チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

日本の作曲1960~1967(「音楽芸術」臨時増刊1968年)

2015-12-21 00:00:03 | 日本の音楽家

音楽之友社『音楽芸術』12月臨時増刊「日本の作曲1961→1967」にはこの期間に出版された楽譜が掲載されており、現在でも忘れ去られていない、大御所の作品ばかりだと思ったのでメモっておきます。【 】内は初演に関する情報です。


入野義朗(1921-1980)チェンバロ、打楽器と19弦楽器のための音楽【1963年11月30日森正指揮ニッポン放送】

 


石井真木(1936-2003)アフォリスメン【1963年9月岩城宏之指揮、京都会館】

 


間宮芳生(1929年生まれ)合唱のためのコンポジション3【1964年1月木下保指揮ワグネル・ソサエティ】

 


松村禎三(1929-2007)交響曲【1965年6月15日渡邉暁雄指揮日本フィル、東京文化会館】

 


松下眞一(1922-1990)室内管弦楽のための「継起」【1962年10月1日、D.パリス指揮パレルモ放送管弦楽団】

 


三善晃(1933-2013)ソプラノとオーケストラのための「決闘」【1964年瀬山詠子、外山雄三指揮N響】

 


諸井誠(1930-2013)竹籟五章 【1964年9月27日、酒井行道 NHKで放送。世界各地でも放送された】

 


柴田南雄(1916-1996)金管6重奏のためのエッセイ【1965年11月30日岩城宏之指揮、朝日講堂/RIAS放送】

 


武満徹(1930-1996)地平線のドーリア【1966年7月録音、若杉弘指揮読響】

 

。。オチのない記事になってしまいましたが、情報を追加していきたいと思います。


サイトウ・キネン・オーケストラ、第1回目のコンサート(1984年)

2015-12-15 22:54:24 | 日本の音楽家

サイトウ・キネン・オーケストラの母体である「桐朋学園齋藤秀雄メモリアル・オーケストラ」最初のコンサートは1984年9月18日(火)午後7時から東京文化会館大ホールで開かれました。

桐朋学園の指導者である齋藤秀雄没後10周年を記念して結成された、かつての教え子たちによるオーケストラです。



写真はR.シュトラウス「ドン・キホーテ」を演奏中の模様で、小澤征爾指揮、ヴィオラ独奏・今井信子、チェロ独奏・堤剛。(この演奏会では秋山和慶もシューマンのライン等を指揮しています。)

コンサート・マスターはベルリン・フィルの安永徹。そのとなりにはN響の徳永二男がいます。あとはもめないように全て年齢順に並んだため、堀米ゆず子、加藤知子が第1ヴァイオリン最後尾だったりします。

豪華メンバーを100人近く集めるためのスケジュール調整が大変で、東京と大阪1回ずつのコンサートために準備は3年前から進められ、海外からも40人ちかい演奏家が日本に呼び戻されたそうです。
往復の交通費も十分に出ず、ギャラはリハーサルを含めて一律10万円だったにもかかわらず、ほとんどの演奏家が二つ返事で参加を引き受けたらしいです。さすが、齋藤秀雄!

ちなみにチケットの料金は8,000円、6,500円、5,000円、4,000円(東京文化会館アーカイブによる)ということで、当時としてもそんなに高くないですよね。聴きにいらっしゃった方はお得でしたね。



有名人ばかりということで、写真のそれぞれの演奏者が誰なのかを知りたいです。ここにもこのかたらしき人がいらっしゃいます。

(敬称略、Focus誌1984年10月5日号より)

↑ 1968年4月19日、第11回大阪国際フェスティバルにて桐朋学園オーケストラを指揮した齋藤秀雄。(フェスティバル30年記念写真集より)


合唱で重要な「軟口蓋」図解

2015-12-13 23:51:30 | 第九らぶ

古巣(?)の第九合唱団の練習に久々に戻りました。

マーラー「復活」等の他流試合で多少は改善されたと自分で勝手に思っている声を披露したろうというイヤらしい目論見はもろくも崩れ去りました。

以前必死に暗記した第九の歌詞といっしょに悪い発声の仕方まで体で覚えてしまっていて、変な癖がちょっとやそっとじゃ抜けそうもない感じ。。凹む

そこで「軟口蓋を上げてそこで発音する」(カリオペくまもと発声日誌より)という基本に戻ろうと、「軟口蓋」の位置を書籍で確かめました。(長田淳一郎著『音声学の基礎』音楽之友社)

 

↑ 横から見た図。12番が軟口蓋。関係ないけど、「鼻腔」ってでかい。

 

↑ 前から見た図。6番が軟口蓋。



軟口蓋ってかなり奥なんですね。合唱の先生によると、主に男性がタ○を吐くときに「カーッ」と盛大な音を出すのがまさにこの位置らしいです。絶滅寸前のカーッ・オヤジに歌を歌わせたら実はめっちゃウマいのかも!

自分も軟口蓋の位置を確かめるために「カーッ」やってみたら喉が痒くなるわクシャミが出るわ。。そのまま風邪ひきそう。敏感なスポットなんですね。


昔の変り種ヴァイオリン

2015-12-11 22:04:33 | 楽器

1.無音ヴァイオリン


↑ こういうのは今でも練習用にありますよね。昔から騒音問題があった?



2.ポシェット


↑ ポケットにも入る小さなヴァイオリン。踊りの先生が使ったのでTanzmeistergeigeともいう。



3.ラッパ付きヴァイオリン


↑弦楽器と管楽器の幸せな出会い?



4.ヴァイオリンへの試み


↑ 音量を増すためのもの。1873年ウィーンのZachの製品。キモっ

 


(1と3は山口常光著『弦楽器論』(1926年)、2と4は属啓成著『音楽史大図鑑』より。)


ベルリン・フィルのコンサート・マスター就任直前の安永徹氏(1983年)

2015-12-02 22:43:48 | 日本の音楽家

FOCUS誌1983年11月25日号より、ベルリン・フィルの第一コンサート・マスターに就任する直前の安永徹さん(1951年生まれ、当時32歳)です。

オーディションによって安永氏が選ばれたのは1983年11月13日。Wikipediaによると、一般奏者からのコンマス就任は初めてのことだったそうです。

安永さんがカラヤンに挨拶に行くと、カラヤンは目を潤ませながら「よかった。やっぱりお前のが一番いい音楽だよ」と言ったそうで、安永さんはこのことをすぐに福岡に住む尊敬するお父さん(九州交響楽団名誉指揮者・安永武一郎氏、1922-1998)に電話で報告したということです。

日本人の誇りですね!