不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Vista Da Billy

2008-02-26 00:13:02 | まち歩き

面白いオファーをいただき
ここ数日撮影を続けているのが
「ビリーが観たフィレンツェ・芸術散歩編」とでもいうようなテーマ。

私がイタリアに来るのに踏ん切りをつけさせてくれたうえに
色々と手助けをしてくれて
当時、今よりもっと朧としていた私の脳みそに
美術史の基本を叩き込んでくれた親分からの依頼。
東京で「犬の目線で見たフィレンツェ芸術」
というテーマの講演をするそうで
私はその講演も聴きに行きたいくらいですが
さすがに行けないのでリストアップされたものを撮影しながら
色々思いを馳せてみたりしているところです。
絶対に面白い講演になるのに、行けないのは残念。

で、ビリーが観たフィレンツェということで
低いアングルからフィレンツェを見ています。
ビリーは体高40センチくらい。
地面から40センチくらいの高さから
上にあるものを仰ぎ見て撮影するのは結構しんどい。
足腰にかなりくる上、
地面に這い蹲るようにして撮影していると
周りのイタリア人にとても不思議そうな顔で見られます。

Vista_da_billy
見慣れた夜の共和国広場のGiubbe Rosseもこんな感じ。
結構新鮮。


Perche' non ha confessato ?

2008-02-25 23:54:14 | 日記・エッセイ・コラム

先日のエントリーに対するコメントに
「追伸・・・つい先日、イタリア人にできないこと。と言うテーマで、
手を動かしながらしゃべる。って書いたのですが」といただきました。

このコメントで言っているのは
イタリア人は喋っていると仕事が先に進まないってことです。
確かにその通り。

イタリア人は基本的に複数のことを一度にやることが苦手。
日本人は器用なので、一度に複数のことをして
合理的に且つ有意義に時間を使ったりしますが
イタリア人はとにかく無駄が多いのが特徴。
繊細な仕事をさせれば右に出るものはいない職人でも
一つのことにじっくり取り組むのが基本。
それはそれでとてもよいことだし、イタリアらしいと思いますが。

イタリア人は喋るときには当然のように
大げさな身振り手振りがついてきます。
このジェスチャーで分かり合えることもあるし
彼らにとっては言葉と同じくらいに
重要な意味合いを持つものらしい。
なので喋っているときに手は動くのですが
それが実務的な作業に繋がらないので
喋っていると仕事が進まないのです(爆)。

イタリア人とジェスチャーというテーマでは有名な小噺も。
窃盗で逮捕されたイタリア人が
尋問の際に自分の罪を告白せず黙秘を続けたのはなぜか。
後手に手錠をかけられていて
両手が自由にならなかったので思うように喋れなかったから。
色んなバージョンがありますが、まぁそういうことです。

友人たちと過ごしていても
時間を忘れるほど話し込んでいたりして
喋ることに集中しすぎだよと思うこともしばしばですけどねぇ。


Giasone ed il Vello d'Oro

2008-02-19 07:05:45 | アート・文化

ギリシャ神話の英雄Giasone(ジャソーネ:イアソン)。
テッサリア(Tessaglia)のイオルコス(Iolco)の王であった
アイソン(Esone)の子供で
幼少期にはディオメデ(Diomede)という名で呼ばれていました。
彼が誕生したとき、叔父であるペリアス(Pelia)により
父アイソンは正当な王権を剥奪され家族とともに幽閉されます。
このときに生まれたばかりのイアソンは
密かにケンタウロスの賢者ケイロン(Chirone)に託され、
彼の元で養育され
武器の扱いや文化芸術、
とりわけ指揮官としての知識を身につけていきます。
成人したイアソンはやがて正当な王権を回復するために
叔父の元を訪れますが
当然簡単に願いは聞き入れられず、
王権回復のための条件を提示されます。

その条件がコルキス(Colchide)にあるという
伝説の「黄金の羊毛皮」を持ち帰ることでした。

その昔、偽りの神託を受けたベオツィア(Beozia)の王が、
泣く泣く自分の息子を神の生贄にしようとしたときに
それを知ったゼウスがエルメスを遣いに出し、
金の毛で覆われた、翼をもつ羊を空から送り込ませます。
魔法の羊は自分に跨りコルキスの地へ赴き、
たどり着いた先で自分を生贄として捧げるようにと囁きかけます。
生贄になりかけていた息子はその指示に従い
この翼のある羊にまたがりコルキスまでたどり着き、
そこで羊を生贄とします。
そのときから黄金の羊毛皮は
彼の地の財宝として保管されていたのです。

この黄金の羊毛皮を探す旅のために、
船大工のアルゴス(Argo)に依頼して巨大な船を建造し、
ギリシャ一帯に募集をかけて50人の勇士を募りました。
数々の闘いを経て黒海の果てコルキスまでたどり着き、
当時のコルキス王アイエテス(Eeta)と交渉しますが
黄金羊毛皮を渡すつもりのない王は
イアソンを罠にはめようとします。
しかし、この王の娘であるメディア(Medea)が
イアソンに一目惚れし
彼に魔法をかけることによって父親の罠から救い出し
果てには財宝の見張り番をしているドラゴンにも
魔法をかけて眠らせたため
イアソンは黄金の羊毛皮を手に入れることができました。

メディアと結婚して黄金の羊毛皮をもって祖国に戻ったものの
叔父ペリアスは王権を渡さなかったため、
イアソンを愛するメディアはペリアスの娘たちに
若返りの魔法だと偽り
彼女たちの手で実の父を釜で煮て殺させてしまいます。
こうしたメディアの魔法を恐れた民衆に厭われるようになり
イアソンは祖国にいられなくなりコリントス(Corinto)に亡命。
亡命先のコリントスでは王クレオン(Creonte)に歓待され、
やがて王の娘グラウケ(Glauce)に恋をします。
イアソンがメディアと別れてグラウケと結婚することに決めると
その裏切りに腹を立てたメディアは
グラウケに自分の魔法のかかった結婚衣装を送ります。
彼女がそれを身につけた途端に結婚衣装は燃え出し、
娘を助けようとしたクレオン王も一緒に焼け死んでしまいます。
メディアはイアソンとの間にできた子供も殺して彼の元を去り、
悲観にくれたイアソンは長く放浪し、
最後はアルゴ船の残骸の下敷きになって
命を落としたと伝えられています。

芸術作品のテーマとしてはあまり多く扱われませんが
ルネッサンス期には結婚の結納品や
持参資金を入れる長箪笥などに
アルゴ船にまつわるエピソードが描かれたりしています。

Giasone_01
バルジェッロ美術館にある大理石像はフランカヴィッラの作品。
ジャンボローニャの右腕として長くフィレンツェで活躍した
マニエリスム期の彫刻家で、
本作品もルネッサンス後期およびマニエリスム初期のスタイル。
Giasone_02
ドラゴンを倒し黄金の羊毛皮を掲げる英雄として描かれています。


Vecchi ricordi, ormai

2008-02-17 15:20:54 | Squisito!

昨年11月に阪急梅田で仕事をさせてもらったときに
イベント会場で別の講座を担当していたのにもかかわらず
私が引率したイタリア人シェフの料理の材料の調達まで
全部受けもってくれた石崎シェフ。
Shef_ishizaki
写真は2007年11月の阪急梅田のイベント中の1コマ。
家庭で作る簡単イタリアンということで講義。
日本のイタリアンの業界では有名な方ですね。

訳のわからぬイタリア人の我侭にも丁寧に対応してもらって
人情の厚い江戸っ子で
またシャキシャキしているところがとても印象的でした。

このイベントのおかげで、お話しする機会があり
シェフがトータルコーディネートをするレストランが
実家の近くにあることに話が及び
日本滞在中に両親を連れて
実はランチを食べに行っておりました。

伊東のちょっと南の漁港の街、川奈。
私の中では幼い頃から時々テレビで放映される
ゴルフの会場となるゴルフ場の街
としての認識しかなかったのですが(爆)。

日本滞在中に伊豆の温泉満喫の旅を両親としている途中に
無理矢理組み込んだランチのスケジュールだったので、
予約も連絡もせずに突然フラッとでかけていった先。

伊豆の田舎のこんなところに
なぜこんなメルヘンチックな建物が
と思うような不思議な空間ですが
伊豆高原の雰囲気が流れてきているのだろうなぁという感じ。

基本的には結婚式場&宿泊施設がメインで
併設してレストラン&カフェ、そしてステンドグラス美術館。
この組み合わせがとても伊豆高原チック。
Kawana Michel Resort Wedding
海を見下ろす立地で、都市部の喧騒から離れていて、
こういうところで挙式したいという方も多いのだろうなぁ。

まぁ、挙式には縁のない私なので、目的は食事ですけど。
私には居心地の悪いくらいロマンティックでメルヘンな雰囲気で
なんとなく場違いな感じだったのですが
シェフ自らテーブルまで出てきて料理の説明をしてくれて
本当に気持ちよく食事をさせてもらいました。

毎日フィレンツェで暮らす私は
個人的には日本でイタリアンは食べたくないのですが
両親は久々にイタリアの香りを感じたようで大満足。
素材は地元で採れるものをメインにしていて
日本風にアレンジされたイタリアンのCucina Nuova。
前菜の盛り付けやデザートの盛り付けも
とても斬新でフレンチの要素もあり。

お奨め料理をいただいたのですが
プリモで出てきたのは地元で取れる桜海老を
ふんだんに使ったパスタ。
本当に桜海老でパスタが見えないほどたっぷり。
桜海老苦手なんですけどねぇ。本当は。
目がみんなこっち向いているぅと慄きながら食べました(笑)。
フレッシュトマトのさっぱり味でした。
Sakuraebi_pasta
前菜、プリモ、デザートどれもおいしくいただきました。
特に父は久々に食べるクラテッロ
(前菜がクラテッロのサラダだったので)の
おいしさに感激しておりました。

父が食べ物で喜ぶのを見ると幸せになります。
母はその後案内してもらったステンドグラス美術館に大感激し
今度もっとゆっくり見に来るのだと意気込んでおりました。

で、今頃なぜこんな記憶を引っ張り出してきたかというと
11月のイベントで石崎シェフのアシストをしており
またミッシェルガーデンコートでも
日々料理に携わっている副料理長が
石崎シェフの友人であるイタリア人シェフのところに
研修に来るという連絡を受けたのです。

アドリア海側にあるCattolicaという街にあるレストランで
今月末までの研修旅行だということで
仕事始めになる前にフィレンツェに遊びに行きます
と連絡を受けたのでした。

おいしいものでも一緒に食べましょうということなのですが
日曜日なので、私の一押しGuscioはお休みだし。
さてどこへお招きすればよいのやら。


Il restauro del David di Donatello

2008-02-12 07:15:11 | アート・文化

フィレンツェでダヴィデといえば、
ミケランジェロの製作した
精悍で勇猛な青年を題材にした大理石像が有名ですが
フィレンツェ共和制の象徴として好まれたダヴィデは
多くの他の作家たちの手によっても製作されています。
そのうちの一つがドナテッロのブロンズ像。
現在所有保管先の国立バルジェッロ美術館で
2008年末までの予定で公開修復中です。

David_donatello
高さ158センチ、台座部分の円周51センチのブロンズ像は
古代彫刻を思わせるやわらかな流線フォルムの裸体像。
ドナテッロの作品の中でも
最も愛され賞賛される作品ですが
実際の詳細文書はまだ見つかっていないため、
製作の詳細はまだ確定していません。

現在わかっている限りでは、
一番最初にその存在が確認されたのは1469年。
メディチ家のコジモ・イル・ヴェッキオ
(Cosimo il Vecchio)が命じて
ミケロッツォ(Michelozzo)が建設(完成は1455年)した
メディチ邸の中庭の中央に設置されていました。
1469年にロレンツォ・イル・マニーフィコ
(Lorenzo il Magnifico)とクラリチェ・オルシーニ
(Clarice Orsini)の結婚の儀の記録に残っています。

ドナテッロへこのブロンズ像の製作を依頼したのも
コジモ・イル・ヴェッキオであったと考えるのが妥当で
依頼当初から新しい邸宅の中庭に
設置される予定であったと考えられています。

製作年については様々な見解があります。
これまで1420年代からドナテッロがパドヴァへ移動する
1443年までの間というのが定説となっていましたが
昨今ではそのフォルムと他の作品との関係などから見て
1440年代後半から1450年代初めとする説が有力。

依頼主とドナテッロの双方の意図が
絡み合って完成した本作品は
繊細な美青年の姿のダヴィデを実現し、
幼さを残す裸体は慎ましさと勇敢さを秘めています。
どことなく物寂しげで思いに耽ているような
うつむき加減な青年像は
ヘレニズム期の古代ギリシャ彫刻などに
インスピレーションを受けているといわれています。
つばの広い帽子はリボンや房、ローリエの葉で飾られ、
うつむくダヴィデの顔に影を落とし、
更にミステリアスな雰囲気を醸し出しています。

1494年にメディチ家がフィレンツェ追放となり、
このブロンズのダヴィデ像は
フィレンツェ共和制政庁により徴収され
共和制のシンボルとして
ヴェッキオ宮殿の中庭に設置されます。
その後ヴェッキオ宮殿内で何度か移動され、
1600年代にはピッティ宮殿へ移動。
1777年からウフィツィ美術館に保管された後、
1865年からバルジェッロ美術館保管となります。

この小さなブロンズ像は
一部金箔による装飾が施されていることなどから
適切な修復方法がなかなか見つからず、
これまで約100年間に亘り、
通常のメンテナンスと表面的な簡単な洗浄以外の
本格的な修復は一切行われていませんでした。
過去に行われた数々の不適切なケアは
ブロンズの表面に
不自然な膜をつくり上げてしまう結果となりました。
また18世紀から19世紀にかけて、
当時の流行に合わせて施された数々の光沢処理も
オリジナルの色合いを損ねているといわれています。

ここ数年、ブロンズ作品の修復技術が充実し
すでに洗礼堂の天国の扉、
ドナテッロの作品であるアッティス(Attis)や
ヴェロッキオ(Verocchio)のダヴィデ像などの
修復が次々と行われ
その技術の安定性が証明されています。
これを受けて
1400年代の最も重要なブロンズ作品のひとつと評価される
非常にデリケートなこの作品の本格的な修復が実現しました。
2006年12月から詳細の調査が続けられ、
2007年6月からレーザーによる修復が開始されています。
バルジェッロ美術館の2階大広間の、
通常ダヴィデが置かれている場所周辺に
ちょっとしたラボラトリーが無造作に設置され、
一般公開の形で緻密な作業が繰り広げられています。
修復には18ヶ月を要するといわれ、
予定通りに進めば2008年末には修復完了の見込み。

あんまりにも無防備で無造作なラボラトリーですが
その真ん中にこれまた無造作に
木の支えにスポンジを乗せただけの台が作られ
その上に寝かされているダヴィデ像。
その周辺にはいろいろ面白そうな機械が一杯。
バルジェッロは比較的自由に鑑賞できて
作品の5ミリ先まで近寄ってみることができるので好き。
でも修復中のダヴィデは
いつもよりもちょっと遠いところにいるのが残念。