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壱岐の亀卜と卜骨 兵庫県立考古博物館×一支国博物館連携企画展の展示より

2019年09月13日 03時53分04秒 | Weblog

2019年9月1日(日)、兵庫県立考古博物館×一支国(いきこく)博物館連携企画展

「壱岐の古代文化-海をめぐる生業と交流-」を観覧した。

上記企画展「亀卜(きぼく)」「卜骨(ぼっこつ)」の展示に興味を覚えたので

ブログ記事を書くことにしました。

壱岐島及び対馬は新婚旅行で行った地であり他の展示にも興味深いものが多かった。

亀卜の展示

亀卜については2019年5月13日、皇居内の神殿にて斎田点定の儀において水田2か所を

決めるために占いが実施されたため広く国民の知るところとなりました。

亀の甲羅を下から火であぶり、出来たヒビの割れ具合から大嘗祭で奉納される米と粟を

つくる2か所の水田(斎田)が選定されます。

上の写真の上部、木枠の中に入れられたものが串山ミルメ浦遺跡から出土の亀卜(13点)

亀卜の歴史は古く5世紀のものと推定される亀卜の遺物が発掘されています。
平安時代には朝廷の大事に際して行われていました。
現在、皇室の他には長崎県対馬で地域の1年の吉兆を占うために行われているのみ。
対馬の亀卜は国の無形民俗文化財に指定されています。

亀卜の名称の他に灼甲や卜甲と呼ばれる場合もある。

亀卜はアカウミガメの甲羅及び腹甲が用いられる。

上の写真は串山ミルメ浦遺跡の展示の遠景


上の写真は2枚の壱岐島の古代の説明パネル

串山ミルメ浦遺跡から出土の亀卜の詳細

国立奈良文化財センターのデータベース「全国遺跡報告総覧」より亀卜に関する部分の

要約をしていきます。

 

上の2枚の写真は串山ミルメ浦遺跡から出土の亀卜の詳細

 串山ミルメ浦遺跡の発掘調査は2回実施されており1次調査報告書(1985)と2次調査報告書

(1989)で纏められています。

串山ミルメ浦遺跡は壱岐島の北端にある勝本浦の北側に位置しておりアカウミガメの

産卵に適した土地であり打ち上げられたウミガメまたは海人の潜水漁法によりウミガメ

を捕獲してウミガメを入手していたと考えられます。

この地はアワビが大量に採れる産地であり律令制が整備された8世紀には中央政権(朝廷)の

傘下にあり当時の税制である「租庸調」と調として干しアワビが朝廷に献上された記録もある。

串山ミルメ浦遺跡から出土した亀卜の年代は6世紀末から7世紀と鑑定

亀卜の出土例

亀卜の出土例としては上述の串山ミルメ浦遺跡を含めて6例あります。

串山ミルメ浦遺跡以外の5例について列記しておきます。

 

 1)対馬上県町志多町志多留貝塚

 2)神奈川県三浦市 間口洞穴

 3)神奈川県横須賀市 鉞(なた)切洞穴

 4)神奈川県浦郷町 日向(ひなた)遺跡

 5)横須賀市神明町 蓼原(たではら)遺跡


 志多留貝塚については時代不明だがその他は古墳時代後期6世紀から7世紀と比定

 


卜部

古代律令国家においては、国家の大事を占う方法の一つとして、亀卜が採用されていた。

神祇官の下に置かれた下級神官である卜部(うらべ)が従事した。

「延喜式」に朝廷に出仕した卜部についての記述がある。それによると「対馬から十人、

壱岐から五人、伊豆から五人の卜術優長者を取って卜部の事に任ず」と記述され対馬卜部、

壱岐卜部、伊豆卜部が三国卜部と呼ばれ、のち京都に住みついた同族を京卜部といって、

これらを合わせて四国卜部とも言われています。

壱岐の卜部の系譜をひくものは途絶えているが、対馬では現在でも対馬亀卜神事として

伝承されています。厳原町豆酸の卜部、岩佐家では、旧正月三日にサンゾーロー祭として

亀卜が行われています。その中身は岩佐家に伝え保存されている古亀甲を供僧が祝詞を

あげている間に炭火をかざすという形式だけになっているそうです。

 その内容については下記サイトにリンクさせていただきました。

  http://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/528

  http://www.city.tsushima.nagasaki.jp/live/kouhou/images/200703/200703_11.pdf

  https://this.kiji.is/466243612101346401

  https://yurapuka.net/tsushima/2012/02/16/島のお祭り%E3%80%80一年の吉凶を占うサンゾーロー祭り/

主に東国で亀卜や卜骨などの占いをする氏族に占部(うちべ)があります。

 

卜骨の展示

上の写真は卜骨(ぼっこつ)の展示でカラカミ遺跡から出土しました。

上の写真は交易とくらしの説明パネル

説明パネルによれば卜骨は中国大陸から伝わった占いの方法で「収穫時期の決定」や

「船出の時期の決定」などについてこのような占いで決めたとの記述がありました。

一般的に亀の甲羅の他にシカ、いのししの肩甲骨を用いた占いは「卜占(ぼくせん)」
とか「骨卜(こつぼく)」と呼ばれ古くは弥生時代の遺跡から確認されています。
邪馬台国の卑弥呼は「卜占」の長けていたでだろう?と思われます。

魏志倭人伝に倭人は「何か大きなことが起きて決断を迫られると、すぐに(シカの)骨
を焼いて吉凶を占う」とあります。シカの骨や亀の甲羅を焼いて吉凶を知ろうとする
卜占は中国で発生した。その骨占が北方のモンゴル族やツングース族の間に広まり、
さらに朝鮮半島を経て日本に伝来したか中国の呉の時代に江南の風習が海を渡って
伝わったの2説があります。
中国では「卜占」の結果は甲冑文字が用いられ記録されたが日本では文字が無く
何も記録が残っていない。
シカの骨の薄い部分が黒く焼け一列に並んでいる跡やひび割れた骨が弥生遺跡から
出土しているのみである。
奈良県の唐古・鍵遺跡では骨卜が盛んに行われていたようで、長さ18.5cm
幅18.2cmもあるシカの肩甲骨と一緒にタヌキの頭骨、アカニシなどが発見されている。
これらは占いの場で捧げられた供物の品々であったのかもしれない。


参照資料

 1) 串山ミルメ浦遺跡の発掘調査報告書 第2次 (1989)

   

 2)史料・神事にみる卜占の手法 - OPAC - 千葉大学 國分篤志

  https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/100266/BA31027730_290_p099_KOK.pdf



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