マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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柳生町の土用垢離

2010年08月31日 08時28分50秒 | 奈良市(東部)へ
夏の暑い盛り、土用入りの日に水垢離が行われている柳生町。

今川とも呼ばれている柳生川に足を浸けて竹の柄杓で水を掻く。

その行為は一日三回行われている。

早朝、八坂神社の参籠所に集まってきたのは柳生十二人衆(※実際は十人衆)。

秋祭りにお渡りや田楽の舞所作をされている人たちだ。

編み笠、腰縄、数珠、藁草鞋を持参し、白装束姿に身を固めて川に向かう。

腰を締めているのは藁縄に編まれた腰縄だ。

数珠を首からさげて草履を履いて調った。

陰燈籠(かげとうろうは略してかげとうと呼ばれる)<大正十四年十月二十八日正還宮執行とある>内に納めた蝋燭に火を点けて出発した。

陰燈籠は遷座祭などで灯火を消して行う淨暗中の神事に明かりを隠して幽(かす)かに一方だけを照らす用具だと話す八坂神社の宮司。

それがなぜ土用垢離に使われているのか判らないという。

先頭は一番若い十二老で陰燈籠を持つ。

二番目は二老でサカキを持つ禰宜(ねぎ)とも呼ばれている老主。村神主にあたる。

塩、洗い米、お神酒に野菜、魚(当日は鮎だった)の神饌を持つのは十一老と決まっている。

若い者が下働きの役目にあたるのだという。



川に到着すると、老主は四本の青竹で囲まれた祭場の磐境(いわさか)に神饌を供える。

磐境中央にはご神体が置かれているのだ。

修祓を経て十二人衆は磐境の周囲を囲んだ。

日差しはきついが川のせせらぎ流水に体温が冷却される。



厳かに祝詞(祭文であろう)が奏上された。

そして始まった禊ぎの所作。

「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー」と唱えながら磐境(いわさか)に向けて竹柄杓で川水を掻く。



掻いた数は唱和した数の8回だ。

これを3回繰り返す。

間髪をいれずさらに3回繰り返すので切れ目が感じられない。

いつしか数も多くなる場合もあるようだ。

現に2回目の垢離では連続12回の回数であった。

こうして1回目の垢離を終えた。

神饌はそのまま残して、ひとまず参籠所に戻っていく。

2回目まではたっぷりと休息をとる籠もりでもある。



ハラワタモチとも呼ばれる土用餅や桃を食べ、酒を飲む。

籠もり参籠所の座敷は歓談の場となった。

2回目は昼前に出発した。

1回目と同じように水垢離が行われる。

老主の唱和で声を合わして水を掻く。

ときには向こう側の衆にも水が掛かる。

垢離はこうして水で身を清めるのだ。

「ひー、ふー、みー、よー・・・」と八つ数える所作や白装束、数珠などから富士山信仰の富士垢離が想定される。

信仰は廃れ意味合いも判らなくなったが富士講における「禊ぎ」だけが残されてきたのであろうか。

それとも水垢離と数珠が柳生の神仏行事に取り入れられたのか。

記録がないゆえ、これ以上の詮索は憶測の世界に陥ってしまう。

3回目が始まるまではゆったりと休息をとる時間。

パック詰め料理をいただいて酒を飲む。

十二人衆の語りの時間が過ぎていく。

ほろ酔い加減で眠気もでる。

この時間の籠もりは昼寝の時間でもある。

たっぷりと静養した身体は復活して、3回目の垢離に向かった。

これまでと同じように「ひー、ふー、みー、よー・・・」と八つ数えて柄杓で水を掻く。

所定の回数をこなして土用垢離を終えた。



そして祭場の磐境は元の川の状態に戻していく。

青竹や神饌を川に流し、ご神体も元の位置に戻った。

なお、竹柄杓は筒に穴を開けて枝を通す組立型。

下町は一体型の違いがあるとされていたが実際は柳生町と同じだった。

※宮司および十二人衆老主の許可を得て記録取材させていただきました。厚く御礼申しあげます。

(H22. 7.20 EOS40D撮影)