マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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新木町新城神社祇園祭

2010年08月23日 06時29分40秒 | 大和郡山市へ
新城(にき)神社の扁額は「牛頭天王」。

文化十三年(1817)に柳澤公が書したと伝わっている。

同神社を囲む新木町は環濠集落。

金魚の養殖が盛んな町だ。

寄進された一部の玉垣にも記されているように金魚の宮さんと親しまれている。

毎年14日は牛頭(ごず)さんを祭る祇園祭が行われている。

拝殿には楽人が座った。

神社総代や責任役員、氏子たちが本殿を前に座り、太鼓や笙を吹いて雅な音色が神事の始まりを告げた。

宵宮も雨、本祭も雨が降るなか祭典された。

修祓、開扉、祇園祭の祝詞奏上など賑々しく楽人が奏でるなか神事が行われる。

そして浦安の舞が奏でられ、巫女による鈴舞が奉納された。



神事を終えれば座を去っていく氏子。

そのときにも楽奏されている。

楽人に労いの言葉を掛けられた宮司や巫女らは拝殿で直会。

宵宮や秋祭りなどでは直会殿で氏子たちと共に食するが、祇園祭の本祭だけはそうされている。

何故にそうなのかは判らないが昔からそうしているという。

その間、長老はお下がりのモチとコンブ、スルメを切っていく。



かつて神社行事の世話人をしていた当屋が仕切っていた。

当屋は「座講(ざこう)」の当番の人。

若い人がおらんようになってその仕組みは中断されている。

当屋を経験して60歳を迎えたら御輿係の下につく。

それを経験して四人の一老衆になる。

四人は先祖代々からの家系で伝統行事を継いできた。

子供のときから宮さんの仕事をしていた。

当屋の指示で使い走りしていた。

小学六年生で「郵便屋さん」と呼ばれていた。

何時に来てくれと呼び出す役目で南郡山、田中町に東城村など新木旧村へ走り回ったそうだ。

座講は御輿(神輿とも)係と御渡り係の二つの組がある。

昭和の時代まではオーコで担いだ布団御輿もあった。

神社に奉納された絵馬にお渡りの様相が描かれている。

天狗や獅子舞、神輿、布団御輿など長い行列で賑わっている。

それは岡町、西岡町、箕山町を経て矢田口のお旅所へ渡御していた。

御輿担ぎは途中で休憩した。

そこは神社総代や役員の家前だ。

お酒をよばれて元気をつけたら再び御輿担ぎだったそうだ。

御渡りがなくなってからは係が担う役目はない。

が、御輿係は蔵に納められている当時使われていた御輿をお披露目している。

祭典を終えると鳳凰などは元に戻す。

大正八年に寄進された御輿に掛けられた幕も下げられた。

祭礼を終えたころクマゼミがシャー、シャーと鳴きだした。

おそらく梅雨が明けるのであろう。

(H22. 7.14 EOS40D撮影)