不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Pipistrelli contro Zanzare

2007-05-31 07:44:24 | うんちく・小ネタ

「蝙蝠VS蚊」。
別にバットマンの新しい映画タイトルではありません。

アルノ川が近いせいなのか、
フィレンツェ周辺はとても大きな、動きの緩慢な蚊が多くて
蚊取り線香という古典的な作戦から
電気殺虫剤という近代的(?)な作戦まで
各家庭によってさまざまに戦いが繰り広げられています。

しかし、最も古典的で、自然で地球にやさしい「蚊対策」が
昨年から見直されているらしいのです。

それが蝙蝠。
日本では蝙蝠なんて日常的に見かけるものなのでしょうか?
少なくとも私の実家周辺にはいなかったと思うけど。
フィレンツェには結構いるのです。
因みに我が家の中庭には数羽の蝙蝠が棲息しています。
もちろんどこに巣があるのかは知りませんが
薄暗がりの夕暮れ時などに中庭に眼をやると
何かが宙を舞うのが見え、
よく目を凝らすと、
ふにゃりふにゃりと飛んでいるものが見えます。
蝙蝠はへんな飛び方をするのですぐにわかります。

で、蝙蝠というのは一晩のうちに
一羽だけで少なくとも2000匹の虫を食べるのだそうで
もちろんその中には蚊も含まれています。
しかし、フィレンツェ周辺でも蝙蝠の棲息数は激減しているので
昨年からフィエゾレでは希望者に
「蝙蝠ぶら下がり留まり木」を配布しています。
家の軒先や庭に蝙蝠の停まれる場所をつくることで
蝙蝠の数を増やして「蚊対策」を行おうという狙い。
今年はポンタッシエーヴェでも配布開始になるらしい。

これで蚊が少なくなっても
蝙蝠が増えすぎて新たな問題が生じたりしないのかしら??


Il dizionario di bestemia giapponese

2007-01-06 00:59:51 | うんちく・小ネタ

音楽的で詩的なイタリア語ではあるけれど
イタリア人は日常生活の中では
「罵詈雑言」もよく使っています。
聞きなれると罵詈でも雑言でもなくなってしまいますが(笑)。

何気ない会話の中でイタリア人によく聞かれるのは
「この言い回し(罵詈雑言の類)って日本語に訳したらどうなるの?」
「日本語の罵詈雑言を教えて」なんてこと。

私自身、人を罵るような言葉は普段使わないので
教えてくれといわれるとすごく困るのです。
「ふざけるな」とか「ばかもの」とかその程度のものは
イタリア人にしてみればすごくソフトな感じに聞こえるらしい。

元々神を冒涜する言葉が直接罵り語になるイタリアの文化背景と
日本の文化背景が微妙に異なるせいもあるでしょうし
敬語を多用し、婉曲表現を好む日本語の特質自体が
そういう言葉の存在を希薄にしているのでしょう。

と、先ほどこんな記事を見つけたのです。
日本語の1270の罵詈雑言を網羅した辞書らしいのですが
つまり、この辞書編纂者によれば
1270語程度しか日本語の罵り語は存在しないってことですね。
それでも結構多いなぁと思ったのですが、
中には「え?それも罵り語なの?」というものも含まれているらしい。

元々罵詈雑言に当たるものが少ない言語だというのは
ある意味ではすごく素敵なことだと思うのですよね。
別に最初から「罵る」必要はないわけですから。

まぁ、本格的な言語研究の意味合いからすれば
まともではない辞書のようですが、
暇つぶしの文化的読み物としては面白そうだし
一冊買っておけば、次からイタリア人の質問にも
難なく答えられるかも??

罵詈雑言辞典 罵詈雑言辞典
価格:¥ 2,625(税込)
発売日:1996-07

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Espressione Onorifica Lei o Voi

2007-01-05 00:07:48 | うんちく・小ネタ

年末の友人との会話の中での気になる質問。
「イタリア語の敬語表現って
昔は二人称複数形(Voi)だったのに
いつから三人称単数形(Lei)になったの?」
これは言語学的にも
ちゃんとイタリア語を勉強したにもかかわらず
まったく意識していなかったので驚愕(大袈裟)。

いやぁ、きっと大学の授業で
きちんと叩き込まれたのでしょうけど
すっかり忘れましたよ、そんな昔のこと(爆)。

確かにね1800年代までのオペラや文学作品の中では
尊敬表現としてVoiを使っているし、
そうした時代を背景にしたドラマや映画でもちゃんと
Voiを使っているわけです。
しかし現在はVoiは少数派となり
大半は尊敬表現としてLeiを使うのですよ。
私の場合は通常はLeiを使い
動詞変換が不安なときにはVoiを使うという
超反則技を駆使したりしていますが(爆)。

ということで私自身も気になったのでちょろっと調べました。

結果的にはVoiは衰退したわけではなく
現在も尊敬表現として使われることもあり
特に南イタリアではその傾向が顕著だといわれます。
歴史的にはBenito Mussoliniの勅令の失敗もあって
ファシズム政権後に大々的にleiが普及した
と考えてよさそうです。

以下はAccademia della Cruscaの文献からの抜粋なので
ちんぷんかんぷんです(笑)が参考資料として掲載。

中世の時代、イタリア語は他のロマンス語と同じように
tu/voiを中心とする二極システムを擁していた。
ダンテは神曲の中で通常の会話を交わす相手にはtuを
とりわけ権威のある人物に対してはvoiを使い分けている。
一方leiは公式書類を扱う事務所や
ルネッサンス宮廷で好んで使われ
後にスペインの影響を強く受けてその利用範囲が拡大・普及。
1500年代から1900年代まではtu/lei/voiという
3つの待遇表現が混在。そのうち後者二つは尊敬表現。
1800年代のイタリア文学言語ではvoiは別格の尊敬表現、
tu/leiはそれぞれアンフォーマル/フォーマルで
使い分けられた待遇表現である。
ただしこの場合においても
tuは神や人格化された抽象的存在に対しても用いられた。

現在では次のような規律に従って使い分けられることが望ましい。
1)基本的に状況や文化背景などを特に考慮せず
お互いにtu/leiを使用しても失礼には当たらない
2)双方の同意に基づき、いずれを使うかを決定する場合
leiからtuへの変更は成り立つ
3)非対称の関係、たとえば成人と未成年などの場合は
目下のものがleiを使うのが常識

過去の尊敬表現については
1)両者のおかれた社会的立場や家族内でも年齢によって
目下のものがleiを使いそれに対する返答はtuとなる
2)両者の立場や年齢が同等である場合
現在ほどきちんとした決まりはなく
状況や気分によってtu/lei/voiを使い分けることができ
これには個人差がみられる

歴史的には次の通り。
1) ファシズム政権下では勅令でvoiの普及が図られたが
勅令発令が1938年だったこともあり
ファシズム政権崩壊までの時間的な問題もあり
普及するに至らず十分な効果が得られず。
ただし、当時既にleiの使用がイタリア全土に
かなり普及していて
voiの使用が南イタリアに限られていたことも
1900年代前半のvoiの普及失敗の要因のひとつ。
2) 現在voiの使用は完全に衰退したわけではないが
使用頻度は非常に低くなっている。
南イタリアの一部、登記簿、高齢者間などでの
使用のみに限られてきている。

友人に尋ねてもそれぞれ違う答えが返ってくるので
みんなそれぞれに思い入れがあるらしい。
一応Accademia della Cruscaの回答を
目安にするのがよさそうですが
訳したのは私なのでそのあたりは注意が必要(爆)。

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Perche si celebra 26 Dicembre ?

2006-12-28 14:10:24 | うんちく・小ネタ

クリスマス時期にイタリアにいると
「宗教的にクリスマスがとても大事な日だ」
というのは理解できても
「なぜ翌26日がお休みなのかわからない」
ってことはないですか?

実は私にとっては長いこと謎だったのです。
もちろん12月26日が
「Santo Stefano(聖ステファノ)の日」
であることは知っていたし
聖ステファノがその昔、助祭だったことも
布教活動に熱心だったことも
そしてキリスト教初の「殉教聖人」であることも
それなりに知っているけれど
彼が殉教した日が12月26日である証拠はなく
どうしてその日が他の聖人の日と異なり
「国民の祝日」なのかが理解できなかったの。

だってキリストと血縁関係にある洗礼者ヨハネは
フィレンツェの守護聖人で
6月24日はフィレンツェは祝日だけど
国民的祝日ではないし
もっといえば第一弟子で逆さ磔になった聖ピエトロは
ローマの守護聖人で6月29日はローマのお休みだけど
全国的にお休みなわけじゃない。

聖ステファノは誰よりも先に
自分の命をかけてその信仰を守った人であるという点では
確かに偉大な人だけど。

と長いこと疑問だったこの点について
ようやく重い腰を上げて色々調べていたら結構簡単に解決。

やはりそういった聖ステファノの
功業が評価されているのは当然のこと。
しかし12月26日は実は「宗教祝日」には当たらないのです。
法律(legge 27/5/1949 n. 260 )で決められた「国民の祝日」。
いってみれば
日本のハッピーマンデー法による祝日みたいなもので
クリスマスのお休みを長くするために
クリスマスの翌日を
聖ステファノにちなんでお休みにしましょうってこと。

まぁ、どうでもいいといえばどうでもいいことだけど、
長年の謎が解けてちょっとすっきり。

ちなみに聖ステファノは投石によって殉教しているので
彼のシンボルとして石が描かれることが多く、
このGiottoの作品のように
頭にぽこりと石がくっついているものもよく見かけます。
ちょっと変な感じだなといつも違和感を覚えるのですが。

Santo_stefano_giotto

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Su di Cinta senese

2006-12-24 00:47:57 | うんちく・小ネタ

ちゃんと忘れないうちにどこかに書いておかないと。
せっかく色々教えてもらったんだし。

Cinta Seneseとは豚さんの種類。
シエナ周辺のごく限られた地域で育てられる貴重な品種。
現在市場に出回っている一般的なシロブタさんなんかよりも
ずっとずっと歴史が古く、
シエナのAmbrogio Lorenzettiの描いた
1338年のフレスコ画「善政」の中にもチンタ君は登場します。
このほかにもシエナ周辺に残る
「家畜(とりわけ豚さん)」の守護聖人
S.Antonio Abeteにまつわる絵画にはチンタ君登場率高。

非常に丈夫な品種で順応性も高く
一時はトスカーナではよく飼育されたといいます。
基本的に自由放牧が必要な豚さんで
1ヘクタール当たり6-7頭の飼育が限度といわれています。
広い森や野原に放し飼いにされ
オリーブの実や木の芽、牧草など、
その辺に生えている自然の植物を餌にして育ちます。
森の中をぐんぐん突き進んでいくので
目を傷つけないように大きな耳が前に垂れていて
ちゃんと目を覆うようになっています。
それ以外の特徴は顔が他の豚さんに比べて長細いこと、
そして、前足周辺に薄桃色のワッカ模様。
厳しく定められた規定では
このウス桃色の部分が身体全体の50%以下であり
かつ、後ろ足部分は完全に黒いものだけが正式チンタ君。

第二次世界大戦後、北ヨーロッパから
成長が早く、放牧の不要なシロブタさんが入ってきます。
戦後の需要と一時蔓延したブタのペストの影響などで
大量生産できる豚の飼育が主流となり
飼育に広い敷地を要し
出荷できるサイズ(140キログラム)に育てるために
2年かかるチンタ君は生産効率が悪いので
徐々に数が減っていきます。

そうこうしているうちに1980年代。
気づいたときには純潔のチンタ♂一頭、
シロブタとの混種♀約20頭を残すのみの絶滅の危機。

ここから必死の救出作戦開始。
できるだけ純血に近いものを残して交配。

今回訪問したFattoria della Cinta(飼育規模トップ)では
♂一頭に♀10頭。
血が濃くならないようにという配慮でオスは二年に一回交代。

01
現役の種豚さんたち
結構デカイけどおとなしい

たまぁに昔の名残でシロブタちゃん、まだらちゃん、
真っ黒、茶色など規定外のチンタ君も生まれてきます。

03
必死でご飯食べてるのでおしり向けて失礼
ちょっと純血じゃないけど一応チンタちゃん

子豚ちゃんたちは生後二ヶ月までは
母豚と同じ敷地で育ちます。

02
ちっちゃくても白いチンタ模様くっきり

その後は自由放牧になり
森あり、草原あり、池ありの
広い敷地(25ヘクタール)で伸び伸びと育ちます。

Allevamento
果てしなく広がる大地
うらやましい

二年かけて140キログラムまで成長すると
立派なチンタ君。

04
立派に成長

メスは年間に二回出産。
一回の出産で5-6頭を産むようです。
単純に計算しても
♀10頭の規模の養豚場で
6頭×2回×♀10頭=120頭。
これだけしか出荷できないわけです。
だから貴重なハムやらサラミになるのですね。
チンタのサラミなどが高価なのも納得。

チンタ君の脂肪分は非常に良質で
人肌で溶解し
コレステロールも低いのだそうですよ。

色々教えてくれた養豚場のDanieleさんは
とても素朴でまじめな人でした。
こういう人に育てられた豚さんは幸せねぇ。

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