不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

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2011-03-30 19:00:28 | Tweet Log



L'aperutura della Porta di San Niccolo'

2011-03-29 19:49:26 | アート・文化

フィレンツェももともとは城壁に囲まれ、
その要所要所に街と外部をつなぐ門がつけられていました。
今では城壁は取り壊されて
環状道路になってしまっていますが、
ところどころに城門は今でも残されています。
ミケランジェロ広場の下の地区は
サン・ニッコロ地区と呼ばれていて、
地区名を取った門がサン・ニッコロ門(Porta di San Niccolo')。
一見すると門というよりは塔のように見えるので
サン・ニッコロの塔(Torre di San Niccolo')とも呼ばれます。
この城門はフィレンツェで唯一、
中世時代のオリジナルの高さで残っているものだといわれます。
つまり昔は門はすべてこういう形をしていたということで、
他に残る背の低いいわゆる門らしい城門は
後の時代に手を加えられているということです。

この塔は長い間閉鎖されており、
アクセスはできませんでしたが、
昨年11月から300,000ユーロをかけた
大掛かりな修復工事が始まり
見学者の安全を保証するための鉄柵などが各所に取り付けられ、
ハトなどの侵入を防ぐ幕が張られる予定。
もちろん壁の剥落なども直され、古い木製の扉の修復も含め
2011年6月24日の一般公開を目指して
急ピッチで工事が進められています。

1324年に建設されたサン・ニッコロ門は
フィレンツェの街の東にあり、
対岸のゼッカの塔(Torre della Zecca)と共に
アルノ川の東(上流)からの攻め手を防ぐ要所でした。
設計はオルカーニャ(Orcagna)が
手がけたのではないかと言い伝えられています。
1500年代に大砲などの標的になりやすかったために
他のすべての城門が打ち込まれて損壊したり、
もしくは標的にされないように
上層部を切られ低層に改築された際にも
サン・ニッコロ門だけは
裏手に控えるサン・ミニアートの丘が
自然の防壁となったために損壊を受けることもなく
オリジナルの高さのまま残ることになったのです。
ただし天頂の狭間はオリジナルではなく
1800年代に再建されたもの。

この門から伸びる九十九折の坂道は
ミケランジェロ広場に続いています。
春から秋にかけてのお散歩に最適の
フィレンツェ散策コースが
またひとつ増えるかもしれません。


Il pensiero per rialzarsi

2011-03-28 23:36:43 | 日記・エッセイ・コラム
東京で強い地震の揺れを体験し、
日常が瞬間に非日常に覆った惨事を
目の当たりにした友人が
フィレンツェに戻ってきて
彼女の自宅でランチ&アフタヌーンティ。

実際に被災していなくても、
各メディアから溢れ出る情報を浴び続け、
心のどこかに傷を負ってしまった在伊邦人。
少しでも時間と思いを共有できたらということで
10人ほどで料理を持ち寄って
雨のそぼ降る日曜日を過ごしてきました。
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Dscf0142

他愛のない話と、時々地震当時の話、
そしてチャリティや義捐金活動の話、
原発の問題点、今後の日本のこと。
深刻になりすぎず、
時々笑うことも忘れずに
おいしいものと優しい仲間に囲まれた数時間。
Dscf0143

一人で考えているときよりも
誰かと言葉を交わすことで
どんどんアイデアが鮮明になっていく。
こういう時間が私にも必要だったのかも。

徒然なるままに、
まだ局所的に刻一刻と変わり続ける私の脳みその中身。


●原子力発電について。
原子力発電についてはもちろん賛否両論あるし、
現時点までの後手後手の対応、
安全対策の落ち度は徹底的に批判され検証されて
しかるべきだと思います。
放射能汚染についても
人体に即座に影響がないものであったとしても
長期的に見たらどういう影響があるのかは
国民として人類として知るべき権利が誰にもあると思うし。

でも、だからといってすぐに反原発というのも
極論ではないのかなと個人的には思う。

安全対策が100%でないのであれば、
厳重な安全対策を再検討するべきだし
将来的には徐々に依存度を減らしていく必要もあるし
その間にこれまで闇に葬られ続けた
代替エネルギーへの移行も
段階的にきちんと行われなくてはいけないでしょう。

一時的に不足する電力があるのだとすれば
それは国民の生活習慣を変えてでも
対応しなくちゃいけないだろうし、
でも、果たして便利さに慣れてしまった日本が
一種の後退になるそういう出来事を
ショックなしに受け入れることができるのかどうか。

日本にいるときには当然だったものも
イタリアに来てからは、
まったくなかったり不足したり、
それでも幸せな日々を送ることはできる。
満たされていないことでの工夫も生まれる。
日本だって昔はそんな時間を紡いでいたのだし
不便さも時にはありがたかったりするのだけど。


●義捐金の使いみちについて。
今、世界のあちこちで募られている義捐金も
これから先、正しく使われることへの国民の関心と
監視の目が絶対に必要。
自分の税金や募金がどのように使われるのかは
最後まできちんと見届けられるようなシステムを
この際に作らないと
ずっと不満がくすぶり続けるような気がする。


●東北地区復興について。
行政区ごと波に洗われてしまった地域は
元通りにするのはおそらく難しいでしょう。
そうだとすればまったくゼロからやり直すチャンス。
この際、更地にして、
地震&津波対策も万全にして、
更に独自のクリーンエネルギーで
電力自給できるシステムを導入して
一定期間の家賃無料とか税金一部免除とか優遇条件をつけて
被災した方はもちろん、
全国から入植者や新しい住民を募集して
世界の模範となる未来都市を構築したらよいのに。
そのために有効に義捐金が注ぎ込まれるべきだと思う。
もしそうなったら
私はすぐにでもチッチーノとレイラを連れて移住して
イチゴでも育てるよ(なぜイチゴ?)。



ランチ&アフタヌーンティのあと
帰り道、友人の家に立ち寄って
東海地方出身、
つまり地震の恐さを他のどこの地区の人よりも
幼い頃から刷り込まれて育ってきた二人で
震災のこと、今後の日本のことについて
熱く語り合いました。

そのときの眠気と闘いながらふたりでひねり出したたとえ話。
(脳みそ半分麻痺していたので、理詰めではないけどさ)
大黒柱のお父さん(東京/関東周辺)と
しっかり者のお母さん(西日本地区/北海道)は元気だけれど
お兄ちゃん(東北地方)が怪我をして働けなくなったら
一家のお財布(国家財政)は大ピンチ。
お兄ちゃんの収入が当てにならなくなったら
家計は厳しくなる一方。
家族が暮らしていくためにできることは節約すること。

これからの日本はまさにそういう状況になるわけで
国家財政をこれまでみたいに使途不明なまま
むやみに使われてはたまりません。
世界の善意の義捐金も同じく。
まずは家計見直して削減できるところは削減して
立て直しのために一番効果的なところにきちんと使う。
自分の家計と照らし合わせたら
きっとそんなに複雑なことじゃないのだけれど、
数字が大きくなるとなんだかよくわからなくなる。
でも日本の財政だって一家庭の家計と同じ理論だよね。
しっかり者のお母さんがいてきちんと節約できたら
お兄ちゃんが仕事に復帰するまでやりくりできる。

国の財政のやりくりを、
いくら国民が選んだとはいえ
今の無力な政府に任せっぱなしにするのは恐ろしすぎるので
国家システムも少し変えた方がいいんじゃないの?
というところまで話は発展したのだけれど。
でもこういう意見を持っている人は多いと思うんだよね。

ACのテレビコマーシャル、
震災後に新しいものを制作していますが、
「みんな元気を出して/力を合わせて」だけではなくて、
そろそろ次の段階に移行する準備もして
新しいコマーシャル作成してほしいな。
「これからこうしよう」
「新しい日本にするためにこんなことから始めよう」
という具体的なメッセージをね。
それぞれの世代にわかりやすく訴えかけるように。

脳みそのとろけた二人は
このコマーシャルのキャスティングまで考えちゃったもの。
(不可能に近いだろうけどね)
まず、子供たちにはアンパンマンからメッセージ
若年層にはジャニーズ系とかアイドル系とか
我々の世代には世界で活躍するスポーツ選手
団塊の世代よりも上の男性には吉永小百合
同じ世代の女性には韓流スターや氷川きよし
おじいちゃんおばあちゃんには天皇陛下とか。
ふざけてませんよ、眠かったけど。

今日本が変わるチャンスだと思えば、
これまでなかった手法だってありだよね、という一つの案です。
そういう意見がきちんと交わされて
正しい方向に進んでいってくれることを
本当に心の底から、
遠いイタリアの空の下で願い続けてるよ。


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2011-03-28 19:00:11 | Tweet Log



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2011-03-27 19:00:49 | Tweet Log