明日飛び立つ特攻隊員は決してベートーヴェンでなく、モーツァルトを聴いていたという話を聞いたことがあります。
でも自分が明日死ぬんだったらベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲(12-16番)のうちのどれかを聴くかも。
ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲って、大編成オーケストラのロマン派音楽やゲンダイオンガクとかどんな音楽を巡りめぐっても必ず安心して帰ってこれる故郷みたいに感じます。
自分にとってはこれ以上心優しくて、包容力のある音楽って無いような気がします。ある意味寅さん。
ちょっと前まで一部の人たちがこれらの四重奏曲を決して足を踏み入れてはならない「禁断の森」的に神格化していたようですが、それって単にドイツ音楽崇拝者とかの洗脳の賜物では?逆にベートーヴェンの、上から目線が消えた最も人間的で親しみやすい音楽だと思うんですが。
そもそもベートーヴェンはこれらの曲で、誰に対して語りかけているんでしょうか。その当時の聴衆や社会?自分自身?あるいは宇宙とか神さまとかの誇大妄想系。。??
自分としてはベートーヴェンはここでは未来の人間(現代人)一人一人としゃべろうとしているように思えてしかたないです。例えば神にしか語りかけてなかったら聴いてる人間は置いてけぼりな気分になるはずですよね。
しかもその話の内容は「病気が治ってマジうれし~んです」、「道端の花がきれいだったよー」、「今度の家政婦もちょームカつく」、「何百年後ってどんな世界なん?おせーて」とかだったりして?
。。。ゲヴァントハウス四重奏団のCDは大フーガですら可憐に聞こえます。
↑15番第1楽章11小節の、あえてチェロの高音域でやらせるからこそ心にぶっささるカッコつけなしの悲痛な叫び。ハルサイ冒頭ファゴットの先駆?