「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宮古島 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 知利真良豊見親の墓 」

2013-02-11 05:14:54 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所




















平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


知利真良豊見親 ( ちりまらとぅゆみゃ ) の墓は、
仲宗根豊見親の墓から北東に約70mのところにある墓である。

1500年、八重山のオヤケアカハチの乱の鎮圧の際に、
首里王府軍の先導をつとめた仲宗根豊見親の三男・知利真良豊見親の墓として知られている。
知利真良豊見親は、オヤケアカハチの乱に父とともに従軍、
のち次男祭金が4年在勤したあとをうけて八重山顕職となり、彼の地で没したと伝えられている。
近接する仲宗根豊見親の墓とともに宮古在来の墓 「 みゃーか 」 から
横穴式に移る中間様式を示している。
ツンプン ( ヒンプン ) の跡をとどめている所から、俗に 「 ツンプン墓 」 とも呼ばれており、
保存状態がよく、墓の形の変遷、石工技術を知る上でも貴重な墳墓です。
前庭部を石垣で囲み、墓室外面は切石が三段に積まれ、上端には石柱列が設けられています。
この墓は平良頭職をつとめ、杣山惣主取でもあった宮金氏寛富が1750年ごろ築造したと伝えられており、
その子孫は宮古では宮金氏、八重山では長栄氏渡渉している。




長崎県平戸市   「 平戸大橋 」

2013-02-11 05:13:26 | 橋 ・ 鉄橋 ・ ダム ・ 隧道・道



































長崎県の平戸大橋は、本土と平戸島を結ぶ橋長880メートルの朱色が美しい吊橋で、
夜になるとイルミネーションが点灯し、平戸瀬戸にロマンあふれる姿を映しだします。
平戸周辺は県北地域の一大観光拠点として県内外からの多くの観光客で賑いをみせている。

総事業費56億円を投じて、昭和44年12月に着手し昭和52年4月に完成供用しました。
また、第2期事業として、総事業費25億円を投じて平成2年2月に着手した平戸バイパスが、
平成5年3月に完成供用した。
平成8年3月からは、管理有料道路として供用していたが、
平成22年4月1日に生月大橋とともに通行料が無料になった。





沖縄県多良間島でお世話になった知念さん

2013-02-11 05:11:30 | 離島めぐり



多良間島で自転車を貸してくれた知念さん






土曜日に多良間島に行ったが、
「 日曜日は運航しないから、1日1便のみのフェリーに乗り遅れると、
月曜日まで帰れないさ~ 」 って言われて、
2時の船に乗り遅れないように行動した。
とは、言っても港付近には何もなく、
時間が限られた中で歩いて島を巡るのも無理がある。

そんな時、船で灯台の話をしたおじさんが、
「 俺の自転車でよかったら乗って行ったらいいさ~ 」 って言って自転車を貸してくれた。
お蔭で行きたい場所にも行けたし、スムーズに探訪できた。
なにより時間を有効に使えたことが嬉しかった。

港へ向かう途中、村のスーパーでジュースを袋いっぱい買って、
自転車を借りたのお礼を言って、袋を手渡した。
そのとき墓の話で、 「 道の横に立派な知念家の墓があった 」 というと、
「 それうちの墓だよ。 」 と言ったので、
そのとき初めて自転車を貸してくれたおじさんが、 “ 知念さん ” だと知った。