クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

おおさか東線全駅下車(その4)~激旅の締めは島本駅~

2008-03-27 21:33:55 | 東海道本線等
JR河内永和14時50分発の2469S(201系ND606編成)に乗車し、次の高井田中央に降り立てば、開業初日にしておおさか東線全駅下車も達成しました。



阪神高速の真下にある高架駅ですが、西口しかありません。唯一撮影できるポイントは、ご覧の通り立ち話が続いており終わる気配はないですが、無理矢理撮影 しました。かといって、「ベストポジション」では完全に逆光になってしまいます。尚、スタンプの題は「匠集う東大阪の北の玄関口の駅」です。地下鉄中央線との乗換駅です。


ミニストップで缶コーヒーを2本買った後、15時21分発の2473S(201系ND606編成)で放出に帰還しました。今度こそは途中下車しました。


 平成14年改築の橋上駅舎です。


駅に戻ると、発車表示が1列車分ずつ遅れるというトラブルに見舞われ、15時54分発の4537B(321系D15編成)で尼崎方面に向かうことに。



15時56分に鴫野に到着です。ひさびさに「日常」の駅に降り立ち、スタンプは余裕で押せました。少し古めかしい、単通路の高架下の駅で、トイレは超コンパクトにまとめられています。ホームは対面式です。地下鉄今里筋線との乗換駅です。尚、スタンプの表題は、「大坂冬の陣 古戦場の駅」です。


放出で1列車分だけ遅れてしまったので駅構内調査のみに済ませ、16時12分発の4539B(207系S52編成+T4編成)でJR東西線を走破して尼崎に帰還しました。13分の乗り継ぎで、同駅16時46発の高槻まで快速の798Tに乗車して、上淀川橋梁を越えました。221系B8編成のみで車内は激パでしたが、大阪で客が入れ替わり、何とかボックス席の窓側を確保しました。(実はこれを狙ってたのさ)



17時18分に、開業初日の島本に到着です。山々をモチーフにした橋上駅舎です。島本町に初めてJRの駅が出来たということで、地元はお祭り状態で、自由通路には地元民の写真展がありました。スタンプの表題は、「名水百選 離宮の水のまちの駅」です。



駅近くには史跡・桜井駅跡があります。(これを狙って島本駅が立地されたともいえます)京都から西国につながる道の宿駅の1つです。延期元年(1336)足利尊氏の大軍を迎え撃つために京都を発った楠木正成が、この宿駅で長子の正行に遺訓を残して河内に引き返されたことが太平記に記されています。このため、桜井駅は「父子訣別の所」とされています。



西口に出てみました。現在のところは田んぼや畑が多くて長閑な雰囲気ですが、数年後には何らかの変化があるかもしれません。


日暮れが近くなり、再び改札をくぐります。島本駅のホームは内側線のみの島式1面です。入線メロディーに小林亜星作曲の「人間みな兄弟~夜が来る」が使われるということで、上下線の入線音を録音してきますが、下り列車の到着と上り列車の到着が極めて近いダイヤの設定で、どうしても混線します。


録音が終了し、17時56分発の813Tにて撤収しました。翌16日は、伊丹から日航機で新潟に帰っただけなので割愛します。おおさか東線が新大阪まで開通したら、是非やりたいです。


おおさか東線全駅下車   おわり
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おおさか東線全駅下車(その3)~完乗の次は全駅下車~

2008-03-23 23:13:31 | 東海道本線等


久宝寺駅は、2面4線の橋上駅舎で、おおさか東線の列車は放出駅と同様、2番のりばが終着で、3番乗り場が始発で、快速電車と同じホームを利用します。改札口は記念入場券を買う人で混雑しており、改札を出る前にお昼を取りますが、快速列車の利用客もかなり多いため、ホームはいつも混雑します。


完乗した後は全駅下車に挑みます。12時41分発の2453S(201系ND606編成)にて新加美へ向かいます。



ほどなくして新加美に到着です。駅員はいますが、窓口はありません。おおさか東線の駅はすべてこれです。スタンプの表題は、「歴史の面影と町工場が共存する駅」です。向かいにはパチンコ屋があり、おおさか東線開業にあやかって大イベントをしていました。



目と鼻の先には関西本線の加美駅があり、折角なので訪問し、上下線の入線音を録音してきました。古いタイプの橋上駅舎で、バリアフリー設備はありません。



エスカレーターを上がって、ホームに入ります。新加美駅は、おおさか東線の中で唯一、ホームが対面式でカーブしています。13時24分発の2459S(201系ND601編成)でJR長瀬に進みました。



3分でJR長瀬に到着です。ここからは島式ホームです。スタンプの表題は「古き良き学生街へとつづく駅」です。


駅舎撮影が終了しデイリーへと歩いていきますが、ちょうど長瀬会の神輿が通っていきました。地元の人に聞いてみると、セレモニーが終わって引き上げていくところだという。ま、午前中に訪問したならば、満足に駅舎撮影できなかったでしょうが。

ホームに上がり、入線音を録音しますが、スピーカーが高いところにあり、音量がそこそこに抑えられています。13時59分発の2463S(201系ND613編成?)でJR俊徳道に進みます。



JR長瀬とJR俊徳道は目と鼻の先にあります。駅前は古い住宅が残っており狭いです。周辺は下町的な雰囲気です。



近鉄大阪線の俊徳道駅とは目と鼻の先にあります。近い将来、JR俊徳道駅と広場を挟んで一体化するかもしれません。



JR俊徳道14時30分発の2467S(201系ND601編成)に乗り込んで間もなく、JR河内永和に到着です。駅前にはパーク&ライドがつくられています。スタンプの表題は、『「摂州合邦辻」主人公俊徳丸ゆかりの駅』です。上に見えるのは近鉄奈良線で、河内長和駅で乗り継ぎ出来ます。


 付近の鴨高田神社で旅の安全を祈願してきました。


高井田中央に足を記せば、JRおおさか東線全駅下車も達成します。


つづく

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おおさか東線全駅下車(その2)~いよいよおおさか東線へ~

2008-03-21 23:38:14 | 東海道本線等


9時3分に西宮に到着です。西宮市の中心駅ということで、ホームは2面4線ですが、新快速電車は停車せず、1、4番乗り場は通過線となっています。これは南口ですが、北口も同じような駅舎となっています。尚、昨年3月の改正まで駅名は「西ノ宮」でした。


西宮駅前(南口)には生協の大きなビルが建っていました。国道2号はすぐ近くで、周辺は市街地です。入線音を録音し、9時28分発の4478B(207系Z3編成+S52編成)にて隣駅・甲子園口に進みます。



9時31分に甲子園口に到着です。まずは、昭和10年築の木造駅舎が残る北口に出てみます。送迎の車やタクシーなどが頻繁に通り、案外撮影は難しい。



自由通路を通って、昭和53年築のコンクリート駅舎の南口に出ます。窓口の左にComoという衣料品店がありますが、3月末をもって閉店するそうです。尚、当駅から甲子園球場まで2kmほど離れており、駅前は商店街が広がっています。


周辺散策を終えて、上りホームに上がってみます。ホームは2面ありますが、下り列車は1番乗り場(外側に通過線あり)、上り列車は3番乗り場(4番乗り場は通過線)です。かつて「ナインドリーム号」も到着したであろう2番乗り場は線路が剥がされようとしていました。



甲子園口10時1分発の4484B(207系T6編成+S28編成)にて立花に移動しました。
昭和45年築の橋上駅舎です。


立花駅の南口から伸びるペデストリアンデッキは尼崎市保健所のビルにつながっており、そこにはツタヤも入居していました(レンタルビデオのみで本屋はなし)。近くの小さなビルの3Fにあった本屋に行ってみると、『鉄道ダイヤ情報4月号』が発売していたので、迷わず買っちゃいました買い物はそれだけにとどまらず、駅舎の1Fに入居していた土産物屋で、彼岸用の千鳥饅頭も買っちゃいました


昼近くなって、立花駅のホームは大分混雑してきました。10時34分発の4490B(321系D14編成)にて尼崎へ移動しました。



尼崎駅はJR東西線の開業によって、4面8線の大きな要衝駅に変わり、その前年に、味のある木造駅舎からの橋上駅舎に改築されました。駅舎らしい駅舎はミドリ口(南口)のみです。



一方、北口は、駅前の再開発が未だに続いておりました。尼崎の広済寺に近松門左衛門の墓所があり、氏の著した『冥途の飛脚』のヒロイン・千松のオブジェがありました。


11時3分発の快速電車(5456M=207系T14編成+S61編成)でJR東西線を走破して放出まで乗車しました。



ここからが今回の旅の最大の山場です。おおさか東線の電車は、快速線を利用して折り返ししており、左側の2番乗り場が乗車ホーム、右側の3番乗り場は降車ホームと分けており、放出駅に到着した列車は一旦留置線に引き上げた後に折り返して久宝寺駅に向かいます。開業初日ということもあって当然人出は多く、これを撮るのもある意味戦いでした。


私が乗車した2442S(201系ND608編成)は、11時36分頃入線。何とか席を確保して11時40分に放出を発車しました。淀川電車区を見て大阪近郊の住宅地をひたすら進みます。関西線と合流してしばらくすると、定刻11時54分に終点・久宝寺に到着し、おおさか東線の完乗を果たし、JR全線完乗のタイトルを1日で防衛しました。


つづく

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おおさか東線全駅下車(その1)~急行銀河を見送って~

2008-03-18 21:27:46 | 東海道本線等
2008年3月15日にダイヤ改正があり、日本各地のJR線にさまざまな変化が生じました。「銀河」や「なは・あかつき」の廃止という暗いニュースが駆け巡った一方、一気に15もの新駅の開業という明るいニュースがあり、おおさか東線という新線の開業もありました。2008年3月14日夜から16日にかけての旅行では、おおさか東線を完乗した直後に全駅下車に挑み、なお且つ東海道線などの未訪問駅に記しました。これから全?回かにわたって、その模様をお伝えします。


2008年3月14日夜。この日も仕事がありましたが、出発する数時間前に家に戻っていました。家には誰も居らず、小雨の降る中を自転車で新津駅まで行き、23時9分発の急行きたぐに号(583系B5編成)に乗車しました。仕事の疲れを考慮して、今回は3段式B寝台の上段を選択しました。寝台は狭いものの、長岡発車後の放送を録音し終えると  です。外は見えないので、起きたらもう新大阪でした。大阪終着放送を録音して下車したので、 を忘れるというボーンヘッドを冒してしまいました。



大阪には定刻6時45分に到着です。降り立つと、4番乗り場と5番乗り場は、銀河迎撃部隊に包囲されており、これを撮るのも命がけでした。


私の目的は「さよなら銀河」ではないので、6時59分発の515B(207系S23編成+T7編成)で塚本に逃れました。



7時3分に塚本に到着です。宮原操車場へのアプローチルートにも当たっているので、ホームの先端を中心に多数の三脚が並んでいました。 駅前は商店街となっており、私の地元よりは明らかに活気がありそうです。ちなみに、これは東口です。



きたぐにの車内で朝食が食べられなかったので、阪神高速の高架下にある西口を抜け、柏里モール内で朝マックしました。


塚本駅で青春18に日付印を入れ、7時41分発の123B(321系D25編成)に乗車し、神戸線内の未乗降駅を先に巡ることにしました。その直前、「銀河」が通過しましたが、カメラを構える余裕は無く、ただ見送っただけでした。(2002年師走の東京駅で撮影してますけどね…)



7時55分に昨年3月の新駅・さくら夙川に到着です。ホームは島式1面で、外側に通過線が1本ずつあります。コブクロの「桜」の接近メロディーを1組録音して改札を出ました。ちなみに、駅舎の屋根は、夙川の流れをイメージしています。



さくら夙川駅から桜の名所・夙川公園までは歩いて5分弱です。夙川にかかる橋で何本か撮影 しました。桜が咲いていたらさぞかし素晴しいでしょうが、如何せん時期が早すぎました。


駅に戻り、8時25分発の127B(207系S3編成+Z12編成)に乗車し、神戸市突入です。



8時31分に、平成8年10月1日開業の甲南山手に到着です。駅の出入り口は北側にしかなく、この時間帯でもぎりぎりの撮影条件でした。甲南女子大や附属中学・高校などへのアクセス駅となっており、私が下車したとき、若い女のコが何人か下車していきました。尚、ホームは、さくら夙川と同様に島式1面です。ちなみに、南側は公園となっています。


新津を出発するときに髭を剃り忘れたので、ハートインで使い捨て髭剃りを調達。髭を剃った後、8時56分発の4472B(207系T13編成+S56編成)で大阪方面に引き返しました。


つづく
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山形県北部駅巡り(その2)

2008-03-13 19:26:12 | 奥羽本線

昼食を終え散策します。及位駅は「朴木沢」という集落の中にあり、駅前から続く道は、何軒かの民家が並んでいます。さて、国道13号に出て温度計を見てみれば、何と2℃を指していた。道理で寒いなと思ったら。


駅に戻って汲み取り式トイレに入ると、オッサンがやってきて待合室の中でタバコを吸っていたのではないかこういう人に限って、駅や新幹線のトイレを喫煙所にしているんですよね。私はたまらず構内に入り、3番線(たった1本)にやってきた14時37分発の2442M(701系N36編成)に乗車しました。優等列車や貨物列車があるとは思えないので、「こまくさ」に抜かれた頃の名残としか考えられません。



14時59分に真室川に到着です。「森の停車場」という、平成15年12月竣工の合築駅舎です。構内は2面3線です。


コミュニティーハウス内でゴミを捨てようと思ったんですが、管理人が席を外していて一時施錠していました。ということで散策を先にして、ゴミは近くのセブンで捨てました。



真室川公園まで行ったんですが、深い雪に阻まれました。入り口には、かの有名な「真室川音頭」の由来がありました。


駅に戻ってみると、メガネをかけた女の管理人が戻ったようで、コミュニティーハウスが開けられていました。切符売り場にはスタンプが4種類(真室川駅、釜淵駅、大滝駅、及位駅)おいてあり、これほどまでのセキュリティーも納得です。併設した売店でやわらかお麩かりんを買っちゃいました。


その後、15時49分発の624M(701系N25編成)に乗ったのですが、泉田まで乗客は私1人でした。真室川高校の生徒の帰宅に合わせて設定された列車かもしれません。



15時59分に現新潟県知事のような駅に到着です。平成12年3月20日築の簡易駅舎で無人駅です。ホームは島式1面です。駅前から道路が2方向に出ています。

「泉田」はもと「指差野」といい、扇央に位置していた水利の悪い荒地でした。先人たちは、泉から湧き出る地下水を頼りに土地を開墾して水田地帯にし、やがてこの土地が「泉田」とよばれるようになりました。


泉田駅前は新庄市郊外の閑静な住宅地で、雪捨てしている光景を目の当たりにしました。最上地方は雪が多いですね。16時24分発の2451M(701系N25編成)で本日最後の初訪問駅へ。



16時31分に羽前豊里に到着です。鮭川町にある駅です。大正10年12月築の木造駅舎が今尚現役ですが、平成19年3月をもって無人化されました。



交換設備が廃止されており、跨線橋も閉鎖されています。そのかわり、島式ホームへはスロープで出入りします。


駅前はまるで時間が止まったかのような佇まいで、「昭和」を感じました。早めに駅に戻り、大豊小学校有志の絵画などを眺め、16時56分発の2446M(701系N17編成)に乗車しました。17時11分に新庄に到着。あの時と同様に急行食堂に行き、天国ラーメンを食べました。天国ラーメンはゴマベースです。


18時26分発の陸羽西線167D(キハ111-213+キハ112-213)に乗れば帰宅モードです。余目で230D(キハ110-215+キハ110-216+キハ110-201)に乗り継ぎましたが、今回はあつみ温泉まで乗り通しました。


あつみ温泉駅は、窓口が18:40に終了しており、無人駅となっており、温泉街の玄関口とは思えないほどひっそりとしていました。「いなほ11号」(T11編成)を見た後は、834Dの到着までホームで歯を磨いたりして過ごしましたが、雨も降らず強風も吹かず快適でした。


20時55分にあつみ温泉を発てば、あとは新津まで素直に乗り継ぐだけです。新潟からは、混雑の激しい最終電車(115系N17編成)で。新津に到着したのは0時でした。


おわり

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山形県北部駅巡り(その1)

2008-03-11 19:21:59 | 奥羽本線

これより2回にわたって、2008年3月8日の乗り継ぎ旅の模様をお伝えします。

半分徹夜状態で朝5時10分に起床。天候は。朝食をとり、新津6時15分発の羽越線823D(キハ110-216+キハ110-201)に乗車しました。あの時と同様に海側ではなく山側に座ります。新発田からは長距離客がどっと乗り込み、中条から村上までは学生を中心に賑やかな車内になりました。村上を出たところで東力士を投入しました。



余目にて陸羽西線154D(キハ110-238+キハ110-245)に乗換え。今回は進行方向左側をゲットしたので、雪の最上川を見ながら進みます。



10時7分に新庄に到着です。インターバルが大分あるので、入線音や駅名連呼などを2本録音しました。標準軌ホームは女声、狭軌ホームは男声です。そのさなか、「こがね」との出会いもありました。


11時23分発の2441M(701系N20編成)に乗車すれば、奥羽線駅巡りの始まりです。11時54分に大滝に到着しました。



昭和28年10月築の木造駅舎を有する無人駅です。駅舎はホームより1段高いところにあります。構内は片面ホーム1面のみで、交換設備が撤去され、跨線橋も閉鎖されています。



待合所に飾られた絵画です。題は「おいでよ ぼくらの大滝へ」ですが、実は大滝小学校閉校記念の絵画です。作者は「平成18年度在校生」となっていることから、昨年4月1日付で統合されて閉校したのでしょう。沿線の少子化をまざまざと見せつけられたような気がします。


大滝では滞在時間が40分あるので周辺を散策します。沿線は雪が多いです。10分ほど歩くと及位中学校がありました。駅に戻ってしばらくすると、部活を終えた中学生が何人かやってきて、私と一緒に、12時34分発の2438M(701系N25編成)に乗車しましました。次の釜淵にて、彼らは私と一緒に下車していきました。真室川町には奥羽線の駅が4つもありますが、中学校はたったの2つしかなく、701系が彼らの重要な通学の足になっていることを実感しました。義務教育も楽じゃないですね。



昭和57年3月築のプレハブ駅舎です。対面式ホームを有していますが、下り副本線は撤去されています。


釜淵駅前はまるで時間が止まったかのような佇まいで、ノスタルジーを感じました。13時18分発の2443M(701系N31編成)に乗車し、いよいよ及位を目指します。車内は旅行者を中心に席が埋まっていました。



13時30分に及位に到着です。昭和57年12月築のプレハブ駅舎で、無人駅です。構内は未だに2面3線あります。駅の標高は277mです。

「及位」の由来は次の通りです。山岳修行が盛んだった時代、麓に住む修行僧たちは、より位の高い「山伏」を目指して、北北西にある男甑山及び女甑山に登って、それぞれの山のより険しい断崖の端から宙刷りになり、崖の横穴(赤穴)を覗き込みました。やがて、その修行僧の一人が京に上り、時の天子から高い地位を頂き、この位が「及位」と呼ばれるようになり、それがいつしか当地の地名になっていきました。

無人の待合室に入るや否や昼食をとっていきます。駅やゴミ箱もなければ火の気もありません。余りにも寒いのでホッカイロの出番です。


つづく

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2008年春の青春18解禁乗り継ぎ(その3)

2008-03-09 18:24:45 | 東北本線&烏山線

13時57分発の1559Mに乗車すれば、5分ほどでいよいよ黒磯です。この列車も211系(A31編成)で、宇都宮から黒磯までの列車は、上野に直通する一部列車を除き、見事なまでに211系に統一されていました。E231系は、どうやら上野直通列車のみの運用のようです。



新幹線高架下にある大きな駅で、西那須野と新幹線停車駅の座を争ったこともあります。東北線の運転上の要衝で、ホームは3面5線あり、裏には機関区があります。


駅舎撮影後、付近のヨークベニマルに行って東力士旭興を購入し、14時32分発の2141M(701系F2-24編成+F2-510編成+F2-504編成)に乗車し、Suica圏外に出ました。



14時41分に黒田原に到着です。昭和15年築の木造駅舎が残っており、袴腰のファザードに大きな付け庇を張り出し、そこに4本の柱を並べています。中間駅ながらも様々な付帯設備が並んでおり、この地域の農作物を集約した駅だったことを示しています。構内は2面2線で、両方の副本線は取り払われています。


黒田原駅も委託駅ですが、1月31日付で窓口業務を終了していました。この日巡った駅で、2008年1月末で窓口業務を廃止した委託駅が実に多いが、これが栃木県内の委託駅のトレンドだと思えます。


駅舎を撮影し、周辺散策に出かけます。駅前は賑やかとはいえないが、商店街が広がっており、那須町役場などもあります。缶コーヒーを調達した後、15時18分発の2140M(E721系P27編成+P22編成)に乗車しました。15時22分に高久に到着すると、ホームの端や駅舎内は、さよなら「ゆとり」磐梯号狙いの同業者で激パしていました。黒磯方の空き地は三脚の放列が。



昭和40年築のコンクリート駅舎で無人駅です。駅前の通りは車通りが多く、向かいの空き地にも同業者の車が多数駐車しており、撮影に苦労しました。



高久駅は対面式ホームを有しており、上りホームの待合所には銀河が描かれていました。

当日中に新津に帰らねばならないので、彼らと行動を共にすることなく、15時38分発の2143M(E721系P22編成+P27編成)で郡山に抜けました。


郡山で乗り継いだ磐越西線1229Mは、719系H15編成のみでしたが、隣席の女性が荷物を網棚に上げてくれたので(私も手伝いました)、奇跡的に着席できました。ちなみに、私の座ったボックスのメンバーは全員会津若松まで乗り通しました。


会津若松からは233D(キハ110-223+キハ110-224+キハ110-211)で新津に帰りました。野沢で交換した234Dが強風の影響で遅延し、この233Dも6分延発しましたが、その風規制も解除となり、定刻20時55分に新津に帰着しました。


おわり


参考文献  杉行恭『駅舎再発見』

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2008年春の青春18解禁乗り継ぎ(その2)

2008-03-06 22:09:00 | 東北本線&烏山線
蒲須坂から4分の乗車で片岡に到着です。



明治30年6月築の駅舎が今尚現役で、「つつじの家」が併設されています。時期になれば、3番線はツツジが咲き誇ります。構内は実質2面2線で、中線は保線用車両のみ入ります。ここも委託駅ですが、蒲須坂と同様、1月一杯で窓口営業を終了しています。


片岡でも上下線の発車メロディー(いずれも途中切り)を録音し、11時19分発の1545M(211系B3編成)に乗車しました。



11時24分に矢板に到着です。矢板市の中心駅ということで、さすがに窓口は営業しております。昭和9年築の木造駅舎が頑張っており、構内は2面3線で、裏に貨物ヤードが広がっています。


東西連絡通路を通ってベイシアの方に向かい、ツタヤに立ち寄ります。しかし、お目当ての月刊エアライン4月号は入手できず。


近くの高校で授業か卒業式があったのだろうか、発車時間が近づくと高校生がぞろぞろ改札をくぐり、かなりやばい雰囲気に。彼らとともに、12時4分発の1549M(211系A30編成)に乗車しました。



12時9分に野崎に到着です。明治29年築の駅舎が今尚現役で、開業当時の姿をほぼ保っています。 しかし、窓口業務は2月29日付で廃止されています。構内は2面2線で、中線は使われておりません。


駅周辺の調査を終えた後、玄氣いなりで昼食にしました。その後、12時49分発の1553M(211系B9編成)に乗車しました。



12時54分に西那須野に到着です。東北新幹線の真下にある橋上駅舎です。塩原温泉へのアクセス駅で利用客が結構多く、黒磯との間で新幹線停車駅の座を争ったこともあります。構内は2面2線で、中線は使用されていません。駅前は市街地となっています。



西那須野駅は昭和55年8月に現在の橋上駅舎に改築されており、ところどころに国鉄末期のカタい雰囲気が残っています。平成20年になった今では、逆にこの雰囲気が面白いところであります。


名残惜しいところでしたが、13時14分発の1555M(211系A32編成)で那須塩原へ。



13時18分に那須塩原に到着です。漁夫の利というべきか、新幹線停車駅となっており、この駅止まりの「なすの」も存在します。当然ながら、大型バスや自家用車が多く出入りします。新幹線のホームは2面ですが、在来線のホームは2面3線です。



駅前には、黒磯巻狩鍋のレプリカがあります。那須野巻狩まつりは、毎年10月の第4日曜日とその前日に、那須塩原市那珂川河畔公園にて行なわれる祭りのことで、黒磯巻狩鍋が振舞われます。


那須塩原駅前には土産物屋が多くあり、駅前の喫茶店で300円払って濃厚なミルクを飲みながら一休みです。


つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問
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2008年春の青春18解禁乗り継ぎ(その1)

2008-03-03 22:07:31 | 東北本線&烏山線
これより3回にわたって、2008年3月1日に行なった、東北線駅巡りの模様をお伝えします。



新津0時6分発の快速ムーンライトえちごの新宿行き(485系K1編成)で出発です。白龍を飲みきり、青春18に日付印を入れれば、あとは大宮まで断続的に眠ります。さほど混雑しておらず、池袋まで隣の席は空いていました。


定刻5時1分に池袋に到着し、5時13分発の埼京線543K(205系26編成)に乗り継いで赤羽へ。ファミリーマートでサラダなどを調達し、5時46分発の東北線523M(E231系U31編成+U586編成)に終点・小金井まで乗車しました。グリーン車内での朝食は優雅の一言です。



6時58分に小金井に到着です。宇都宮線の列車のねぐらも抱えており、ホームは4番線まであります。始発列車も見られることから、全番線の発車メロディーを録音していきました。1番線は「朝の静けさ」、2番線は「Mellow time」、3番線は「シンコペーション」、4番線は「くるみあそび」です。



7時半前にようやく改札を出ました。東北新幹線の高架の真下にある橋上駅舎です。駅自体の規模はそれほどではないですが、北方に小金井運輸区があります。



7時52分発の2521M(E231系U527編成)にて自治医大に北上します。ホームは島式1面で、ここでも全番線の発車メロディーを録音していきました。「Gota del Vient」と「Water Crown」の組み合わせです。



この駅の駅名については、開業直前まで旧国分寺町が推す「新小金井駅」と、駅に隣接する「グリーンタウンしもつけ」の大部分を占める旧南河内町が推す「薬師寺駅」とで揉めていましたが、当時の栃木県知事の鶴の一声で「自治医大駅」となりました。


8時25分発の531M(E231系U538編成)で宇都宮に出ました。この後、玄氣いなりを調達し、9時9分発の1537M(211系A31編成)で北上しました。宝積寺の橋上駅舎は、ほぼ完成しており、あとは駅前工事の段階でした。



9時27分に氏家に到着です。構内は2面3線です。大正12年築の木造駅舎が今尚現役です。ただし、トイレはリニューアル中。ちょうど雛祭りが行なわれており、駅舎内にも雛人形が飾られていました。


周辺は大谷石で作られた建物がいくつかありますが、後ろ髪を引かれつつも、9時48分発の1539M(211系A30編成)にて後にしました。



9時52分に蒲須坂に到着です。昭和45年3月築のコンクリート駅舎を有し、委託駅ですが、今年1月末をもって窓口業務が廃止されています。構内は2面2線で、上下其々の副本線が撤去されています。


周囲は田園風景が広がり、那須の山々が見えて、長閑な所です。音質が悪いながらも上下の発車メロディーを録音し、10時34分発の1543M(211系B9編成)で後にしました。上りは「すみれの花咲く頃」、下りは「浜千鳥」で、この組み合わせが那須塩原まで続きます。入線音は、ATOSになりましたが。


つづく
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