CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)

2015年01月14日 06時08分09秒 | 旅行記
萩の散策とグルメシリーズの第11回となります。
本日は萩八景遊覧船めぐり発着場近くにある萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
を写真で紹介していきます。

過去10回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4  松浦松洞誕生地

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社 

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑  in 松陰神社

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり


上の写真が萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)の遠景です。中まで入らなかったので
毛利輝元と夫人および殉死者長井治郎左衛門の五輪塔の写真はありません。


上の写真は萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)の位置を示したものです。
所在地は萩市大字堀内・天樹院

Goo地図でも所在地を示しました
 


上の写真は毛利輝元卿墓所の石碑


上の写真は説明版です。(下記の内容)

萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
天樹院墓所は毛利輝元の墓所で、輝元と夫人および殉死者長井治郎左衛門の墓石3基である。これらの墓は花崗岩製の五輪塔形である。
なかでも輝元のものは高さ2.1m、夫人のものは1.8mといずれも大型である。また墓の周囲には玄武岩製の玉垣、鳥居、石燈籠、長さ64mの参道の敷石、唐門などがあり、環境も良好である。
ここは以前輝元の隠居所、四本松邸のあった所で、彼の死後に天樹院(輝元の法号)が菩提寺としてたてられたが、1869(明治2)年に廃寺になり墓所のみが残った。



上の写真は毛利輝元を中心とした系図です。(天樹院説明板より)

ここでWikipedia(一部加筆)より毛利輝元について引用記載しておきます。

天文22年(1553年)1月22日、毛利隆元の嫡男として吉田郡山城(安芸高田市)
              で生まれる
永禄8年(1565年)2月、元服に際し、室町幕府将軍足利義輝の諱一字を賜り、
           輝元と名乗り、屋形号を許される。
永禄13年(1570年)3月13日、右衛門督に任官。それ以前は、少輔太郎を称す。
         時に、従五位下にも叙位か。
天正2年(1574年)2月9日、右馬頭に遷任。
天正16年(1588年)7月25日、豊臣輝元として従四位下に昇叙し、侍従に任官。
         同日、参議に転任。また、清華家の家格に列す。
        安芸宰相、あるいは羽柴安芸宰相と称せられる。
天正19年(1591)五箇村(現在の広島市)の広島城が完成(黒田官兵衛が設計)
天正19年(1591)3月、秀吉より知行目録を与えられ112万石の所領を安堵
文禄元年(1592年)から始まる秀吉の2度の朝鮮出兵にも、主力軍として兵3万を派遣
文禄4年(1595年)1月6日、従三位に昇叙し、権中納言に転任。安芸中納言、
     また、羽柴安芸中納言と称される。この年、豊家五大老の一員となる。
慶長3年(1598年)4月18日、権中納言辞任。
慶長3年(1598年)8月 五大老の1人として豊臣秀頼を補佐
慶長5年(1600年)9月15日、関ヶ原本戦においては自らは出陣せず西の総大将で敗北
慶長5年(1600年)10月、輝元は剃髪して幻庵宗瑞と称し嫡男の毛利秀就に家督を譲る
慶長8年(1603年)、毛利輝元が江戸に出向き謝罪
慶長9年(1604年)、長門国萩城を築城を開始し、居城とする
慶長19年(1614年)からの大坂の役で出陣
元和9年(1623年)、正式に隠居
寛永2年(1625年)4月27日、萩の四本松邸で死去

           戒名:天樹院巌宗瑞


上の写真は入り口の右手の毛利輝元火葬場跡。
石囲いにかこまれており真ん中に石塔がある。

以上萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)について書いてきました。
萩藩主毛利家墓所には天樹院墓所以外に下記の3つの墓所があります。
(1)大照院墓所
   初代藩主毛利秀就(ひでなり)以下、2代綱広(つなひろ)から12代斉広(なりひろ)までの偶数代の7藩主夫妻の墓がある。

(2)東光寺墓所
   3代藩主毛利吉就(よしなり)から11代斉元(なりもと)までの奇数代の5藩主夫妻の墓がある。

(3)香山墓所
   山口市の香山公園内にあり、13代藩主毛利敬親のほか元徳・元昭及びそれぞれの夫人の墓がある。


上記の東光寺の墓所、旧天樹院の輝元墓所、香山墓所の4ヵ所が、萩藩主毛利家墓所として1981年(昭和56)5月2日に国の史跡に指定された。

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