不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Annunciazione di Leonardo Da Vinci

2007-02-27 05:19:22 | アート・文化

大きな白いユリの花を携えてひざまづく大天使ガブリエルが
少女の面影を残すマリアに「キリスト受胎」を告げるシーン。
中世から後の時代に至るまで
非常に好まれて描かれるシーンのひとつで
レオナルド以外にも「受胎告知」では
有名な作品が数多く残っています。

師であるヴェロッキオ(Verocchio)の工房を出て
独立したばかりの
若きレオナルドの手によるといわれる作品は
彼の残したわずかな「完成作品」のひとつ。
テーマが普遍的なものであるがゆえに、
レオナルドの画家としての
繊細な描写力が際立つ作品でもあります。
作品の依頼主は未だもって解明されておらず、
関連書類も見つかっていないことから
詳細は明らかにされていないのですが
1867年からウフィツィ美術館所蔵となっているこの作品は
その前にはフィレンツェ郊外オリヴェートのサン・バルトローメオ教会
(Chiesa di San Bartolomeo a Oliveto)に保管されていました。
しかし、ヴァザーリ(Giorgio Vasari)が「列伝」を執筆していたときに
彼の友人であり、オリヴェートの修道士であった
ドン・ミニアート・ピッティ(Don Miniato Pitti)から
この作品について諸々の情報を得ているときにも
サン・バルトロメオ教会が委託者であるという点については
一切言及しておらず、
本来の依頼者は別の個人もしくは団体であり
設置場所は他の場所であった可能性が非常に高いのです。

2000年に行われた修復の結果、繊細な色彩を取り戻し
前面の庭に描かれる植物の写実性の高さや
背景に空気遠近法で描かれる
想像の水辺の街の様子が明らかになりました。
右側の建物の扉の向こうにある寝室のベッドにかけられる
重厚な真紅のベッドカバーも
修復後にはっきりと確認されたものです。

二十歳そこそこのレオナルドは
既に自分のスタイルを確立していて
画面右側に描かれる建物の一点遠近法の正確さや
その先にスフマトゥーラで表現された山々の景色、
そして自然を徹底的に研究して描いている草花や
鳥の羽そのものを髣髴とさせる大天使ガブリエルの翼や
マリアとガブリエルの、時を超えるような優雅な動きなど
その後の彼の作品の中に反映される
多くの要素が凝縮されています。
その一方で師であるヴェロッキオや
ポッライオーロ(Pollaiolo)の影響も
わずかに残しているのがみてとれます。
フィレンツェ周辺の風景として
ポッライオーロなどがよく描いていた高木には
レオナルドの古典様式への愛着が見られます。
また1469年にサン・ロレンツォ教会(Chiesa di San Lorenzo)の
ジョヴァンニ・デ・メディチ(Givanni de' Medici)と
ピエロ・デ・メディチ(Piero de' Medici)の墓碑を飾るために
ヴェロッキオが手がけたブロンズ装飾。
この模写をよく続けていたレオナルドは
自分の作品の中にもそれを投影しており
マリアの前に置かれる書見台の見事な装飾は
まさにヴェロッキオの影響。
ただし他の建物の遠近法が正確であるのに比べて
この書見台の遠近法手法は若干崩れていて、
それがレオナルドの意図的なものであった
という説も根強く残っています。
この書見台の側面装飾はヴェロッキオの影響であったとしても
書見台の表面に刻まれた装飾は
レオナルドの好んだ数学的なもので、角形の中に円を描き、
それは後のウィトゥルウィウス的人体図
(Vitruvius)の黄金率を彷彿とさせます。

大天使の射抜くような厳しいまなざしと
微動だにしないマリアの冷徹な表情。
画面全体に流れる緊張感は
レオナルドの他の作品にも見られる沈着さと冷静さ、
そしてもの寂しさと表裏一体のような気がします。

この作品がいよいよウフィツィ美術館を離れ日本へ上陸します。
3月12日の朝から梱包作業が開始され、
ウフィツィ美術館をあとにしてアリタリア便で日本へ送られます。
東京国立博物館での展示は
2007年3月20日から2007年6月17日まで。
日本でこの作品を見るのはどんな感じなのでしょう。
展覧会の詳細はこちら

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Lettere da Iwo Jima

2007-02-26 06:33:00 | 映画

アカデミー受賞ならず、残念でしたね「硫黄島からの手紙」。

Iwojima_1
イタリアでは通常海外の映画は全編イタリア語吹き替えですが
この作品は日本語オリジナルのイタリア語字幕付
それを知らずに観に行った一回目はちょっと驚いた。

イタリア語と日本語の文法的構造の違いで
字幕を見ているイタリア人のほうが早く反応するという
微妙なタイムラグを楽しんだり、
字幕と日本語を比べたりしているうちに
詳細をつかめなくなって、一回目の鑑賞は終わり。

それでも一回目に観た時の
なんとも言えない心の苦しさと衝撃は相当なものでした。

日本で暮らす日本人が観るのと
海外で暮らす日本人が観るのとでは
かなり違う印象になるだろうなというのもあるし、
私自身「天皇万歳」に大いに賛成できない部分があり
アメリカ艦隊がサイパン沖を出て進軍してきたのを受けて
士気を挙げるために栗林中将が指揮をとる
最初の天皇万歳のシーンで一人大きく首を振ってしまい
あとで隣のイタリア人に説明を請われたりもしました。
そのほかにも日本人であるからこそ
素直に受け入れられないシーンはいくらでもあり
それにいちいち反応している映画館の中の日本人を
周りのイタリア人は相当不思議に思ったらしい。

圧倒的不利の中、負ける戦いとわかっていて
二度と帰ることがないと承知していて戦い続ける日本兵の
本当の意味での心の機微は
日本人以外の人にどこまで理解されるのかな?
日本人でありながら遠い戦争の時代を生きた彼らの
本当の気持ちが私にはもう理解できないのだから
イタリア人にはなおさら難しいことのように思います。

戦争映画ではなくヒューマン映画であるのは確か。
ひたむきさに感動するだけでなく、
日本人であることを再度考えさせられるいい機会でもありました。

2回観ても今なお疑問点がいくつか。
本当にこの手紙って発見されたの?
発見されたのだとしたら本当はいつ発見されたの?
映画の冒頭では2005年ってことになっていますが。
ずっと栗林中将に反発していた林の最期ってどうなったの?
戦場で「ジョニー・ウォーカー」って飲んでよかったの?

一番理解できなかったのは伊藤中尉の最期なんだけど。

まだまだ奥深くて理解しきれないので
もう一回くらい劇場で観るような気がします。

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Tornato il Collegamento

2007-02-24 14:49:56 | 日記・エッセイ・コラム

一ヶ月以上もADSLの接続が断ち切られていた我が家。
一週間に2度も3度も問い合わせと催促の電話をしても
埒が明かないから、
そろそろ別の電話オペレーターに
サービス内容の問い合わせでもしようかと思い始めていたところ。

サービスが使えなくなって最初に電話した頃
3回目くらいの電話のときに対応したトリノのオペレーターは
その対応中に
「君のコンピューターに問題がある」と暴言を吐いたせいで
私の怒りを買い(爆)、
行く場所のない私の怒りを猛烈にぶちまけられた人。
その後私のメールアドレスに謝りのメッセージを入れてきた。
私も調子に乗って怒りすぎたなぁと思っていたので
「一介のオペレーターに対してこちらも怒りすぎました」と
メールに返信をしたら、
そのあとも色々と心配して「まだ繋がらない?」とメッセージくれたり
親身になって相談に乗ってくれたり。

時折送られてくるメッセージの中で
彼にはかつて韓国人の彼女がいたということや
日本食が好きだということもわかってきた。
いわゆる日本の漫画で育ち
東洋に興味のある若いイタリア人の一人なんだろうなぁ。

23日までに正常に戻すと電話局からは言われていたのに
24日の朝も相変わらず、リモートコンピューター応答なし。
改めて電話局に電話して催促のお願いをしたときには
「すぐに作業させます」という対応で
やっぱり何もしていなかったんだと思ったのだけど、
その直後に驚いたことに
例のトリノのオペレーターから自宅に電話がかかってきた。

その彼はいきなり
「23日にADSLライン正常化されているから使えるようになったよね」
と言ってきたけれど、
「実際今試してみて使えなかったので、
また催促したところ」と伝えると
彼は早速チェックしてくれて
確かに正常に使用できるように回線は手直しされていると。

その後も何度かやり取りをしていて
やはり電話局内部では正常に作動していることが確認できて
問題はモデムにあるのではないかということに。
4メガバイトのモデムをUSBポート接続ではなく
ETHERNETポートで接続を試してみてくれといわれたけれど
あいにく、この電話局から6年も前に支給されているモデムには
ETHERNETポートの差し込み口はついていない。
それを伝えると
「じゃぁ、手元にまだある、例の適合性のなかった
20メガバイトのモデム使ってみて」といわれた。
適合性ないんだからだめじゃないの?と思って質問したら
CDを読み込まないとしてもモデムに異常がなければ
使えるはずだと彼は言い出した。

自分でマニュアルで設定できるかと尋ねられ、
それくらいの知識は持っているからできるだろうと思った私は
「自分でやってみるよ」といって試してみることに。

なんてことはない。
20メガバイト用のモデムを手動で設定したら
すんなりと繋がったんだよね。

これまで何度電話しても、
「CDを読み込まないなら
モデムが適合しないので使えません」という返答しか
電話局からは返ってこなかったのに。
「手動で設定してみてもいいか」と尋ねても
「適合性がないからだめだ」の一点張りだったのに。

手動で簡単にセットアップできるじゃん。
まぁ、自分でもこれまで手動で設定しようとまで
本気で思ってなかったので文句は言わないけれど
本当にこの電話局のオペレーターには
モノ知らないやつが多すぎます。全員とは言わないけどさ。
みんなで未確認の情報を提供するのはやめてほしいな。
「手動で試してみて」とひとこともっと早く言ってくれれば
こんなに長いこと問題引きずらなくてもすんだのに。

ということで、一ヶ月の悪戦苦闘の末
結局はこのやり取りの中で知り合った
ちょっとオリエンタル好きなトリノ人のおかげで
長く続いた接続不良の原因が解明され
最終的に自分で設定して問題解決。

やっぱり不思議の国・イタリアなのだ。


Gianfrnco Ferre e L'arte

2007-02-20 03:29:33 | アート・文化

イタリアを代表する一流ブランドに名を連ねるジャンフランコ・フェッレ
(Gianfranco Ferre)と世界の至宝を集めるウフィツィ美術館の関係。
フィレンツェのピッティ宮殿内にある「衣装博物館」に
自らのコレクションの一部を贈呈した経緯もある、
このデザイナーが今度はウフィツィ美術館の作品の修復に貢献。
重要修復リストの中にありながら
長年ウフィツィの保管庫に眠り続けた
ヨハン・カール・ロス(Johann Carl Loth)の
「アベルの死を嘆くアダム(Adamo piange Abele)」。
フェッレの経済支援により8400ユーロを投入して修復を完了し、
2007年2月よりウフィツィ美術館の常設作品となりました。

1670年に描かれたこのドイツ人画家の作品は
マニエリスムからカラヴァッジョ派の影響を多少なりとも受けたもので
闇の世界の中の光と影を巧妙に描き分けた大作。

Johann_carl

地上の楽園を追放されたアダムとイヴの間に生まれた
カインとアベル。
旧約聖書の中では対照的に前者が悪、後者が善として描かれ、
やがてはアベルがキリストに、
カインはユダにイメージを重ねられていきます。
兄弟間に起こった人類初のこの殺人事件は
禁断の実を食べて神の怒りに触れ、
楽園を追放され苦行を重ねることになった人類が
初めて善悪を決定するという象徴的なエピソードでもあります。

カインは農業に携わり、
アベルは牧畜業を生業として暮らしていました。
それぞれの仕事から生産される貢物を神の前に捧げるのですが
カインは一束の麦を、
アベルは群れの中で一番良質の子ヤギを選びます。
これを受けて神はアベルの捧げ物を受け取り、
カインの捧げ物を拒否します。
この神様の不公平さ加減が人類初の殺人事件の発端。
両方受け取ってあげればこんな悲劇は生まれなかったのかも?

この神の行為を不快に感じたカインは
「罪を犯してはならない」という神の戒告に耳を傾けず
弟を畑に連れ出し、
そこで弟の頭を鈍器で殴りつけて殺してしまいます。
神から尋問を受けたカインは何も知らないと嘘をつきますが
アベルの流した血が神に訴え、事実が明らかになり
神はカインを追放し永遠に放浪する罰を与えます。
永遠に放浪する罰を受けたカインは
いずれ自分は殺されるのではないかという不安に駆られますが
神は自らの手で殺すことはないのです。
そのことを諭しても気づけないカインは苦しみ続けるしかありません。
ただし、後にカインはその放浪する姿を
野生動物と勘違いした狩人によって
過って撃ち殺されてしまうのですが。

次男の死を知ったアダムとイヴは遺体に駆けつけ、
その死を嘆くのですが、
この修復が完了したばかりの
ヨハン・カール・ロス(Johann Carl Loth)の作品では
前面に額に傷を負い息絶えているアベルを描き、
その脇にうずくまるようにして
静かに死を悲しむアダムが描かれています。
背景には不安の叫びを上げながら逃げていくカインの姿が
わずかな光の中に対照的に描かれています。

この作品中の嘆くアダムは良いとして
息絶えて横たわるアベルの肉体が筋肉隆々で違和感。
聖書では「繊細な」少年として描かれているのに
マニエリスムを通すとこうなるのかと感心。
こんなに筋肉モリモリなのに
兄と取っ組みあいになって
反撃もせずに一撃で殺されてしまったとは想像しにくいのですけど。