中さん

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日記(8.22)

2022-08-22 16:18:36 | 日常
8月22日 (月曜日)  晴れ
今日もきゅうりとナスは収穫多であった。
お盆過ぎての朝6時大分涼しくなった。

昨日、結構一生懸命かたずけをした畑の草取り、今朝は体が痛かった。
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★甲子園高校野球決勝。
 仙台育英、白河の関を超えて優勝旗を東北地方に持ち込めるか大いにき期待されている。

仙台育英7回に満塁ホームランが出てビッグイニングになった。
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毎日新聞 コラム 余禄向田邦子氏のことが
夏の涼菓・水羊羹
 材料は羊羹と同じだが、寒天の量を減らして軟らかく仕上げることで、
 つるりとした食感になる。今ごろの季節、冷えた一切れが暑さをいっとき忘れさせてくれる。
▲福井では冬に食べるそうだ。11月ごろから翌春にかけて店頭に並び、
 県民にとってはおせちに欠かせない甘味。
 「暖かい部屋でこたつに入って食べる」というからこの国の食文化は多彩である。
▲作家の向田邦子は「水羊羹評論家」を自任し、夏の水羊羹を愛した。
 随筆「水羊羹」で「命は切口(きりくち)と角」、江戸っ子のお金同様、
 宵越しをさせてはならぬとつづった。

 自宅近くの和菓子屋のものがお気に入りだった。盛りつける皿まで決めていた。
▲「新茶の出る頃から店にならび、うちわを仕舞う頃にはひっそりと姿を消す、
  その短い命がいいのです」。研ぎ澄まされた美意識を伝える結びに、
  51年の短い生涯を思う。1981年のきょう、台湾で飛行機事故に巻き込まれ不帰の客となった。
▲ドラマでヒットを重ね、小説を書き始めた翌年に直木賞を受けた。
 多忙なスケジュールを縫って出かけた旅先での悲劇。
 事故後、妹の和子さんが部屋で見つけた走り書きには
 「どこで命を終るのも運です……骨を拾いにくることはありません」とあった。
▲命日は木槿(むくげ)忌と呼ばれる。
 朝に開き、華やかに咲いて夕方には命を終える木槿のはかなさと
 気高さは彼女の死生観にも重なろう。
 白木槿言葉短く別れけり(石井露月)。
 健在なら92歳、円熟の作品も読みたかった。
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向田さんの事になると森繁さんが3回忌に贈った言葉が
思い出される。
『あ・うん』や『阿修羅のごとく』を食い入るように見ていた自分にとって、
 台湾での客死は、あまりにも突然。
 追悼番組での、加藤治子さんや岸本加世子さんの悲痛な表情が今でも思い出されます。
 単なる視聴者でしたが、テレビドラマの極まった姿を創り出してくれたこと、
 リアルタイムで作品を鑑賞できた幸運に感謝。
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記事では・・
2009年に96歳で大往生を遂げた森繁久彌との関わりに重点が置かれていました。
森繁主演のテレビドラマ『七人の孫』や『だいこんの花』などの
脚本を向田邦子が手がけていたことは広く知られていますが、
そもそもの馴初めはたった5分のラジオ番組『森繁の重役読本』。
 その台本を森繁が一切廃棄せずに保管していたおかげで、
 近年脚本が書籍化されたわけですが、生原稿や当時の肉声を聞くにおよび、
 森繁久彌の向田脚本への思い入れを改めて感じる機会となりました。
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【森繁の重役読本:森繁久彌朗読による連続ラジオエッセイ】
昭和37(1962)年から昭和44(1969)年12月まで、
8年間 日曜を除く毎朝5分間。2448回放送(おもにTBSラジオ。1969年より文化放送)。2448回!
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されど5分、たかが5分。森繁久彌ともなれば、毎朝5分程度話す事はワケナカッタとも思えますが、
 そこに放送であるがゆえの質を追求し、作家が台本を書いていたということに、
 それもたった一人の女性!という事実に、今さらながら驚嘆します。
1929年生れの向田に対して、森繁は1913年生れ。親子ほどとは言えない年の差ですが、
 不幸な生い立ちに負ける事無くサラリーマンとして勤め上げた父親を
 観察しながら書き通したといわれる『重役読本』。
 森繁は無意識のうちに、向田の父に見立てられ重ね合わされ、
 娘が父に手紙を書くように、毎日書き連ねられたように感じさせられました。
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向田邦子の父は、1969年2月心不全で突然死。享年64歳。
「一度使った台詞は、(そんなものテレビ観る人は絶対に覚えていないとは思うけれども)
 二度と使わない」「よりたくさんの人に見てもらおうと、媚びを売るような言葉は使わない。
 使いたくない言葉は使わない」と仰っていたという向田さんの、修行の2448回。
 改めて、尊敬の念を抱かずにはいられません。
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『さびしいのはお前だけじゃない』で第1回向田邦子賞の受賞者に選ばれた
 市川森一さん(2011年12月死去)は生前、
 「テレビドラマは脚本から始まる。脚本家に贈られる賞は初めてなので、特にうれしかった。
  当時のテレビ界では、
  敬愛する山田太一さん、倉本聰さん、向田さんら先輩の活躍によって『脚本家の時代』
  言われており、向田賞の創設はその象徴になった」と語っていらしたそうです。  
  まさにその通りで、映画が監督のものであるように、
  テレビドラマの核心は脚本にあると感じています。
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『せい子宙太郎』執筆のための取材時の肉声が流れていましたが、声はとても柔らかいのに、
 どこかこう、挑んでいるというか、掴みにいっている感じで、仕事への執念が伺えました。
 タッグを組んだ作品の数々、直筆原稿や書簡、写真、直木賞受賞時の森繁久彌のお祝いスピーチ、
 突然の事故死を受けての弔辞。
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軽妙洒脱な側面が強い森繁久彌ですが、たとえば『阿修羅のごとく』の佐分利信、
『あ・うん』の志村喬のような役を、演じてみたかったのではないか、とも思わせられました。
 早稲田学生時代は、谷口千吉や山本薩夫と共に過ごしていた人。
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「人知れず 忘れられた茎に咲き 人知れず こぼれ散る 細かな白い だいこんの花」

森繁が向田に贈った色紙「さようならといったのにふんと云って行ってしまった」

三回忌に、森繁が捧げたことばは墓碑銘に。
「花ひらき 花香る 花こぼれ なほ薫る」
コメント
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