「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宮古島  ・  平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 仲宗根豊見親の墓 」

2013-02-06 05:13:32 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



仲宗根豊見親の墓








ピラミッドのように階段状になっている






墓の前庭にある井戸















平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


15世紀末から16世紀初めにかけて、宮古を支配していた仲宗根豊見親が、
父親の真誉之子豊見親の霊を弔うために建造したと伝えられています。
墓の構造は、宮古在来の「ミャーカ」の形式と、
沖縄本島の形式を取り入れた折衷の形となっています。
この時期における宮古と沖縄本島との石造技術の交流を示す墳墓です。
外観は前庭部を石垣で囲み、墓室外面は階段状に仕上げ、上端に石柱列を設けて有ります。
内部は円形になっていて、直径6m高さ2m余りのほぼ10畳ほどの広さで、
中央に厚さ46cmの石垣が天井まで築かれ前後2室に仕切られています。
手前は棺ならびに副葬品、奥には洗骨後の骨カメの安置所です。
仕切中央は幅1,27m高さ1,70mの出入り口になっており、
かつては観音開きの扉がついていたことを示すカンヌキの跡が上下に各2箇所ずつとどめています。
宮古の支配者としての仲宗根豊見親親は1500年、
八重山のオヤケアカハチの乱の鎮圧に首里王府軍の先導をつとめ、
また島内においては井戸、道路、橋梁等の開さくをすすめたことで知られている。




熊本県天草市早浦   「 宮が島 」 と二浦町

2013-02-06 05:11:58 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



女大蛇がつくったと言われる 「 宮が島 」







400mでズームアップすると鳥居がハッキリと見える








饅頭のようにこんもりとした 「 宮が島 」




天草下島に行くと、いつも気になるのが羊角湾に浮かぶ海上コテージと早浦に浮かぶ宮が島である。
今日はその 「 宮が島 」 について書いてみたい。

早浦には神代の時代に池の窪の大きな池に女大蛇が棲んでいた。
また、そこに大きな大蛇松がそびえていた。
女大蛇はその大大蛇松から飛び上がって高い山をすくい上げて海の中に放り込んだ。
その時に出来たのが 「 宮が島 」 と言われている。







二浦郵便局







二浦小学校




「宮が島」を過ぎて県道35号線 ( 牛深天草線 ) を二浦町を走っていると
二浦小学校と二浦郵便局の前を通過する。

毎度のことであるが、いろんな地域で小学校などを目にすると、
ここでも生活が営まれているんだと思う。




沖縄県宮古島 「 タカツキャ瀬南東方灯標 」

2013-02-06 05:10:23 | 宮古の灯台







灯台表番号 / 7182
ふりがな / たかつきゃせなんとうほうとうひょう
標識名称 / タカツキャ瀬南東方灯標
所在地 / 西浜埼(沖縄県宮古島市)の西方約8.4km
北緯  / 24-46-38
東経  / 125-10-41
頭標 / 黒色円すい形頭標2個(縦掲、両頂点下向き)付
塗色 / 上部黄下部黒塗
灯質 / 群急閃白光 毎15秒に6急閃光と1長閃光
光度 / 実効光度 25カンデラ
光達距離 / 3.5海里
平均水面上~頂部の高さ / 5.0m 
平均水面上~灯火の高さ / 4.9m
業務開始年月日 / 昭和52年3月29日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)