「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県松浦市今福沖  ・  朝陽の雫 「 十字七星 」

2016-09-11 23:37:37 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々








今朝、松浦市の今福港を7時40分の 「 たかしま 」 で飛島経由で鷹島に渡り、
そのまま鷹島の殿ノ浦から今福に引き返して来た。
その時、金井埼灯台を撮ろうと構えたが、あまりにも遠いのと、
逆光だったこともあって、灯台は福島から撮ることにしたが、
その時、試しに2枚だけ撮ったものをパソに取り込んだら、
朝陽からこぼれた雫がクルス・十字架に見えるではないか。
それで 「 十字七星 」 とさせてもらった。
そしてもう一枚は、雫のようにつつつっと縦に流れていた。

その御利益だったのか?
今回の旅は初日から沢山の人の優しさに触れ、
いろんな方に助けて頂いた。
ホントにありがとうございました。



福岡市東区志賀島   「 志賀海神社 」

2016-09-11 11:11:43 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣


























































志賀海神社は、古来、玄海灘に臨む交通の要所として聖域視されていた志賀島に鎮座し、
「 龍の都 」 「 海神の総本社 」 とたたえられ、
海の守護神として篤 ( あつ ) く信仰されている。

御祭神は伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと ) が
筑紫の日向の橘 ( たちばな ) の小戸の阿波岐原において
禊祓 ( みそぎはらい ) をされた際に、
住吉三神と共に御出現された綿津見三神で、
神裔阿曇族( しんえいあずみぞく ) によって奉斎 ( ほうさい ) されている。

御祭神が、禊祓で御出現された神であることから不浄を特に嫌い、
諸々の穢 ( けがれ ) ・厄 ( やく ) ・災 ( わざわい ) ・罪をはらい清め、
また、海の主宰神であることから水と塩を支配し、
私達の生活の豊凶をも左右する御神威を顕現(けんげん)されている。

当社の創建は明らかではないが、
古来、勝馬の地に表津宮・中津宮・沖津宮の三社で奉斎されていた。
2世紀( 遅くとも4世紀 ) に表津宮(底津綿津見神)が当地勝山に遷座、
あわせて仲津綿津見神・表津綿津見神が奉祀 ( ほうし ) されたと伝えられる。

むかしの社殿は壮麗で、末社三七五社、社領五十石有し、
奉仕する者も百数十名いたなど繁栄を極めた。

社伝には神功皇后の伝説を多く残し、
元冦の役(げんこうのえき)など国家の非常の際に
嚇々 ( かくかく ) たる御神威を顕示されたことから、
社格も貞観元年 ( 859年 ) 従五位上、 『 延喜式 』 には明神大社、
大正十五年 ( 1927年 ) には官幣小社の処遇をうけている。

志賀海神社略記より


福岡県宗像市  ・  宗像大社 「 ちはやぶる 」

2016-09-11 03:21:44 | 万葉歌碑



宗像大社の本殿手前左奥にある 「 ちはやぶる 」 の歌碑
















鐘崎にある佐屋形山 ( さやがたやま )






万葉集には 「 詠み人知らず 」 が多いが、
その歌に優れたものが多い。
ここにあげる歌も 「 詠み人知らず 」 である。


 『 ちはやぶる金の岬を過ぎぬとも
   我は忘れじ志賀の皇神 』
 



この歌は、波の荒い恐ろしい鐘ノ岬をやっと無事に過ぎたけれど、
海の守護神である志賀の皇神 ( すめかみ ) のことを忘れはしまい。という意味である。

金の岬は、現在の宗像市玄海町の鐘崎の北端に突き出た鐘ノ岬のことで、
その先の地島との間の瀬戸は潮流が激しく暗礁が多く、
航海の難所として知られている。

岬の小高い山を佐屋形山 ( さやがたやま ) といい、
その中腹に織幡神社がある。
この地で武内宿禰 ( すくね ) が赤白二流の旗を織って、
神功皇后に献上したことからこの名が付き、
宗像市では宗像大社についで歴史の古い神社である。

また、志賀の皇神 ( すめかみ ) とは、志賀島にある志賀海神社のことで、
海の守護神である。



長崎県新上五島町青方郷  「 艫 ( とも ) じり石 」

2016-09-11 01:55:14 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣





























現在も青方港がある場所を 「 青方港相河 」 と呼んでいる





「 艫じり石 」 がある青方郷相河は、中世期には 「 鮎河 」 と呼ばれていた。
古くから青方港の一部として、遣唐使船の風待港として知られている。
ここ相河埼には、遣唐使が繋留したといわれる「艫じり石」が大切に保存され、
石祠で祀られている。
また、地元では 「 艫じり石 」 は、 「 ともづな石 」 とも呼ばれている。