はまず歌人としてデビューしたらしい.解説にも何首か引かれていた.こんどは歌集を読んでみようか.
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味噌煮込みうどん 名古屋@浅草

2010-02-24 08:53:38 | エトセト等
TX 浅草駅からホテルに向かうべく,通りを渡ろうとして看板建築ふうの「山本屋総本家」を発見.

どちらかといえば,きしめんは苦手だが,煮込みうどんはときどき食べたくなるので,突撃.次々と客が入って来た.ひとりで来る人も多い.
「うどんの中にそば粉が入っているが,そばアレルギーはないか?」と念をおされた.親子煮込みの卵はおいしかったが,かしわはややパサパサの印象.

いつも西から東京に行くと感じることだが,客あしらいはつっけんどん.でも悪気はないらしい.店員は東京人なんだろう.

名古屋の山本屋には本店と本家があって,ここは後者の支店とのこと.「総本家の本店」には太い孟宗竹をそのまま使った七味・一味入れや,1 センチ角くらいの箸があった (今もあるとのこと).

水戸の天狗納豆にも元祖だか本家だか本舗だか本店だか,いろいろあった.
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ジャズ研定期演奏会

2010-02-22 08:18:46 | ジャズ
例年 年末のテイエンだが今年は 2 月.例年コンボが 3 つ出たのが,今年はふたつ.来年ではなく次回はもとにもどるらしい.

コンボのIT2乗は,全然快調(elb)と依然快調(g) (依然快調とまだまだ快調かもしれない,よくわからない) と,イフェクターをかましたエレキバイオリンと,片手にマレット片手にスティックのドラムスのカルテット.
西条太郎は tp2 本とリズムセクションで.ハードバップ.

このあと,ベーシスト氏が中心となって演奏している福祉施設「あとの郷」からの,花束贈呈の感動場面.

ビッグバンドは,これも例年の凝ったステージ衣装でアンコールを含め 4 曲.High High the Moon と休憩前の Ornithology はかぶっていたが,そんなこと気にしない.
エレキベースの馬さん (写真上から2段目の右側:よく見ないとみえません) は,前にもお見かけしたように思うが,馬の人相?は認識出来ないので自信がない.

空港から直行のため,撮影はケータイとなった.ちゃんとした写真は,そのうち mixi にでも出るでしょう.
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ニューオーリンズ@浅草

2010-02-20 17:50:16 | ジャズ
浅草 HUB でデキシーランドジャズ.
初めてのスポットだが,チャージ 1600円は安いし料理もおいしい.東京に住んでいたら,癖になりそう.

年配の方も多く,ほとんどが常連らしいのに,広い店が満員なのがすごい.ステージと客席の一体化は,土地柄だろうか,それともデキシーだからだろうか.もらったスケジュール表には「浅草おかみさん会協賛」とあった.

この日は楠堂浩己とファイネスト・ジャズメン.楠堂さんは薗田憲一亡き後のデキシーキングズを引き継いでいた方で,この日は「ダークアイズ」で10分を越えるドラムソロでびっくりした.ウォシュボード (洗濯板) 演奏がなくて残念だった.
ベースではなくチューバ.一音一音ほほを膨らませて吹く.ギターでなくバンジョー.クラリネットに加え,客席からトロンボーンが参加.複数の管楽器がうねうねと絡み合うアドリブが楽しい.曲によってはピアノも参加.
「わたしを野球に連れてって」に始まり「ベイズンストリート」「小さい花」「私の青空」等,知っている曲ばかり.

Happy Birthday をやったり,サービス満点.

サッチモの時代のジャズはとにかく楽しくなければならなかったのだろう.ディジー・ガレスピーにはまだその雰囲気が残っているが,ミンガスとかマイルスとかになると,その反動か,聞かせてやるという感じの,「おっかない」ジャズになってしまった.
でも,これらはジャズ = 黒人音楽の時代のこと.オバマ大統領の時代のいまでは,それなりに落ち着いている.

しかし 半世紀前のほうがいろんなジャズがあった.のみならず いろいろ雑多な音楽が身近にあった.カントリー・ウエスタン,シャンソン,カンツォーネ,ロシア民謡,etc.

こちらは同じHUBだが別なバンド 有馬靖彦&ディキシージャイブの映像,雰囲気は同じだと思う.カウンターの中から撮影したようだ.


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もう一冊の「わたしの博物誌」

2010-02-18 11:48:28 | 読書
一昨日の串田孫一「わたしの博物誌」は朝日新聞社 1963年2月発行 580円.

じつは1998年8月に みすず書房から,週刊朝日連載時そのままのかたちで もう一冊の「わたしの博物誌」が刊行されている.辻まことが没後人気が出た (言い方を変えれば認識が改められた) 結果であろう.8500円とめちゃめちゃな定価だったが,いまは絶版で,古本屋では2万円くらい.さいわい図書館にあって,さいわい誰も借りない.

辻は文章も書くし串田は絵も描く.文筆家としては串田にネームバリューがあったが,彼の絵は抽象っぽい切り貼り風で週刊誌の連載には耐えない,というわけでこの連載はおふたりのコラボとなったのであろうと推測する.

みすず版では見開き 2 ページが 1 話.文章と 2 色刷りの挿画が一体となってひとつの作品になっている.これは「二重協奏曲」という題のページ.連載当初は「わたしの博物誌」は毎回違う手書き文字だったが,途中から左端に縦長の広告が入ってスペースが縮小され,ご覧のように博物誌の部分は活字になってしまった.

単行版は奇数ページの扉絵につづき3ページの文章という形式.辻まことの挿画は描きなおされたとのこと.あとがきで串田が「どんな絵が出来るかじつに楽しみだった」と書いている.連載時の挿画とレイアウトのほうが確かに見て楽しいのだが,例えば一昨日のクエスチョンマークは,単行本にしかない.

というわけで,二冊の挿画を見比べるのは閑人には良い時間つぶしだ.

新聞の連載小説でも,単行本になると挿画が無くなってしまうのはさびしい.
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串田孫一の本

2010-02-16 09:13:33 | 読書
串田孫一については学生時代に友人から吹き込まれた.「アルプ」という雑誌があって,学生とは違う優雅なおとなの山遊びという雰囲気があった.ご本人は東京外語大の哲学の先生らしかったが,どの程度まじめに先生業をなさっていたか,今にして疑問に思う.もちろん串田センセーの残した文章は山に関するものが多く,岩波文庫に「山のパンセ」が入っている.

どうでもいいことをぐだぐだ書いていて,鋭さが全然なくて,おもしろくない...というのが学生時代のぼくの印象であった.でも歳をとると,どうでもいいことが,いちいち心にひっかかり,鋭いことからは逃げたくなる...というわけで,なかなか良いと思える.

退官後はしばらくFMの日曜朝の番組で自作のエッセイを朗読しておられた.抑揚が短調の感じで,まだ目が十分冷めない状態で聞くのは気持ちがよかった.

この「わたしの博物誌」は1961-62年に週刊朝日に連載されたものの単行本化.読者層を考えてか,山のことではなく,身の回りの動植物が話題になっている.
写真ひだりのクエスチョンマークが描いてあるページをめくると
「チャールズ・ダーウィンのミミズの作用による栽培壌土の形成ならびにミミズの習性観察」という論文を最近よみなおしてみて...
と始まり,「こんなうどんのきれっぱしみたいなもの...」と続く.このマークはよく見ればミミズと石ころである.という調子の本.

当時串田も,挿画の (本の装幀も) 辻まことも40台後半であった.「少年のような視線」という褒めかたもあるだろうが,ずいぶん老成していたんだ...という見方もできそう.
それにしても当時の週刊誌って高級だったんだ.

串田には「わたしの」がつかない,単なる「博物誌」という本もあって,平凡社ライブラリーに上下2巻で入っている.
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卒業演奏会

2010-02-14 09:39:37 | 新音律
市立図書館に行ったら,「フレッシュコンサート」の看板.精確には「教育学研究科音楽文化教育学講座卒業演奏会」.ピアノの他マリンバ,サックス,バイオリン,テューバ・声楽の12組が出演し休憩を含め3時間.

みんな上手.女性は着飾るところでも勝負に出ている.目も耳も楽しめた.

配布された小冊子には博論・修論・卒論の題目一覧も.
たとえば,マリンバ嬢ふたりの卒論は,それぞれ「英国ナショナル・カリキュラム音楽に関する研究-schemes of works に着目して」と「リズム記憶に関する研究」,サックス嬢は「我が国における音楽療法研究の動向に関する一考察」など.
演奏と関係が深い題目も.たとえば,チューバ氏のは「テューバのためのコンチェルトについての一考察-ヴォーン・ウィリアムズのコンチェルト以降の音域や技巧の発展に着目して」である.

このテューバ氏はこの日はピアノ伴奏でR・シュトラウスのホルン協奏曲を演奏したが,椅子に座る姿勢の関係で,お顔はほとんど拝めなかった.ときどき股を開いて水抜きをするのが,おしっこするみたいでとてもかわいい ... 演奏と関係ないことばかり書いて失礼致しました.
なお,氏は日演連推薦新人演奏会でオケをパックにヴォーン・ウィリアムズの協奏曲を演奏する.3/3 アステールプラザ大ホール.ノルマが大変なので,チケットは本人からお求めくださいとのこと.

チケットのノルマは美術展でも同様.これが文化国家ニッポンの現状.



この卒業研究会と同じ会場で来週はジャズ研の演奏会があります.
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孫の力

2010-02-12 08:04:03 | 読書
島泰三著 中公新書 (2010/01).

帯のイラストの目力がキャッチー.「かって孫だったすべての人へ」とある.自分には祖父の記憶がなく,子がいないので当然孫もいないのだが,サル学者による孫の観察記録というところに興味があった.

サルはしょっちゅう子を作り,また子はすぐにおとなになって孫をつくる.子 A の孫育てと自分の次の子育て (対象は A の弟・妹にあたる B,C,E...) が同時進行するから,孫になんか構っていられない.
また江戸時代の平均年齢は30何歳で,生きているうちに孫を見られるのは例外的.孫の世話をやけるのは現代の人類だけらしい.

観察対象の孫娘の名前は母親との約束でヒミツである.この子の 6 歳までの記録.

イヌは命令を聞くがサルは命令をきかない.ヒトはサルの仲間だからヒトの子は命令を聞かないという.自分の身近にはこの年齢のこどもはいないが,周囲のおとな,とくにおとなの女性の行動がこの子の行動に重なって見える.逆に言えば,この子がおとなの女性のようにも見える.

それだけではない.「子どもの遊びには終わりがない.一つのことを飽きず繰り返し...」と言うが,私すなわちブロガーはトランプのひとり遊びを繰り返すことが多い.幼児に退行しつつあるのだろうか.

この記録はどこまでが,どこの子にも当てはまることなんだろうか.男の子はどうなんだろう.この子はひとりっ子らしいが,兄弟姉妹がいたらどうなっただろう.
この子が高校生くらいになって,この記録を読んだらどう反応するだろう.
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かってにサトヤを応援

2010-02-10 08:49:50 | エトセト等
前世紀末のオリンピックでサトヤが金メダルを穫ったときにはみんなびっくりした.ほとんどのひとがモーグルなんていう競技の存在すら知らなかったのだ.このときの報道写真だが,シャンパンのラッパ飲みに男子はほれぼれ.

でもこのときのアルコールに味をしめたのか,後には泥酔騒動 (週刊誌によれば,公然わいせつ騒動) を起こしたり,結婚したり離婚したり,なかなか忙しい.
思うに,サトヤは天才で,それも破滅型天才なんだろう.ウエムラは秀才らしい.秀才は着実で安心できるが,天才はおもしろい...でも天才は周囲をふりまわす.

モーグルをやめたらただのひと,と自覚して,がんばって5 回目のオリンピックをむかえたのに,オカザキほど話題にならないのがかわいそう.
もうお歳だし,世間は期待していない.気楽に滑って,もいちどぼくたちをびっくりさせていただきたい.
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