クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

JR東西線全駅下車(その3)

2008-11-30 22:32:29 | 東海道本線等
海老江駅から2分ほど乗車しただけで、御幣島駅に足を記します。スタンプの表題は、「野里や大浦の渡し跡が残る駅」です。地下なので実感ないですが、淀川の西側に出たことになります。



私が最初に出た2号出口は、歌島橋バスターミナルに隣接し、バスの出入りが多数見られます。



しばらくそぞろ歩きすると、面白い陸橋を発見しました。一見して普通の橋ですが、跨いでいる対象は川ではなく、歩道と自転車道(大野川緑陰道路)です。向こうにはミテジマ化学の工場が見えますが、このあたりは平成不況で中小工場の多くが撤退してマンションに生まれ変わったところです。



西淀川区役所が近接する1号出口を通過し、暫く歩くと3号出口に出ました。2号出口とは道路を挟んで近接していますが、このあたりには工場が残っています。



3号出口から改札をくぐります。申し遅れましたが、構内は島式ホームの1面2線です。11時20分発の5453M(207系S3編成+H3編成)にてJR東西線最後の未訪問駅へ。



11時22分に加島駅に到着。構内は島式ホームの1面2線で、結局のところ、JR東西線の駅は全てこれでした。


加島駅のスタンプの表題は、「都と西国を結ぶ歴史の残る地の駅」です。改札をくぐり、1号出口から出たところでJR東西線全駅下車達成  です。午前中だけでも1つやっておけばすっきりします。



1号出口から道なりに歩くと駅舎らしい建物とロータリーが現れます。これには駅機能がなく、単なる出入り口(2号出口)です。このあたりはJR東西線の開業まで駅が皆無で「陸の孤島」といわれていた地区なので、これだけのロータリーが必要だったのでしょう。



駅構内にもう1度入り、竹島西口に出ました。JR神戸線の列車が走る姿を間近に見ることが出来ます。この駅は、JR東西線の開業前の段階(仮称)では「竹島駅」とされていました。



竹島地区は阪神工業地帯の一角にあり、如何にも労働者の町という佇まいで、まっすぐ歩いていくとプリマハムの工場と佐川急便のステーションにぶち当たりました。


竹島東口から今一度改札をくぐり、11時45分発の4497B(207系S67編成+Z12編成)で尼崎に出た後、11時53分発の新快速3238M(223系W39編成+V59編成)に乗り継いで新大阪へ。



12時5分に新大阪駅に到着。ほっとして束の間、「トワイライトエクスプレス」が入線してきました。時刻表に載っていないので団体列車です。新潟でコンサートがあるため、今回の旅はこれにて終了。せめてJL2247便が利用できれば桂川駅を訪問できたのに。



改札前の喫茶店で昼食を終えた後、リムジンバスで伊丹空港に向かい、ANA1659便にて新潟空港に帰還します。悪名高きDHC-8-Q400(JA841A)で且つ優先搭乗者が何人も居たので、搭乗開始は定刻の10分遅れの14時20分。新潟空港に着陸したのは15時30分。機体が小さく荷物を預けたのでホント焦りました。


おわり
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JR東西線全駅下車(その2)

2008-11-27 19:36:32 | 東海道本線等

4分ほど乗車して北新地駅に到着です。こちらも島式ホームの1面2線です。スタンプの表題は、「オフィス街と繁華街の拠点駅」です。



北新地駅は、大阪市内発着の乗車券でJR大阪駅と徒歩連絡する場合に限り、特例として途中下車が認められる特例駅で、この地下街でつながっています。JR大阪駅まで10分ほどだそうです。



地上に出てみると、高層ビルが多数立ち並んでいます。日曜の午前中なので人通りはさほど多くない。



少し右に目をやれば、ランドマークというべき大阪マルビルが見えます。件の地下街は大阪駅前第1ビルの真下を通っています。


28分ほど滞在し、9時50分発の4477B(321系D9編成)で新福島駅へ。



2分ほどで新福島駅に到着。この駅も島式ホームの1面2線です。スタンプの表題は「水の都大阪中之島に近い駅」です。この日に京阪中之島線が開業は、大阪のCBDである中之島地区への客の取り込み合戦の始まりを意味します。



2号出口から地上に出ました。交差点を渡り、1号出口を通り過ぎてしばらく行けば、大阪環状線の福島駅に到達できます。



国道2号を西方に向かって歩けば3号出口にぶち当たり、大阪環状線の201系が走る光景を望むことができます。


入線音を録音し、10時16分発の5445M(207系S25編成+Z19編成)にて海老江駅に移動しました。



10時18分に海老江駅に到着です。スタンプの表題は、「野田藤と淀川に近い駅」です。阪神野田駅、地下鉄千日前線・野田阪神駅とそれぞれ連絡通路で結ばれており、阪神電鉄の本社も近くにあったりします。



付近の交差点は、阪神高速と阪神電車の高架がすぐ近くにあります。横断歩道を渡り、尼崎方に歩くと2号出口に出ました。自販機のジュースが100円なので、これはもう買いです。そのまま歩けばヤマダ電機です。



申し遅れましたが、海老江駅の構内も島式ホームの1面2線です。疲れが出たので少し休憩した後、10時48分発の5449M(207系S22編成+T16編成)にて御幣島駅に移動しました。


つづく
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JR東西線全駅下車(その1)

2008-11-24 00:23:11 | 東海道本線等
1日目の模様はこちら


2008年10月19日。京阪中之島線が開業を迎えた日ですが、私はJR東西線の全駅下車に挑みます。東横インおなじみの朝食をとり、7時55分にチェックアウトしました。折角なので、乗車前に大阪天満宮を訪問します。



大阪天満宮参詣道は、「日本一長い商店街」とされるだけあって、アーケードが延々と続きます。時間が時間なだけに殆どの店は開店前で、歩く人の姿はまばらです。


  大阪天満宮に到着しました



訪問したからにはとりあえず参拝。本殿は弘化2年(1845年)に再建されたもので、権現作りです。「神前結婚式」の広告が大々的に掲げられており、商売っ気の強い神社だと感じました。



学問の神様(菅原道真公)が祀られており、裏には絵馬がしこたま飾られていました。(学生でなくなった私にはほとんど関係ないし



一通り散策し終えた後、JR大阪天満宮駅へ。スタンプの表題は、これまで訪問した場所です。本日は、手持ちのSuicaのチャージ部分を利用します。



大阪天満宮駅は、地下鉄谷町線・堺筋線 南森町駅と連絡しており、東横イン梅田東もそちらの方が利便性は高そうです。



大阪天満宮駅の構内は、島式ホームの1面2線です。8時36分発の5432M(207系T21編成+S61編成)に乗車し、まずは大阪城北詰駅へ。


3分で大阪城北詰駅に到着。スタンプの表題は、「桜と文化の花咲く駅」です。



まずは3号出口から出ます。周囲は藤田邸の塀垣で白壁作りになっています。藤田美術館が隣接していますが営業時間前でした。



結婚式場(太閤園)の前を通過し、京阪電鉄の高架をくぐり、1号出口&2号出口の方へ。3号出口とは雰囲気ががらりと変わり、高層ビルが立ち並び都会の様相を呈します。交差点名が「片町」なので、JR東西線と引き換えに廃止された「片町駅」は、この辺にあるのかも。



2号出口から駅に戻りました。この駅も島式ホームの1面2線です。入線音を1組録音した後、9時18分発の4469B(321系D37編成)で北新地駅へ移動しました。


つづく
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2008年鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅 Vol.2(その4)

2008-11-20 19:36:51 | 紀勢本線

岩代から9分ほど乗車し、芳養駅に到着です。ホームは対面式で、屋根のない跨線橋で結ばれています。今夜は大阪に宿をとっているため、紀伊田辺以南はまたの機会ということで。



ホームから1段下がったところに、開業当時からと思われる木造駅舎があります。無人化されて久しく、窓口も塞がれています。


     
壁には、芳養小学校3年生有志が描いた啓発ポスターが貼られており、クリーン作戦の様子を写した写真まであります。田辺市近郊の幹線道路沿いにある木造駅舎なので、せめて地元民がクリーン作戦などして駅舎を愛する姿勢が無ければ、どこかの駅みたいに荒廃が進み、しまいには駅舎なしということになりかねません。


22分滞在した後、15時33分発の2364M(113系G401編成)にて御坊に戻ります。模擬試験か部活の帰りなのか、車内には高校生が大量に乗車しており、切目で下車した女子高生と相席させてもらいました。途中、印南では「特急くろしお26号」に道を譲って。



定刻16時17分に御坊駅に到着。昭和59年3月改築の駅舎です。紀州鉄道との連絡駅で、構内は2面4線(JRは2面3線)あります。御坊市の中心駅ということで、みどりの窓口、キオスクがあります。駅弁屋も併設されていますが、腹が減っているわけではなく…。尚、スタンプの表題は「幻の魚・九絵の駅」です。


10分以内で撮影などを果たし、16時27分発の376M(113系F404編成)にて次の駅を訪問します。



4分で紀伊内原駅に到着です。開業当時からと思われる木造駅舎が健在です。委託駅となっており、窓口営業時間は一応6:30~16:30です。



2面2線の構内となっており、屋根の無い跨線橋で結ばれています。


滞在時間を利用して、333M車内から見つけたAコープひだかで夕食などの買出し。この駅で夕暮れを迎え、後続の378Mで和歌山方面へ。117系G3編成で余裕で進行方向左側を確保できたので、このまま夕食タイムにしました。加茂郷~冷水浦にかけての海岸線は、石油コンビナートが近く、夜になるとキラキラ輝きます。海南あたりからは立ち客も多くなってきました。次回の紀勢線駅巡りは何時になるのやら。


和歌山到着後、18時19分発の紀州路快速4584H(223系E435編成)に接続ですが、ボックス席の一角に収まってそのまま大阪方面へ。4両編成になったとはいえ天王寺までは座席が全て埋まっており、立ち客も多いです。


天王寺から大阪環状線を3/4周して京橋まで乗車し、20時ちょうど発のJR東西線4583B(207系S36編成+Z18編成)に乗り継いで大阪天満宮駅へ。20時5分に鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの使用を終了し、東横イン大阪梅田東で1泊です。


2日目の模様はこちら


参考サイト  さいきの駅舎訪問
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2008年鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅 Vol.2(その3)

2008-11-16 11:11:24 | 紀勢本線
昼食を終えてしばらくすると、お年寄りが次々とやってきました。



切目駅の窓口は枠に至るまで木製で、一昔前の日本の鉄道駅という雰囲気を醸し出しています。とはいえ、JRの直営駅ではなく委託駅で、営業時間は7:00~17:00です。また、図書も備え付けられており、利用客は自由に利用できます。



時間が近づいたので、駅構内に入ります。ホームは駅舎よりも1段高い場所にあり、対面式となっています。また、この駅の跨線橋も屋根無しです。


13時48分発の2357M(113系G402編成)にて南部に南下します。その際、海側のボックスを独占したので、熊野灘の絶景を堪能してきました。(帰りは果たせなかった…)



14時ちょうどに南部駅に到着。構内は2面3線で、屋根のある跨線橋で結ばれています。みなべ町の中心駅ということで半数以上の特急列車が停車し、しばしば緩急接続が行なわれます。ただ、跨線橋はでした。



猫の耳のようなファザードが特徴の、昭和6年9月築の駅舎が健在で、みどりの窓口やキオスクも存在します。左には青少年センターが隣接しています。スタンプの表題は「日本一の梅の里」です。



例によって町歩き。海を見ようと国道42号まで出てみると、頑丈な防潮門になっているではないか!台風などの高潮に備えてのことですが、三陸海岸に負けてません。


14時32分発の2362M(113系G402編成)にて1駅北上し、岩代駅を目指します。



5分ほどで岩代駅に到着です。ホームは対面式で、屋根の無い跨線橋で結ばれています。



岩代駅も昭和6年9月築の駅舎が現役ですが、無人化されて窓口も閉鎖されています。付近には大梅林が広がっています。



駅前には3王子の案内標識がありましたが、25分以内に訪問できそうな岩代王子を選択しました。「浜の王子」ともよばれ、古くは万葉時代から大和人に知られており、ここを通る人々は岩代の神に敬虔な祈りを捧げたものです。



王子の背後には、黒潮洗う岩代海岸の絶景が広がっていました。この旅で最も印象に残った光景の1つです。昔の熊野詣人もきっと癒されたに違いありません。


踏切で「オーシャンアロー」を見送り、15時2分発の2359M(113系G401編成)にて芳養駅を目指しました。


つづく
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2008年鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅 Vol.2(その2)

2008-11-11 19:23:19 | 紀勢本線
道成寺駅から11分ほど乗車し、定刻11時13分に稲原駅に到着です。



道成寺と同様、ホームは対面式で、屋根の無い跨線橋で結ばれています。ただし、駅裏へ直接出れる入口が存在し、駅舎を通らずにホームに入れます。



ホームより1段下がったところに、昭和5年12月築の木造駅舎があります。駅前は長閑ですが、付近では新興住宅地の造成が進められています。



無人駅となって久しく窓口は塞がれており、壁には落書きだらけ。委託でも管理する人がいればなあ…。


11時35分発の2356M(113系G401編成)にて1駅戻ります。途中、上下線が別ルートをとる区間があり、2353Mでは見れなかった景色が見れたりしました。



8分ほどかかって和佐駅に到着です。この駅も昭和5年12月築の駅舎を有して且つ無人駅です。ただ、トイレは、日高川町が建てた新しいものになっておりキレイなので、ようやく本日最初の歯磨き。また、駅前にはの営業所があり、1台客待ちしています。



構内は2面3線となっていますが、現行のダイヤでは特急列車の通過待ちはありません。線路維持の関係で、夜間に中線から発着する列車が上下1本ずつあります。


25分滞在した後、12時8分発の2355M(113系G401編成)にて印南を目指します。それにしても、御坊~紀伊田辺間の普通列車用の113系は、G401編成とG402編成しかないので、交検などで運用を外れた場合はどの編成が入るのだろうか?



11分ほどで印南駅に到着。構内は2面3線で、特急列車の通過待ち合わせをする列車もあります。



屋根の無い跨線橋を渡り、駅舎に出ました。昭和5年12月築の木造駅舎が現役で、委託ながら駅員も配置されています。窓口営業時間は7:00~17:00です。

空白の時間帯にあたるため、一通り調査を終えた後、隣駅まで駅間を敢行します。



集落道を抜けて国道42号に出れば、あとは海沿いに進みます。アップダウンが3,4回ありました。



新切目橋は危険なので、1つ上流の切目橋まで遡り集落道を通ってゴールを目指します。ちょうどこの日は切目祭礼の宵宮で(明日は本宮)、道半ばのサンクスの店員にも「祭りを見に行かれました?」ときかれました。



印南駅を出発して54分後の13時20分に切目駅に到着しました。昭和6年9月築の駅舎が現役です。待合室にて焼きビーフンの昼食です。駅前に酒屋があったので、黒牛でも買って増収に協力してもよかったかな。


つづく
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2008年鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅 Vol.2(その1)

2008-11-05 22:17:15 | 紀勢本線
2008年10月17日夜から19日にかけて、関西方面に駅巡りに行ってきました。当初は東海道本線の全駅下車を果たす予定でしたが、来春に「南小高」が開業するというわけで、紀勢本線駅巡り+JR東西線全駅下車に変更しました。それでは、全7回に分けて、この旅行の模様をお伝えします。



出発は、急行きたぐに号(583系B4編成)で。今回もB寝台上段を使います。新潟駅での接続待ちの関係で、新津駅を2分遅れの23時12分に発車しましたが、許容範囲内で終点・大阪には定刻の6時49分に到着しました。


大阪到着後、一定の手続きをスムーズに済ませ、7時6分発の紀州路快速4111M(223系E414編成+E426編成)にて和歌山へ。2008年春のダイヤ改正で、関空快速と紀州路快速がそれぞれ4両ずつとなり、前回よりは着席しやすくなりました。大阪発車後、車内で朝食タイム。



和歌山にて紀勢本線333M(113系F401編成)に乗り換えて御坊まで進みます。この日はで上着が邪魔なくらい暑いです。



御坊到着後、更に9時58分発の2351M(113系G401編成)に乗り継いで紀伊田辺方面へ。折角なので、自動放送を録音していきます。



3分ほど乗車しただけで、道成寺駅で最初の途中下車。昭和5年12月築の木造駅舎が現役ですが、無人化されて窓口が閉鎖されています。



入口上には木製の案内板が掲げられています。ここに下車したからには勿論、道成寺を訪問します。



ちょっとした門前町を抜け、坂を上ればもう道成寺です。駅から歩いて10分もかからず極めて訪問しやすい部類です。この仁王門は元禄13年(1700年)の築です。尚、道成寺は、文武天皇の夫人・藤原宮子により、大宝元年(701年)に創建されました。



本堂と三重塔婆です。本堂は室町時代天授4年(1378年)の築で、三重塔婆は賓暦12年(1764年)の再興です。御本尊は大日如来です。尚、この日は、道成寺まつりということで、普段非公開の本堂の内部が公開されました。



三重塔婆の脇にある十王堂(えんま堂)です。宝永4年(1707年)の築です。さいすがに内部は非公開です。


その他に、宝物館もありますが、滞在時間が61分しかない上有料(600円)なので、土産物屋で早生みかんを買って駅に戻ります。鉄道を利用して道成寺を訪問したのは私だけではないようで、時間が近づくと中高年のグループが続々とやってきて喜ばしい限りです。後で知ったことですが、国宝である千手観音様は宝物館の中にあったんですね。



遅ればせながら、駅構内の様子です。対面式ホームを有し、屋根の無い跨線橋で結ばれています。ここに止まっている列車は2354M(113系G402編成)で、これの折り返しである2353Mにて道成寺駅を後にしました。


つづく
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キハE120系 営業運転初日レポート

2008-11-01 22:53:33 | 新潟の鉄道
 2008年11月1日、E120系が営業運転を開始しました。初日は、磐越西線2232Dを皮切りに、羽越本線833D~米坂線1136Dにも投入されました。一方、坂町駅4番線では、キハE120-4の展示が行なわれています。運用範囲は米坂線、羽越本線、磐越西線、信越本線(新津~新潟)、白新線(「べにばな」のみ)です。これより、キハE120系の初日のレポートをお伝えします。



信越本線440Mが発車した直後、遂にキハE120系の初列車が新津運輸区を出区しました。編成は、キハE120-3+キハE120-2+キハE120-1の3両編成です。



信越本線441Mが発車して数分後、キハE120系初列車となった磐越西線2232Dが、キハE120-1を先頭に新津駅2番線に入線しました!



キハE120-3の側から見た2232Dです。LEDでの行先表示が導入されており、「津川」と表示されています。



側面にもLED表示があり、日本語と英語の両方で表現されます。



車体側面のエンブレムです。SLばんえつ物語号と同様、飯豊連峰のオコジョが描かれています。


信越本線2538Mからの乗り継ぎ客を迎え入れ、キハE120系初列車は新津駅を発車しました。その後、2235D~2236D~2239Dと運用され、新津運輸区で整備を受け、羽越本線837Dで鼠ヶ関に行っています。



キハE120系の2運用目は、羽越本線833Dです。16時13分頃に新津駅3番線に入線しました。運用の都合上、キハE120-5+キハ110-135の2連となっています。



キハE120の車内です。セミクロスシートは、最近流行の2列+1列です。背もたれと座面の部分は、飯豊連峰のブナ林をイメージして赤系となっています。JR東日本の新型車両の特徴というべきか、如何せんシートが硬いです。2時間余り座るのはちょっときつそうです。尚、運転室手前にもLEDで列車名と行き先が表示されます。


 車内に入ったところで、早速乗車しました。折角なので、京ヶ瀬まで走行音を録音します。新型エンジンの採用で窒素酸化物(NOx)や黒鉛などの粒子状物質(PM)を従来より低減して「人と環境にやさしい車両」と銘打っているだけあって、「本当に静か」の一言です。水原で部活帰りの高校生や中学生が多数乗車してきました。車内は一気に賑やかに。月岡では、坂町で展示されていたキハE120-4と交換しました。
 私は新発田で下車しましたが、この列車は坂町に到着した後、1136Dで米沢まで走破し、小国行きの1137Dで一日を終えます。


 以上でキハE120系の初日のレポートを終了しますが、今日の時点で「べにばな」と羽越本線125Dは、従来通りキハ52が運用に入っていました。現時点でキハE120系絡みは2運用だけですが、近いうちに「べにばな」などにも入るでしょう。キハ52・58・28はもう予断を許しません。


参考文献  『鉄道ダイヤ情報』6月号
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