クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

播但線全駅下車の旅(その8)

2012-06-29 00:00:52 | 陰陽連絡線

青倉から乗った1238Dはキハ40の単行で結構乗っていたので、女性2人のボックスに座らせてもらいました。単行の普通列車といっても県北と県南を結ぶ重要な列車なので、混むときは混むものです。



16時42分に寺前駅3番乗り場に到着。2面3線のホームの横に留置線が多数あります。殆どの人は2番乗り場に停車中の5652Mに乗り継ぎますが、私はここで途中下車。



跨線橋を渡って駅舎の中へ。「みどりの窓口」があり、営業時間は6:10~20:20(休み2回)です。



その左側の待合スペースは「駅前コミュニティーホール」で、丸太の椅子とテーブルが備え付けられています。自販機の奥にはトイレがあります。



それでは駅舎撮影。平成22年5月築の南欧風の洒落た駅舎です。ただ、改築といっても入口部分のみで、昭和34年1月築の国鉄後期型駅舎がベースとなっています。



陽が沈むまでの間に周辺散策。駅前は中心駅らしくなく、古い住宅地が続いています。


中国地方のJR線乗り潰しに走っていた2001年2月16日に寺前駅に途中下車したことがあります。そして、南方向に歩いてAコープで買い物し、加美町産の焼き鳥を美味しくほうばったことを覚えています。その思い出を辿って当時と同じスーパーを訪問しましたが、店舗名は「又右衛門」に変わり、あの焼き鳥屋さんは勿論なくなっていました。10年の時を経れば、小売店は大きく変わるものです。ただ、踏切の向こうにあるセメント工場は変わらず。



特に買うものはなく駅に戻り、駅南方にある「カーミンの観光案内所」を訪問。平成22年4月に設置された観光施設です。折角なので名水を頂き、ゆずドリンクを土産にしました。Xmasのイルミネーションが季節感を出していました。


日没を過ぎて改札をくぐり、17時19分発の5654M(103系H4編成)に乗車。その前に、「かにカニはまかぜ」に抜かれましたが、全席指定にもかかわらずキハ189系6両編成の車内は大盛況でした。


夜の播但線を走破し、東横イン姫路駅新幹線南口に宿を取ります。チェックイン後、餃子の王将に行って無敵餃子定食で夕食。餃子、ラーメン、チャーハンが付いた贅沢セットメニューで腹いっぱいになりました。入浴後、日本有線大賞を見ながらデーターまとめ。AKB48など著名アーチストが目白押しの中、果たして有線大賞を受賞したのはふくい舞でした。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問


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播但線全駅下車の旅(その7)

2012-06-26 23:10:01 | 陰陽連絡線

14時42分に新井駅に到着。



2度目の歯磨きを終えた後に周辺散策。駅前は古い家並みが続き、少し離れてちょっとした商店街があります。



踏切を渡って朝来大橋へ。日が西に傾き始め、山肌がロマンチックな色合いになってきました。



右側を見ると、砂防ダムになっていました。姫路から乗った場合、播但線は完全な上り基調ではありません。生野のあたりが分水嶺なので、この川は円山川で日本海に向かって流れています。


円山川を見ると、出発まであと少し。ギリギリで15時10分発の1237D(キハ40 2008)に乗車し、1駅和田山方面へ。今回訪問した新井駅は「にいえき」と読みます。



15時15分に青倉駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。駅裏には何もなく、光線具合が絶妙ということもあり、絵になる風景です。



駅舎の中へ。無人駅であり、3脚ほどのベンチとゴミ箱が向かい合うだけで何もありません。



それでは駅舎撮影。地上から一段高い所にあり、小さな吹きさらしの簡易駅舎です。左側にトイレが併設されています。



トイレの横には観光地図があり、その横に丸ポストがあります。味のある木造駅舎だけではなく、意外なところにも面白いアイテムが隠れているものです。



それでは周辺散策。ガードをくぐると、再び円山川を渡ります。南西から陽を浴びて、川面がキラキラ輝いています。



ミニストップの交差点で国道312号を横断すると、「農林大臣表彰集落」に出ました。



住宅を抜けると、椿と南天と柿木の組み合わせ。晩秋の風物詩を一度に見ました。これは、2011年12月10日の旅行記です。



更に東に進むと、内式伊由神社に到着。ここで、旅の安全を祈願しました。



播但線全駅下車達成を誓ったところでミニストップに戻っておやつなどを購入。あ、忘れていましたが、付近には青倉神社の大鳥居がありました。でも、肝心の青倉神社は4km離れています。


2駅間徒歩に匹敵するような周辺散策をする余裕は勿論なく、16時3分発の1238D(キハ40 2046)に乗車して寺前に戻りました。


つづく


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播但線全駅下車の旅(その6)

2012-06-24 19:04:06 | 陰陽連絡線

13時45分に竹田駅に到着。



古い町並みを抜け、1つ和田山寄りの踏切を渡って竹田城跡入口に到着。紅葉が見事です。



入口から間もなく、紅色の絨毯に出会いました。これは、2011年12月10日の旅行記です。ここから頂上まで40分ほどかかります。



今回は頂上まで行く時間はないので、入口に戻ります。雪山が借景となり、武家屋敷のような風情ある町並みが広がっています。



とりあえず、寺町巡りします。最初の寺は、見星山 法樹寺です。



2つ目は、浄土真宗本願寺派の寺院である虎城山 勝賢寺です。



3つ目は、浄土真宗大谷派の寺院である常光寺です。城の近くに寺院を固める町づくりは、日本の城下町には多いパターンです。



最後を飾るのは、浄土真宗本願寺派の寺院である慈光山 善證寺です。唯一、山門に常夜燈があります。



寺町巡りを終えると、虎臥城公園に出ました。竹田城の別名は虎臥城といいます。頂上から雲海が広がるロマンチックな写真を何度も見ているので、何時の日か登頂してみたいものです。



その虎臥城公園と踏切を挟んで向かいに酒蔵のようなものがありますが、廃業して久しいと思われます。「はまかぜ3号」がその踏切を通過し、JR西日本らしい1枚が出来ました


再び駅前に戻ると土産物屋で復刻コーラを購入しホームに上がると、先ほどの母娘もやってきました。14時30分発の1236Dに乗車しましたが、「キハ41 2002+キハ40 2007」の2両編成で余裕で座れました。



14時42分に新井駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。



跨線橋を渡って駅舎の中へ。委託駅で乗車券も販売されており、営業時間は7:00~17:00です。手前側は待合スペースとなっています。



窓口脇の部屋はギャラリーですが、朝来市のPRで設置されたものなので、観光案内があって風景の写真がいくつか飾られてるだけのガランとした印象です。



それでは駅舎撮影。明治34年8月築の木造駅舎が健在で、車寄せも堂々としています。右手にトイレがあります。


「新井駅」といえば「くびき野」の終着駅を連想するのは私だけでしょうか。


つづく


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播但線全駅下車の旅(その5)

2012-06-22 00:00:05 | 陰陽連絡線

生野駅から12時35分発の1232D(キハ41 2001)に乗車して寺前方面へ。1駅とはいえ7.7km離れており、9分かかります。



12時44分に長谷駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。ホーム上に待合室があります。



駅前に出ました。地下道入口というだけで駅舎はなく無人駅です。脇にはトイレ(昭和54年9月築)があります。左手は保線区が広がっています。



それでは周辺散策。少し北方に歩くと、道祖神と架橋記念碑を見つけました。この時は葉を落としていますが、桜の時期はさぞかし絶景でしょう。



その橋の上に上がると、面白そうな撮影ポイントを発見しました。列車が通過したら絵になりそうですが、次に来るのがこれから乗る1235Dだったりします。



もう少し進むと、「里山なごえの森」の入口を発見しました。長谷駅は、里山に抱かれた長閑な駅です。



冬の空はきまぐれで、しばらくすると山肌がロマンチックな色合いになってきました。


13時15分発の1235D(キハ40 2046)に乗車して和田山方面へ。混雑してたので、ロングシートに座って昼食その2。



13時45分に竹田駅に到着。交換可能駅で対面式ホームですが、中線が撤去されて2面2線の構内となっています。



単行のタラコ色のキハ40系が和田山方面へ走り去っていきます。如何にもローカル線らしい風景です。今回は先に進みません。



跨線橋を渡って駅舎の中へ。委託ながらも窓口があり、営業時間は7:00~17:00です。ホームに向かって写している為、右手は待合室となっています。窓口の手前には観光案内所があり、竹田城の模型が展示され、カレンダーなども販売されています。



それでは駅舎撮影。蔵をイメージしたような細長い木造駅舎です。右端にトイレがあります。



駅前は古い町並みが広がっています。一緒に下車した母娘は工房に行ったようです。


折角なので、竹田城跡に行きますか。


つづく


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播但線全駅下車の旅(その4)

2012-06-20 00:01:02 | 陰陽連絡線

播但線5627Mは、5分遅れの11時42分に寺前駅2番乗り場に到着。3番乗り場に停車中の、11時47分発の1233D(キハ40 2008)に乗り継ぎました。生野までの道中、昼食を食べたり、向かい合わせになった年配の女性と談笑しながら進みます。和田山まで行くのだそう。



12時8分に生野駅に到着。交換可能駅で対面式ホーム2面2線の構内ですが、上下線間は広く空いています。



それでは駅舎の中へ。一見した限り、無人化されて窓口が閉鎖されたように見えますが…。



待合室内部もお見せします。広い空間にレトロな椅子が4脚並んでおり、壁面には生野の名所の写真が飾られています。



それでは駅舎撮影。東口の駅舎は、昭和35年7月築の国鉄後期形の細長い駅舎で、全体は入りきりません。



駅舎横には、明治42年築の旧日下旅館が保存されています。3階まである和風建築ですが、当時としては斬新な旅館でした。



駅前の様子。ロータリーの向こうにある個人商店は、周辺の山にマッチした意匠です。徒歩圏内に古い町並みがあります。



跨線橋を渡って西口へ。右側には窓口があり、営業時間は7:00~18:00です。更に右手に行くとトイレです。左手は小さな待合室です。生野駅は委託駅なのです。



それでは駅舎撮影。西口の駅舎は平成21年4月に新設された、意匠のある木造駅舎です。



駅舎右側の部屋は、朝来市観光案内所です。レトロなつくりで、生野銀山とその周辺の観光パンフなどが豊富に置かれています。クリスマスツリーが季節感を醸し出していました。これは、2011年12月10日の旅行記です。



駅舎の右側にある小さな木造建築は何だろう?ランプ小屋にしては新し過ぎるし…。物置かも。



駅前の様子。南方にはタニマチという会社のオフィスがあります。幹線道路を挟んだ向かいにはローソンがあります。



西口の駅前ロータリー端には「山田顕義終焉の地」。山田顕義は初代司法大臣で、生野銀山を興し、日本大学の学祖でもありましたが、1892年に生野銀山に視察に行った際に鉱山事故に巻き込まれて48年の生涯を閉じました。


生野駅は志村喬記念館へ徒歩15分でアクセスできますが、滞在時間が26分しか取れないのが今回のプランの最大の泣き所。次回は是非観光したいですね。


つづく


参考サイト   さいきの駅舎訪問


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播但線全駅下車の旅(その3)

2012-06-17 22:22:02 | 陰陽連絡線

10時37分に新野駅に到着。



大歳神社を訪問し終えて踏切を渡ると、3基の水車という珍しい光景に出会いました。元禄6年から高い所にある水田を灌漑するためにつくられ、最盛期には50基もあったといいます。



そして、西口に出ました。東口と同様に跨線橋でロータリーもありますが、こちらには何もありません。


19分ながらも有意義な滞在を終えて駅に戻ると、1番乗り場には多くの乗客が集まっていました。10時56分発の5632M(103系H5編成)に乗車して1駅返します。



11時ちょうどに鶴居駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。



では、駅舎内部へ。典型的な木造駅舎のつくりですが、無人化されて窓口が閉鎖され、券売機に置き換えられています。



それでは駅舎撮影。開業当時からと思われる木造駅舎が健在で、ファサードもそのままです。右にトイレが隣接しています。



ついでにファサード内部も。木製の駅名板がシブイですね



駅前にはミニ庭園があります。冬なので可也葉を落としていますが、植え込みがよくメンテされています。



キハ189系を撮ろうと南側の駐車場へ。待つこと6~7分、「はまかぜ1号」が推定3~4分遅れて通過していきました。6両編成で立派です。



ロケハン終了後、市川の川岸へ。川面が水鏡の役割を果たし、対岸の山々が上下逆さまに映っています。



時間が無いのと道路がで駅前の交差点へ。屋形橋の袂に道路元標(矢印)があります。



鶴居駅の駅前へ。矢印で示した古い家は、『七人の侍』や『羅生門』などの映画を手がけた脚本家である橋本忍の生家です。鶴居駅は発見が色々あり面白いですね。



出発の時間が近付き、跨線橋を渡ります。駅裏は、田園風景の向こうに茶色く色づいた山々が広がっていました。これは、2011年12月10日の旅行記です。


11時30分発の5627M(103系H1編成)に乗車して寺前へ。砥堀~仁豊野での踏切支障により7分ほど遅れていました。


つづく


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播但線全駅下車の旅(その2)

2012-06-14 22:46:05 | 陰陽連絡線

前回はこちら


山陽本線711Kは、9時12分に姫路駅に到着。速攻で播但線5619M(103系H1編成)に乗り継ぎ、播但線駅巡りを開始。


 ここで、播但線の概要をざっと紹介します。播但線は、姫路と和田山を結ぶ全長71.3km、駅数16の地方交通線ですが、昭和61年10月までは姫路から飾磨港への路線もありました。姫路から寺前までは直流電化路線で、普通列車は103系に統一され、「103系電車最後の楽園」の1つとなっています。寺前以北は非電化路線で、山陰本線の豊岡以西と共通運用のキハ40系(キハ41形を含む)に統一されています。また、大阪と日本海側を結ぶ「はまかぜ」のルートとなっており、キハ189系が何往復も行き交っています。沿線は、生野銀山、竹田城跡など大きな観光資源もあります。



そうこうするうちに、9時49分に甘地駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線+側線1本の構内です。



跨線橋を渡り駅舎の中へ。典型的な木造駅舎のつくりです。委託ながらも駅員が配置され、乗車券も販売されています。



それでは駅舎撮影。昭和3年4月築の木造駅舎が健在です。右隣にはトイレが併設され、昭和59年3月の築です。



駅前公園には、内藤利八(1856~1911)の顕彰碑。播但線敷設を働きかけ、明治39年に全通させた立役者です。



それでは周辺散策。駅前はちょっとした市街地となっており、JA兵庫西オアシスもあります。



少し北方に進むと、曹洞宗の寺院である積清寺があります。龍の蛇口から出ると思われる甘地の清水を土産にしました。



少し東に進んで市川を眺めます。対岸の山は少し紅葉してますね。これは、2011年12月10日の旅行記です。橋を渡ると市川町役場があります。


10時29分発の5623M(103系H5編成)に乗車して甘地を後にしました。



10時37分に新野駅に到着。交換可能駅で、対面式ホーム2面2線の構内です。



さて、東口に出ました。跨線橋のみの無人駅です。こちら側には入口に券売機があり、姫路方にトイレがあります。



駅前ロータリーには動輪のモニュメントがあります。これは、新野駅開業25周年を記念して、昭和51年10月15日に建てられたものです。



駅前にある大歳神社に行き、播但線全駅下車を誓ってきました。


つづく


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播但線全駅下車の旅(その1)

2012-06-12 00:01:40 | 山陽本線

 再び、「きたぐに」が定期列車だった頃の乗り継ぎ旅行をUPします。
 半年ほど遅れましたが、これより播但線全駅下車の旅をお伝えします。実行したのは2011年12月9日夜~11日で、冬の「18きっぷ」解禁乗り継ぎとなりました。往路は「きたぐに」で関西に向かい、復路はJAL2251便で新潟に帰るというものでした。
 それでは出発しましょう。


2011年12月9日(金)夜。仕事が終わってから、新津23時13分発の「急行きたぐに」(583系B6編成)で出発。自由席で京都に行きましたが、ちょうど忘年会の時期と重なって長岡まで混雑していました。席につくと、菊水一番しぼり新米新酒で一杯やりました。加茂で急病人看護があったため7分ほど遅れました。



定刻6時16分に京都駅5番乗り場に到着。先頭車付近には撮影者多数。この後発表された臨時列車化を予感していたかのように。


一旦改札を出て、「18きっぷ」に切り替えます。さんざん迷いましたが、707K(223系W14編成+V56編成)に乗車して姫路方面へ。朝食を終えた後、明石海峡を眺めながら一人で第九コンサート。



播但線駅巡りの前段に山陽本線の駅を1つ巡ります。8時38分に御着駅に到着。2面3線の構内を有し、跨線橋にエレベーターが取り付けられています。駅裏には山陽新幹線が通っています。



改札を通って駅舎の中へ。2台の自動改札の横に「みどりの窓口」があります。待合ベンチの向かいにKIOSKが併設されています。



それでは駅舎撮影。昭和10年3月築の木造駅舎が健在です。トイレは改札内にあります。



駅前ロータリーには庚申塔記念樹があります。昭和63年10月に植樹されました。コンパクトなミニ庭園となっています。



その根元には三美洋の歌碑があります。「山海の自然に育まれ 人の愛に抱かれて 我行かん美の世界」。姫路のまちを美しくする運動協議会の発足30年を記念し、平成20年11月に設置されました。



それでは周辺散策。駅前は古い町並みですが、少し歩けば市街地に出ます。東方に図書館があります。


国道2号に出た後、ひたすら西へ。徒歩20分くらいの所に播磨国分寺跡があり、同名の喫茶店もあります。


この旅の目的は播但線の全駅を巡ることなので、御着での滞在時間が30分しか設定してないのが悲しいところ。そそくさと駅に戻り、9時8分発の711K(221系A10編成+223系V21編成)に乗車して姫路に出ました。


続きはこちら


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新潟の115系N2編成 6連で運転中

2012-06-09 17:00:01 | 新潟の鉄道

 新潟の115系電車の話題をお伝えします。
 あの時にもお伝えしましたが、新潟車両センター所属の115系N2編成が、真ん中に高崎からの貸出車であるT1036編成を組み込んで6連の形で運転中です。新潟の115系に不足が生じているのでしょうか。1週間見た限りでは、運用については固定されており、決まった時間に行けば見ることが出来ます。
 運用は以下の通りと思われます。

 村上(1928M)内野(1527M/434M)長岡(443M/156M)吉田(1941M)村上

 
 では、最近の115系N2編成の最新状況を御覧下さい。



2012年6月4日の1941M。黄昏時の新潟駅4番線に入ってきました。



4番線に入った後、3番線に入っていた「北越10号」と並びました。この日の1060Mは、3月に全検を受けたばかりのR25編成でした。



翌5日も1941Mと「北越10号」との並びを。この日の1060Mは485系R26編成でした。



水曜日はお休みして、木曜も同様の並びを狙います。この日の「北越10号」は、国鉄色485系のK1編成が充当されました



翌8日にも同様の並びを狙うことに。この日の「北越10号」には再びR25編成が入りました。なぜ3番線側からしか狙わないというと、1941Mの乗り場が混雑して危険だということと、完全に停止するときれいに並ばないからです。



折角なので、連結面も狙います。後ろの編成には「T1036」と書かれているでしょう。



翌6月9日。信越本線434Mにて編成写真を撮ることが出来ました。越後石山駅で撮影。先頭から、「クハ115-1043+モハ114-1036+クモハ115-1026+クハ115-1026+モハ114-1059+クモハ115-1043」の編成です。


 115系N2編成のレポートは以上です。今回の湘南色固定運用ですが、6月2日から始まったと考えられます。(1日の1941Mが115系N18編成+N7編成だったので)。イベント用とは考えにくいですが、随分長く続いていますね。ひょっとしたら、高崎のT1036編成が新潟に転属ということもあるかもしれません。115系の動向を注意深く見守りましょう。


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きらきらうえつに乗ってきた(その2)

2012-06-07 22:19:20 | 羽越本線

府屋駅から国道7号を北上し、新潟県最北の地へ。そろそろ足が笑い出しました。



国道7号から右に分かれ、古い住宅の並ぶ伊呉野集落に入ります。県境まであと少し。



13時35分過ぎ、遂に県境に到着。集落の中を県境が通っていて、それを境に車のナンバーがきれいに分かれています。日本中にいくつも県境がありますが、ここは特別です。


 
この県境にきたら、やっぱりこれ~。一度やってみたかったんだ。



この県境から線路脇に出ると、古代鼠関址及び鼠関戸生産遺跡です。この集落自体、越後と出羽を分かつ関所だったのです。


もう少し歩いて、13時45分に鼠ヶ関駅に到着。1時間以上駅間徒歩したのは久しぶりだったので少し疲れました。



それでは駅舎撮影。昭和61年10月築の、ヨットをイメージした駅舎です。トイレは左側の一角にあります。右手にある灯台のモニュメントは旧駅舎時代からあります。



では駅舎の中へ。鼠ヶ関観光を終えた中国人留学生が既に陣取っていました。窓口が閉鎖されて無人駅となり、券売機に置き換えられています。



水分を補給した後、早くも構内へ。折り返し列車があり、2面3線+保線用側線1本の構内です。ちょうど、NODOKAによる「うまさぎっしり日本海縦貫号」が通過しました



駅に居てもしょうがないので、周辺を歩いてきます。マリーナの入口には「源義経上陸の地」。昭和40年に「源義経」の大河ドラマが放映されましたが、原作者の村上元三氏は確信を得られないでいました。研究の結果、ここが源義経が上陸したという確証を得て、昭和61年に彼の揮毫によりこの碑が建てられました。



賑やかな港の方に出ると、イカの一夜干しの風景に出会いました。シーズンオフだからか、たった一角のみでした。


このまま行けば弁天島ですが、時間が中途半端なので駅に戻ります。14時36分発の826D(キハ40 560+キハ47 512)に乗車して村上に戻りました。



15時27分に村上駅2番線に到着。「いなほ10号」を見送った後、942M(115系N27編成+S5編成)~132M(115系S9編成+N9編成)と乗り継いで新津に帰りました。


これで、「きらきらうえつ」によるミニトリップは終了です。次は、新潟の湘南色の115系の話題をお伝えします。


参考サイト   さいきの駅舎訪問


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