「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 雨に躍れば ( 枯れ葉の戯れ )」

2016-09-30 12:26:33 | 日記 ・ イベント







今朝の庭での光景である。
蜘蛛の糸にひかかった枯れ葉が
雨に打たれてくるくると
バレリーナのように踊っていた。



第10位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 消しゴム 」

2016-09-30 06:00:51 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

     今朝はバケツを引っくり返したような雨が降っているので、
     ムサシの散歩は控えたが、この雨がいつまで続くかわからない。
     
     このところ天気予報に傘マークがズラリと並ぶ。
     そんな雨にちなんだ馬の詩を随時掲載したいと思っている。

     以前、 「 馬の詩 」 というホームページを作っていた時期があったので、
     その中から、雨をテーマーにした競走馬をいくつか紹介していきたいと考えているけれど、
     写真がデジカメじゃない時代の物なのでなかなか見つからないが、
     雨だと探す作業も気兼ねなく出来るので、ボチボチ作っていこうと思っている。
     そんな今日の順位は10位で、
     ラッキーポイントは、
      「 消しゴム 」 である。

     大事な人との絆にヒビが・・・
     相手の気持を尊重しよう!


     

長崎県南島原市  ・ 口之津港から出航した 「 からゆきさん 」

2016-09-30 05:17:08 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



口之津の 「 からゆきさん 」









「 からゆきさん 」 の資料が展示されている資料館























わずかな衣類と故郷の想い出を詰め込んだ旅行鞄




















「 からゆきさん 」 とは、唐行き ( からゆき ) 、の漢字から来ている。

明治から大正にかけて島原、天草地方の貧しい農家や漁村の娘たちが、
口之津港から石炭船の船底に隠されて、中国や東南アジア各国に売られて行った。
その娘たちを 「 からゆきさん 」 と呼び、貧困の悲劇として語り継がれている。

彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫 ( ピンプ ) などと呼ばれた斡旋業者、
女衒たちである。
こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、
海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。
女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。
そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、
みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいた。

からゆきさんを多く出した長崎県の島原地方や、
熊本県の天草地方などに語源があるようで、
今は " 唐天竺 ( からてんじく ) " という言い方はあまり聞かなくなったが、
かつての日本では、外国と言ったらひっくるめて、
唐や天竺 ( インドのこと ) と呼んでいたので、
外国に行くことは " 唐行き ( からゆき ) " だったのである。

ただ当時は " からゆきさん " という言い方はされず、
醜業婦、賤業婦、密航婦、島原族、天草女などと、新聞や本ではそう表現されている。
娘子軍 ( じょうしぐん ) と言われることもあるが、
もともとは、女の軍隊の意味で、世界無宿、と呼ぶ人もいたようである。

ちなみに、 「 島原の子守唄 」 は、 “ からゆきさん ” のことを唄ったものである。


 おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
 梨の木 育ちよ
 何の梨やら 何の梨やら
 色気なしばよ しょうかいな
 はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ
 鬼(おん)の池ん 久助(きゅうすけ)どんの 連れんこらるばい  


愛する親や兄妹と別れ、故郷を離れて行かなければならなかったことを思うと、
いたたまれない気持ちである。



長崎県平戸市  「 長崎元祖・じゃがいも焼酎 【 じゃがたらお春 】 」

2016-09-30 04:53:53 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒














意外と知られていないが、
長崎県はジャガイモの生産は、北海道に次いで日本2位である。
そんなジャガイモを使った焼酎が 「 じゃがたらお春 」 であるが、
これは、クセがなくすごく飲みやすい焼酎である。
その商品名にもなった「お春」は、
寛永2 (1625) ~ 元禄10 (1697)に実在した人物である。

お春は、江戸前期、鎖国によってジャガタラ ( ジャカルタ ) へ追放された,
長崎生まれの混血女性である。
父イタリア人航海士ニコラス・マリンと
日本人の母マリアとの娘で、洗礼名はジェロニマという。

寛永13 ( 1636 ) 年に江戸幕府はキリシタン取り締まり強化のため、
ポルトガル人およびその妻子287人をマカオへ追放した。
さらに島原の乱後の同16年イギリス人、オランダ人などと結婚した日本人
およびその混血児ら32人を追放した。
その中に15歳のお春や母、姉もいた。

6年後、21歳のお春は平戸生まれのオランダ人シモン・シモンセンと結婚。
東インド会社の事務員補であったシモンセンは、
のちに税関長へと昇進し、同社の外交折衝においても活躍した。
公職引退後は手広く貿易業を営み、奴隷を多数使って裕福な生活を送った。
お春との間に4男3女をもうけ、そのうち3人は早世した。

一家は本国オランダへの召還命令を受けたこともあったが、
日本人の血統であることから引き続き居住することを許された。
1672 ( 寛文12 ) 年5月夫の死後、
お春は高額な遺産を相続し、残された家族と共に、
経済的には何不自由のない生活を送った。

1692 ( 元禄5 ) 年5月17日にお春は遺言状を書き、
若くして未亡人になった娘マリアや孫達に遺産を分配し、
自らの手で 「 ぜらうにま しるし 」 と日本の仮名で署名した。
お春は 「 千はやぶる神無月とよ 」 で始まり、
「 あら日本恋しや,ゆかしや,見たや 」 という
ジャガタラ文 ( 鎖国下、ジャガタラへ追放された人々が母国へ宛てた手紙 ) によって、
江戸時代から今日に至るまで、悲劇のヒロインとして知られ、
短歌や流行歌にも歌われている。
しかしお春のジャガタラ文は、長崎の文人西川如見による創作といわれ、
史実のお春との間には大きな落差がある。

同じ長崎の口之津に残る 「 からゆきさん 」 とは違うが、
長崎には、こうした話しが残っている。



長崎県平戸市志々伎町   ・ 福田酒造 「 じゃがたらお春 」

2016-09-30 03:39:40 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒



「 じゃがたらお春 」 が造られている福田酒造








福田酒造の前にある 「 志々伎漁業協同組合 」






その酒造所は、のどかな海に面した志々伎町の漁協の前にあった。

鎖国令以降、外国人と日本人との間で生まれた子どもたちが、
南方の島・ジャガタラへと追われた。
彼女らが母国への思慮を綴った 「 ジャガタラ文 」 から、
“ じゃがたらお春 ” の名がついたジャガイモ焼酎である。