クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

長崎本線全駅下車への道・第1回(その3)

2017-04-30 08:41:22 | 首都圏地区


小田栄駅から乗車した浜川崎支線1413Hは、15時1分に川崎新町駅に到着。線路が4本あるはずですが、ホームは片面しかありませんね…。



それでは駅舎撮影。昭和60年7月11日築のコンクリの建物です。



矢印の部分を拡大。自動券売機の左手に窓口がありましたが、一昨年12月26日を以て廃止されました。右手には乗車駅証明書発行機がありますが、駅員の居ない時間帯のみ使用可です。尚、トイレは改札をくぐって右手に。



時刻表を。上下それぞれ7時台が5本、8時台が4本の他は、概ね1時間に1~3本です。滞在時間は16分。



駅舎前には大きな桜の木が。3月下旬頃には絶景でしょうね。周辺は住宅地です。



浜川崎に行こうと上りホームへ。トイレの前から下る地下通路はトンネル状



上りホームに出ました。ホームは2本目と3本目の線路の間にありますが片面のみです。15時17分発の1502H(205系ワ2編成)に乗車。



15時25分に終点・浜川崎駅に到着。旅客用は片面ホーム1面のみですが、横には複線の貨物線が。



では駅舎の中へ。完全に無人化されており、窓口は閉鎖され自動券売機になっています。横には乗車駅証明書発行機が。



それでは駅舎撮影。横羽線の真下になってますが、昭和49年3月30日築のコンクリ駅舎です。トイレはありません。



鶴見線の浜川崎駅は向かい。駅舎はなく跨線橋があるだけです。



浜川崎での滞在時間は14分。東に3分ほど進んでみるとJFEに到着。その向かいにはTHINKが。「京浜工業地帯」を実感しました。


続きはこちら

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長崎本線全駅下車への道・第1回(その2)

2017-04-28 21:50:14 | 首都圏地区


尻手駅の駅舎レポートを終え、14時33分発の浜川崎支線1402H(205系ワ2編成)に乗り込みます。



その205系1000番代の車内を。少し分かりにくいですが、ロングシートには音符が描かれています。それにはちゃんとした理由があります。現在の東京交響楽団のフランチャイズであるミューザ川崎が開設される3か月前の2004年4月、時の川崎市長であった高橋清氏が「川崎公害」の暗いイメージから脱するべく「音楽のまち・かわさき」と宣言したことによります。



14時38分に小田栄駅に到着。複線のはずなのに、ホームは片面しかありませんね…。



階段を下りて駅外へ。上り口には簡易Suica改札と乗車券証明書発行機が。



駅前にはセブンイレブンが。小田栄駅にはトイレがないので、用を足す方はここで。ついでに何か買わないと悪い気が。



踏切を渡ると小田栄の住宅地に。小田栄駅が開業したのは昨年の3月26日で、これまで陸の孤島だった同地区の住民の長年の請願が実ったものと思われます。



下りの入口に出ました。上りと同様に上り口には簡易Suica改札と乗車駅証明書発行機が。小田栄駅は上下ホームが互い違いです。



下り列車を待つ間、ベンチのないホームでしばしカモレウォッチング。まずは、EH200-12の単行が通過



しばらくすると、EF64 1027とタキのカモレが通過



その数分後にはEF210-148のコンテナ貨物が通過南武線の浜川崎支線は、北関東と浜川崎貨物ターミナルを結ぶ重要な鉄路でもあるのです。



そして、EF65 2092のコンテナ貨物が通過。時間帯にもよりましたが、こんなにも貨物ファンにとって美味しい時間はあったのだろうか。


次の案内で、今度こそ14時59分発の1413H(205系ワ2編成)が到着。これに乗車して尻手方面へ。


つづく

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長崎本線全駅下車への道・第1回(その1)

2017-04-27 20:38:34 | 首都圏地区

 現在、九州では「リメンバー九州キャンペーン」なるものが展開されています。そんな中、地震で被災した阿蘇地区を元気付けようと、7月8日より「あそぼーい!」が週末を中心に別府~阿蘇間を走ります。
 さて、これからお伝えするのは、昨年10月8日より10日に実施した「長崎本線全駅下車への道・第1回」です。「鉄道の日フリーきっぷ」を駆使して、有明海沿いの10駅を中心に巡ってきました。「大村線全駅下車の旅」で3駅登場していますが、この回を「第1回」とさせていただきます。なぜ、「首都圏地区」で登場しているかって?飛行機に乗る前に南武線の5駅を巡ったからです。
 前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。



2016年10月8日(土)。自転車で新津駅に行き、信越線424M(E129系B11編成+A24編成)で出発。長岡到着後に少し運用調査し、上越線1728M(E129系B12編成)で水上へ。信越線426Mと同一運用だったので、新津発時点で1本落としてもよかったかな。



進行方向左側に取れたので、浦佐駅を出ると八海山、飯士山と上越線を象徴する山々が次々と。



10時31分に水上駅に到着。速攻で736M(115系T1032編成)に乗り継いで高崎へ。セミクロスシートだったので、中国人女性と相席に。



高崎到着後、上野東京ライン1875E(E231系K41編成)に乗り継いで一気に川崎へ。グリーン車に乗り、優雅に昼食タイム。川崎到着後、南武線1413F(E233系N10編成)に乗り継いで。


尻手駅に着くまでの間、南武線の概要を紹介します。南武線は、川崎と立川を結ぶ本線と、尻手と浜川崎を結ぶ浜川崎支線から成っています。川崎~登戸間が今年3月9日に90周年を迎え、JR東日本横浜支社は様々なイベントを実施しました。間に4本の私鉄と横須賀線が横切っている関係で、乗り継ぎのお客さんが圧倒的に多いのが特徴です。前身が南武鉄道だった関係で、全長35.5kmに24の駅がひしめいています(浜川崎支線は全長4.1kmに4駅)。尚、車両については、最後の209系(ナハ53編成)が3月15日に置き換えられ、E233系8000番代または8500番代に統一されています。



14時20分に尻手駅に到着。2面3線の構内です。



地下道をくぐって改札を出ました。4台の自動改札の「みどりの窓口」があり、営業時間は7:00~20:00です。トイレは改札をくぐって右手に。



それでは駅舎撮影。幾分かリメイクされていますが、昭和2年3月の開業時の木造駅舎が健在です



向かいにはスリーエフ。川崎方には日高屋があり、お昼処としても使えたかな。



道路を挟んで向かいにはサミットが。


話が変わりますが、JR九州は現在、811系電車のリニューアルを進めており、その1編成目が本日より営業運転に入っています。水戸岡鋭治氏監修のデザインとなり、制御方式がVVVFインバーター制御に変わっていますが、最も重要なのはアコモデーションが転換クロスシートからオールロングシートに変わったということです。福岡圏で人口の増加が続いているとはいえ、JRの普通列車は、キハ25系といい、ロングシート化の方向に向かっていると印象付けられます。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問

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由利高原鉄道全駅下車の旅(その7)

2017-04-25 19:00:15 | 羽越本線

先日はN15編成追悼記事をお伝えしました。由利高原鉄道駅巡りに戻りましょう。


その6はこちら



17時23分に薬師堂駅に到着。35分の滞在時間を利用して周辺散策。羽越本線の踏切を渡ると醫薬神社の参道へ。



階段を上がり切ると本殿へ。由利高原鉄道全駅下車達成を誓ってきました。で、「薬師堂」の由来はこれではないかと。創建が718年という歴史ある神社です。



で、境内からは本荘の街並みが手に取るように



駅前に戻りました。国道108号沿いには「なかにし」と「麺屋新月」がありますが、夕食にするには余りにも時間が短すぎ。よって、南方のローソンで夕食を買い出ししたのみ。尚、北方にはファミリーマートが。



出発前に天井を。薬師堂駅旧駅舎(なかみち食堂寄贈)が目に入りました。国鉄矢島線の時代はオンボロの木造駅舎だったのです。


17時58分発の19D(YR3002)で由利高原鉄道全駅下車達成の地へ。



18時2分に子吉駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



では駅舎の中へ。狭いスペースに木造のベンチが1列に設えられています。「玉ノ池簡易郵便局」が併設されていましたが、一昨年の大晦日をもって閉鎖されました。



それでは駅舎撮影。平成23年12月20日築の、三角屋根の木造駅舎です。トイレはありません。この駅に降り立って由利高原鉄道全駅下車達成



時刻表を。何度も登場しますが、由利高原鉄道は14往復(多客期は17往復)です。滞在時間は27分。



日没前に駅前を。目の前には国道108号。西側には日本海東北道が。



駅前のバス停は「玉ノ池」。1日10本です。



駅に戻って飛良泉で打ち上げ。で、天井を見ると、橋本広真の絵画が。子吉駅の旧駅舎です。



18時29分発の20D(YR2002)に乗車し、いよいよ帰路へ。



18時36分に羽後本荘駅に到着。旅の最後に、川越工業高校電気科電車班の面々を。すっかり暗くなり、18時47分発の羽越本線552M(701系N7編成)で酒田へ。



酒田到着後、すぐに834Dで村上へ。「キハ40 585+キハ47 1517」の編成だったので、新潟から来て酒田から帰るところだという眼鏡女子と相席に。村上到着後、羽越本線952M(E129系B16編成)~信越線2556M(E129系B17編成)と乗り継いで新津に帰還しました。


 「由利高原鉄道全駅下車の旅」は以上です。今回は薬師堂から矢島までの全11駅を巡ってきましたが、3セク転換後に新設された曲沢、吉沢の両駅及び曲がり屋の木造駅舎が残る久保田を除いては、近年に仕立てられた木造駅舎でした。また、車両についても、ロング、クロスを問わず、飲み物や弁当などが置けるテーブルが設けられており、JR東日本秋田支社にはない「本気度」というものを感じました。「楽楽遊遊乗車券」も1000円という良心的な価格設定で、地元客のみならず、「鉄道ファン」をも顧客ととらえたマネジメントをしていると感じました。
 ところで、熊本地震から1年が経ち、JR各社は「リメンバー九州キャンペーン」なるものを展開しています。次は、「長崎本線全駅下車への道・第1回」をお伝えします。


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キムワイプ色はいよいよN33編成のみに

2017-04-23 08:12:47 | 新潟の鉄道

 「由利高原鉄道全駅下車の旅」もいよいよ最終回ですが、新潟の115系に大きな動きが見られたのでお伝えします。
 新潟のキムワイプ色115系の最後の生え抜きであったN15編成。水曜日の夕方あたりからクモヤ143-51に取りつかれ、金曜日の昼頃には「クモハ115-1061」が抜かれて2両になってました。そして、昨日の朝見た所、その2両が通称「解体線」に据え付けられてました。
 早速ですが、N9編成廃車後に新たに廃車になった編成を紹介します。



4月7日に廃車になったのはN21編成。3次新潟色で、「クモハ115-1046+モハ114-1064+クハ115-1049」の編成でした。



4月12日に廃車になったのはN24編成。3次新潟色で、「クモハ115-1023+モハ114-1033+クハ115-1023」の編成でした。



4月14日に廃車になったのはN29編成。3次新潟色で、「クハ115-1519+モハ114-1058+クハ115-1042」の編成でした。



4月18日に廃車になったのはN5編成。3次新潟色で、「クモハ115-1047+モハ115-1065+クハ115-1047」の編成でした。


N15編成の廃車については自明の通りということで。タイアップとして、2016年12月、2017年1月の新潟の115系を公開します。特記以外は新潟駅での撮影です。



2016年12月4日。新津駅にて信越線433Mを。最後の姿となったN27編成でした



新潟駅に行き、羽越線934Mを。N37編成+N33編成でした。



越後線145Mは、N22編成が今は亡きN2編成を従えてました。



2016年12月9日。新津駅にて信越線2523Mを。今は亡きN23編成+N28編成でした。



新潟駅に行き、信越線433Mを。冒頭に話題に挙がったN15編成でした。



2016年12月30日。新津駅にて信越線433Mを。N18編成でした。



新潟駅に行き、信越線434Mを。冒頭に話題に挙がったN5編成がN9編成を従えてました。



越後線1531Mは、N17編成+N33編成でした。



越後線139MはN30編成でした。



羽越線1932Mは、N37編成が冒頭に話題に挙がったN21編成を従えてました。



小針駅にて越後線143Mを。今は亡きN7編成がN22編成を従えてました。



2017年1月1日。信越線434MはN34編成+N18編成でした。



越後線1531Mは、冒頭に話題に挙がったN21編成がN37編成を従えてました。



越後線139MはN36編成でした。



羽越線1932MはN40編成+N30編成でした。



2017年1月7日。白新線1629Mは、冒頭に話題に挙がったN15編成がN17編成を従えてました。



信越線433MはN34編成でした。



2017年1月8日。新津駅にて信越線429Mを。N17編成が冒頭に話題に挙がったN15編成を従えてました。



新潟駅に行き、信越線433Mを。N30編成でした。



白新線1632Mは、冒頭に話題に挙がったN5編成がN22編成を従えてました。



信越線434Mは、N18編成が冒頭に話題に挙がったN21編成を従えてました。



2017年1月20日。新津駅にて信越線429Mを。今は亡きN9編成がN34編成を従えてました。



新潟駅に行き、越後線142Mを。N35編成でした。



2017年1月21日。信越線434Mを。N30編成+N37編成でした。



吉田駅にて越後線141Mを。今は亡きN2編成でした。



そのまま1番線の先端に行き、越後線1932Mを。冒頭に話題に挙がったN5編成がN13編成を従えてました。



2017年1月22日。信越線434Mは、N13編成が冒頭に話題に挙がったN5編成を従えてました。



越後線1531Mは、今は亡きN7編成がN33編成を従えてました。



最後に、信越線2527Mを。今は亡きN2編成でした。


 N15編成追悼記事は以上です。N15編成は、ダイヤ改正直前から運用を離脱しており、今回の廃車も不思議ではなかったなという感じです。1両だけ抜き取られた「クモハ115-1061」はどこかに保存展示されるのでしょう。発表が待たれます。
 ところで、新潟の115系の現在の稼働車は、N3編成、N13編成、N17編成、N18編成、N30編成及び長野からの救済車に限られています。非稼働車であるN22編成については今後の動向が注目されます。稼働車については今のところ安泰ですが、「新井快速」にET127系が投入されるようなことになれば何らかの動きが見られるでしょう。今後のJR東日本新潟支社の動向には要注目です。

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由利高原鉄道全駅下車の旅(その6)

2017-04-21 20:36:45 | 羽越本線

16時19分に鮎川駅に到着。旧鮎川小学校に向けて周辺散策。



駅舎向かいには「駅前食堂」が。肉汁が食べられるそうですが、食事の時間帯としては中途半端過ぎるのでスルー。



2分ほど進むと㈱テーケーマシンに到着。格安自販機で缶ジュースを調達出来たので駅に戻ります。



出発の前に駅裏を。田んぼの向こうには国道108号が通じており、ファミリーマートも。


16時57分発の17D(YR2002)で矢島方面へ。



17時ちょうどに黒沢駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



階段を下りて駅舎の中へ。木製のベンチが1列に設えられています。天井には夥しい数の賞状が。



それでは駅舎撮影。平成15年築の木造駅舎で、ホームとの間にはミニ庭園が設えられていますトイレは対角線手前に。尚、黒沢駅は昭和24年6月1日に開業しました。



駅前には大銀杏。滞在時間が僅かでしたが、黒沢駅はこの旅で最も印象に残った駅でした。



17時11分発の20D(YR3002)で羽後本荘方面へ。



鮎川駅を出て森を抜けると旧鮎川小学校が。昭和29年築の木造建築ですが、平成16年に閉校した後に保存されコンサートが開かれるなどしています。



17時23分に薬師堂駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



では駅舎の中へ。壁に木製のベンチこそありますが、廃車発生品(YR1500形のもの??)を利用した椅子が見物です



それでは駅舎撮影。近年に建てられたと思われる木造駅舎です。トイレはありません。


「薬師堂」の由来って何だろう??とりあえず散策してみましょう。


続きはこちら

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由利高原鉄道全駅下車の旅(その5)

2017-04-19 21:18:57 | 羽越本線

14時15分に前郷駅に到着。曲沢駅まで駅間徒歩。



養老閣を出て数分、由利体育館の横を通過。



由利体育館の向かいには神明宮。由利高原鉄道全駅下車達成を誓ってきました



神明宮の隣には善隣館。言わばコミュニティーセンターです。で、その隣には由利図書館が。



由利図書館近くの踏切を渡ると、一転して田んぼ道に。グーグルマップを信じて進みます。



あぜ道を進んで行くといつしか曲沢駅に到着?!しかし、出入口はありません。要するに駅裏だった~。グーグルマップの嘘つきめ



気を取り直して線路を越えて正規の道路に出て駅舎撮影。曲沢駅はYR1500形??(廃車済)と同様のカラーリングの待合所で、片面ホーム1面のみの構内です。しかし、これを撮っている間に踏切が鳴って、









乗る予定だった16Dに行かれてもうた~









果たして、曲沢駅のホームに上がれたのは15時12分に。周辺は田んぼ、田んぼ、田んぼです!!流石、うっしーさんのサイトで180位に入っているだけあるわ。尚、曲沢駅は平成元年10月29日の開業です。




曲沢駅では1時間のペナルティー。灰皿付きの、木造のベンチに座って駅ノートに書き込みしたり、読み込んだり…。



すっかり脳みそがリフレッシュされきったところで、YR3002である16時7分発の13Dが前郷駅に向けて出発



ペナルティーが解け、16時14分発の18D(YR2002)に乗車して羽後本荘方面へ。



16時19分に鮎川駅に到着。一見する限り、片面ホーム1面のみの構内ですが…。



交換設備が撤去されて棒線化されているのです!もと島式ホームだったのです。



それでは駅舎撮影。近年建てられた(リメイクされた?!)木造駅舎です。トイレは矢島方に。



では駅舎の中へ。広々とした待合所に木製とFRP製のベンチが設えられています。


滞在時間は38分。旧鮎川小学校に向けて周辺散策とするか…。


つづく

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由利高原鉄道全駅下車の旅(その4)

2017-04-17 20:14:19 | 羽越本線


由利高原鉄道11Dは、13時29分に川辺駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



それでは駅舎撮影。端正な形をした木造駅舎です。左手下には自転車置き場が。



では駅舎の中へ。2層建てになっており、待合スペースが上下に其々設えられています。トイレがあったので1度目の歯磨き。



29分の滞在時間で周辺をぶらぶら。収穫直前の田んぼ、以上です。



13時58分発の14Dで羽後本荘方面へ。11Dと同じくYR2002でやってきました。



14時15分に前郷駅に到着。すると、下りホームにはYR3002である13Dがやってきました



13Dが到着してYR2002とYR3002が並び、タブレット授受が行われました結論を申し上げますと、前郷駅は由利高原鉄道で唯一の交換可能駅です。



それでは駅舎撮影。平成15年築の、「ふれあいステーション」と名付けられた木造駅舎です。大正11年から昭和13年までは(旧)矢島線の終点でした。トイレは矢島方に。



では駅舎の中へ。広々とした駅舎ですが、羽後本荘駅、矢島駅に続く社員配置駅となっています。すっかりステーションギャラリーに見とれてしまいます。



時刻表を。高い確率で交換シーンが展開されます。臨時列車が運転される時は、6時台と23時台を除いて全てで交換シーンが見られます。よって、次の列車は52分後。



親子連れがレポートを始めたので、曲沢駅に向けて出発。3分ほどで国重要文化財・佐々木邸に到着。



母屋は平屋ですが、西側には「養老閣」という木造3階建ての別邸が大正10年の築だそうです。素晴らしいものを見させてもらいましたが、ちょっと回り道しちゃったかな。


つづく

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由利高原鉄道全駅下車の旅(その3)

2017-04-15 23:09:50 | 羽越本線

12時17分に西滝沢駅に到着。まずは、100円メニューを目指して西滝沢水辺プラザへ。



国道108号を子吉方面に進んで5分ほどで子吉川を渡ります。



西滝沢水辺プラザは、その長瀬橋を渡ってすぐの所にありました。しかし、











食堂はお盆休みだった!!










道理で車が少ないなと思ったら。では、気を取り直して国道108号を矢島方面へ。西滝沢の駅前には農業倉庫が。



吉沢橋が近づくと、青々とした栗の実が



その近くには菅江真澄歌詠み所がありました



間もなく吉沢橋で再び子吉川を渡ります。上流側には由利高原鉄道の橋梁が架かっています。ロケハンしようにも昼食はまだなので、そのままスルー。



ここで国道108号と別れて砂利道へ。でも、結局は一緒になるんですけどさ。



13時ちょうどに吉沢駅に到着。待合所と片面ホームの駅で、トイレはありません。で、その待合所、屋根に雪が掛かったような意匠ではないですか



では待合所の中へ。4辺のうち3辺にベンチが設えられ、座布団が敷かれています



玄米ブランでお昼にしていると、臨時列車である218DがYR3002でやってきました頭になかったっス。



吉沢駅は田んぼの中の駅でした。13時25分発の11D(YR2002)で矢島方面へ。



乗車したのはたったの1区間。ふと見上げると、吊革の上にメッセージを発見由利高原鉄道には吊革オーナー制度があるのです。


つづく

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由利高原鉄道全駅下車の旅(その2)

2017-04-14 12:27:09 | 羽越本線

日本の地震史上、異例中の異例とも言える2度の震度7を記録した熊本地震からちょうど1年になり、同地で慰霊式が行われました。今日の時点でも、まだ47,725人の被災者が仮設住宅などに避難しています。この地震で被災した豊肥本線の肥後大津~阿蘇間および南阿蘇鉄道の立野~中松間は未だに運転再開の目処は立っておりません。「あそぼーい!」も未だに本来の仕業に入れておりません。何度も言っていますが、今私がこうして駅巡り出来ているのも被災していないからこそです。



さて、本題に。そろそろ出発の時間となりました。11時49分発の12Dには「エボルタ電池列車」が充当されました。申し遅れましたが、矢島駅は片面ホーム1面のみです。



その「YR2002」の車内。ロングシートですが、テーブル付きです



12時4分に久保田駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



階段を下りて駅舎撮影。開業当時からと思われる、曲がり屋の木造駅舎です。トイレは汲み取り式です。



まずは時刻表を。滞在時間はたったの9分!



では駅舎の中へ。狭いスペースに2辺の待合所が設えられている無人駅です。



壁に掲示されていた「秋田カンバン娘」。秋田空港のJALの地上職員やホテルのフロントの方などが掲載されていました。



駅前は桜並木が伸びています。時期になったら絶景だろうな。



12時13分発の9Dで矢島方面へ。今度は赤い気動車がやってきました。



その「YR3002」の車内。赤いセミクロスシートにテーブル付きです



12時17分に西滝沢駅に到着。一見する限り片面ホーム1面のみですが、交換設備が撤去されて棒線化されています。



それでは駅舎撮影。平成15年築の、まだ真新しさが残る和風の木造駅舎です。



松の木と木造駅舎。これこそ「ニッポンの駅舎」です



トイレは羽後本荘方に。勿論水洗です。



では駅舎の中へ。無人駅で窓口などの類はなく、可也広い駅舎だと感じました。灰皿があるのがJRとは異なる所です。


折角なので、アテンダントにおすすめされた、西滝沢水辺プラザを目指しましょう。


つづく

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