クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

師走の鹿児島線駅巡り第2弾(その2)

2007-12-29 21:21:11 | 鹿児島本線
船小屋13時4分発の2337Mに乗車し、既訪問駅の瀬高をスルーし、南瀬高駅に降り立った。



JR九州でよくあるタイプの無人駅。駅舎は昭和52年3月30日築。対面式ホーム。駅周辺は長閑。接近は踏切音。


南瀬高に降り立って24分後の5343M(815系N11編成)にて渡瀬駅に進む。



2面2線の駅で、中線は撤去されている。駅舎は平成17年3月30日改築。



渡瀬での36分の滞在時間を利用して、西の方にそぞろ歩き。途中には「まいピア高田」がある。15分くらい歩いたところに西鉄電車が走っていて、近くには開駅がある。渡瀬駅と開駅、どちらが利用客が多いのだろうか。


14時20分発の327M(815系N13編成)にて銀水駅に進む。尚、ダイヤの都合上、吉野駅は明日(2007年12月23日)訪問予定。



昨年来マークしていた駅の1つ。大正15年築の、純粋無垢の木造駅舎。駅員がちゃんと居るから全く荒れていない。この駅発着の列車も複数あることから、配線は2面3線である。


30分の滞在時間の間、付近をぶらぶらしている。駅周辺は閑静な住宅街であるが、少し歩けば国道286号にぶち当たり、青果市場もある。また、付近には、三池高校もあり、高校生の利用も多そう。


14時55分発の5345M(815系N17編成)で県境を越えたのである。



熊本県内最初の下車駅は木葉。2007年10月19日から本駅舎の建設が始まり、翌年3月末の開業に向けてまっしぐらといったところ。施設名は「交流サロンこのは駅前」。2面3線の駅で、メガネが似合う女性が駅員を務めていた。


木葉は、西南戦争の勃発地・田原坂が近くにあり、短い滞在時間の間に官軍墓地を訪問。しかし、木葉には史跡は豊富にあるが、残念ながら23分後の5347M(815系N7編成)にて田原坂駅に旅立ったのである。



山の中にある2面2線の無人駅。とあるサイトでは「壁はおろか、天井まで落書きだらけで居心地最悪」と評されていたが、入ってみると壁や天井は白く塗りなおされていた。しかし、ドアには落書きが残っており、木の椅子に至っては見ているだけで気が滅入る落書きがたくさんあった。尚、この駅から史跡までは少し遠い。


16時29分発の329M(815系N10編成)で植木駅に南下した。



16時33分に植木に到着。2面3線の有人駅。町の中心部から離れてることもあるが、時間が時間なだけに送迎の車が多数止まっていた。


 植木で少しぶらぶらし、17時8分発の331M(815系N27編成)で熊本方面に下る。待避線に入ってところで撮影したものの、1/8秒のシャッタースピードでしか切れないほど暗くなったので、このまま熊本駅に直行し、東横イン熊本駅前にチェックインした。
 荷物を置いたら市電で辛島町に行き、こだいこで熊本ラーメンを食べて夕食にする。その後、終点・田崎町まで乗り、歩いて宿所に帰ったのである。


これは今年最後の更新となりそうです。来年も宜しくお願いします。


つづく
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師走の鹿児島線駅巡り第2弾(その1)

2007-12-26 23:05:50 | 鹿児島本線
 ここからは、4回にわたって、2007年クリスマスの鹿児島線駅巡りを紹介しよう。今回巡ってきたところは、箱崎から熊本にかけての26駅であった。この旅も、青春18と日航機を組み合わせだったが、今年はムーンライト九州の運転期間が短縮され、クリスマス3連休は運転日に当たっておらず、日航機で羽田と福岡を往復するに至ったものである。



まずは、新津を12月22日の0時6分に発車する、快速ムーンライトえちご(K1編成)で新宿まで寝ていく。萬寿鏡を投入すれば、長岡に着く前にはもう寝ちゃった。 上越線内を極めて順調に走り抜け、5時10分に「春の歌」が鳴り、新宿駅に到着した。


山手線400G(E231系513編成)で品川に出て、京浜急行の快特で羽田空港へ。チェックインを済ませれば、空弁を待合ベンチにて朝食にする。


7時25分発のJL309便で福岡空港へ。 機材はボーイング777-200型(レジはJA007D)で、各席に個人用モニターがついていて、いくつかのエンターテイメントを楽しむことが出来る。南アルプスを突っ切った後、琵琶湖を横断し、岡山、広島を経由した後、響灘に出て海側からアプローチするルート。残念ながらほとんどが雲上飛行。


福岡空港到着後、速攻で地下鉄に乗り換えて博多駅に出て、9時56分発の3391M(813系R232編成+R205編成)へ乗り継ぐことに成功。予報では雨といっていたが、日頃の行いが良いからか雨は降っておらず、喜ばしい限りである。


 
鳥栖駅では13分の停車。その間に、「はやぶさ」を撮影。ちなみに、「はやぶさ」は、2009年春廃止予定。東海道線を走る夜行列車はサンライズだけになっちゃうのか。


10時41分に鳥栖駅を発車。沿線では、九州新幹線の工事がたけなわ。



最初の下車駅は荒木駅。ホームは2面4線で、この駅発着の列車も多いことから、側線がたくさんある。平成8年改築のコンクリート駅舎。駅周辺は、古くからの町並み。


荒木で23分滞在した後、11時16分発の5335M(817系V15編成)で西牟田駅へ。



JR九州によくある簡易駅舎ですが、西牟田駅には駅員がちゃんと居る。配線は対面式ホーム。駅裏では、九州新幹線の工事が進んでおり、下り線ホームからは出入り不能に。



大日山不動寺を訪問し、11時57分発の5337M(815系N9編成)に乗り込んだ。



続いて下車した羽犬塚駅は、立派な仮駅舎になっており、真上では九州新幹線の高架の工事が進められていた。配線は2面3線。九州新幹線全通後は、どのような駅舎が出来るのか。


大きな楠木のある神社で旅の安全を祈願し、12時30分発の5339M(817系V12編成)で船小屋駅に進む。



4分ほどで船小屋に到着。カプセル型の駅舎は残っているが、今年の10月19日からはトイレが封鎖されている。対面式のホーム。駅前では九州新幹線の高架橋の工事が進められており、平成22年度末に500m移転して、新幹線接続駅として開業予定。駅周辺は長閑で、付近に船小屋温泉があるが、開業後はどのような発展を遂げるのか。尚、この駅は独特の入線音をもっている。


13時4分発の2337M(815系N12編成)で南瀬高に進んだのである。


つづく
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近江鉄道+α (その4)

2007-12-19 23:40:30 | 東海道本線等


京都から321系に乗ること3分、西大路駅に到着です。高架下のコンクリート駅舎です。23分の滞在でしたが、駅前に救急車がずっと居座っており、患者が何かを訴えており、警察も事情聴収していました。事故なのでしょうか。尚、この記事で登場する駅(大阪駅を除く)は、2面4線の配線です。



西大路駅から767T(221系A9編成)で3分、向日町駅に到着です。昭和41年改築のコンクリート駅舎です。485系マニアの聖地の最寄り駅です。



向日町12時55分発の171B(321系D32編成)で3分、長岡京駅に到着です。まるで国技館のような外観の橋上駅舎です。


長岡京では少し観光します。神足神社を訪問した後、勝竜寺城公園を見てきます。


40分で駅に戻り、13時36分発の775T(221系B3編成)で山崎駅へ。



昭和2年築の木造モルタル駅舎です。駅の中を府境が通っています。背景にある山は、天下分け目の山だった天王山です。サントリーのウイスキー醸造所が近くにありますが、これから摂津富田、茨木、千里丘、岸辺、吹田と巡る予定なので、またの機会ということで。


山崎で22分滞在した後、14時2分発の179B(321系D28編成)で摂津富田に進みます。



昭和45年改築の橋上駅舎です。周辺は松下電器、明治製菓をはじめ、工場が多いです。ホームの上屋に日本最古のレールが使用されている駅です。よく見なかった。


15分後の181B(207系S30編成+T3編成)で茨木駅に進みます。



昭和45年に開催された大阪万博に伴って橋上駅舎に改築されました。茨木市の中心駅で快速も止まり、駅前からかなりの便数のバスが発着します。


15分後の183B(321系D29編成)に乗車し、千里丘駅に進みます。



昭和58年改築の橋上駅舎です。東口からはショッピングモールにペデストリアンデッキを介してつながっています。駅名のもととなった千里丘陵は、少し離れた所にあります。


例によって、15分後の185B(207系S56編成+Z2編成)で岸辺駅に進みます。



昭和45年改築の地平コンクリート駅舎です。2面4線のホームの向こうには、広大な吹田操車場の跡地が広がっています。


線路の向こうに行くこともなく、15分後の189B(321系D12編成)で吹田駅に進みます。



昭和54年の改築。各駅停車しか止まらない駅ですが、規模が大きく、利用者数も多いです。北口にはビルが立ち並び、商業施設が多数あります。吹田市は、大阪の副都心であるとともに、ベッドタウンでもあります。尚、駅の入り口は南側しかなく、駅裏はビール工場になっています。



吹田15時46分発の1193C(321系D26編成)に乗車しました。大阪駅には15時56分に到着し、雷鳥33号(485系A03編成)の撮影を果たしました



大阪駅でしばらく撮り鉄を行い、御堂筋口駅舎を撮影したのは16時40分過ぎでした。こうして大阪駅に立ってみると、何度も通っているとはいえ、改めて感慨を覚えます。しかし、その後は、阪急電車とモノレールを乗り継いで伊丹空港に向かうのみです。


 黄昏時に伊丹空港に到着しました。


JAL2251便(JA0050=MD90)にて新潟に帰ります。18時51分頃にプッシュバックして、一度も止まることなく離陸しました。神戸から鈴鹿、一宮を経由して、着陸前に新津上空を通り、新発田で折り返して、20時前に新潟空港に着陸しました。これまで2日かけてきた道程を僅か1時間あまりで引き返すのは、余りにも呆気なかったです。


近江鉄道+α   おわり

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近江鉄道+α (その3)

2007-12-17 22:33:55 | 東海道本線等

2007年2月4日の朝になりました。7時40分に起床。そそくさと朝食をとり、8時17分発のバスで近江八幡駅へ向かいます。2001年に乗ったときより運賃が何となく上がったような気がします。



8時35分発の708K(223系W38編成+V40編成)に乗車し、安土に足を記します。木造駅舎が健在です。


 
織田信長がお出迎えです。氏の本拠地であった安土城までは結構距離があります。


 織田信長は相撲を好み、安土は近代相撲発祥の地となりました。


駅前に城郭資料館がありましたが、営業時間前ということで、9時4分発の747T(221系B13編成)で南草津駅に向かいました。



ここからは橋上駅舎が続きます。これは南口で、北口は駅前整備中でした。ちょうど関学大と立命館大の入試が行われ、受験生が次々と降りていました。私が大学入試を受けてからもう10年の月日が経ち、あの頃が懐かしい。草津からは複々線で、この駅から2面4線が続きます。


16分で南草津駅を後にし、749T(223系W9編成)で瀬田駅に向かいました。



昭和44年の開業時からの橋上駅舎です。平成14年にバリアフリー工事を施しております。尚、瀬田の唐橋は、石山で京阪電車に乗り換えて、唐橋前下車が便利です。


瀬田駅で15分滞在した後、751T(221系B6編成)で石山駅に向かいます。



京阪電車との乗換え駅で、平成17年4月1日から南口からはペデストリアンデッキを介して京阪石山駅に行くことができるようになりました。これは北口で、NECの工場の前にあります。乗降客が多い駅です。


石山駅で30分滞在した後、755T(221系B11編成)にて膳所駅に進みます。



昭和45年改築のコンクリート駅舎です。駅前ロータリーを挟んで京阪膳所駅があります。左側の駐車場から出入りする車が頻繁に通り、撮影に苦労しました。


膳所駅で15分滞在した後、757T(223系W10編成+V25編成)に乗車し、大津、山科とスルーし、東山トンネルを抜けました。


 
11時9分に京都駅に到着です。平成9年に完成した、この巨大な駅ビルは4代目にあたります。一見しただけでは駅ビルと思えないほど、改札前は広い吹き抜けになっています。


この巨大な駅ビルを撮影しようと、工事中にも拘わらず、770円払って京都タワーを上ります。しかし、眼下には白いシートが目立ち、全貌を撮影することが出来ませんでした。土産に八ツ橋を買っていきます。



ならばと地上からの撮影を試みますが、スッキリとはいきません。この奇抜な駅舎は、京都市の条例を変えてまでして建てられたものです。


昼食後、12時3分発の165B(321系D23編成)に乗車して後半戦開始です。

つづく

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近江鉄道+α (その2)

2007-12-12 23:58:45 | 私鉄(西日本)


彦根に来たからには、彦根城観光は外せません。彦根城は国宝で、昭和27年に指定されました。今年(2007年)で築城から400年を迎え、3月21日から11月25日までは築城400年祭が行われました。



天守閣を見たついでに玄宮園に立ち寄ります。ちょうど天日干しの日に当たっており、池の水はほとんどが抜かれていました。


彦根駅に戻り、東海道本線766T(221系C21編成+C12編成)にて米原に向かいます。



近江鉄道の残り3区間を乗りつぶすため、東口に出てみました。橋上駅舎工事のため傍らではクレーンが動いていました。



米原15時8分発の近江鉄道電車で鳥居本駅に出ました。昭和6年築の北欧民家風の木造駅舎です。



鳥居本では41分の滞在です。鳥居本宿は、北国街道、朝鮮人街道との分岐点で、江戸から64番目の宿場町にあたりました。この地域の名物は、赤玉神教丸(胃薬)、すいか、合羽が「鳥居本宿の三赤」として知られていましたが、現在でも生産されているのは、赤玉神教丸のみです。この古い建物は、赤玉神教丸本舗であり、宝暦年間(1751年~1754年)に建てられたものです。



鳥居本15時45分発の電車で4分で彦根駅に降り立ち、近江鉄道全線を走破しました。 これでようやく東海道線駅巡りが始められます。16時7分発の809T(223系W12編成)に乗り、南彦根駅に向かいます。



昭和56年6月30日開業の橋上駅舎です。新設駅ということで、配線は2面2線です。南口は平和堂(本部)が近く、北口(これ)は滋賀県立大が近いです。


南彦根で30分滞在し、813T(223系W15編成)で河瀬駅に進みます。



平成10年3月改築の橋上駅舎です。配線は2面3線です。ベストアングルの場所には黒い車がずっと止まっておりました。


河瀬でも30分滞在し、17時13分発の817T(223系J12編成+V1編成)に乗車しました。安土駅で下車しようにも撮影には厳しい条件なので、そのまま近江八幡駅まで乗り通しました。この日は近江八幡YHに1泊です。

つづく


参考サイト さいきの駅舎訪問
参考文献  「旅」 2003年5月号

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近江鉄道+α (その1)

2007-12-10 22:27:09 | 私鉄(西日本)

ここからは、数回にわたって、2月2日夜から4日にかけての近江鉄道乗りつぶし+東海道線駅めぐりの旅を紹介します。



ゆきに使用したのは、新津から大阪までの片道乗車券。吹田で打ち切っているので無効印は押されていませんが、JR西日本の各駅では自動改札は通れず、様々な駅の下車印が押されているのが分かるでしょう。


出発したのは2月2日(金)の、新津23時10分発の急行きたぐに号(583系B06編成)で。彦根で下車したため、あえて自由席利用で。長岡まではJR関係者と一杯やっていきました。長岡から先も極めて順調に走っていきました。米原で遅れていた貨物列車に抜かれた関係で、彦根には6分遅れの5時34分に到着しました。駅は営業時間外だったので、下車印を押すことは出来ませんでした。




S・Sフリーきっぷを買い、近江鉄道乗りつぶしを敢行します。彦根始発の電車で、ますは一気に貴生川へ進みます。日野あたりで夜が白んできました。貴生川駅には7時19分に到着しました。



9分後の電車で折り返し、古い駅舎の残る日野駅で途中下車します。2007年冬は稀に見る暖冬で、新潟市内では全く雪が積もりませんでしたが、現地で雪景色を見ることになるとは思いもしませんでした。


22分後の電車で八日市へ戻り、10分の乗り継ぎで近江八幡駅へ行き、八日市線を全線走破しました。



八日市に戻る途中、新八日市駅に途中下車します。八日市駅とは目と鼻の先にあります。昭和19年に近江鉄道に合併されるまで、八日市鉄道の本社がおかれていました。無人駅で2階は使用されていません。



駅舎撮影後、太郎坊宮の見える方向へ散策します。そうこうするうちに、太郎坊宮駅への駅間徒歩が成立しました。積雪があるとはいえ快晴で、いい散策日和でした。


太郎坊宮前駅9時54分発の電車で八日市駅に戻り、10時18分発の米原行きに乗り継ぎました。当初は鳥居前駅に下車しようと画策していたんですが…。



レトロな木造駅舎に目が眩んでしまい、彦根口駅で途中下車をすることに。彦根市内の住宅地にある無人駅で、ホームには様々な落書きがたくさんありました。ちょうど列車が無い時間帯で、ここで40分待つ羽目に。



彦根口駅11時24分発の電車で高宮に行き、釣り掛け電車に乗り換えて多賀線を走破しました。



多賀大社前駅に降り立ったら勿論、多賀大社にお参りです。土産は糸切餅で。


多賀大社前駅に戻った後、12時21分発の近江本線直通列車で米原方面へ。しかし、この列車は彦根終点なので、彦根駅前で昼食にしました。


つづく


参考文献  杉行恭 『駅舎再発見』

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師走の鹿児島線駅巡り(その5)

2007-12-07 22:19:09 | 東海道本線等

荒尾で鹿児島線駅巡りを一旦終えて、快速ムーンライト九州で眠れぬ一夜を過ごし、2006年12月24日の朝を迎えた。電子音のハイケンスが鳴り、定刻6時49分に新大阪に到着した。ムコソへの回送を見届け、7時ちょうど発の706K(223系W26編成+V4編成)で東へ向かったのであった。車内はそれほど混雑していない。



1時間で栗東に到着。1991年3月16日開業の、面白い形をした橋上駅舎。新設駅ということでホームは対向式である。


17分の滞在の後、708K(223系W27編成+V38編成)にて東へ進んだのであった。



わずか3分の乗車で守山に到着。2面3線の橋上駅舎。左側の茶色い建物は、平成14年に完成したコミュニティーセンターであり、駅舎と直結している。ただ、橋上駅舎自体は以前からある。右側にあるハートインからは1番のりばに通じる改札が存在する。


8時33分発の710K(211系B2編成+B9編成)で守山を後にし、7月に下車した野洲をスルーした。



8時41分に篠原に到着。開業時からの木造モルタル駅舎が残る。ホームは対向式。下車時間が31分あるので、上下線の入線音を録音した。


9時12分発の722T(223系V46編成+W7編成)に乗り込んで、そのまま米原に向かったのであったが…。



木造駅舎を見つけたので、稲枝で途中下車。ここもまた開業当時からの駅舎で感激した。ホームは対面式。


19分の途中下車の後、9時46分発の724T(223系V33編成+W6編成)で米原に出た。4両目に乗車したので、米原では階段が近く、3210M(223系V7編成)への2分乗り継ぎに成功した。



10時28分に木ノ本に到着。新駅舎完成後初訪問ということで、最後の途中下車地に選定した。ご覧の通り、駅前広場はこの時点ではまだ未完成であった。尚、昭和11年築の旧駅舎は、閉鎖されてはいたものの、取り壊されていなかった。

木ノ本では1時間の滞在時間をとっているので、北国街道の町並みをプチ観光。うだつの町並みでは昔懐かしい雰囲気を残していた。最後は浄信寺を訪問し、中の庭園も見てきた。


 木ノ本11時27分発の3432M(223系V51編成)に乗車すると、いよいよ帰宅モード。近江塩津で26分待った後、湖西線経由の3224M(223系V18編成)で敦賀に出た。長浜・近江舞子以北へ直通する新快速電車は、8両編成は入ってこないのだろうか。
 敦賀からは、福井、富山、直江津、長岡でそれぞれ乗り継ぎがあり、一気に新津に帰った。16時52分に富山を出る頃には、もう夜の帳が下りかけていた。前日の九州の日没は17時半頃だったので、富山県でさえ40~50分日の入りが早いということになる。新津に到着したのは、21時48分であった。翌日の勤務はきつかった。

師走の鹿児島線駅巡り   おわり


参考サイト  さいきの駅舎訪問
参考文献   「旅」2003年5月号

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大井川鉄道+α (その5)

2007-12-04 23:01:16 | 東海道本線等
2006年10月9日の朝となりました。7時13分にチェックアウト。いい時間のバスが無いので、名古屋駅まで歩いて行きます。



7時33分頃に名古屋駅に到着。セントラルタワーズをとあるビルの入り口から撮影してみますが、当時は広角のレンズが無く、左上にビルの天井が入ってしまいました。


きしめんを食べた後、8時9分発の5103F(313系Y102編成+Y38編成(大垣切り離し))にて米原方面へ。途中の木曽川駅は、木造駅舎こそ残っていましたが、構内は工事の嵐でした。



8時52分に垂井に到着。平成6年3月改築の橋上駅舎で、2面3線です。地名の由来となった「垂井の泉」は駅から5分です。


27分後の5107F(313系Y106編成)にて柏原に向かいます。



2面4線で、鉄筋コンクリートの地上駅舎をもつ駅です。「本日ご乗車ありがとうございます」を1文字ずつ並べていたのが印象的です。


柏原は中山道60番目の宿場町ということで、少し散策します。下車時間が30分しかないので、歴史博物館の入館はお預けです。

10時2分発の5109F(313系Y104編成)に乗車し米原方面へ。車窓からは伊吹山がよく見えます。



この旅で最後に訪問した東海道線の駅は、醒ヶ井でした。2面4線の駅で、待避線にはホームはありません。鉄筋コンクリートの駅舎だったのを2001年にリニューアルしてコミュニティーハウスにしました。左に写っているバスは、道の駅・水の宿駅の駐車場に入れているものです。


1本後の5111F(313系Y5編成)にて米原へ。その後、「湖北のおはなし」を購入し、3218M(223系W12編成)、141M(419系D07編成)で北陸線を北上します。



北陸線の駅ですが、「東海道本線」のジャンルで掲載します。ログハウスの駅舎に改築された新疋田(再訪)にて今回の駅巡りを締めくくります。駐車場は整備されていましたが、待合室・トイレともベニヤ板で塞がれていました。訪問日の翌日が新駅舎完成セレモニーだったというのがオチでした。おまけに、主に485系狙いの「同業者」が何人も居られ、私は肩身の狭い思いをしました。


31分後の143M(419系D05編成)で敦賀に出て、「湖北のおはなし」は、乗り換えた241M(471系A08編成)車内で食べました。その後、福井からは359M(413系B08編成+B09編成)、553M(475系A18編成)で北陸線を走破しました。更に、直江津からは1351M(115系S12編成)、461M(115系N3編成)と乗り継いで新津に帰りました。

S12編成は、翌日の信越本線423Mの後ろの編成になりました。


大井川鉄道+α おわり


参考サイト  「さいきの駅舎訪問」
参考文献   「旅」2003年5月号
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