チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ブクレシュリエフ 群島4

2014-03-15 15:33:27 | メモ

佐村河内さんの設計図ではないです。

れっきとしたピアノの楽譜で、アンドレ・ブクレシュリエフ(André Boucourechliev, 1925-1997) の『群島4』(Archipel 4)という1970年の作品です。(実際の楽譜の大きさは高さ68.8センチ、幅92.8センチ)

ピアニストの故・クロード・エルフェ氏によると

「演奏会の前には何も準備するべきではありません。楽譜には幾つかの四角の中に、使う音が決められています。それを和音で弾いても、線的に弾いても構わなく、またリズムや強弱や音域にも様々な可能性があります。こうした可能性をその場で組み合わせながら、断片をつなげていくわけです。
 もちろん家では充分おさらいしますよ(笑)。でもコンサートで順番がどうなるかは、全く予想がつきませんね。舞台に出るとまず楽譜をひろげ、突然十四個あるセカンスのうちの、たとえば「11」から始めるとします。次にたとえば「3」と「4」とを混ぜ合わせ、また「8」と「9」も一緒に演奏できます。その次には「13」を和音で.....という具合に、その場で思った順に弾いていくんです。ですから、弾くたびに全然違うものになるわけです。さっきもここに来る前、ホテルのベッドの上に楽譜をひろげ、頭の中で順番を想像してみたら、ちょうど9分30秒かかりましたよ(笑)。」(『MUSIC TODAY』 17号より)


。。。楽譜いらなくね?

NMLでこの曲を聴いてみましたが、予想どおりのメチャクチャっぷり。爽快っす!

参考までに、不思議な楽譜を紹介しているサイトです。つながりにくいけど

http://www.vandal.net/foro/mensaje/814582/partituras-bizarras/


FM東京 ヘルシンキ・フィル初来日特別演奏会 (シベリウス・チクルス1982年)

2014-03-13 22:42:59 | 来日した演奏家

家にFM東京の音源によるCD(オッコ・カム指揮ヘルシンキ・フィルのシベリウス3番+6番の厚生年金ライブ)があってチケットの半券がケースに入っていました。父がFM雑誌でFM東京(現TOKYO FM)主催のTDKオリジナル・コンサートの抽選に応募して当選したので一人で新宿に聴きにいったそうです。

そのときのコンサートでは、まだ日本の聴衆にはフィンランディアと交響曲第2番ぐらいしか知られていないシベリウスの、3番と6番という、当時実演では珍しい曲(両曲とも来日オーケストラとしては初の演奏)が始まるのをみんな固唾をのんで待っていたらしいです。父は3番の開始の瞬間の音をいまだに覚えています。6番に限っていえば、当時はカラヤンのLP(DG)が雑誌では絶賛されていた時代だったらしいのですが、そのLP、終楽章の消え入るようなエンディングが人工的に、電気的にフェードアウトされていたのをはじめ、全体的にわざとらしい録音だったのでなおさら、自然なシベリウスの音に驚いたと申しておりました。

シベリウスの2番以外の交響曲のすばらしさを我が国において広めたイベントの一つがこのチクルスであったに違いないです。

このような、日本の音楽史に残るようなイベントを開催したTOKYO FMさん、いまの時代でこそ再び何かやらかしてくださることをクラシック好きとしては切に希望します~


日本の新作曲派の人々

2014-03-12 23:17:54 | 日本の音楽家

ナクソスの好企画、「日本作曲家選輯」シリーズのCDを聴くと日本人によるクラシックが好きになり、作曲家をアイドル化したくなります。日本人として西洋音楽にどう対峙すべきか。その苦労、努力がびんびん伝わってきます。真面目っぷりに日本人として感動します。

そんな中で昔の音楽雑誌の写真はなかなか宝の山です。これは『音楽芸術』昭和27年5月号からの写真です。錚々たるメンバー!でもみんな真面目なだけにこのときは酒を飲む者が少なく、もっぱら牛鍋に向かったそうです。

(窓の外の雪の積もった畑がいい味出してます)

左から

鈴木博義 (1930-2006)
塚谷晃弘 (1919-1995)
早坂文雄 (1914-1955)
清瀬保ニ (1900-1981)
松平頼則 (1907-2001)
武満   徹 (1930-1996)
大築邦雄 (1911-1991)


シューマンの8人の子供たち

2014-03-09 00:21:47 | メモ

シューマン、ブラームスの音楽を深く理解するにはシューマンの子供たちのことを知っておいたほうがいいと思いました。

↓ ロベルトとクララの子供たち(1854年撮影。虚弱であった三女ユーリエは不在)

 

 

マリー 陽気ではつらつとした性格で父を喜ばせた。音楽教師になった。クララが亡くなるまで一緒に暮らした。

Marie Schumann, 1841-1929

 


エリーゼ  独立心旺盛な子供だった。フランクフルトでピアノ教師をしていたが1877年に実業家と結婚、アメリカに数年暮らした後フランクフルトに戻った。晩年の母を夫とともに支えた。

Elise Schumann, 1843-1928

 


ユーリエ  娘たちの中では一番美しかった。イタリアの貴族からのプロポーズを承諾したときブラームスはにわかに不機嫌になった。(クララも気が付かなかったようですが、好きだったんですね。「アルト・ラプソディ」はユーリエへの嘆きの歌。) 2人の男の子を残してブラームスより先に亡くなった。

Julie Schumann, 1845-1872

 

 

エーミール(Emil Schumann, 1846-1847)健康状態が悪く生後6ヶ月で亡くなった。そのとき、クララは既にルートヴィヒを身籠っていた。

 



ルートヴィヒ  父親と似たような精神的な病気で22歳のとき入院しそのまま30年近いあいだ一度も病院の外に出ることなく亡くなった。

Ludwig Schumann, 1848-1899



フェルディナント  銀行員になった。息子の中では一番頼りになったという。普仏戦争(1870年)に徴兵され、重いリウマチにかかってモルヒネを投与されたため中毒になり、それが原因で6人の子供たちを残して亡くなった。

Ferdinand Schumann, 1849-1891

 


オイゲーニエ  20歳のときフランクフルトに移転しクララ、マリーと一緒に20年間暮らした。1891年イギリスに移りピアノ教師を職とした。彼女の書いた回想本は有名。

Eugenie Schumann, 1851-1938 (左)  フェーリクスと



フェーリクス 名前はメンデルスゾーンにちなんで付けられた。詩の才能があり彼のいくつかの詩にブラームスが音楽を付けた(※)。肺を病んで24歳で亡くなった。ブラームスの子であるとの噂もある。

Felix Schumann, 1854-1879

※フェーリクスの詩によるブラームスの3つの歌曲
わが恋はライラックの茂みのように緑(Meine Liebe ist grün wie der Fliederbusch) Op. 63-5
ニワトコの木に夕風が(Wenn um den Holunder der Abendwind kost) Op. 63-6
うち沈んで(Versunken) Op. 86-5


バーンスタイン「ウェスト・サイド・ストーリー」盗作疑惑?

2014-03-07 20:27:32 | メモ

バーンスタインのウェスト・サイド・ストーリーの音楽は盗作だった!?

ボクは指揮者バーンスタインが好きなのであんまり信じたくはないですが、こんな噂があったとは。

 

【その1】玉木宏樹著『贋作・盗作音楽夜話』にはヤヴァい話がたくさん書いてあってびびります。中でも、その143ページ目にはこんなことが。。

「ジョーン・パイザー(※1)の書いたバーンスタインの伝記(文藝春秋、鈴木主税訳)によると、バーンスタインは動きの激しいジャズ的フレーズは大得意としていたが、決してメロディ・ライターではなく、メロディを書くのが苦手だったというのです。


 では「マリア」とか「トゥナイト」はどうやって生まれたのか?

 パイザーによると、パクリの可能性があるというのです。

 バーンスタインの先輩で多大な影響を受けた作曲家にマーク・ブリッツスタイン(Marc Blitzstein,1905-1964)という人がおり、同じスタインというユダヤ姓ということもあり、親友でした。しかし彼はアメリカ共産党員としての政治活動が当局から不興を買い、いわばレッドパージのように扱われ、彼の作品は演奏禁止になってしまいました。さらに不幸なことに、マルティニック島で地元の人間と政治をめぐって諍いになって、殺されてしまいます。バーンスタインは残されたスコアを自由に見る立場になったのですが、それを利用してブリッツスタインのアイデアを盗用したフシがあるというのです。

「マリア」は、ブリッツスタイン、そして有名な「トゥナイト」はブリッツスタインではなく、ベンジャミン・ブリテンの「おやすみ」(※2)からの引用ではないか、と書いています。」

※1 Joan Peyser, 1930–2011 アメリカの音楽学者、作家(女性)
※2 「ルクリーシアの陵辱」 Op.37 の第1幕より?聴いてもパクリなのかどうかわからなかったっす。

 

 

【その2】やはりウェスト・サイド・ストーリーに関して、東条碩夫著『伝説のクラシックライヴ』(TOKYO FM出版、面白いです!)の77ページにはこんなことが書いてあって、またもビビりました。

「...当時音楽誌の編集記者をしていた筆者の、バーンスタインに関する冷や汗ものの思い出である。
 ニューヨーク・フィルの東京公演の前に、名古屋でレセプションのような記者会見が開かれた。バーンスタインは見るからに不機嫌そうだった。そこで筆者は何を思ったか、こう質問した。
「私の考えでは、作曲家バーンスタインの最高傑作は、今も《ウェスト・サイド・ストーリー》だと思うが、あなたはどうお考えか?」......。現役の作曲家でもあった巨匠に向かって、喧嘩を売るような質問だったと思う。バーンスタインの顔色が変わり、数秒間、身もすくむような鋭い視線が筆者に向けられた......。」

この東条という著者、元エフエム東京のプロデューサーということですが、すごい度胸です。文章を読んだだけで本当に冷や汗ものです。。


【その1】が万が一本当だったとしたら【その2】の質問はちょっとマズかったかも!?

作曲中のバーンスタイン(『芸術生活』1963年11月号より)。盗作していないと自分は信じます!