不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Fattori e il Naturalismo in Toscana

2008-04-29 21:40:28 | アート・文化

Fattori_manifesto

Giovanni Fattori(ジョヴァンニ・ファットーリ)は
1825年にリヴォルノに生まれ、
フィレンツェを中心に1800年代後半に活躍した近代画家。
Silvestro Lega(シルベストロ・レーガ)や
Telemaco Signorini(テレマコ・シニョリーニ)と共に
マッキアイオーリ派の中心人物として知られています。
マッキアイオーリ派の画家達の中で
彼の著名な作品のほとんどは
40歳以降の作品であることも特徴。

幼い頃から兄弟の仕事机でデッサンを描いたりして、
その才能を発揮しており
それを知っていた父親は彼が15歳になると
画家Giuseppe Baldini(ジュゼッペ・バルエィーニ)の
元へ送り絵画のレッスンを受けさせます。
1846年にファットーリ家はフィレンツェに移住し、
そこでGiuseppe Bezzuoli(ジュゼッペ・ベッツォーリ)に
数ヶ月師事。
その後Accademia di Belle Arti(フィレンツェ美術大学)に入学。
経済的にはあまり恵まれてはいなかったようですが、
そのような状況下にあっても
熱心に授業に通っていたと言われます。

1848年からはイタリア統一運動にも深く関わり、
その時代には数多くの軍隊や兵士を描いた作品を作製しており、
ファットーリの作品の中でも評価が高くまた好まれています。
1849年に故郷リヴォルノがオーストリア軍に包囲されると
その悲劇的体験が彼の愛国心に火をつけ、
また画家としての繊細さにも影響を与えました。

こうした軍隊や兵士を描いた作品以外には
彼の生まれ育った土地の風習や農村の様子、
トスカーナ(特にマレンマ地方)の景色を描いた作品が
大半を占めています。

30歳までの若い時代の作品は
中世やルネッサンス期の作品に準じる
クラシックなものが多かったといわれていますが、
その時代の作品はあまり残っておらず、
1851年以降の作品が彼の名を現在まで伝えています。

学派を離れて
古典文学作品からインスピレーションを受けたりする傍ら
フィレンツェのCaffe Michelangiolo
(カフェ・ミケランジョロ)の常連となり、
著名人たちと芸術的意見の交換や議論を交わしています。
1852年には大学を去り、
独立して画家としてで生計を立て始めますが
当初はマッキアイオーリ派の元ともなる
革新的な運動とは一線を画しています。

1859年にカッシーネに野営していた軍人達を描き、
その過程で初めて「マッキア(点描画法)」を試しています。
写実主義への傾倒により
ローマの画家Nino Costa(ニノ・コスタ)と交流が生まれ
彼の助言でコンクールに参加し、受賞。
この受賞が彼を一躍有名にし、
軍事的なテーマの数多くの作品の受注を受けることとなります。

1860年に結婚。
奥さんの健康状態がすぐれないことからフィレンツェを後にして
空気のきれいな故郷リヴォルノへ移住。
この時代には数多くの肖像画も残しています。

1861年のイタリア統一は
彼が望んでいた理想とは異なっていたことや
妻との死別などから、非常に落ち込みウツ状態が続きます。
それを見かねた友人が
カスティリオンチェッロのマルテッリ家の所有地に招き
そこでマレンマ地方の風景や
日常の慎ましい暮らしや仕事を題材に作品を作成。

1869年からフィレンツェ美術大学で教鞭をとるようになります。
そしてそれまでトスカーナから出たことの無かった彼が
1872年に初めてローマへ
更に1875年にはパリへ赴いています。
パリでは数多くの印象派の画家にも会っていますが
その影響をほとんど受けず
彼の中では文化の違いとして片付けられ、
若干の失望をも生んでいます。

やがてフィレンツェ美術大学の名誉教授となり、
また各種の賞を受賞し、
1895年からはヴェネツィア・ビエンナーレにも参加し
各界にその才能を認められるようになりますが
それに反比例するように彼は自分の世界に閉じこもるようになり
マレンマの自然をテーマにすることが多くなります。

また1890年代には精力的に制作活動を行い
版画作品も多く作製し高い評価を得ています。

生涯で3回結婚した彼は常にパートナーに先立たれ、
3人目の奥さんに先立たれてまもなく
1908年8月30日に
美術大学の教室で彼自身もその生涯を閉じています。

写実主義画家と評されるように
彼の描く作品は現実を見たままに表現したものが多く、
特に農地や荒野で働く動物達に関しては
非常に詳細な表現であるがままの姿が鮮明に描かれています。
光と影のコントラストを下地とし、
色彩の扱いに長けているため印象的な美しい景色の中に
存在感のある人物を描きこむことも得意としており、
彼自身は風景画の画家ではなく、
人物画の画家であると自負していたといわれています。
そうした絵画的特徴は
やがてマッキアイオーリ派の画家としてのベースとなり、
フランスを中心にその後広まる印象派の
先駆けとなったといわれています。

2008年は彼の没後100周年に当たり、
フィレンツェ、リヴォルノを中心に
特別イベントなどが企画されています。
トスカーナの1800年代の風習や景色、
日常生活を捉えたファットーリの作品と
その周辺の自然主義派の作品を集めた展覧会が
フィレンツェのバルディーニ宮殿で開催中。

Fattori e il Naturalismo in Toscana
会期:2008年3月19日から2008年6月22日まで
会場:Villa Bardini, Costa San Giorgio 2
開館時間:9:00-22:00
休館日:第1・最終月曜日
入場料:6,00ユーロ
詳細インフォメーション


Decisamente

2008-04-27 23:31:00 | Billy,Layla e Ciccino

でかい。
明らかに肉づきが異なります。

28042008_billy_ciccino
まぁ、二匹とも気持ちよさそうですけどね。

4月25日からの3連休、
私も出かけることが多かったとはいえ
ベランダに日の当たる時間に
陽だまりにチビッ子二匹と一緒に座り込んで
贅沢な時間を過ごすことができました。

久しぶりにゆっくりできた感じ。


Una Passeggiata su Fortebelvedere

2008-04-26 23:39:00 | 日記・エッセイ・コラム

とある情報雑誌の情報を当てにして
4月最終日曜日から一般公開になるという
「アイリス庭園」に行こうと
土曜の午後ふらふらとミケランジェロ広場まで。
例年だと5月初旬から2週間の開園になるので
おかしいなぁと思いつつも
天気もいいし、ちょっとお散歩のつもりで。

案の定、門は閉まっていて5月2日から開園の札。
騙された。
Giardino_iris
ミケランジェロ広場から見下ろすと
まだアイリス咲き始めていない様子。
あと一週間ほどしたら咲きそろうのでしょうね。
ということで来週再チャレンジ。

26042008_firenze
そしてなんだか不発のまま帰るのは惜しいので
ぐるっとミケランジェロ広場を回って
行かなければと思っていた展覧会を観に
Fortebelvedereの下まで。
天気がいいとはいえ風が強くて
その上、急な坂道はお散歩というよりは鍛錬でしたが
まぁ、たまには身体も動かさないと。

展覧会はGivanni Fattoriと自然主義派の絵画を集めたもの。
めちゃくちゃ混んでいました。
フィレンツェのちょっとエレガントな奥様方は
なぜだか知りませんが皆さんマッキャイオーリ好きですからね。

26042008
4月も終わりになってようやく春らしくなったフィレンツェ。
お散歩が気持ちよい季節です!


Articolo su Giappone

2008-04-25 02:10:00 | 旅行記

日本行きの準備は遅々として進まず。
とりあえず、エアチケット確保。
そして京都二泊、奈良一泊、
最後の東京一泊はホテルも予約完了。

で、詳細はその場で決めてもいいよなぁと思っていますが、
そろそろガイドブックでも眺めたほうがいいのかなぁと思ったり。
友人は京都御所などに行きたいといっているので
となると事前予約が必要だと思われ、ちゃんと準備しないと・・・。
それに京都で茶道体験もしたいということなので、
そのあたりも探し始めています。
私は昔から京都に行ったら
清水寺と龍安寺だけで十分なんですけど(笑)。
今回は京都だけでも色々見てまわることになりそう。
奈良も高校の修学旅行以来だし!!
鹿しか覚えていない私…。
きっと広島にも足を伸ばしたいだろうしねぇ。
私にとっての広島は神様の故郷ってことでしかないんだけど。
(平和公園はいろんな意味で怖くて近づけません)

そんな状態の中、先週の木曜日に日本についての記事発見。
毎週欠かさず購入していているRepubblicaの付録冊子、
I Viaggiに結構ページ数とって日本特集。
オンラインでも読めます。

イタリア人の間ではなぜかとても有名な
ナオシマについても触れています。
私が無知なのかもしれませんが
何回か聞かれたことがありました、確かに。
そのたびによくわからんと思っていたのですが、
この記事をきっかけになぞが解けました。
さすがに今回の短い滞在では訪れることはできないけれど。
こういう視点でイタリア人が
日本を捉えているんだなぁと勉強にもなります。

ということで、日本観光旅行準備も
そろそろお尻に火がつきそうな状態。


Il concerto di Carmen Consoli

2008-04-24 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

先週の金曜日(4月18日)、フィレンツェのヴェルディ劇場で行われた
カルメン・コンソリのコンサート。

コンサートの4日前に友人から誘われてチケット購入。
6階のボックス席。
Teatro_verdi

カルメン・コンソリは私が好んで聴くイタリアのミュージシャンの1人。
独特のリズム感とすごく深い詩がイタリア人にも好まれているよう。
Carmenn01

今回のコンサートは劇場で行われるアコースティックベースのもの。
そして、彼女独り舞台。
オーケストラもバンドも無しの彼女単独のギター弾き語り。
たった一人ってなかなか勇気がいると思うんだけど、
なんだかそういうこともさらっとやってしまうのが潔い。
Carmen02

彼女はカターニャ出身で、
自分の故郷とその土地の言葉をすごく大事にしているのは
これまでもあちこちのインタビューで耳にしていたけれど
このコンサートではシチリア方言の曲を披露したり
イタリア語についての彼女なりの思いを語ったりと
音楽的な部分以外にも非常に面白い構成になってました。
Carmen03

このコンサートの後、たまたま読み始めたのが
ずいぶん前に購入していながらすっかり忘れていた「松本裁判」。

松本裁判 松本裁判
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2002-03-18

しかし、2002年に発売になっている著作ですね。
私はいつから本棚に隠していたのだろう・・・。

この中で松本一志の「一人ごっつ」の話や
それに影響を受けたという奥田民夫の「ひとり股旅」について
二人のそれぞれの思い入れやインプレッションに触れています。

たまたま偶然そういう流れになったのだけど
「ひとり」で何かに挑戦するということの意味を
改めて考えさせられたかな。
才能があれば人と違うことを試みたくなるんだろうねぇ。