「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第5位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 グルメ雑誌 」

2016-09-27 06:00:32 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

     今朝のカシオペアは北にあり、
     細く受け月になった月は東へ移動し、
     南のオリオンの右横を星が流れた。

     昨夜は蒸し暑くてたまらなかったのに、
     あれからわずか数時間しか経っていない今朝は、
     一変して涼しくて雲泥の差だった。

     ひところ寒ささえ感じた気候になって、
      「 このまま一気に秋だな 」 と、思っていたら、
     なんと、昨日はクーラーを入れた。
     「 まさかまさか 」 の30度超えである。
     もう、暑い夏ともオサラバと思っていただけにウンザリである。
     
     予報では、今日からしばらく雨が続きそうである。
     単発的な雨ならばいいが、なんでも長く続くと飽きられる。
     そんな今日の順位は5位で、
     ラッキーポイントは、
      「 グルメ雑誌 」 である。

     節約志向が良い方向へ・・・
     再利用を検討してみては?


          

福岡市東区  ・   『 志賀島 』  岡松和夫

2016-09-27 02:43:35 | 文学・文化・映画作品








志賀島は、博多湾と玄界灘を隔てる海の中道の先端に続く
周囲約11キロの楕円形の小島である。

岡松和夫の 『 志賀島 』 は、昭和50年 ( 1975年 ) に発表され、
その年の第74回芥川賞を受賞した作品である。

『 志賀島 』 は太平洋戦争前後の混乱期の博多を舞台に、
作者の分身である青柳 宏と、国民学校の同級生で米軍の銃撃を受け、
視力障害者となった竹元 啓がたどる人生の変遷と戦争の悲劇とを、
少年やその家族を凝視し続けることで描き尽くしている。

このモチーフは、岡松文学の主軸を成しており、
戦時中の博多の街が巧みに描かれ、
九州帝大での捕虜生体解剖事件や福岡大空襲も織り込まれ、
奥深い作品となっている。


「 『 志賀島がみえるねえ。昔のままや 』 不意に竹元が云った。
宏は黙ったままだった。
今日は宏の眼には志賀島は見えなかった。海は靄 ( もや ) に覆われていた。
『 うちが流れついた雁ノ巣の松原までよう見える。美 ( うつく ) しか 』
よく見ると、竹元は眼を閉じているのだった。
『 こうして眼をつぶらんと見えんとやけん 』
竹元はそこから眼を開いた。
竹元は笑った。その笑顔はもうすっかり青年のものだった 」



岡松和夫は昭和6年 ( 1931年 ) 福岡市に生まれる。
旧制福岡中学校、旧制福岡高等学校を経て、東京大学文学部仏文学科卒。
1954年に東京大学文学部国文科に学士入学。

1955年、 「 百合の記憶 」 が
「 文藝 」 全国学生小説コンクール佳作第一席として
青柳和夫の筆名で 『 文藝 』 に掲載される。
この時の佳作同期に大江健三郎がいる。
1956年に国文科卒業。大学院に入るがほどなく池田亀鑑が死去。
翻訳家の平井呈一の姪である瀬山梅子と1957年に結婚。
横浜学園高等学校に勤務。

1959年に 「 壁 」 で第9回文學界新人賞受賞。
1964年に立原正秋が編集長格の同人誌 『 犀 』 に参加。
ほかに加賀乙彦、佐江衆一、後藤明生、高井有一らも参加していた。

1966年に関東学院短期大学国文科専任講師に就任、
1968年に助教授となり、1973年には教授へ昇任。

作家としては1974年、「 墜ちる男 」 で第70回芥川龍之介賞候補、
「 小蟹のいる村 」 で第71回芥川龍之介賞候補となり、
1975年、 「 熊野 」 で第72回芥川龍之介賞候補になり、
翌1976年、 「 志賀島 」 で第74回芥川龍之介賞を受賞した。

1981年、研究者としてブラジルのサンパウロに滞在。
1985年、 「 面影 」 で第12回川端康成文学賞候補となり、
1986年に 『 異郷の歌 』 で第5回新田次郎文学賞、
1998年には 『 峠の棲家 』 で第2回木山捷平文学賞をそれぞれ受賞した。

国文学者としては一休宗純の研究などを行っていた。

2012年1月21日、肺炎のために逝去した。80歳であった。



長崎県宇久島  「 肥前長崎鼻灯台と古志岐島灯台 」

2016-09-27 00:41:22 | 長崎の灯台



長崎県宇久島  「 肥前長崎鼻灯台と古志岐島灯台 」






























































長崎県宇久島 ・ 満潮時の 「 肥前長崎鼻灯台 」

























灯台表番号 / 6104
ふりがな / ひぜんながさきはなとうだい
標識名称 / 肥前長崎鼻灯台
所在地 / 長崎県佐世保市 ( 長崎鼻 )
北緯 / 33-16-21
東経 / 129-09-28
塗色 / 白色
灯質 / 単明暗白光 明3秒暗1秒
光度 / 110カンデラ
光達距離 / 5.5海里
地上~頂部の高さ / 7.55m
平均水面上~灯火の高さ / 9.9m 
地上~灯火の高さ / 7.1m
業務開始年月日 / 昭和35年1月20日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅲ型白 )


最初ここを訪れた時は、満潮だった。
その時、 「 大潮などの干潮になると歩いて灯台下まで行ける 」 と聞いたので、
それで 「 今度来る時は ” ど干潮 ” の時に来よう 」 と決めていた。
ここに来る目的は、実際に灯台を訪れたという証にもなる
灯台の名が書かれた 「 銘板 」 が魅力である。

















灯台表番号 / 6101
ふりがな / こしきしまとうだい
標識名称 / 古志岐島灯台
所在地 / 長崎県佐世保市 ( 古志岐島 )
北緯 / 33-18-06
東経 / 129-10-16
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度78カンデラ
光達距離 / 5.0海里
地上~頂部の高さ / 13.10m
平均水面上~灯火の高さ / 70.2m 
地上~灯火の高さ / 11.2m
業務開始年月日 / 明治27年9月3日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅲ型白 )


古志岐島灯台を撮るのに、揺れる船上ではなく、
近距離で見れるのも魅力だった。