中さん

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日記(8.19)

2022-08-19 16:57:36 | 日常
8月19日 (金曜日) 猛暑が戻った!

昨晩は幾分涼しい日であった。今朝も涼しい風が入ったので
随分気持ちが楽だ。しかし10時をまわって暑くなってしまった。
自治会の防災イベント”安否確認訓練”の案内チラシなどを準備してもらったので配布して回った。
ネギ・人参のリクエストがあって早速、涼しいうちに準備した。

出来は良くないが、自宅で食べるのには十分だ。
その後暑いが1.5時間かけて草刈りを刈り払機を使って半分かたずけた。
腰にくるので途中でやめた。
★昨日4回目のワクチン接種の連れ合いは頭痛がしていると言って
 休息中だ。私の時は3時間ほどの休息で済ませたが、暑いので仕方ない。
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自転車のパンク修理はプロに頼んでチューブ交換をしてもらった。
やっぱり素早いなあ~。
夕方は沢山実ったかぼちゃ獲りだ.
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山陰中央新報デジタルには 森英恵さんの事が
確か島根県生まれであった。
明窓・故郷に育まれた「蝶」
山陰 コラム
2022/8/19 04:00
転記させてもらう。
 戦後間もない71年前、東京・新宿で小さな洋裁店を開いた。
 その後、映画製作を再開したばかりで、新たな才能を探していた
 日活の衣装担当者が店を訪ねたのが、世界的ファッションデザイナー誕生のきっかけとなった
▼その店主が当時20代半ばだった島根県六日市町(現吉賀町)出身の森英恵さん
 石原裕次郎さん主演の『狂った果実』(1956年)をはじめ、
 数百本もの映画衣装を手がけ、流行をつくり出す〝売れっ子〟になった
▼だが、仕事に追われ、ろくに睡眠時間も取れない生活に行き詰まり、
 1961年にパリとニューヨークを訪問。
 その際に見たオペラ舞台もありますか?『マダム・バタフライ(蝶々(ちょうちょう)夫人)』で
 描かれた、か弱い日本の女性像に反発するように海外へ進出したという
▼六日市で過ごしたのは小学3年までだった。
 それでも「山と水に囲まれ、
 自然と日常的に接した幼少期の経験は、仕事をする上で元手となった」
と振り返る。
 トレードマークの蝶も、ドレスを彩る草花の柄も
 自然豊かな古里での経験がベースになっていたのだろう
▼森さんが96歳で亡くなった。
 東京スカイツリーのデザインを監修した同郷の彫刻家澄川喜一氏(91)が
 一昨年10月に文化勲章を受けた際は
「(澄川)先生の創作のベースには故郷の自然があると共感しています」とコメントを寄せた。
 世界で輝く日本人女性の先駆けは旅立ったが、故郷が育んだ作品は末永く残る。
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いつだったか対談でデザインをしないものはありますか?の問いに
灰皿は汚すものなので・・と言っていた。
TVを通じてではあるが凄い人であったんだが、それを全く表には見せない方の様に感じていた。
島根をまた旅してみたくなった。
コメント
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