クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

2010年新春乗り継ぎ旅(その1)~塩崎駅、日野春駅~

2010-02-27 00:18:28 | 中央本線
お待たせしました。これより、「2010年新春乗り継ぎ旅」の模様をお伝えします。勤務日などの都合で、1月2日の実施となりました。



出発は、新津0時6分発の「快速ムーンライトえちご」(485系K2編成)。元旦の新潟地方は大雪で、「北越」「いなほ」がほぼ全滅でした。そんな中、唯一動いていた新潟の485系といえばこれ。大幅に遅れていた信越本線2556Mの接続をとって、0時32分に新津駅を発車しました。しかし、もう1つ曰くがあって、私にとって、新潟の485系K編成による「えちご」を利用する最後の機会となりました


定刻5時10分に新宿駅7番線に到着。正月の東京は人が少なく、5時18分発の中央線481T(E233系T32編成)も余裕で座れるほど空いていました。


 
高尾にて427M(115系C14編成)への乗り継ぎに成功し、朝食タイムにします。これまでの乗り継ぎで最も空いており、始発からボックス独占。



7時58分に塩崎駅に到着。ホームは対面式です。2010年最初の訪問駅。



駅舎に出ました。改札は簡易Suicaです。駅員は居るものの窓口業務はありません。右側のコンビニが閉店されたものと思われます。



滞在時間は26分ですが、周辺散策します。南アルプスの山々を望む長閑な風景ですが、徒歩10分くらいの所にアピタがあったりします。



8時24分発の429M(115系C6編成)に乗車して、次なる下車駅を目指します。



8時42分に日野春駅に到着。特急列車を退避する普通列車も多く、2面3線の構内を有します。



跨線橋を渡り駅舎に出ました。明治37年12月の開業時からの木造駅舎が健在です。窓口業務はありませんが、駅員の居る時間帯は6:00~19:00(休み6回)です。


 
例によって周辺散策。上り線の松本方には給水塔が残っています。



駅前公園からの眺望。甲斐駒ケ岳など南アルプスの急峻な山々が手に取るように。晴れなので、清清しい気分になります。



件の展望台から徒歩8分でオオムラサキセンター。こんどは八ヶ岳の目の前です。短い時間なので、立ち寄る時間はありません。


大糸線の駅巡りを始めるべく、9時30分発の431M(115系N12編成)に乗車して松本を目指します。


続きはこちら
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惜別 大糸線のキハ52系

2010-02-23 22:35:21 | 信州地区

 再びダイヤ改正関連の話をします。今回は大糸線のキハ52系です。
 1957年に登場したキハ20形。勾配路線用にエンジンを2台積んでその派生形として登場したキハ52系。1958年から1966年にかけて新潟鐵工所と帝国車輌で112両製造され、日本各地の山岳路線で活躍してきました。そのキハ52系も老朽化の波には勝てず、2007年春には盛岡地区から、2009年春には新潟地区から撤退しました。そして、今春の改正で大糸線から撤退しキハ120系に置き換えられます。それは、キハ52系の定期運用終了を意味します。
 さて、JR西日本北陸地域鉄道部糸魚川運転センターに配置されているのは3両。「キハ52 115」はクリーム4号と朱色4号。「キハ52 125」は黄褐色2号と青3号。「キハ52 156」朱色5号です。いずれもオリジナルのDMH17Hエンジンを装填し、多くのファンから支持されていました。
 ただ申し上げるだけでは満足しないので、2010年1月23日(土)に糸魚川に行き小滝まで惜別乗車してきました。


 10時26分に糸魚川駅に到着。キハ52 156がお出迎え。



大糸線428Dに乗ってきます。「キハ52 115+キハ52 156」の2両編成です。



反対側からもいきます。当然ながら、多くのファンの注目の的です



車庫には「キハ52 125」。「434D~433D」の運用に入るものと思われます。尚、この煉瓦車庫は、北陸新幹線の工事に伴って今月末で運用を終了し、取り壊される予定です。



車内の様子。多くの同士が居り、御覧のような盛況ぶりです。



11時4分に小滝駅に到着。交換設備が撤去されて棒線駅となっています。私と同じことを考えてる人々が何人も居ました。


 
ついでに428Dを後追い。撮れる場所にはプチ行列が形成されており、この場所もやっと取った次第です。



ここからは通常の駅巡りになりますが、駅全体です。昭和10年11月築の木造駅舎が健在です。駅前にはが何台も。


 
かつては有人駅でしたが、無人化されて御覧の状況です。待合室の中は、11時50分頃までロケハン組に埋め尽くされていました。



周辺は発電所だけで人家は無いですが、1時間あるので周辺の有名撮影地へ。空地には車が何台も駐車し、三脚の放列が形成されていました。私が乗った列車も注目の的でした。


 
12時24分発の427Dで糸魚川に戻り、お名残乗車は終了です。428D以上に混雑していました。


最終日は平日ですけど、恐らく凄い人出でしょう。改正後に走るキハ120はどこからもってくるのでしょう。わざわざ新製するとは考えにくいので、高山本線用を活用するでしょう。ひょっとしたら、岡山から3両コンバートされるのか…。


一先ずダイヤ改正の話は終了です。次は、「2010年新春乗り継ぎ旅」をお伝えします。

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ムーンライトえちご 183系化

2010-02-19 20:59:44 | 新潟の鉄道

 ここでは駅巡りを少し離れて、2010年の3月13日のダイヤ改正関連の話をします。
 このダイヤ改正の目玉は何か。①「北陸」の廃止と「能登」の臨時列車化、②大糸線のキハ52形の運転終了、③「雷鳥」の1往復化と短編成化(繁忙期以外は6連に)、④東海道・山陽直通「のぞみ」のオールN700系化、⑤鹿児島本線などでの新駅の開業、⑥「ムーンライトえちご」の車両変更(485系から183系へ)、といったところでしょう。今回は6番について説明します。
 2003年3月31日以来、「ムーンライトえちご」には青森から新潟に転属した485系が運用されてきました。K1編成、K2編成の2編成があり、星空を模したリクライニングシートが設けられていました。2009年の3月改正により臨時列車に格下げされ、これらのK編成による「えちご」は、2010年1月11日の運転をもって終焉しました。今回のダイヤ改正で「能登」から489系H編成9連が撤退し、代わって現在の新潟のK編成が登板することになります。それに伴って、「えちご」は183系の
幕張車または大宮車に替わるというわけです。
 『鉄道ダイヤ情報3月号』によれば、春シーズンの「ムーンライトえちご」には、3/25の下りと3/26の上りを除いて、幕張車(31編成、32編成)が登板するそうです。ちなみに、これらの183系は旧「あずさ」色です。夜間減光装置は装着済みなので、昼行列車の眩しさで一夜を過ごすことはないと思います。
 最後になりますが、最近のK編成の動向を見てみましょう。



冬シーズンの「えちご」の運転が終了した後、「北越2号」~「北越5号」の運用を用いて、K編成「能登」の習熟運転が実施されました。私が知る限りでは、1/17、18、20、28日に行なわれたようです。写真は、1055Mで到着したK2編成と白新線1941Mの並び(2010.1.28)。



新潟で見るK編成の最後?の姿。2月11日あたりからK編成が度々「くびき野」に入っています。写真は、2月13日の「くびき野2号」(K2編成)。


「快速ムーンライトえちご」もいよいよ末期に入りましたね。一日でも早く旧あずさ色の「えちご」に乗りたいですけどね。多分、「臨時」でしょう。

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高徳線全駅訪問の旅(その13)

2010-02-16 22:49:54 | 四国地区

2009年の駅巡りの締めに選んだのは栗林公園北口駅。ある名勝を観光するため、2時間近く滞在します。地形の関係上、階段を下りて地上に出る形に。



階段を下ると、券売機と時刻表。勿論、無人駅です。トイレはありません。ここに降り立って、高徳線全駅訪問達成



徒歩5分で栗林公園の入口。入園料は400円。しばらくの間、私と共に栗林公園をお楽しみ下さいませ。


 まずは芝生広場を通り抜け、潺湲池へ。



左手に振り返ると芙蓉沼。一面の蓮ですが、さすがにこの時期は茶一色。真夏から初秋には綺麗な花を咲かせるでしょう。



檜御殿跡の広場を通過し、商工奨励館へ。香川漆器などが展示されています。ここで土産物を購入。


 
西のルートを辿り、涵翠池へ。松の向こうには掬月亭。



新日暮亭に寄ってみました。中には入れませんでしたが、土間が保存されていたりします。


 栗林公園最西端。桶樋滝と石壁(赤壁)です。


 
ついでに会僊巌へ。西湖の向こう岸には唯一残る紅葉が。皆が盛んにシャッターを切ってました。


 古潭を見て園内最南端へ。



南湖の楓岸をトレースすると掬月亭が水に浮かんでいるように見え、いよいよ栗林公園のハイライト。



さぬき地ビールのスタンドを見送り、飛来峰へ。栗林公園を象徴するといっていいくらい、素晴しい景色が広がってきました。下の橋は偃月橋。


 こんどは偃月橋の上から。



もう一つの築山・芙蓉峰から北湖と紫雲山を。少し分かりにくいかと思いますが、赤い橋がアクセントとなって、これまた栗林公園を象徴するほど絶景です。



正面口をスルーして群鴨池を辿れば、そろそろ栗林公園散策も終わりです。昼食無しでもいい時間になりました。



観光を終えた後は、駅近くの稲荷神社でお礼参り。その後、12時35分発の4330D(1514)に乗車して高徳線駅巡りを終えました。



12時41分に高松駅1番乗り場に到着。「連絡船うどん」に直行し、きつね天ぶっかけうどんで昼食。


ミニストップでWAONをチャージした後、13時10分発の快速「マリンライナー34号」(223系P5編成+5000系M1編成)に乗車し、さぬき地ビールで打ち上げ。510円払って指定を取りましたが、自由席も混雑していないので殆ど意味無し。


岡山からは山陽本線1318M(115系A04編成)と新快速3490M(223系V41編成+V55編成)を乗り継いで大阪へ。阪急梅田駅への連絡通路上のマックでWAONを使った後、17時20分発の宝塚行き急行とモノレールを乗り継いで伊丹空港へ。


JMBマイレージカードをチェックイン機にかざすと、「天候調査中のため搭乗手続き一時中止」。18時15分に再びアナウンスがあり、何とか18時55分発のJAL2251便に乗れました。しかし、天候次第で羽田空港にダイバートする可能性を孕んだフライト。ところで、JAL2251便については再びシップチェンジが実施され、この日はB737-800型機(JA318J)でした。


フライト前の心配事は杞憂に終わり、20時18分に新潟空港に着陸。リムジンバスで新潟駅に着くと、信越線がやっと動き始めたところで、21時5分発の460M(115系L1編成)に乗れました。25分遅れでの運転で、21時50分に新津駅に帰還しました。新潟地方が大雪で陸上の交通機関がまともでなかったので、帰りに航空機を利用して正解でした。


おわり

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高徳線全駅訪問の旅(その12)

2010-02-13 23:41:48 | 四国地区

9時38分に屋島駅に到着。ちょうど、単行のキハ40の並びが実現しました。尚、この駅は高徳線最西の追抜き可能駅で、2面3線の構内を有します。


 駅舎に出る前に駅名標を。



駅前に出ました。大正14年7月29日築の細長い駅舎ですが、近年リニューアルされたに違いありません。NPO法人・JR屋島駅盛り上げ隊により管理されている駅で、窓口営業時間は7:00~11:30、14:00~18:00(水曜定休)です。この日は年末年始の案内も出ており、12/29と大晦日は営業し、新年は2日から営業を再開したそうです。尚、名誉駅長は、ぽんぽこ「ポン」です。



駅前の様子。住宅地の正面に屋島が聳え立っています。徒歩10分の所に四国村があり、学生時代に行ったことがあります。


散策がてらに木太町駅まで駅間徒歩を敢行します。交差点を左に曲がり、ひたすら県道155号を進みます。



市街地を20分ばかり歩いてセルフうどん店を見つけた頃、ようやく春日川を渡ります。光線状態もいいし、列車が通れば面白そうですけど。左岸には車学があったりするし…。



もう10分近く歩くと、こんどは新川を渡ります。ちょうど「うずしお5号」が通過していきました。(露出がアンダー過ぎたので補正しました)


さらに3,4分歩くと、「木太町」のバス停。地図を良く見ると、木太町駅が目の前ではあるまいか!いちかばちかで歩いたけど、結果的には大成功でした。小腹が空いたので、向かいにあるセルフうどん店に吸い寄せられそうに。でも、ここで昼飯にすると更に1時間待ちなので我慢です。



古い住宅地に少しだけ入り、10時23分に木太町駅に到着。この通路の先にはホーム。この駅は、片面ホーム1面と券売機のみの無人駅です。高徳線全駅訪問完了まであと1駅ですが、この体裁の駅に当たったのは今回だけで5駅目です。


 駅名標。



10時31分発の4328D(1246)がやってきて、高徳線最後の未乗降駅を目指します。



10時37分に栗林公園北口駅に到着。この駅も棒線駅です。



外に出る前に駅名標を。駅名が長いので、他駅と体裁が若干異なります。


つづく
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高徳線全駅訪問の旅(その11)

2010-02-11 22:33:34 | 四国地区
2009年12月20日(日)の朝となりました。6:50に起床。お握り3個とサラダの朝食などを済ませ、7:45頃にチェックアウト。高徳線のダイヤの都合上、高松駅ではなく昭和町駅まで歩きます。



宿から信号を3つ越えたところに中央公園。昨日はXmasのイルミネーションの点灯式があって多くの市民で賑わっていたそうです。あらかじめ分かっていれば見に行きたかったな~。ここから針路を南から西に変えます。



しばらくして高松高校の前を通過し、香川大学(教育学部)のキャンパスへ。いわば高松の文教地区といったところでしょうか。


そして、ガラス張りの菊池寛記念館&中央図書館の前を通過し、サンクスに立ち寄ってTully's Coffeeを購入。昭和町駅は目の前です。尚、向かいにはデオデオがあったりします。


8時21分に昭和町駅に15分残しで到着。駅舎はなく、片面ホームと券売機のみの無人駅です。



まずは時刻表から。土休日運休を含めて1日35往復停車します。



続いて駅名標。高松の隣駅です。ホームが狭いため、これにしかなりません。



そろそろ出発の時間です。8時36分発の325D(1253+1254)に乗車して栗林駅へ。



8時41分に栗林駅に到着。交換可能駅で、島式ホームの1面2線です。


 
まずは駅名標。昭和町駅から2つしか進んでいません。



続いて時刻表。16往復中15往復の「うずしお」が停まる駅で、土休日運休の普通列車を含めると1日50往復停車します。


ようやく改札に出て、「青春18」に本日分の日付を入れてもらいます。窓口営業時間は7:00~20:00です。



更に階段を下りて駅前に出ました。栗林駅は3階建ての高架駅で、窓口や改札などは2階にあり、1階はKIOSKやよんてつ不動産です。北隣はチャペルです。


栗林での滞在時間は45分。観光通りまで歩いてきました。周辺はビルが立ち並ぶ市街地ですが、うどん屋は見つからず。尚、駅の向かいには大きなコープがありますが、時間帯が時間帯だけに開店前。



改札に上がると、左側に「うずしお6号」がやってきました。9時30分発の4327D(キハ40 2147)に乗車し、更に2駅進みます。


つづく
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高徳線全駅訪問の旅(その10)

2010-02-09 21:14:41 | 四国地区
先日は失礼致しました。そろそろ四国旅行に戻りましょう。


 山門をくぐって間もなく、左手にある多宝堂へ。



いよいよ本堂へ。お遍路さんの格好をしていませんが、とりあえずお参り。隣の学生風2人組はお経みたいなのを唱えていましたが、私は「のうまく さんまんだ ぼたなん ばく」と唱えただけですが。



駅に戻ると列車が入ってきて、ついつい駆け込み乗車。しかし、4350D(1005)は4分停車で、進行方向左側の駅名標を撮影。板東駅の駅番号は「T05」。



15時11分に阿波川端駅に到着。ホームは片面1面のみです。1200形の増備が進み、1000形は数少なくなりました。



駅名標です。板東駅や霊山寺は鳴門市でしたが、ここは板野町です。



駅舎に出ました。片屋根の少し変わった駅舎です。5,6人は座れる待合室がありますが、無人駅です(券売機あり)。トイレも併設されています。



駅前の県道を横切って、心臓破りの急な階段を上り、諏訪神社へ。高徳線全駅訪問達成を誓ってきました。


 神社からの眺望。眼下には徳島の街が広がっています。


15時33分発の4351D(1005)に乗車し、再び徳島市へ。板東まではお遍路さんの姿も。



15時48分に吉成駅に到着。交換可能駅で、対面式ホームの2面2線+保線用側線1本の構内です。もともと2面3線だったと思われます。



2番乗り場の駅名標。「さこ」にはナンバリングがありません。それにしても、落書きが酷いです。尚、駅裏はセイケングループの事務所です。



駅舎です。開業当時からの木造駅舎ですが、国鉄末期にリニューアルされたそうです。自転車置き場はなく、駅前は自転車の海です。



内部の様子。以前は駅員が居ましたが、現在は無人化されて窓口が閉鎖され、券売機に取って替えられています。



滞在時間が31分あるので周辺散策。閑静な住宅地ですが、水田からは四国化成の煙突が。その南方には東亜化学の工場があり、線路から向こうはいわば「化成地帯」です。


16時19分発の362Dに乗車して本日の駅巡りは終了。「キハ47 502+キハ47 145+キハ47 1120+キハ47 177」の4連で、車内はガラガラの極み。これは土曜の夕方だからであり、平日は帰宅の高校生などで満員になるでしょう。



阿波大宮では9分停車。もう1度チャンスをもらったので、再び駅舎撮影。さすがに例の建設会社の社員が引揚げており、スッキリと撮れました


引田では21分停車し、後ろ2両を切り離し。車より遅い普通列車なのか、乗車率は思ったほど上がらずに18時58分に高松駅に到着。今夜は東横イン高松兵庫町で1泊します。夕食は、モール内の「うどん市場」にてセルフうどん。セットメニューに天麩羅を3つ加えたので夜食は要りません。


つづく
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新潟市 26年ぶりの大雪

2010-02-07 18:45:54 | 新潟の鉄道

 四国旅行の途中ですが、ここでひとつ緊急レポートです。
 2010年2月3日~6日にかけて、新潟地方は大雪となり、5日には新潟市で26年ぶりに81cmの積雪を記録しました。これにより、JRをはじめ交通機関がマヒし、13万5000人に影響が出ました(2010年2月6日 朝日新聞)。これより、特に影響が大きかった4~6日の模様をお伝えします。


 2010年2月4日(木)。信越線423Mはほぼ定刻どおりに来ましたが、越後石山駅付近のポイント除雪により抑止され、新潟駅に到着したのは8時頃。白新線1625Mには乗り継げましたが、こんどは東新潟~大形での除雪作業により新潟駅を発車したのは9時近く。結局、会社に着いたのは9時半でした。
 問題だったのは仕事を終えて帰る時。17時10分頃に大形駅に着きましたが、12分発の942Mは運休。35分発の1658Mに乗ることになるのですが、これがとんでもない遅れで、「いなほ9号」が新発田駅に到着した後に、新発田駅を発車したというもの。結局、列車に乗れたのは18時34分でした。それだったらバスで帰ればといいますが、新潟市内のバスが8路線運休し、「大形駅前」を通るバスも対象に入っていたので、これしか手段がありませんでした。



白新線1658M(115系L5編成)は、18時42分頃に新潟駅に到着。この状況なので、そのまま55分発の信越本線454Mで帰りました。ちなみに、「北越」は終日運休でした。また、新潟空港発着便も全て欠航。


 2010年2月5日(金)。前夜から雪が激しく降り積もり、家の前はヤバいことになっていました。この日も出勤なので、信越線423Mに乗るべく新津駅に向かいました。7時に到着すると、磐越西線が運転見合わせで、6時16分に発車するはずの羽越線823Dが出発しました。ほどなくして、定刻6時35分発の信越線421M(E127系V7編成+V4編成+V12編成)に乗りましたが、ほどなくして「只今、越後石山駅付近で除雪作業を行ないます。作業が終わるのは10時頃を見込んでおります。この列車は、除雪作業終了後発車出来る見込みです。」とのアナウンスが。見事に通勤時間帯を直撃する形に。さすがに私も休ませてもらいました。このことは社会人になって初めてです。



改札前で運転状況を見る人々(11時45分頃)。結局、信越本線、磐越西線、白新線、越後線は、除雪作業のため20時過ぎまで運転見合わせでした(弥彦線は終日)。「北越」は1号&2号(直江津~金沢)のみで、「いなほ」は終日運休。ちなみに、新潟空港発着便は夕方まで欠航。


 2010年2月6日(土)。相変わらず雪が積もっていましたが、今度は強風も吹き荒れていました。10時半近くに新津駅に行ってみると、上越線(水上以北)が終日運休で、信越線が大幅な遅れで運転されていました。1時間半遅れの信越線431Mに乗車しましたが、荻川~亀田間が猛烈な地吹雪。



431Mに運用された115系L3編成。新潟駅は凄い雪になっていました。



信越線、越後線、白新線ともまともに動いておらず、電光掲示板も取りあえず発車できるものしか出ていません(この時間帯は信越線2532Mのみ)。白新線は新潟~豊栄間の折り返し運転だったそうです。



優等列車(「くびき野」「きらきらうえつ」を含む)は全て運休でした。ちなみに、新潟空港発着便は全便欠航でした。


 7日(日)は強い冬型の気圧配置が緩んできましたが、除雪作業のため白新線は午前中一杯運転見合せでした。

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高徳線全駅訪問の旅(その9)

2010-02-05 17:34:56 | 四国地区
お昼にしたいところですが建設会社の社員が休憩中なので、県境方面へ散策します。阿波大宮駅から900mの所に大坂峠番屋跡がありますが、滞在時間が1時間無いのでぶらぶらして撮影場所を探します。



駅入口にて面白そうなポイントを見つけました。すると、3両編成の「うずしお9号」が駅構内に入りました。その後、「うずしお14号」が発車しましたが、後ほど掲載する予定です。



その後、駅舎を撮影。もともとは有人駅でしたが、無人化されて窓口が閉鎖されています。件の社員がまだ引揚げていないので、早めにホームに上がります。



13時8分発の4340D(1506)に乗車し、再び讃岐山脈を越えました。この区間も播磨灘の絶景をチラッと見ることが出来ます。



13時15分に讃岐相生駅に到着。交換可能駅で、対面式ホームの構内です。


 駅名標。再び香川県に来ました。



いよいよ駅舎撮影。昭和10年9月13日築の木造駅舎です。トイレは跨線橋の袂に。



中に人はいないので、駅舎内部の様子をレポート。「きっぷうりば」とありますが、無人化されて完全に閉鎖されています。その後、「阿波鶏めし弁当」で遅めの昼食タイム。



滞在時間が56分確保したので、再び海端に出ます。向こうには、毛無島、通念島、松島(いずれも無人島)が望めます。香川県の海は青いですね。ここに15分は居たでしょうか。


14時11分発の4343D(1231)に乗車し、再び徳島県に入ります。この列車には車掌が乗務していました。



14時31分に板東駅に到着。交換可能駅で、対面式ホームの構内です。



駅舎に出ました。昭和8年7月築の木造駅舎です。高徳線で唯一、丸ポストです。トイレは別棟。



駅舎内部の様子。無人化されて窓口が閉鎖され、代わりに券売機が設けられています。「88ヶ所巡り」の起点の駅らしく、遍路の案内が載っています。



滞在時間が31分しかありませんが、思い切って1番札所・霊山寺に行ってきました。駅から10分ほどで到着。


つづく
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高徳線全駅訪問の旅(その8)

2010-02-03 23:12:57 | 四国地区

三本松駅前には、ぶどう餅の本舗である巴堂が。欲しくなったので中に入りました。



とりあえず、今日のおやつとして5本入り(370円)を購入。(日持ちがしないので、家内の土産にはしません。)「ぶどう」は「武道」のことで、小麦でこし餡を包んだ、いわゆるお茶受けの饅頭です(グレープ果汁は入っておりません!)。


11時3分発の4329D(1506)に乗車し、再び徳島方面へ。



11時10分に引田駅に到着。単行気動車が3つ並びました。昨年(2009年)10月の両数改正により、単行が随分増えた気がします。


 昼間なので駅名標を。



もう1回降りたので、改めて駅舎撮影。窓口営業時間は7:00~9:10、9:40~10:15、15:45~20:15なので、この時間は無人でした。



滞在時間を64分確保したので、引田の町を散策。駅から5分ほど歩くと古い商家の立ち並ぶ町並みに出ます。各家には由来の書かれた案内板があります。


 最初に入ったのはひな人形の蔵。



そして、最大の目的地・讃州井筒屋敷(右側の和風の建物)へ。香川県観光局によるアンケートに答え、母屋へ。障害者手帳を持っていたので、150円で入れました。尚、敷地内には手袋などの専門店がいくつかあります。



母屋内の和室にて。ちょうど、「旧家の屏風と正月展 ~冬のしつらえ~」が行なわれており、各座敷にはかんざしと屏風の組み合わせが見られました。



中には和風庭園が。かんざしの花が風情を出しています。 



別の部屋では酒瓶と醤油差しが。この屋敷は旧井筒屋(旧佐野邸)で、酒と醤油の醸造で栄えました。


 
その後、17年前まで操業していた工場の中の手袋工房へ。東かがわ市は日本一の手袋産地です。この手袋は「世界一長い手袋」としてギネス登録されており、全長は12.5mあります。



その後、12時14分発の4335D(キハ40 2144)で引田の町を後にします。国鉄型車両は非力で1000(1200)・1500形の倍近くの時間で讃岐山脈を越え、12時30分に阿波大宮駅に到着。島式ホーム1面2線の構内です。以前は2面3線だったかもしれません。



駅舎に出る前に駅名標を。阿波大宮駅の駅番号は「T08」。


駅舎に入ると建設会社の作業員が休憩中なので、まずは周辺散策です。


つづく
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