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神戸市内の懸魚 その2 神戸市中央区の安養寺の懸魚

2019年09月17日 05時31分52秒 | 神戸情報

神戸市内の懸魚(げぎょ)シリーズの第2回で本日は神戸市中央区安養寺の懸魚を

写真紹介します。

過去の神戸の懸魚シリーズ

第1回 海神社の懸魚

 

本題に入る前に安養寺について簡単に触れておきます。

安養寺の基本情報
住所:神戸市中央区 楠木町7丁目1-10  TEL:078-341-5894
宗派:浄土宗 山院号:大悲山成覚院

公式HP:http://www7b.biglobe.ne.jp/~anyozi/

安養寺のHPよりその歴史について抜粋引用(一部加筆)させていただきます。

「安養寺は、西暦950年(天暦年)に、恵心僧都の妹(母の説もある)
にあたる安養尼が建立したと伝えられている。
その後、尼崎の如来院の末寺として700年以上経過した。

江戸時代に入り尼崎藩第2代藩主青山幸利が亡くなるとその遺言により尼崎大物

ら安養寺は現在の場所(楠寺に隣接)に移された。
青山幸利候は、楠木正成公を祭る現在の湊川神社が、当時石が置いてあるだけの
ような墓であったのをうれい、梅と松を植え五輪の塔を建てて供養し、没後は
この場所に葬るように語っていた。貞享元年(1684年)8月2日に死去。享年69

「元禄五年(1692)坂本村庄屋の届書  
   摂州八部坂本村  浄土宗尼崎如来院末寺 大悲山成覚院安養寺 
           富住持 還譽
           元禄五申年一二月一八日 阪本村庄屋  庄 右ヱ門」

という記述が寺の記録に残っていることからこの年代に移されたことがわかる。

1892年(明治25年)には、如来院の末寺を脱して、知恩院直末のお寺となる。」

尼崎藩主の青山幸利の墓があるこでも有名です。

青山公の墓については下記のブログで記載しています。

 尼崎藩第2代藩主青山幸利が眠る安養寺


前置きが長くなりました。本題に戻り安養寺の懸魚に話題を移します。

添付の写真の撮影日はすべて2019年9月13日

上の写真は安養寺本堂北側の猪目(いのめ)懸魚の遠景と近景  撮影:2019-9-13

懸魚(げぎょ)は、建物妻の破風(はふ)板の下部につけて棟木や桁の木口を隠す彫刻や

透彫りの飾り板のことです。 棟木や桁の木口を風雨から守るためにつけた板が装飾化した

ものと言われています。神社仏閣の屋根には必らず下がっています。

懸魚はその名前が示すように水を連想させるもので火に弱い木造の建物を火災から守るため、

火除けのまじないとして取り付けてあります。

破風の拝み(=合掌の合わせ目)の部分にあるものを懸魚(おもげぎょ)、左右の下部の

桁を隠すための懸魚を懸魚(くだりげぎょ)または桁隠し懸魚という。

本懸魚は別名で拝(おがみ)懸魚と呼ぶ場合もあります。

その他に,唐破風(からはふ)につけられる懸魚を兎の毛通(うのけとおし)と呼んでいます。

懸魚は形態の違いで次のようなものがあります。

下記サイトによる分類を転記。http://www.gegyo.sakura.ne.jp/index.html

 ・蕪(かぶら)懸魚

 ・猪目(いのめ)懸魚

 ・三ツ花(みつばな)懸魚

 ・梅鉢(うめばち)懸魚

 ・二重(にじゅう)懸魚

 ・彫(ほり)懸魚

 ・貝頭(かいかしら)懸魚

 ・雁股(かりまた)懸魚

 ・盾(たて)懸魚

 ・切(きり)懸魚

 ・結綿(ゆいわた)懸魚


上の写真は南側よりみた安養寺の遠景です。

上の2枚の写真は安養寺本堂南側のハート形が特徴の猪の目懸魚の近景と拡大図

六葉(ろくよう)は懸魚の上部中心についている飾りです。

6枚の葉の形をした図柄から六葉と呼ばれています。
 
六角形のものが多いが、他に四角形、五角形、八角形のものや菊などの花弁をあしらった

図柄もあるが形にとらわれずに、すべてを総称して六葉と呼びます。

六葉の中心から出ている丸い棒を「樽の口(たるのくち)」、その根元にある菊の形を

菊座(きくざ)」と呼びます。


最後に安養寺境内に掲示の現地説明(安養寺の沿革と青山家との関係について記載)を

添付して筆を置きます。


 

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