不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Degustazione alla Cioccolateria

2006-11-30 22:10:00 | Squisito!

友人の友人であるAndrea Bianchiniが
フィレンツェに2店舗目をオープンということで
チョコレートをいただきに出かけてきました。

Ab01

ここのチョコレートビスケットの旨さにはまり
ずいぶん前から大ファンなので
新店舗オープンのパーティーには何があっても行きたい!
ということで
冷たい風が時折吹き付ける冬の夕方。
友達と「垢抜けない」イルミネーションの
フィレンツェの街を歩いていきました。
街の東方のちょっとした商店街にできたお店。
フィレンツェにはよくある
間口の狭い奥にながぁい造りの店構えで
オープニングパーティーの始まる前から
あたりに人が溢れての混雑ぶり。

明るいお店の中に入っていくと
細い通路の両側に小さなショーケースが並んで
中にかわいいチョコレートがきれいに並んでいます。
ショーケースの上には試食用のプラリネチョコレートが用意されて
自由に手を伸ばして楽しめるようになっています。

とにかくすごい人出なので
なかなか思ったように身動きもできない状況で
近くにあるチョコレートをつまんで前進。
お店の一番奥ではビスケットの山とともに
スプマンテの振る舞い。
冬の風物詩であるパネットーネも
ABオリジナルのしっとりおいしいものが出ていました。
こんなパネットーネなら飽きずに
ワンシーズン食べ続けられるねぇと友人とも話しておりました。
ちょっと高いけど、それだけの価値はあります。

かわいらしいプラリネチョコ、どれ食べてもおいしい。

Ab02
左の列は「マンダリン風味」
右の列は「パッション・フルーツ&ペッパー」

Ab03
「バルサミコ酢ジェルの入ったチョコレート」
友人一押しの変り種。

Ab04
手前のユリ型は「ヴィンサント風味」
奥の四角いのは「ハチミツ風味」
私の一押しはこのまろやかなハチミツ風味。

冬にはやっぱりおいしいチョコレートだなぁとしみじみ。

お目当ての「塩チョコ」は出ていなかったのでちょっと残念。
でもどうしても食べたいので
ちゃんとお金出して買いに行きます(笑)。


Illuminazione per Natale

2006-11-29 22:39:00 | 日記・エッセイ・コラム

Illuminazione per Natale
今年はイルミネーションがにぎやかな気がするフィレンツェ。
景気がよくなっているってことなのかしらね?

ドゥオーモとシニョリア広場を繋ぐメイン通り
(カルツァイウォーリ通り)周辺のイルミネーションは
毎年しだれ系なのですが
今年は見た瞬間に
「おばあちゃんの垂れ乳」を思わせるタイプ。
光量は多いので実際にみると明るくてとてもきれいです。

角の焼き栗やさんの屋台に横付けして
自分のために焼き栗を買うタクシー運転手。
こういうところもフィレンツェらしいなぁ。

そろそろ夜の散歩のお供に
焼き栗がおいしく楽しい時期になりました。


Ercole e Caco di Baccio Bandinelli

2006-11-28 06:23:44 | アート・文化

Baccio Bandinelli(バッチョ・バンディネッリ)は
ルネッサンス後期からマニエリスム期にかけて
フィレンツェを中心に活躍した彫刻家。
フィレンツェの有名な金細工士を父にもち
若くして絵画を学ぶために修行に出されますが
彫刻の分野での才能を評価され彫刻家としての道を選びます。

彫刻家としてミケランジェロの影響を強く受けるようになり、
ミケランジェロの作品を模倣し、ライバル視するようになります。
しかし、その力の差は歴然としていて
ミケランジェロと張り合ってフィレンツェで作製した数々の作品には
巨大性を誇張しながらも
構造的には歪弱であるという特徴が見られます。

一般的にあまりよい評価を受けていない
バンディネッリの「Ercole e Caco(エルコレとカークス)」。
フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオの前に
ミケランジェロのダヴィデ像と並んで置かれています。

Bacio_bandinelli_02

牧神ファウヌス(fauno)の薄肉彫りが美しい基盤部分には
ラテン語で作者名も刻まれています。

本作品の寓意テーマは、
ウシを盗んだカークスの悪行を暴き罰するという
エルコレ(ヘラクレス)の力強さと天賦の才。
Virgilio(ヴェルギリウス)などによって語られた
ギリシャ神話の挿話で
エルコレ(ヘラクレス)の「12の苦行」のひとつ。

もともとこの作品は
1505年にミケランジェロに依頼されていたもので
ローマでの仕事が増えていた当時のミケランジェロは
なんとか模型を作製したものの
(現在はブオナロッティの家所蔵)
本作品を作製する時間を見つけられずじまい。
作製は中断され
1525年にバンディネッリに一回目の打診があったものの
その後1528年には再びミケランジェロへ打診され、
このときにはミケランジェロの希望により
主題の変更も議論されています。
彼はこのとき「エルコレとカークス」よりも
「Sansone e i filistei(サムソンとペリシテ人)」を好んだようです。
しかし、これも実現しないままとなり
一時追放となっていたメディチ家が
1530年に正式にフィレンツェに戻ると
作品製作の最終依頼はバンディネッリに届き
直ちに作成を始め1534年に完成。
きっと張り切って作ったんだろうなぁ。
なんといっても本来ならば、崇拝するミケランジェロが
手がけるはずだった作品ですから。

Vasari(ヴァザーリ)は著書「列伝」の中で
「バンディネッリは最もミケランジェロに傾倒していた
芸術家の一人であり
非常に熱心にミケランジェロの作品を研究、模倣し
偉大なる彫刻家に肩を並べようと努力した」
と書き残しています。
しかし、ミケランジェロに匹敵する才能を
持ち合わせないことを知り
やがてミケランジェロに対する思いは
崇拝から羨望へ、そして憎しみへと変化していきます。

こうした変化は
バンディネッリの作品にも次第に現れていき
ミケランジェロの主題や巨大性を模倣しながら、
感情が薄く、解剖学的に正しくない、
構造的にも弱い作品を残す結果となります。

この「エルコレとカークス」は製作までのいきさつもあり
バンディネッリがミケランジェロを超えようとした、
あるいは少なくとも肩を並べようとして
努力をして作製した作品の典型的なもの。
しかしミケランジェロの傑作である
ダヴィデの横におかれてしまうと
表現力や動きに欠ける筋肉のより集めのようで
作品の巨大性だけが目立ちます。

実際作製した本人も自分の力が
到底ミケランジェロに及ばないことを
痛感したのではないかと思われます。

バンディネッリの天敵としてよく知られるBenvenuto Cellini
(ベンヴェヌート・チェッリーニ)はその自伝の中で
バンディネッリの「エルコレとカークス」をこき下ろし
「髪の毛を除いたら頭部には脳みその欠片もなく、
巨体は壁際に置かれたメロンの入ったズダ袋のようだ」
と評しています。
それは言い過ぎじゃぁないかとも思いますが、
確かに素人が見ても不恰好です。

Bacio_bandinelli_01

背伸びをしすぎた一人の彫刻家の悲運がにじみ出るような作品。
模倣をやめていたら、
マニエリスム期の偉大な彫刻家の一人として
もっと活躍していたかもしれないと思うと少し残念。
どちらかといえば
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会にある
「ピエタ」のほうがよいし
ミケランジェロの影響の少ない
メディチ・リッカルディ宮殿の「オルフェウス」や
ドゥオーモの聖歌隊席のレリーフのほうが
繊細で独創的でよいんだけどね。