クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

SLばんえつ物語 運転開始

2011-04-30 22:44:45 | 新潟の鉄道

 東北新幹線の次は、「SLばんえつ物語」の話題をお伝えします。
 「SLばんえつ物語」とは何か。新潟から磐越西線を通って会津若松まで至る、4月~11月の週末を中心に運転される、SLによるジョイフルトレインです。新津第一小学校に長らく保存されていたC57 180号機を復活させ、1999年4月29日に運転開始しました。月ごとにHMのデザインが変わり、車内でも様々なイベントが実施され、利用者を飽きさせません。
 12年目に当たる2011年は、東日本大震災の影響を受け、4月23日までは運休しました。しかし、ちょうど12周年にあたる4月29日、ようやく2011年の運転が始まりました。ただ、本来の牽引機であるC57 180号機は定期検査の最中で、5月一杯はD51 498が先頭に立つことになります。

 それでは、4月23日の試運転の模様から御覧下さい。



9時20分頃に新津駅に行ってみると、ちょうどD51 498と12系客車7連が出発の時を待っていました。わざわざ新潟まで回送されることなく、そのまま会津若松まで往復したそうです。勿論、HMはありません。



行路表示は「試」。尚、公式試運転は、4月22日にも実施されたようです。



ついに4月29日の運転開始当日を迎えました。8時20分頃に新津駅に到着すると、例の回送列車は既にスタンバイしていました。新潟まではEF81 151がエスコートしてくれます。



8時26分、新潟に向けて発車しました。D51 498にはHMが掲出されています。



新潟駅にて。9時15分から運行開始セレモニーが開催されていました。にいがた観光親善大使も活躍しています。



側面の行先表示。オコジョとチューリップがデザインされています。「つなげよう、日本」も。



ドア脇のサボもオコジョとチューリップがデザインされています。今年はこれも月変わりですかね。


肝心のD51 498が撮影できないので、信越本線2524Mで新津に先回りしました。



SLばんえつ物語は、2分遅れの10時8分に新津駅1番線に到着しました。



停車時間中に運転台へ。タンクにも「つなげよう、日本」のステッカーが貼られていました。



貨物列車が到着した後、10時16分頃に会津若松に向けて発車しました。D51 498のHMはチューリップがあしらわれています。5月1日に変わるのかな。


以上でレポートを終了しますが、SLばんえつ物語は11月まで走り続けます。福島県浜通りはあの状況ですけど、会津地方は異常ありません。これからは観光シーズンです。是非とも、SLばんえつ物語を利用しましょう。


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東北新幹線 49日ぶりに全通

2011-04-29 00:22:58 | 東北本線&烏山線

 気仙沼線駅巡りを一旦中断し、東北新幹線に関する話題をお伝えします。
 2011年3月11日にあの東日本大震災が発生し、東北新幹線は1200箇所もの被害を受けました。被害の軽微だった大宮~那須塩原間が3月15日に再開しました。4月7日以降の大きな余震で540箇所もの被害を受けたにもかかわらず、4月25日には仙台~一ノ関を除いて再開し、残る区間も本日運転を再開します。トンネルや高架橋の崩落がなかったとはいえ、震災からわずか49日で暫定ダイヤながらも復旧したことになります。その上、当初は運転再開時期未定とされていた「はやぶさ」を、復興のシンボルとして2往復運転します。
 
 それでは、この暫定ダイヤの特徴をざっと見てみましょう。簡略化のため、東京発下り列車で表現しています。


・「はやぶさ」   
  東京から新青森までの所要時間は3時間10分から4時間5分(東京~仙台は1時間45分から2時間6分)。
  「はやて」「やまびこ」などと同様の料金体系となり、グランクラスは5000円が被災地に寄付されます。
  3編成のうち1編成が被災していることで、運用数が2本から1本に減っています。仙台6:26→8:32東京8:44→12:49新青森16:17→20:24東京20:36→22:42仙台


・「はやて」    
  速達はやては21本から13本に減少し、所要時間が3時間28分から4時間23分に。
  仙台~盛岡間各停はやては6本から2本に減少し、所要時間が3時間2分から3時間35分に。
  新青森行きの最終は、20:04から19:00に。
  「はやて95号」に相当するスジは「はやて195号」になり、仙台発が6:40→6:28に。


・「やまびこ」   
  盛岡行きは10本から12本に増加しますが、仙台ゆきは、那須塩原始発を含めても27本から26本に減少します。
  所要時間は、「つばさ」併結列車で2時間9分から2時間26分に伸び、盛岡行きで3時間12分から3時間51分伸びます。


・「こまち」     
  16本から13本に減少し、所要時間も3時間58分から4時間52分に伸びています。(始発の場合)


・「つばさ」     
  17本から16本に減少し、所要時間も3時間46分から3時間58分に延びています。(始発の場合)    


・「なすの」     
  郡山行きと那須塩原行きを含めて16本で変わりなし。


 暫定ダイヤの特徴は以上の通りです。とにもかくにも、首都圏から東北地方へのビジネス、観光、帰省の足がまた1つ確保されたことで、復興に向けてまた1歩進んだことになります。経営ベースから考えると、JR東日本の稼ぎ時に当たるGW再開は特段驚くことではありません。しかし、あれだけの被害があったにも拘わらず49日振りに全線開通したことは、余りにも性急過ぎた感があります。25日の仙台開通時ように送電トラブルがないか心配です。
 東北新幹線の暫定全通は、あくまでの復興のシンボルが出来上がったということだけです。周辺部は未だにがれきの山で、災害のプロである自衛隊などがまだまだ活躍しているのが実情です。被災地が落ち着くのはまだまだ先です。一日も早い復興を願ってやみません。


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2010年春の「青春18」解禁乗り継ぎ(その2)

2011-04-25 23:45:45 | 北東北地区

待合室で少し休憩し、8時39分発の2934D(キハ110-126+キハ110-245+キハ110-127+キハ110-1)で1駅返しました。本来は快速南三陸で運用される車両なので、僅か4分の乗車ながら転換クロスを味わいました。



のの岳駅を出て約2分後、江合川を渡ります。近くには堰があるだけで、橋はありません。のの岳駅に降り立ったら、駅間徒歩は事実上不可能です。



トンネルを1つくぐり、8時43分に和渕駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



まずはホームから見る景色を。一見しただけでは山間にある長閑な駅です。



短い時間ですが、待合室に入ります。先ほど訪問したのの岳駅と同じような体裁で、開業当時そのままの雰囲気です。



それでは駅舎撮影。のの岳駅と同様、昭和43年9月築の待合所と上屋のみの無人駅です。トイレは道路を挟んで向かいにあります。駅前にある工場は廃業したようです。



和渕駅には快速南三陸が停まらないので、滞在時間を最小限にとどめて前谷地駅まで歩きます。この集落がスタート地点。



集落を抜けて水田地帯に出ると、あとは線路沿いの道を進むのみ。ブロックタイムは60分。もし失敗したら昼前まで列車がないので、後がありません。


いつしか線路道が尽きて住宅脇を抜け、気仙沼線最初の踏切を渡りました。更に石巻線の踏切を渡り、線路沿いの小道を進むと、前谷地駅に到着しました。和渕駅を出て45分後でした。しかし、出発まであと9分。



それでは駅舎撮影。大正14年9月改築の木造駅舎が健在です。一段高い所に建っているので堂々とした姿です。トイレは改札内にあります。



短い時間ですが、内部に入ります。典型的な木造駅舎のつくりです。みどりの窓口があり、営業時間は平日では7:00~18:20(休み3回)、土休日では8:10~17:30(休み2回)です。



そろそろ時間なので、改札をくぐります。石巻線と気仙沼線の分岐駅です。折り返し運転が可能となっており、2面3線の構内です。かつては貨物を取り扱っており、小牛田方に1本側線があります。


9時43分発の快速南三陸1号(キハ110-5+キハ111-113+キハ112-113+キハ110-124)に乗車しました。先ほど降り立った和渕駅を一瞬のうちに通過。気仙沼線の看板列車らしく、5割くらいの入りでした。


続きはこちら


参考サイト   さいきの駅舎訪問


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2011年春の「青春18」解禁乗り継ぎ(その1)

2011-04-23 00:06:39 | 北東北地区

 お待たせしました。これより、2011年3月5日(土)の乗り継ぎ旅行の模様をお伝えします。
 今回の旅先には、東日本大震災で甚大な被害を受けた地域も含まれています。この時期にこの旅行記をUPするのは、誠に心苦しいです。でも、震災前はこうだったなと懐かしんでもらえれば幸いです。

 それでは本題にまいりましょう。

 今回登場する路線は気仙沼線です。三陸縦貫鉄道の最南端を成し、石巻線の前谷地駅と大船渡線の気仙沼駅を結ぶ、全長72.8km、駅数21の非電化路線です。気仙沼~本吉が昭和32年に、前谷地~柳津が昭和43年に開業し、全線開業が昭和52年という比較的新しい路線です。快速南三陸を中心にキハ110系が投入されますが、普通列車の多くはキハ40・48系列です。


 前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。


 2011年3月4日(金)夜。新津駅22時54分発の信越本線461M(115系N20編成)で新潟駅へ。その後、23時45分発の「Weライナー16号」(宮城200か12-41)で一夜を明かします。1週間前に予約しましたが、この日は大入りでした。菅生PAで外に出た他は、よく寝れました。


5時20分に仙台駅東口に到着。吉野家の牛丼キムチセットで朝食。「青春18」に日付印を入れ、6時ちょうど発の東北本線521M(E721系P33編成+P10編成)で小牛田へ。この日は東北新幹線「はやぶさ」の運転初日で、岩切では高架橋をゆくE5系の姿が見えました。



6時44分に小牛田駅に到着。構内には、昨年(2010年)12月26日にラストランした「こがね」が留置されていました。


7時ちょうど発の気仙沼線直通の2937D(キハ48 1511+キハ48 501)に乗り継ぎました。折角なので、次の上涌谷まで走行音を録音。それにしても外は寒く、うっすらと雪が積もっていました。



7時30分にのの岳駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



それでは駅舎撮影。昭和43年9月築の待合室と上屋のみの無人駅です。何時の間にか、この旅で最もお気に入りの一枚となりました。



待合室内部の様子。壁には木製のベンチが張り巡らされており、開業当時を偲ばせる懐かしい鉄道施設です。尚、券売機等の類はありません。



駅前の様子。道路を挟んでトイレがあります。まるで昭和50年代にタイムスリップしたような光景です。



駅前のバス停。のの岳を漢字で書くと「箟岳」です。肝心のバスはというと土休日運休です。



1時間の滞在を利用して周辺散策。田んぼの向こうには箟岳が聳え立っています。山頂まではおよそ4kmで、案内板によるとレストハウスなどがあるそうです。



踏切を渡り、堤防上に出ました。朝日を浴びてキラキラ輝いていました。静かに滔々と流れています。



迫川と旧北上川の合流点にあたり、先端近くには畑が形成されています。付近に橋はなく、対岸に行くには大きく迂回しなければなりません。


つづく


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信越本線・新津駅における節電対策

2011-04-21 00:04:54 | 新潟の鉄道(駅舎関係)

 2011年3月5日の乗り継ぎ旅の模様をお伝えしたいところですが、予定を変更して信越本線・新津駅における節電対策を紹介します。
 3月11日の東北地方太平洋沖地震における原発事故により、東日本の電力事情は不安定となりました。そこで、JR東日本は、列車本数の削減を含めて節電対策を大々的に行なっています。橋上駅舎である新津駅も例外ではありません。
 さて、新津駅における節電対策を見てみましょう。



地震以来、エスカレーターを終日使用停止しています。尚、エレベーターが停まったのは数日間だけで、現在は通常通り利用できます。



新津駅には階段が1本しかなく、列車が到着するとどうしても混雑します。ラッシュアワーの時間帯には、乗車位置によっては改札に出るまで3分程度かかります。


 ここで紹介した他に、新津駅では日中時間帯のコンコースの消灯を実施しています。エスカレーターの使用停止や日中時間帯の照明の削減は、新津駅だけではなくJR東日本の多くの駅で実施されています。利用者には多少不便を感じるかもしれません。大津波により住まいから生活基盤から何もかも失われた被災者のことを思うと、ふつうに列車で通勤・通学できる我々は幸せです。
 あともう1点。電力が大幅に不足する夏場には、15%の節電を求められています。我々の努力で、計画停電無く夏場を乗り切りましょう。


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羽前大山に行ってきました(後編)

2011-04-19 00:09:47 | 羽越本線

駅に戻ると、出発の5分前。待合室を撮影し、ホームに上がります。



10時11分発の824D(キハ47-511+キハ47-1518)で村上に戻ります。何時の間にか、ホーム上にはスクロールの電光掲示板が設置されていました。折角なので、進行方向右側に陣取って。



11時41分に村上駅2番線に到着。この駅は終着列車が多く、2面3線の横に何本か側線を有する構内です。1番線と2,3番線の島は地下道で結ばれています。



改札を抜けて駅舎に入ります。3台の自動改札の向こうに、みどりの窓口とびゅうプラザ(土休日休み)があります。窓口営業時間は6:30~20:00です。天井の5匹の鮭がイヨボヤの駅であることをPRしています。リニューアル時に取り付けられました。



それでは駅舎撮影。昭和39年6月築の国鉄後期様式の駅舎ですが、「むらかみ町屋再生プロジェクト」の一貫として平成17年6月にレトロ調にリニューアルされました。改札外のトイレが左端にあります。一方、改札の右手には待合室があり、駅舎の右隣はNEW DAYSがあります。



駅舎前には日本庭園が形成されています。ちょうど、椿が咲いていました。



新潟方に視点を移して。左端には主水桜が植えられています。今年は、見頃が4月の第4週ではなかろうかと思います。



駅前の様子。「歓迎 瀬波温泉」と常夜灯状のモニュメントがあります。観光案内所などがあるだけで、全体的に寂れています。駅裏の防風林の向こうは、原信とクスリのコダマが進出して賑やかになっています。



ロータリー左側には汽車の碑があります。作曲家・大和田曼羅の出身地ということで、東京村上郷友会100周年を記念して建立されました。現在は自動一括放送が導入されて消滅していますが、長らく村上駅の入線メロディーとして親しまれました。



そろそろ出発の時間となりました。12時22分発の936M(115系L9編成)で新潟に帰りました。ご無沙汰している間に、バリアフリーの跨線橋が出来ていました。財産票を見ると「平成23年3月15日」なので、ほんの最近新設されたのですね。



話が変わりますが、一昨日(2011年4月17日)、放射能漏れが拡大している福島第1原発について東京電力からある発表がありました。放射能漏れの拡大が収まるにはおよそ3ヶ月、炉心の冷温停止、すなわち安定化には6ヶ月~9ヶ月かかるというものです。この福島第1原発の事故により、周辺地域の住民が避難を余儀なくされており、また、福島県産の農産物が出荷停止となり、日本国自体が諸外国から風評被害を受けています。電力供給が安定せず、新潟地区でも現在も間引き運休が続いています。福島第1原発の問題は、我々にとって最も重要な問題です。我々の叡智を結集して、一刻でも早く福島第1原発を安定化させるべきです。放射能漏れが続いている限り、地震からの復興はありません。


次は、2011年3月5日の乗り継ぎ旅の模様をお伝えします。


参考サイト   さいきの駅舎訪問


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羽前大山に行ってきました(前編)

2011-04-16 00:27:03 | 羽越本線

最新の駅舎訪問レポートとして、2011年4月9日(土)の乗り継ぎ旅の模様をお伝えします。改築後初めて、列車で羽前大山駅を訪問しました。これにより、2011年春の「青春18」をようやく使い切ることが出来ました。



新津6時16分発の、羽越本線823D(キハE120-3+キハ110-216)で出発。5時20分に起きたので、コーヒー飲んでも眠いです。桑川では、ENEOS貨物を追い抜きました。



8時50分に羽前大山駅に到着。この駅で複線から単線に変わります。かつて貨物を取り扱っていたこともあり、島式ホーム1面2線+側線2本の構内です。



まずはホームから見える景色を。遥か向こうに出羽三山を望みます。駅裏は工業団地が分譲中です。



それでは駅舎を。財産票は「平成23年1月7日」となっていますが、この駅舎は昨年(2010年)12月18日に供用開始しました。大正8年の開業以来のアカマツの木が大切に残され、その佇まいに配慮した駅舎に仕上がっています。(羽前大山駅 公式パンフより)トイレは改札内にあります。



次に、駅舎内部の様子を。委託ながらも窓口があり、営業時間は7:00~12:00、14:00~16:30です。自動券売機もあり、それ以外の時間帯でも対応できるようになっています。また、待合室は開放的なつくりで、清酒どころらしく天井に杉玉が吊り下げられています。



ある場所を目指して周辺散策。駅前は古い住宅地で、付近には漬物工房・本長もあります。



長浦の蔵の交差点を右折して、撮影場所を目指します。すると、三角屋根の農業倉庫に出会いました。如何にも庄内らしい風景です。



陸橋を越えて田んぼに出たところでロケハンします。待つこと10分近く、「いなほ6号」が新潟方面に向けて通過しました。国鉄色の485系T18編成 予想だにしていなかっただけにでした。尚、その少し前には、ENEOS貨物が酒田方面に向けて走りました。



折角なので、酒造博物館に向けて歩きます。すると、宝昌寺を通過しました。桜が満開になると、さぞかし趣のある景観でしょう。



撮影場所から歩くこと5分、史跡・石敢当に到着。中国の石神信仰により旅の無事の願って建てられたものであり、東北地方では極めて珍しく、山形県指定文化財となっています。



酒造博物館はその付近にありました。清酒・出羽ノ雪を醸造する㈱渡會本店です。出発まで30分余りとなりましたが、折角なので入ります。「狐」「猿」と呼ばれる昔ながらの醸造道具があり興味深かったです。


今回は駆け足で観光した上で試飲もしたので、今度はじっくり見たいです。Aコープにて出羽ノ雪を購入し、駅に戻ります。尚、大山地区には、いま紹介した渡會本店の他にも酒蔵が3つもあります。


つづく


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高田お花見号(2011.4.10)

2011-04-13 00:06:34 | 新潟の鉄道

 新潟地区の臨時列車の記事を1つお伝えします。
 2011年春は、東日本大震災により相次いでイベント列車が運転取り止めとなりました。そんな中、唯一運行されていたイベント列車がありました。それは、新潟発高田行きの「快速高田お花見号」です。4月8日から10日まで運転されています。
 それでは、2011年4月10日の「高田お花見号」の模様を見てみましょう。



信越本線2534Mが発車した直後の11時46分、当該列車は新潟駅6番線に入線しました。








「高田お花見号」に運用された車両は、新潟車両センターの485系R25編成。DJダイヤ情報では8両編成となっていましたが、観光客が少ないと見ていたせいか、増結なしの6両編成です。ロ室通路扱いで指定席は1~4号車、自由席は5,6号車です。リネンは特急運用時と同様に、全て取り付けられています。



HMは特に装飾が無く、LEDの「快速」表示。側面もまた然りです。


この後の予定があったこともあり、新潟から新津まで乗車しました。11時56分に新潟駅を発車。高田城跡の桜がつぼみということもあり、この日の自由席の乗車率は3割くらい。指定席は、4両合わせて十数人。



12時10分に新津駅2番線に到着。ここで5分間停車します。この後、加茂、東三条、見附、長岡、柏崎、柿崎、直江津と停車し、終点・高田には14時26分に到着します。


帰り便の高田発が19時34分で、新潟着は21時55分です。高田城の桜のライトアップも楽しめるダイヤです。尚、今年は、さくらロードのライトアップなどが中止となっています。


尚、「高田お花見号」は、15、16、17日も運転されます。この頃には肝心の桜も見頃になるのではないでしょうか。花見の足に、どうぞご利用下さい。あの地震から1ヶ月経ったので、自粛モードもそろそろ終わりにしましょう。



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久留里線全駅下車の旅(その9)~市川駅~

2011-04-10 00:34:33 | 総武線

総武緩行線1583Bは、15時50分に市川駅1番線に到着。



1,2番線から構内を。快速列車が停車する駅で、2面4線+通過線2本の構内です。総武快速線の列車がここでN’exに抜かれるシーンがしばしば見られます。


市川駅は各番線に珍しい発車メロディーが使用されています。折角なので、全番線の発車メロディーを録音してからコンコースに下ります。



まずは千葉方にある改札を。左隣にトイレがあります。改札を抜けるとそのまま、地下街・Shapoに出ます。


錦糸町方の正式な改札を出ます。左手には、手前からNEWDAYS、ドラッグストア、喫茶Restと並んでおり、向かいはBeck's coffeeです。右手にはKIOSKがあります。



みどりの窓口に出ます。びゅうプラザも設けられており、営業時間は7:00~21:00です。錦糸町方に進むと、再びShapoに出ます。



まずは北口に出ました。まるで新幹線の駅のような外観です。駅前からはバスが多数発着し、ロータリーの中心部はタクシープールです。



駅前の様子。ダイエーが横にあり、何かと買い物しやすい駅です。周辺も飲食店などが多く、賑やかです。



自由通路を通って、南口に出ました。テラス付きの高架駅に生まれ変わりました。市川市はレトロな町並みをつくろうとしており、ロータリーが大正から昭和初期の雰囲気です。



例のテラスから駅前の様子を。北口とは打って変わり、閑静な住宅街です。アパートやマンションも多いですが。



付近のローソンで買ったLチキで休憩した後、「I-linkタウンいちかわ」の3Fへ。ここを基点にして高層マンションが聳え立っています。45階には展望台があり、そこから望む眺望はさぞかし素晴しいでしょう。


時間の都合上、展望台に上がらずに駅に戻ります。16時44分発の1544F(E217系Y121編成+Y16編成)に乗車して荒川を越えました。17時2分に東京駅に着いたので、16分発の「とき373号」(200系K26編成)で新潟に帰ります。自由席はガラガラ。おまけに、東京、上野の発車時には自動放送が流れず。



19時28分に新潟駅12番線に到着。その後、45分発の信越本線2554M(115系L11編成+N26編成)に乗り換え。


20時6分に新津駅3番線に帰還。東京駅で購入したぶどうの樹は超美味かったです。


途中、震災関連の記事をUPしたため1月かかりましたが、無事に久留里線の旅を終えることが出来ました。久留里線は車両といい、スピードといい、衝撃的な路線でした。私はヨドコウの駅舎というのが。首都圏に暮らす鉄道ファンにとっては、最も身近なローカル線の1つではないでしょうか。


次は、新潟地区の臨時列車を公開したいと思います。


久留里線全駅下車の旅  おわり


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久留里線全駅下車の旅(その8)~本八幡駅~

2011-04-07 22:33:13 | 総武線

下総中山では30分ほど滞在。15時15分発の1417C(E231系10編成)で次なる駅へ。



15時18分に本八幡駅に到着。下総中山駅と同様に島式ホーム1面2線+通過線2本の構内ですが、ホーム上にKIOSKがあります。



コンコースに下りるとトイレがあり、そこにはエキナカのショッピング街・Shapoに繋がるもう1つの改札があります。


件の改札口とは反対側にある正式な改札口から出ました。左手に駅そば屋、右手にVIE DE FRANCEとNEW DAYSがあります。



自由通路の左手にはみどりの窓口があり、営業時間は7:00~21:00です。真っ直ぐ進むと再び「Shapo」に入り、東京都交通局新宿線の本八幡駅に繋がっています。



階段を下りて、北口に出ました。わずかな高低差でもエレベーターが設けられています。「Shapo」への入口と隣接しており、右手には外資系の喫茶店と隣り合っています。



駅前の様子。とにかく賑やかな一帯です。写真の右側には「patio」という複合商業施設。左側にあるビルはハタビルで、アミューズメント施設や居酒屋が多数入居しています。



南口に出ました。こちらもエレベーターがありますが、階段が左右に伸びており、北口とは一味異なる姿を見せています。ロータリーにはタクシーが整然と並んでいます。



駅前の様子。駅舎の向かいにマツモトキヨシがあり、周辺にまんが喫茶が何軒もあるなど、こちらも賑やかな一帯です。


そういえば、久留里線駅巡りを終えるととなり、今にも雨が降り出しそうです。一通り発車メロディーを録音し、15時48分発の1583B(E231系39編成)で本日最後の下車駅へと向かいました。尚、本八幡駅の発車メロディーは、小岩駅と同じ組み合わせです。


つづく



 この場を借りて、皆様に御挨拶致します。
 「クハ481-103の駅巡り旅のページ」は、本日で開設してちょうど1400日目を迎えます。周知の通り、少しずつでもJR全駅下車を目指しています。
 しかしながら、家の事情などにより、駅巡りのペースを大幅に落とさざるを得なくなりました。よって、タイトルを含めまして、近々このブログをリニューアルする予定です。これからは、駅巡り旅の記録と共に、新潟の鉄道情報をふんだんにお伝えする予定です。新潟駅の高架化工事がいよいよ本格化するし。
 駅巡りの楽しさと共に、新潟地区の鉄道事情をもお伝えできたら幸いです。これからも、このブログを宜しくお願いします。


2011年4月7日   クハ481-103


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