江戸時代の中期宝暦(1751-1763)の終わり頃から
岩国地方は長雨や旱魃など天候異変により
山林、田畑、河川は大きな被害を受け作物は収穫できず
果実も実らない状態が明和、天明と続いたこの飢饉で
多数の餓死者が続出伝染病も蔓延した。
この惨状に白木家の兄弟2人が一念発起し、天下泰平
五穀豊熟、餓死者の冥福を祈るため出家した。
錦見報恩寺で得度し兄は曇華、弟は断橋の僧名を得た。
明和元年京都宇治の万福寺で修行を積み兄の曇華は
「本尊千手観音」を下付された。
平成9年に新しい観音堂を建立。
中に平岩山88箇所もある。
(立て札より要約転載)
岩国地方は長雨や旱魃など天候異変により
山林、田畑、河川は大きな被害を受け作物は収穫できず
果実も実らない状態が明和、天明と続いたこの飢饉で
多数の餓死者が続出伝染病も蔓延した。
この惨状に白木家の兄弟2人が一念発起し、天下泰平
五穀豊熟、餓死者の冥福を祈るため出家した。
錦見報恩寺で得度し兄は曇華、弟は断橋の僧名を得た。
明和元年京都宇治の万福寺で修行を積み兄の曇華は
「本尊千手観音」を下付された。
平成9年に新しい観音堂を建立。
中に平岩山88箇所もある。
(立て札より要約転載)