不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Wi-Fi Free a Firenze

2013-09-04 07:53:43 | アート・文化
フィレンツェでは数年前から
歴史的中心地区の広場を中心に
登録制で1時間無料で利用できる
Wi-Fiが飛んでいましたが、
利用するには携帯電話番号の登録などが必要で
観光客にはあまり使いやすいものではありませんでした。

2013年9月5日からこの登録システムが廃止され
一日2時間の限定ですが、
誰でも自由にフィレンツェ市の提供する
Wi-Fiを利用して
インターネットに接続することができるようになります。

約20日前に公布された規定を
いち早く適用したもので、
フィレンツェは、イタリア国内の大都市のなかで
利用登録手続きを省いて
インターネット回線アクセスを
全面的に無料で提供する最初の都市となることに。

各利用者に300mbの容量を保証すると
フィレンツェ市は発表していますが、
果たして実際にはどの程度の速度で
どれくらいの容量なのか
使い始めてみないとなんとも言えません。

利用時間は一日2時間までという
一日の利用制限付きですが、
翌日には新たに2時間使えるので、
旅行で滞在される方なら、
ちょっとした調べものやメールチェックに
利用するには充分なのではないでしょうか。

既にフィレンツェ市内には
250のhotspotが設置されており、
近日中に新たに10箇所が増設置となる予定で、
徐々にアクセス圏も広がり、
将来的には市内全域に広げるということです。
現状ではユネスコの世界遺産に登録されている
歴史的中心地区と
アルノ川左岸のオルトラルノ地区で利用が可能です。
ただし、ところどころ
やはり繋がり難いポイントもありますので、
利用される際には狭い小径や小さな広場ではなく
少し開けた空間で受信しやすい場所を探してみてください。
トラムの沿線は受信状況もよいので、
実はカッシーネの森などは比較的高速で使えます。

フィレンツェに3日以上滞在する方にお薦めの
美術館共通入場券
Firenze Card(72時間有効50ユーロ)は
ウフィツィ美術館などに予約なしでも
優先的に入場できる特権がついていたり
市バス&トラムが乗り放題になったりという
お得なカードですが
実はこのカードを保持している方なら
72時間wi-fi利用無料。
この場合には利用開始時に
カードの番号を入力して登録する必要があります。

いずれにしても、ようやく観光都市として
一歩前進という感じのフィレンツェです。
スマートフォンやタブレットを
旅行先で利用される旅行者も増えているので
今後イタリアの各都市でも
こうした対応が広がっていくのではないかと思います。


Madonna della gatta

2013-08-21 08:06:00 | アート・文化
絵画作品の中に
犬や猫が描かれるケースもたくさんあります。
大まかな区分ですが、
どちらかというと、
犬は忠誠を、猫は裏切りを暗喩していると言われます。
しかし、もちろんすべてそうとは限りません。

Federico Barocci(フェデリコ・バロッチ)の描いた
Madonna della gatta(猫の聖母)は
元々はウルビーノ公のコレクションでしたが、
Vittoria della Rovere(ヴィットリア・デッラ・ロヴェーレ)が
トスカーナ大公フェルディナンド2世
(Ferdinando II de' Medici)のもとに嫁いだ時に
嫁入り道具の一つとしてフィレンツエェに持ち込まれ、
そのまま現在もウフィツィ美術館の所有となっています。

作品のテーマは「Visitazione/エリザベッタの訪問」で
画面の右側にElisabetta(エリザベッタ)と
夫であるZaccaria(ザッカリア)に連れられて
幼い洗礼者ヨハネ(San Giovannino)が描かれ
画面の左側に重いカーテンをあげて
部屋の中へ招き入れているGiuseppe(ジュゼッペ)、
小椅子に座って幼子キリストの眠るゆりかごを揺らす
聖母マリアが描かれています。
その聖母の服のうえで
母猫が二匹の子猫に授乳しているシーンが
画面の中央に見られます。

聖母マリアとキリスト、
エリザベッタと洗礼者ヨハネ、
親猫と子猫という
3つの母子像が描かれており、
隠されたテーマは「母性」であると言われています。
エリザベッタはやんちゃ坊主のヨハネの左腕を掴んで
段差から落ちないように支え、
聖母マリアは眠りについているキリストが
目を覚まさないように
ゆりかごを優しく揺らし続けています。
母猫は突然のエリザベッタたちの訪問に警戒心を強め、
耳を軽く下げて
視線をエリザベッタたちの方に投げています。

マニエリズモ期の画家であり、
また反宗教改革者でもあったバロッチは
作品の中に動物を描くことが多いようです。
同じ空の下に生きるすべての命は
神の意による兄弟であるという考え方に基づいて
その想いを作品の中で表現するために
動物を登場させているのだといわれています。

この作品中の猫は裏切りの暗喩ではなく、
母の愛を象徴しているのです。
Firenzegalleriadegliuffizimadonnade





Pic-nic a Loggia di Lanzi

2013-08-14 16:55:14 | アート・文化
天井のない美術館といわれるフィレンツェ。
街のあちこちに美しいものが溢れて
そこここで美術品に触れることができます。
アクセスしやすいからか、
文化財へのいたずら描きが絶えなかったり
実際に触ってしまって彫刻を損傷するなどということも
結構頻繁に起きています。

シニョリア広場に面した開廊は
正式にはLoggia della Signoriaですが、
通称ランツィのロッジャ(Loggia di Lanzi)
もしくはオルカーニャのロッジャ(Loggia di orcagna)
と呼ばれています。
前者は
その昔1527年に神聖ローマ帝国の傭兵(Lanzichenecchi)が
ローマへの進軍途中にこの開廊で野営したことに由来しています。
後者は間違った解釈によるものですが、
オルカーニャが手がけたからだといわれています。
実際にはオルカーニャ本人ではなく兄弟の手によるものです。

このランツィの開廊は
1376年から1382年にかけて建設されたゴシック建築ですが、
天井部分には
ルネッサンス様式の先駆けともいえる
湾曲アーチ様式が取り入れられています。
元々はフィレンツェ共和制時代に
数多くの公共会議や公式式典などを
執り行うために使われていました。
1500年代に入り、フィレンツェ共和制から
トスカーナ公国となると
開廊はもっぱらトスカーナ大公である
メディチ家の彫刻コレクションを保管する場所となります。
これにより
世界でも初めての芸術品展示スペースの
一つとなったといわれています。
現在もトスカーナ大公コジモ1世が
共和制の終焉と大公による統治の始まりを示すために
チェッリー二(Cellini)に依頼した
Perseo(ペルセウス)をはじめ
古代ローマ時代からマニエリズモ期までの彫刻の
オリジナルが展示されています。

実際この開廊も
ウフィツィ美術館やアカデミア美術館と同じように
フィレンツェ美術館連合に組み込まれた
立派な「美術館」なのです。

しかし、ここ数年、
お行儀の悪い観光客が増えていて
歴史的建築物でもある、この開廊で
ピクニックをしたり、彫刻にのぼって写真を撮ったり、
靴や服を脱いで昼寝したりとやりたい放題。

24時間態勢で警備員が配備されていますが、
1800年代半ばに活躍したPio Fediの傑作ともいわれ
1800年代のイタリア彫刻を代表する作品でもある
Ratto di Polissena
(ポリッセーナの掠奪)は
他の作品に比べて新しく、
多くの人にとっては無名の作品で
コピーだと思っている人も多いからかもしれませんが
過去4年間で4回も損傷を受けています。
最近では2013年3月に彫刻によじ上った観光客により
指を折られています。

無料で一般公開され、
目立った柵も取り付けず、自由に鑑賞できる現状を
いつまでも保ち続けるためには
一人一人のマナー向上が必要です。
近い将来、柵を取り付けられて
アクセス制限されることがないように祈るばかりです。



Parco degli Acquedotti

2013-07-31 21:00:00 | アート・文化
古代ローマ人は領地内に数多くの水道網を設置しています。
都市郊外の水源地から市内に水を引くことで
古代ローマ人の好きだった温泉施設や個人宅、街の噴水などへの
給水を可能にし、
使用済みの排水も機能的な下水設備を利用して処理を行い
都市部を清潔に保つ工夫もされていました。
なかには鉱物採掘や
小麦製粉の動力として利用されるケースもありました。
イタリア国内はもちろんですが、ヨーロッパ各地に
そうした古代ローマの水道施設にまつわる遺跡が残っています。
遺跡としてだけでなく、
現在もその一部が利用されているケースもあります。
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水源地からの上水道は基本的に重力だけを利用しており
水源地から微妙な下降傾斜を利用して都市部まで水を運んでいます。
山間部の水道施設は大部分が地下に巡らされていて
迂回しながらもその高低差を上手に利用し、
平野部ではアーチ型の水道橋を建設し
必要に応じて加圧したり吸い上げたりする仕組みも取り入れ、
ところどころに貯水池を設けて
規則的な配水ができるように配慮されています。
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ローマで一番最初に作られた水道は
市内の家畜市場にあった噴水用に作られたとされています。
紀元3世紀には既に市内には11の水道施設が整えられ
100万人を越える人口に必要な
日常用水を賄っていたといわれています。

ローマの東の外れ、アッピア街道の走る地域には
Parco Regionale dell'Appia Antica
(州立旧アッピア街道公園)の広大な緑地が残っていますが、
この一部に約240ヘクタールの
Parco degli Acquedotti(水道橋公園)も含まれています。
この公園内には名前が示すとおり
古代ローマ時代及び教皇領時代の7つの水道橋の遺跡が残っています。
Anio Vetus (地下水道)、Marcia、
Tepula、Iulia、Felice、
Claudio、Anio Novus (水道橋)の7つ。
1965年から徐々に整備が進み、不法住居などが撤去され
1986年以降地道な保護活動が続けられ
1988年に州立旧アッピア街道公園に組み込まれ
現在は公共公園となっていて、
誰でも自由に出入りができ
古代ローマ時代の遺跡を間近に見ることができます。

特に保存状態がよく
長距離に渡ってその威容を残しているのが
L'acquedotto Claudio (クラウディオ水道橋)で
これは古代ローマで8番目に整備された水道施設といわれています。
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当時の最新技術を駆使し、
また多くの人手と費用をかけて建設され、
古代ローマでも最も重要な水道施設の一つとされていました。
建設が始まったのは紀元38年、
ローマ皇帝カリグラ(Caligola)の治世に始まり
47年から利用が開始され
52年クラウディウス帝(Claudio)の在位中に全工程完成。

二つの水源地からできる小さな湖から導水し
(現在のティヴォリ近郊/サンタ・ルチア湖周辺とされています)
その水質はマルチア水道(Acqua Marcia)に次いで
二番目に透明度が高いといわれていました。
総距離約68700キロでそのうち水道橋は16。
特に公演内の遺跡は保存状態もよく
水道橋の高さは17メートルから27,4メートル
橋脚は3,35メートルから3,10メートル
橋脚間は約5,5メートル、アーチ部分は約6メートル。
一部はl’Anio novus(新アニオ水道)と共有しており
ところどころ崩れ落ちた遺跡から内部構造を垣間みることもできます。
それぞれ幅1,75メートル高さ1,14メートルの空間を
水が流れていっていたのですが、
二層になっている部分は下がクラウディオ水道、
上が新アニオ水道となっています。
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現在のPorta Maggiore(マッジョーレ門)から
市内に導水され、一旦貯水池に溜められ、
そこで異物の除去などが行われたようです。
毎日約19万1200立方メートル、
約2000リットル/秒が送水されていたといわれていますが、
途中で不法で使われたりすることもあり、
市内の貯水池には日々13万7500立方メートルが配水され
新アニオ水道からの水と合流するcastellumには
11万8500立方メートルが届けられていたとされています。
その先は更に市内の92カ所の貯水池に分水され
そこから各家庭や噴水に送水されていました。
13万7500立方メートルのうち
約34000立方メートルが皇帝の邸宅用に
約42000立方メートルが公共機関用に
約44000立方メートルが個人宅用に利用されていたようです。

地下鉄駅から徒歩15分ほどでアクセスできるので、
時間のあるローマ滞在中に是非足を運んでみてください。

Parco degli Acquedotti
Via Lemonia, Roma
最寄り地下鉄駅:SubausustaもしくはGiulio Agricola
詳細:http://www.parcoacquedotti.it/come-arrivare

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Maria e Marta di Betania

2013-07-24 12:24:24 | アート・文化
エルサレムの近くにあったとされるBetania(ベタニア)に
弟Lazzaro(ラザロ)と暮らしていた姉妹で
イエス・キリストと親交があったといわれています。

エルサレムに向かう途中、
キリストが彼女たちの家に立ち寄ると
二人の姉妹はそれぞれ異なる形でキリストを迎え入れます。
姉のMarta(マルタ)はキリストのために甲斐甲斐しく働き
もてなしの準備を整えます。
一方Maria(マリア)はキリストの足元に座り
キリストの話に耳を傾けています。
それを見たマルタがキリストに向かって
「妹はそこに座っているだけで、
私が一人で支度をしているのに、
なぜなにも仰らないのですか。
私と共に支度をするように言ってください。」
と声をかけます。
するとイエスは逆にマルタをたしなめます。

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Gesu a casa di Marta e Maria
Alessandro Allori,
Cappella di Maria Maddalena -Palazzo Salviati e Portinari

このエピソードは有名なのでご存知の方も多いと思います。
マルタの行動が「活動的生活」
マリアの行動が「観想的生活」といわれ
どちらかというと、
信仰の世界では後者が美化されがちではあります。
もちろん両者に優越などありません。

二人の異なる行為、
「主の言葉を聞くこと&観想すること」と
「誰かのために具体的に行動すること」は
相反するものではなく、
むしろキリスト教の教えでは
どちらも基本的な大切な行為であり、
決して切り離されるべきではないものです。
二つの異なる行為が調和を保ってなされることが大切なのだと
キリストはこのエピソードで諭しているわけです。

なぜキリストがマルタを諌めたのかというと、
彼女が忙しく立ち回ることに意識をとられ過ぎて、
切り離してはならない二つの行為の
一つだけに固執したからです。
これが例えば、マリアがキリストに向かって
「姉はあなたの声に耳を傾けず働いてばかりいます。
共に話しを聞くように言ってください。」
と言っていたとすれば
キリストは間違いなくマリアを諌めたのでしょう。

もちろん、今のキリスト教にもその教えは伝えられています。
祈りと奉仕は常に表裏一体であり、
奉仕のともなわない祈りは本来の意味を持たないということ、
また奉仕にばかり意識が偏ると、
自分への奉仕に陥り結局は自己満足で終わり
助けを必要とする者の中に宿る神に仕える
という本来の意味をなくしてしまいます。

物事は一面から捉えていたのではならぬという意味では
キリスト教を離れた場であっても
非常に基本的な教えなのかもしれません。