CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

今日は何の日  9月1日

2019年09月01日 06時13分35秒 | Weblog

9月1日は「二百十日」すなわち春分から210日になる日です。
二百十日は年により8月31日になる場合もあります。

日本の72候では第41候「天地始めて粛し(てんちはじめてさむし)」であり、
風や空、雲、月の見え方、虫の鳴き声、等々様子が一変し夏が過ぎ秋がやってきた
ことを感じる季節であります。

この日で誰もが思い浮かべるのは大正12年(1923)の関東大震災で昭和35年
(1960)にこの日を「防災の日」と定められました。

各地で防災訓練が実施されます。


前置きが長くなりましたが9月1日に過去起きた出来事やイベントについて
箇条書きで記していきます。Wikipediaより要約


文治5年(1189)7月19日 源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡追討のために鎌倉を出発

建仁3年(1203)7月24日 仏師運慶・快慶が東大寺金剛力士像の造立を開始

天文20年(1551) 陶晴賢の反乱にあった大内義隆父子(父は45歳)が自刃
 関連サイト:大寧寺 智日堂 (開山堂) on 2001-8-6


元和元年(1615)7月9日 江戸幕府が、豊臣秀吉を祭神として祀る豊国神社の
             破却を命令

明治22年(1889)山陽鉄道(現JR西日本) 神戸~兵庫間開通

  関連ブログ:

 東海道本線と山陽本線の終起点「ゼロキロポスト」リニューアル in JR神戸駅

明治24年(1891)  日本鉄道本線上野駅 - 青森駅間(現在の東北本線)が全通。

明治44年(1911) 平塚らいてうらが文芸雑誌『青鞜』を創刊。
   創刊号には「元始、女性は太陽であつた」という平塚の宣言が載せられた。

大正12年(1923)  関東地震(関東大震災)発生

昭和2年(1927) 宝塚少女歌劇団が日本初のレビュー『モン・パリ』を上演。

昭和10年(1935)  第一回芥川賞・直木賞発表

昭和14年(1939) 第二次世界大戦、ドイツが突如ポーランドに侵攻で始まる
  これに対してイギリスとフランスが3日に宣戦し、第二次世界大戦が勃発。


昭和39年(1964) 村上雅則がサンフランシスコ・ジャイアンツで登板。
          初の日本人メジャーリーガーとなる
      東京・赤坂にホテルニューオータニ、芝に東京プリンスホテルが開業

昭和58年(1983) 冷戦: 大韓航空機撃墜事件。ソ連の領空を侵犯した大韓航空機を
          ソ連防空軍が撃墜し、269人全員死亡。

平成2年(1991) ウズベキスタンがソビエト連邦からの独立を宣言 ソ連邦崩壊

平成13年(2001)東京新宿歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル」で火災。44名が死亡



9月1日のイベント

 宇治上神社 八朔祭(通称 砂持ち)

 富山八尾おわら風の盆

 JR大和路線 柏原駅 道明寺天満宮 八朔大祭

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岡山城訪問記(金箔が彩る宇喜多秀家の烏城) on 2019-4-5

2019年09月01日 04時48分24秒 | 旅行記

2019年4月5日、岡山城を訪問した時の写真を紹介します。

 

岡山城の基本情報

住所:岡山市北区丸の内2丁目3−1

建立時期:慶長2年(1597)

別名:烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)

岡山城の公式サイト:https://okayama-kanko.net/ujo/index.html

 

天守閣

 

上の写真は岡山城の入口付近からの遠景

戦国時代に、備前東部の邑久郡から興った宇喜多直家が岡山の地・石山にあった岡山城の前身

にあたる城砦に入城したのは天正元年(1573)の秋であった。

石山の城はこの地の豪族であった金光氏の小さな城にすぎなかったが宇喜多直家が金光宗高を

謀殺しこの地を支配した。直家はこの城を大改築して居城とし、城下町の経営に着手し岡山繁栄

の基礎をつくった。直家の子の宇喜多秀家は天正18年(1590)秀吉の意見に従い、石山の東

「岡山」に本丸を移し石山城を取り込む形で城郭が建造された。その後小早川氏、池田氏により

整備、拡張が行われた。 明治2年(1869)の版籍奉還により藩主の池田章政は岡山藩知事に

明治6年(1873)の廃城令により順次建物の取り壊しや堀の埋め立てが実施され、明治15年

(1882)頃までには、天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門を残すのみとなった。明治23年

(1890)、旧藩主池田章政に払い下げられた後、池田家は岡山県に提供し、明治29年(1896)

には本丸趾に県立岡山中学校が建てられた。こうして昭和初期頃までには城跡と見受けられる

のは本丸を残すのみとなり、五重の濠に囲まれた巨大な城郭は市街地へと姿を変えた。

昭和20年(1945)に岡山空襲で天守と石山門が焼失し、月見櫓と西手櫓が現存するだけとなった。

本丸跡の学校は昭和29年(1954)に移転し烏城公園として整備され、昭和41年(1966)に

天守閣が復元され観光施設ともなっています。昭和62年(1987)に史跡に指定されてからは、

歴史に視点を置いた整備が求められるようになり、平成4年度から本丸跡中の段で発掘調査

コンクリート建物の撤去、石垣の解体修理、江戸時代末期の建物の表示、築城期の石垣の露出展示

などが行われています。発掘調査や復元事業は本段や下の段にも実施整備されてきています。

岡山城の地図

上の写真は現地説明板の地図 

岡山城の古写真

 

上の写真は岡山城の古写真(明治初年(1968))と説明板 岡山城天守の展示より

 

廊下門

 上の写真は廊下門 上屋は本段(住居)と中の段表書院(藩庁)を結ぶ城主の通路として

使われたためこう呼ばれた。昭和41年(1966)に鉄筋コンクリートで再建された。

月見櫓

上の写真は月見櫓

宇喜多秀家時代の石垣

上の写真は宇喜多秀家時代の石垣展示

 

表書院跡

 

 

上の3枚の写真は表書院跡と現地説明板

不明門

 

上の2枚の写真は不明門(復元)と現地説明板

 

天守より後楽園を臨む

 

宇喜多秀家

Wikipediaによる宇喜田秀家(1572~1655)の解説。
宇喜多 秀家(うきた ひでいえ)は、安土桃山時代の武将・大名。
豊臣政権下の五大老の一人。通称は「備前宰相」。
大名家としての宇喜多氏最後の当主であり、備前岡山57万4,000石の大名。
八丈島で83歳の天寿をまっとうしたようです。

宇喜田秀家公の墓所は
東京都八丈町大賀郷の稲場墓地
丹船山薬王樹院東光寺(東京都板橋区)

お舟入りと御座船の展示パネル

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