CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

きょうは何の日  11月3日

2023年11月03日 11時53分40秒 | Weblog
NHKラジオの放送より「今日は何の日」11月3日をお送りします。

11月3日は文化の日です。
昭和21年(1946)憲法が公布されましたがその中で「 自由と平和を愛し、文化をすすめる」
と謳われました。1948年(昭和23)に文化の日(国民の祝日)として制定。

この日を祝日としたのは、1947年まで四大節の一つの明治節(明治天皇の誕生日)だった
ためもある。皇居で文化勲章の授章式があり、芸術祭がこの日を中心に開催される。
晴天の日が多い気象上の特異日としても有名。

その他に下記3項目が挙げられました。

■1957年(昭和32年) 旧ソ連が犬を乗せた人工衛星(スプートニク2号)を打ち上げ
   この犬が世界で初めて宇宙空間に出た生き物となりました
■1992年(平成4年) 産業界から初の文化勲章受賞(ソニーの井深大)
   その時、井深大さんを含め5人が受賞しています
■2013年(平成25年) 東北楽天ゴールデンイーグルスが初の日本一
   当時の監督は星野仙一さんでした(初制覇)

ラジオでは取り上げられなかったが11月3日の記事として他に下記項目を選択しました。
■1949年(昭和24年) 湯川秀樹が日本初のノーベル賞受賞
■1951年(昭和26年) 愛媛県で走行中のバスが炎上
■1954年(昭和29年) 映画「ゴジラ」封切


写真が無いと寂しいので11月2日に発表された2023年ユーキャン新語・流行語
にノミネートされた30のキーワードを添付しておきます。

上の写真は30のノミネート語句をジャンル別に分けたもの
出典:11月2日放送 10ch 読売テレビ Nスタ
上の写真もノミネートされた30語
出典:11月3日放送 6ch ABCテレビ おはよう朝日です
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城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その9 篠山藩校「振徳堂」の説明板

2023年11月03日 06時13分29秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年10月4日(水)、城下町「丹波篠山」を散策してきました。
今回はその第9回で篠山藩校「振徳堂」をテーマに書いていきます。
丹波篠山へは2011年10月30日に「丹波の王墓、雲部車塚古墳の謎にせまる」という
シンポジウムがあり訪問しており、今回が2回目の訪問です。


城下町「丹波篠山」散策記のIndex 
 第1回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その1 JR福知山線 篠山口駅の観光案内掲示物など - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その2 河原町妻入商家群 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その3 普門山 観音寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 城下町「丹波篠山」散策記 on 2023-10-4  その4 平尾竹霞 誕生之地碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)






説明板の全体写真

上に添付の篠山藩校「振徳堂」の現地説明板は平成18年(2006)11月
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校創立130周年記念事業実行委員会より贈呈されたものです。
篠山市の教育委員会が協力して文章などが作成されたものです。

藩校「振徳堂」の概要
現地説明板には下記の文章が記載されています。
篠山藩9代藩主の青山忠朝公は、寛延4年(1751年)に大坂の儒学者・関交平(世美)を
聘招し、藩の有志を学ばせた。その後、藩士の中で学問を志す者が多くなり、明和3年(1767年)に10代藩主の青山忠高がこの地に藩校「振徳堂」を創建し、
翌年の明和4年(1768)、教育方針である「學規」を定めた。

學規(教育方針)
學規は生徒心得と、入学許可に関する事項であり、その要旨は次のとおりである。


藩校「振徳堂」の特色

説明内容の要旨(一部追記)を記載しておきます。
当藩校では1,200枚の版木を制作し、書籍の出版を行い教育の新興を図った。
これ等版木や書籍・扁額5点・学規1点等は青山歴史村(藩主青山家別邸の旧:柱園舎)・
篠山鳳鳴高等学校に保管され、丹波篠山市市文化財に指定されています。
なかでも石敢當(せきかんとう)と呼ばれる鬼門に立てられた石柱・石碑は魔除 ・邪気払いの為、
街路の角等に建てられるのが通例とされますが、向かうところ敵なし・・の意が有り、
 邪気払いと強い人間を形成する教育守護を願う意向から教育施設に建立されまし。
このように教育施設に石敢當が設置の例は全国でも此処だけだとされます。

他の藩校とは異なり、藩士の子弟ばかりではなく庶民にも入学許可された。
当時生徒の数は、男約300名、總べて無月謝であった。

藩校閉鎖とその後

説明書きの要旨(一部追記)を記載しておきます。
明治4年(1871)廃藩置県とともに「振徳堂」は廃校となり建物は現存しないが、
その教育精神(青山忠朝や忠高の教育精神)は継がれて明治9年(1876)篠山藩13代忠良の子
(青山家の21代当主) 青山忠誠(ただしげ )が篠山に人材を育てる学校がなければならないと、
中学を興し「郷里の師弟を養育して国家有用の人物」を輩出ことを掲げ漢文・数学の
授業に加え慶応義塾創始者の福沢諭吉にはかり、英語・物理化学の2教師を派遣してもらい、
其の意を受けた安藤直紀(後の初代篠山町長)等在郷有志により、 篠山中年学舎
現在の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校が設立され受け継がれています。
因みに当時の藩校数は全国で274校であった。
春日神社社務所の小桃源には篠山中年学舎より先に「共茂舎」創設されていた。

篠山藩校「振徳堂」跡地の場所

赤丸に現在地と書いてある場所が説明版の設置位置です。
篠山藩校「振徳堂」は篠山城外濠の西南隅に学舎を設けられました。

振徳堂の平面図



この青山家が教育を重んじたのは明治以降の鳳鳴義塾の創設や東京での尚志館創設へ受け継がれていきます。

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