マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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修理枝の行事

2010年08月07日 07時00分45秒 | 楽しみにしておこうっと
かつて修理枝八王子神社の秋祭りは10月23、24日と決まっていたが祝日であれば人は集まりやすいと11月3日になった。

昔は夜の9時ころにトヤを先頭に松明を手にした村人がついてお渡りをした。

それはいつしか7時に早まった。

チョーサヤ、チョーサヤと囃子ながら神社を目指す。

村は現在16軒。

だから16人もの人たちの火の行列が続くのだと7年間区長を務めたNさんの奥さんが語る。

16年ほど前にトヤを担った。

それはたいそうな行事だったと回顧されて話し出した。

1本のダイコン。

葉は漬け物にした。

本体はイチョウ切りにしてトーフすまし汁に入れた。

白米はおこめから蒸した。

それを一升桝に押し込んだ。

桝は型どりである。

それはおそらくオシメシ(スシメシかも)であろう。

今は家の順になったが、昔のトヤは長男と決まっていた。

お渡りを終えたらお宮さんの前でトヤ家の男性を胴上げする。

男性は小学一年生以上が対象だ。

生まれたての子供も本来は対象なのだが危険を避けて骨格ができあがったその年齢にしてある。

今はパック詰め料理で簡単になったが、昼間の接待はたいそうだった。

トヤの家が上垣内であれば下垣内の人たちをヨバレの接待をする。

下垣内であれば上垣内になる。

親戚まで担ぎ出して接待のごちそうをこしらえるのがたいへんだったと話される。

長く太い箸。

お椀はとても大きい木椀だったようだ。

それに大きな盃になみなみと注いだお酒。

集まった人たちがそれの回し飲みをする。

唄も歌っていたが曲名は判らないという。

2月のケイチンもごちそうはたいそうだった。

長さ20cmほどに切ったゴボウ。

ダイコンナマスとトウガラシの入ったコンニャクの煮物と一緒に竹の皮に乗せる。

お菓子も出した。

それらは時間も決まっていた。

これらは16年前に大幅改正し簡略化された。

息子さんは現在35歳。

およそ27年前に改正された。

昔からきちんと守られてたいそうだった行事食がいとも簡単に改正された。

あれは一体何だったのか。

気が抜けたし矛盾を感じたそうだ。

年度末には公民館で「トシイワイ」をしている。

男性は42歳、60歳、70歳、77歳、88歳になったとき。

女性は60歳のときに行われる祝いごと。

60歳は老人会への仲間入りだ。

その際には大きな一尾のシオサバが献じられる。

お宮さんにも参拝されるそうだ。

9月12日は「薬師さん」がある。

薬師さんの仏像を祀っているのは公民館。

食事会を兼ねているお祭りは鉦を叩いて西国三十三カ所のご詠歌を唱える。

当番の人は村で買ったお菓子を供えてローソクを点ける。

薬師さんのお祭りは女性だけでなく男性も数人が集まるそうだ。

また伊勢講や庚申講もある。

下垣内は6軒だったが現在は4軒。

伊勢講も同じ軒数だ。

ヤドの家に夜7時に集まってお勤めをする。

掛け軸も掲げており、パック詰め料理を食べたあとにヤドの家が次のヤドの家へ持っていく。

閏年に行われる庚申のトアゲもある。

花立ては公民館で作るそうだ。

その名残が墓地横の石造の傍らにあった。

しかも青面金剛杖も立てかけてあった。

梵字もあり、判読できない文字もあったが「亡奉供養南無青面金剛○子講中安全○命子孫長久如意輪萬融通念佛南無阿弥陀佛」とあった。

杖は次回のときまで残しているという。

葬儀のときもアジゴハンを作るなどたいそうだった。

平成9年ころまでは自宅で葬送されていたが現在は葬儀社になった。

(H22. 6.30 記)
(H22. 7. 4 EOS40D撮影)