チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ブルックナーの交響曲で一番退屈な緩徐楽章と若き宇野功芳先生のご意見

2014-02-04 22:12:13 | メモ

ブルックナーの交響曲の大きな魅力の一つは深い癒しを与えてくれる緩徐楽章ですよね。
むっちゃ泣かしてくれると同時にジーンと落ち着かせてくれて、俗世間のくだらないゲスな悩みをすべてデリートしてくれる大人のための子守歌や!(弦楽五重奏曲アダージョを含むんや)

でも、たった1楽章だけ、よくわかんないというか、ブルックナーで一番つまらないということで有名な楽章があります。

それはいうまでもなく、第4番「ロマンティック」の第2楽章アンダンテ(Andante quasi allegretto)。

しかし、それだからこそ律儀なブルックナー信者には、退屈なわけがない、良さがわかるまで・好きになるまで無理をしてまでも聴かなければならないとの強迫観念のもとに一番しつこく繰り返し聴かれている楽章かもしれません。でもやっぱり眠っちゃう。第4交響曲はフィナーレがすこぶる素晴らしいだけに残念。。


我が国におけるブルックナー教の開祖ともいえる宇野功芳先生はブルックナー・ブーム初期の頃に下記のようにおっしゃっていました。(『音楽現代』1974年2月号。「アダージョ」は「アンダンテ」の誤りですよね。ご愛敬)

『「第四」ではぼくはアダージョとスケルツォが好きだ。アダージョは森を逍遙するブルックナーの足どりのようで、ぼくは常々クナッパーツブッシュのレコードを味わうのだが、めんめんと続くヴィオラの旋律や、小鳥の囀りの中に作曲者の澄んだ眼差しと、叡智と、瞑想を感じ取ることができよう。確かにブルックナーの醍醐味は充分であるが、彼のアダージョとしては、拡がりにおいても、深さにおいても、「第七」、「第八」、「第九」の緒曲のそれに比べてかなり劣る。クナッパーツブッシュ以外の演奏では、さほど感動しないのが何よりの証拠で、むしろ「第七」以降の交響曲を自分のものにしてから聴いても遅くはないであろう。』

叡智を感じながらもやっぱし「劣る」んですか。でもブルックナーは孤独を味わい、楽しんでいるので、幻想交響曲の第3楽章を聴くのと同じ心持ちになって聴けばいいんですね?

。。。こんなことを考えつつ、マルクス・ボッシュ指揮アーヘン響の演奏(オリジナルの1874年版)を聴いてたら、なんとなく、いにしえの時代の別世界に連れて行かれたような気がして、何百回目でやっと良さが分かってきたような気がしないでもないです。

ほんと、手の(耳の)かかるかわいい楽章です~