すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

願うは、「心穏やかに 笑みを浮かべる義母」

2022-11-15 | ノルウェーの福祉
皆さん、お元気ですか?
2週間、アップできませんでした。
覗いてくださっていた方、ごめんなさい。

実は、
義母の転院でバタバタしておりました。

元の施設も待機している人が多いので、
退去も早急に進めたいと
家族で頑張っておりました。

洗濯機、乾燥機、冷蔵庫などの電化製品、ソファなど、
大きいものはネットですぐに全て売れ、
皆さん、すぐに取りに来てくれました。
お陰様で この週末には、
綺麗に家を空け退去することができました。

ネットの普及あり、
大きい物も自分で運んでしまうフットワークの軽さ、
相方さんの兄妹の結束力のよさもあり、
「10日」で済ませた。

予期せぬ速さでした。

お義母さんは、かなり弱っており、
お医者さんが入院の依頼をするものの、
病院が満室で叶わず、
冷や冷や度は、高まるばかり。

そこへ、待ちに待った
Sykehjemmeの空きが出たと
知らせが来たのが、月曜の夕方。

二日後、水曜日に義母は引っ越しました。

Sykehjemmeとは、
患者10人単位で、医者、看護婦がおり、
個人に合わせてゆったりと関わってもらえます。
個人の部屋には、トイレ、シャワー室、テレビもあり、
家具も持ちこめます。

家族・客人が来たら、
お茶をしながらくつろげる共有のリビング、
食堂では、コーヒーやお菓子も頂ける。
コンサートなど行事も定期的にある。
(日本で言うと、何に当たるのでしょう?)

義母が、これまでいたのは、
Omsorgsleilighet
(日本で言うサービス付き高齢者マンション?)で、
ヘルパーの日常的サポートが受けられます。
看護師はいますが、医者がいない。
家族が病院に連れて行くか、
非常時は
かかりつけの医者が往診してくれていました。

義母は、喋れない上に、
呼びベルを押せなくなるなど、
多くの点で、義母がここで暮らすのは、
きつくなっていました。

手違いでSykehjemmeへの手続きが
遅れていることが発覚したり、
本当にヒヤヒヤする日々でした。

でも、幸いにも、何とか間に合った。
家族は、どんなに安堵したことか。

高齢者の需要に対して、
施設が不足しているのは、
ノルウェーも同じだと思います。

お義母さんも安心したのか、
忍耐の緒が切れたように眠り続けました。
体の痛みもあり、
ますます弱っていくのがわかります。

検査をして原因を突き止め、治療をする。
もう、そういうことはしない。

それが、
本人の希望です。

私たちも覚悟しなければならない時期。

どのような心構えで、
この時期を過ごせばいいのでしょう。

私の父母、義父の時とも違い、
改めて考えました。

心穏やかに 笑みを浮かべる義母

それだけをイメージして、
できるだけ自然体で過ごすことにしました。

義父が亡くなったのは、
昨年6月末。

その頃、ちょうど咲き誇っていた花が、
不思議と今、
うちの居間で
また花をたわわにしています。



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簡易テストのお蔭かな? 義母回復しています

2022-06-24 | ノルウェーの福祉
 


日曜日のこと

あかんわあ。
今日は、晩ご飯、どっかに食べに行こう!

日本にいる間も気がかりだったお義母さんは、
想像以上に食べれなくなっていました。

その上、私が戻る一週間ほど前から、
「電話をかける、受ける」が
できなくなっていたのです。

食べれなければ
体力・脳力が落ちる。
娘さんたちと喋れなければ、
気力・脳力が落ちる。

最初の一週間だけで、
落ちていくのが目に見えました。

これは、まずい!

彼女にはもっとサポートのある施設が
必要なのですが、
まだ順番待ち状態。

7月には、
常勤ヘルパーさんが夏休みを取り始める。
つまり対応が乱れる。

これ以上彼女が落ちないよう維持しなくては。

そこで、日中・夜と私たちは
できるだけ通うようにしていました。

そのストレスが言わせたんです。
「あかんわあー」

こういう時、私には、
家からうーんと離れるのが一番!

ただ、この日は雨天寸前、
まだ膝が完全でないので山にも行けない。
時間的に遠出もできない。

そうだ!
一度行ってみたかった
Toves Tradisjonalmatに行こう!
(トーベの伝統料理)

もう4時過ぎ、車で45分かかる。
電話で確認すると、
「今、花を売るのが忙しくて、
 料理してられないのよ。
 簡単なものなら、あるわよ」。

え、お花も売ってるんだ! 
夕飯はさてき、ますます行きたくなる。

運転は私、
一本道の運転が結構好きなんです。

苗も買って、まったり過ごす。

うーん満足。

これで、また来週頑張れる!



「私が日中、相方さんが夜」、
お義母さんの所に毎日行くと決め、
床に着きました。

さて、翌朝。
熟睡し目覚めた私に
相方さんが、申し訳なさそうに見せたものは・・・
家で出来る簡易テスト。

「えーーー、コロナに感染したの!?」

じゃあ、私も!? 

ところが、私は陰性。

「このタイミングで、
 お義母さんの所に行けなくなったら、
 どうなる?」

とっさに二人は、距離を置きます。

相方さんは、
自分の仕事部屋にベッドもあるし、
トイレも横にあるので、
完全隔離。

陰性である限り
私が行く。

私の日本語教室は、
今週が夏休み前の最終週。
しかし、生徒さんたちは、
日本帰国(まだ陰性証明書が必要)や
長期旅行を控えているので、
キャンセル。

アンティークブティック・エーデルでの仕事、
歯医者も、買い物も
お義母さんのところへも、
通常通り。

自分で簡易テストをして、6
日目。
お揚げ様で、まだ陰性です。

2500人の会社の集まりに
出席した直後の相方さん。
喉の違和感に「もしや?」と、
テストをしてくれたお蔭で、
私、義母への感染を防げました。
(その後、彼は熱、咳が出てきた)

職員さんとも連携し、
サポートを続行できたお陰で
(私はそう信じている)
お義母さんは、少しずつですが
(この少しが大きい!)
回復してきました。

トロムソでは、家でする簡易テストは、
生徒も含め学校関係者には無料配布。
市民全員には、
一箱(5回分)が無料配布されました。
もちろん、薬局でも買えます。

いつ頃からだったかなあ?

すっかり通常に戻っている今頃、
「簡易テスト」の恩恵に与りました。


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膝を傷めた機会に 「医療システム」について

2021-10-26 | ノルウェーの福祉


2021.10.8.

この写真、相方さんの撮影なんです。

というのは、私ただ今、松葉づえで、
治療に行く以外、
もう2週間家に籠っています。

膝に違和感を感じ始めたのは、
ほぼ1か月前。

そのまま2週間ほど過ごしたのが、
まずかったと反省。

今は、少しでも早く完治するよう、
集中しているところです。

これまで、あまり医者に行かずに済んでいたので、
この機会に
ノルウェーの医療システムを少しご紹介しますね。

 一人一人に専任の医者が決められる。

1.国民一人一人に専任の医者(Fastlege)が決められる。
(気に入らなければ、変えることもできる)

2.ネットで予約を取り、内科でも、外科でも、
 まずは、Fastlegeに診てもらう。

公立の施設に何人ものFastlegeがおり、
Fastlegeの範疇を超える時は、
行くべきところを指示してくれるのです。

ただ今回は、私のFastlegeは予約いっぱいで、
診てくれたのは、そういう時のために控えている
大学を出たばかりの新人医でした。

専任の医者から、枝分かれ

彼の診断は、

「膝に水が溜まっているようだ。
レントゲンを撮りましょう。

Fysioterapeuto((理学療法士)は、
自分で予約してくださいね。」

レントゲン撮影は別の個所で 
なんと12日後だというのです。

はー!?
手遅れになったらどうするの!? 

すると、相方さん。

「彼が、言っただろ?
 もし、悪化したり、熱が出るようなら、
 すぐに来るんだよって。
 急が必要なら、 
 たぶん病院に回してくれるんだよ」。

なるほど、確かに言ってました。

Fysioterapeutoは、運よく、
その日に取れました。
テーピングをしてもらい、
脚が固まらないようにとトレーニングも教えてもらい、
ずいぶん楽になりました。

レントゲンの結果がまだ来ない!


これは、自費購入。

数日後、別の個所が痛み、立てなくなり、
車椅子でFastlegeを再来。
(この日から松葉杖。
これも、もっと早くすべきだった!)

腫れが随分引き新たな病名が出てきた。
「ベーカー嚢胞」。

まあ、何にせよ、確定するには
レントゲンが必要。

その後日、レントゲンを撮ったのですが、
まだ結果が来ていません。

はー!? 
結果が出る前に治るわ!
(いやいや、そんな早くは無理、むり・・・)

日本に慣れているからか、
せっかちになりがち。
(日本に慣れているからやて・・・?)

まてまて、ちょっと冷静になってみましょう。

ノルウェーのシステムの、長所は、

・一人の医者が患者一人に関わるので、
 断片的な診察になりにくい。(あくまでも推測)

・ちょっとしたことで、
 すぐ病院にいく患者の流れを防げる。

・予約制で、待ち時間がない。

しかし、短所は、
病院以外の設備が十分でないなど、
迅速性に欠けることでしょうか。
ゆったりしている、
と捉えるべきか…。

あれ、日本と正反対な現象!? 

とあらためて気づきました。

そして、自分の将来についても気づくことが多く、
「ちょいと休憩やな。
 これは、これで悪くないな」
などと、過ごしています。

とは言え…

実態がわからなければ、
Fysioterapeut も適切な処置ができんやろ!
遅すぎやで!

次回は、レントゲンの話ができますように。


市から借りた(無料)椅子が、大活躍!

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サービス付きマンションへの引っ越し

2021-06-09 | ノルウェーの福祉

先週、義父母は、
市営のサービス付きマンションに
無事に引っ越すことができました。

訪問へルパーによるサービス

父の持病ポリオには、
普通の筋力トレーニングは、筋肉を壊すので、
特別な方法が要ります。
近年ポリオに通じる医者、トレーナーがおらず、
義父は自分でトレーニングを続けてきましたが、
ここ半年の衰えは顕著。
母は、喋れない、右手が使えない状態はほぼ同じです。

これまでのマンションでは、
ヘルパーさん(看護婦の資格もある)が定刻に来て、
着替え、入浴、食事の温め、
軽食の準備(パンを切って、ハムやチーズをのせる)、
洗濯、トイレ周りの掃除、
薬の処方など、
身の回りのことを手伝ってくれました。

サービス付きマンションとは?

今回引っ越したサービス付きマンションには、
キッチン、居間、寝室、トイレ、シャワーがあり、
全く普通です。

そこに、ヘルパーさんが来て、
これまでと同様に手伝ってくれます。

さらに、何かあれば、
ブザーでヘルパーさんがすぐに来てくれるし、
病気の対応もしてもらえます。
マンション内のカフェで食事ができるし、
テイクアウトもできます。
このマンションでデイサービスをしているので、
アクティビティに参加することもできます。

屋上のテラスは景色もよく、新鮮な空気も吸えます。
あちこちへの移動がいいトレーニングになり、
人との会話が確実に増えるのです。

脚が不自由で、
喋れない母との生活にストレスがたまる義父にも、
義母にも最高の場所です。

サービス付きマンションに入るには?

市(全てをコーディネート)が、
担当の医師、看護婦、作業療法士、言語聴覚士から聞き取り、
「自宅は無理。ここで生活するのが適切」と判断し
許可が出ると、入居申請ができます。

昨年10月、彼らには、この許可も出て、
空きもあったのです。

それでも、彼らは、
自分たちのマンションでもう一度、暮らす決心をしたわけです。

そして、「もう限界だろう」という時期に、
空きの知らせが来たのです。

サービス料、賃貸料は?

年金の金額は、働いていた時の収入で決まります。
そして、サービス料は、
その年金の額によって決まります。

サービス付きマンションの賃貸料は定額ですが、
支払いが難しい場合、
国からの補助があり、誰もが入居できる仕組みです。

父母を尊重する子どもらの力!

引っ越しに不安を抱く義父母を配慮し、
私たちは、妹さん夫婦と、
刺激しすぎないペースで準備してきました。

部屋の改築で入居日は延び、
部屋の間取りも知らされない。

そこで、工事中に私が
採寸に押しかけることになりました。



受付の人も 大工さんも 押しかけを 快く迎えてくれました。

狭くなるので、
持っていくものも選ばなければなりません。

 
これは、どの家具を どう置く? 事前の準備に 役立ちました。

話の出来ない義母と
最も話ができるのは義妹さん。

そこで夫婦で、車で3時間をかけて、
何週間も通ってくれました。

 

 
モルタルの壁に カーテンレールも取り付け、 ひとやすみ

病気の治療を終えたばかりの
もう一人の義妹まで、
当日来てくれたのには驚きました。

お蔭で、引っ越しの3日後には、
以前の「家」の雰囲気たっぷり!

 


 お気に入りのテーブルは、上に載っているものも場所も そのまま
 

 左手しか使えない義母のために 高さを揃えた 義弟の 手作りチェスト

引っ越し直後は、
連絡の不備でトラブルが続いたんですよ。

でも、ヘルパーさんの代表と改めて話をし、
サービスも安定してきています。

町中にあるので、
おばさんたちも
早速訪問してくれました。

87歳と86歳。

引っ越し後、義父母に笑顔が戻りました。

私たちも よくやった!

おつかれさま~!乾杯!

今度は、前の家の片づけですわ~。

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成果が出た!コロナ第二対策期へ

2020-04-16 | ノルウェーの福祉

昨年買ったカランコエ、小さなひと花、つけました!
「国を挙げて取り組むとき」が腑に落ちた日

3月15日(日)テレビに国王が登場しました。
(国王が国民に向かって話すのは、大晦日だけらしい)

「今、第二次大戦後最大の緊急事態です。
ノルウエーには、信頼し合うシステムがある。
感染を防ぐために、
政府の決断を信頼し、従い、
一人一人が責任をもって行動する。
友人とコンタクトを取り合い、助け合い、
この未知なる、恐れを伴うトンネルを共に抜けるのです。」

この2日前にエルナ首相がコロナ対策を説明した時、
コロナ法令のことにも触れました。

「『コロナの対策には迅速さが必要で、
 国民を通している時間はなく、
 政府が対策を決定していく。
 議会の3分の1が反対すれば、実行しない』。
 このコロナ法令は、6か月間とする」。

子どもへの説明と言い、
こうした明確な話に、
「国を挙げなければならぬ状況」を多くの人が理解し、
長期戦を覚悟したのではないでしょうか。

 大事な話には、テレビでは手話が付く。当然、字幕は操作でつく。

国民の不安を和らげる経済支援

国民の不安を和らげるには、
コロナ対策に経済支援が欠かせません。

ざっと紹介します。(今までに出た三弾から)

・解雇(一時解雇も)された者に、給料の60~80%を支給。
      (給料の金額による)(初めの20日間は100%)
 アーティスト,フリーランサーの基準は、過去3年間の平均収入。

・経営者は、特別低金利で銀行から融資を受けることができる。
 担保がない場合、国が保証。
・学生ローンは、この期間の分は返済不要。(まだ検討中)
・税金は、この期間支払わなくてよい。

これなら、支援の必要な人たちに妥当なお金が届くでしょう。

また、私には、政府の人たちの表情が印象的でした。

議会での長い議論の末、
野党も与党も全員一致で決定し、
分担して説明し、
満足そうに笑顔で讃え合っているのです。

私もテレビに向かって、思わず拍手してしまいました。

あとは、どれほどの期間で、どれだけの成果が出るか?

イースターに 山に行かなかった?

イースターの休み(4月9~13日)は、
ノルウェー人にとって大きな楽しみの時。

宗教行事は、各自自宅でされます。

例年、多くの人が山小屋に泊まってスキーをします。

これは、長い冬の人にとって、開放の時。

ただ、雪崩も起こる時期で、
ヘリコプターでの救援も珍しくありません。

事故が起これば、
すでに人手不足の病院、救援隊の仕事を増やすことになる。

今年は、県を超えて山小屋に行くことは禁止され、
「正しいイースターを過ごしてください」
と政府は何度も言いました。

「正しい」かあ・・・どうなるだろう?

 イースターが終わってみると、
「事故は全くなく、高い山に登る人もほとんどなかった。
 前代未聞だ」。

とのこと。

正直、私は驚きました。

信頼に応える国民の一面を見たような気がしました。

1803年築,1975年うちの近所に移転。今,教会のドアは閉まったまま。

4週間目を前に、成果が出始めた!

このイースターの休みに、

コロナ対策の成果が出てきたのです。

感染者増加数のグラフが、
横ばいになり、さらに下降してきた。

目標:感染のスピードを落とす。
その目安は
「感染した1人から感染する数が『1』」

それが「0.7」になったのです。

これは、大きな進展です。
(しかし、首都オスロはまだ増加中)

凶器?にもなれば、七色にも輝く!

慎重に、慎重に。失敗は許されない。

これから、コロナ対策第二期です。

4月20日から、保育園、幼稚園が、
4月27日からは、小1~4年生の学校が始まります。

そのために今、学校や幼稚園は準備をしていますが、
もし間に合わなければ、遅らせてもよいのです。

夏までに平常に戻れるよう、
学校、幼稚園が、様子を見ながら手段を決めます。

もし感染数がまだ増えるようなら、

元に戻すことになるでしょう。

「まだまだ、序の口。

 慎重に慎重に。

 決して油断はできない」。

エルナ首相は言います。

雪がたっぷりある!と作ってみました(2階キッチンの窓際)

* * ** * * ** * ** * * **

「信頼のシステム」とはどういうことなのか?
縁あって来たノルウエーは、どんな国なのか? 

私の乏しいノルウエー語力では、

読み聞きに苦戦するばかりですが、頑張っとります。

日本の人口は、ノルウエーの24倍。
政治の仕組みや価値観の違いを
痛感する今日この頃。

(例えば、未だにノルウエー人は、
 人との距離はしっかりとるが、
 普通の生活で、マスクは一切しない)

何か役に立つことを願い、

ノルウエーのことを書いていきますね。

拙いですが、皆さん、よろしくお願いいたします。

そして、ともに乗り切りましょう!

雪ウサギも祈ります。「世界が上手く進みますように」。

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自宅隔離 明けて触れた「現実」

2020-04-05 | ノルウェーの福祉

皆さん、桜の美しい季節、

いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

実は、私の37~37.5℃の熱と頭痛は、
まだ続いておりました。

まさか、コロナ?

咳も喉の痛みもないのですが、
コロナに感染していてもおかしくありません。

私は、観光客が多い店で働いている。
私は、トロムソで骨折した日本人旅行者を手伝って
病院のホテル、空港を行き来していた。

無症状で感染しているのを知らずに
感染を広めていた症例もある。

これは、2週間の自宅隔離が要る。

コロナの検査は、感染経路の明確な人優先で、
症状の軽い人は、病院に行くより、自宅隔離するよう、
政府も勧めてました。

2週間後、医者に行ってみると・・・

いつ咳が出てくるか、とヒヤヒヤ。

隔離2週間経て、咳は出ず、頭痛もなくなったものの、
依然37.5℃が続く。

一体、何?
尿感染の自覚が無きにしも非ず。

日曜だったので、
相方さんは保険会社の医者に電話で相談してくれました。

指示通り、試薬品を薬局で購入、チェックして報告すると、
明朝一番尿を取って担当医に連絡するようにとのこと。

明朝、担当医から打診を受け、午前中に予約が取れました。

原因がわかる。
久々に外界に出れる!

でも、病院でコロナもらわへんやろか?

ウキウキ、恐る恐る病院に行きました。

コロナ仕様に変わっていた担当病院

病院に着くと、入口には鍵がかかっており、
いつもと様子が違います。

モニターで確認・開錠・入室。
待合室に人がおらず、
背中合わせか、2m離れた座席のみの使用。
予約のため、待ち時間はほとんどなく、
前後の患者とすれ違う以外、患者同士の接触はない。

担当病院の待合室

コロナのテスト機関は病院外にあり、

症状の重いコロナ陽性者は
大きな病院で治療を受けることになっていますが、

小さな病院も
コロナ対策をとったシステムに完全に変わっていたのです。

私の結果は、感染するものもない、
尿、血液、血圧異常なし。仕事もしていいとのこと。

「何かあったら、すぐ連絡して」と医者が言ってくれるので、
まあ、ひと安心です。

久々に仕事に行き、またも現実に触れる

職場EDELに事情を伝えると、
「店を開けているのは4時間だけだし、
客もほとんどないから来る?」
ということで久々に私は出勤しました。

当然、ここにもコロナの影響があり、
店長は、大きな決心をしていました。

今、ノルウェーは不要不急の入国を禁止しているので、
観光客はゼロ。
学校の閉鎖は、4月13日までに延期され、
子どもも大人も自宅学習・勤務。
通常、人でいっぱいのメイン通りにも人はいません。
ホテルや旅行関係以外も、
街の店は軒並み休業。
まったく先は見えません。


水曜日午前10時 EDELの前のメイン通り、Storgata

EDELは開けているものの、客がほとんどない。
つまり、収入がない。
しかし、店の賃貸料の支払いはある。

国の経済支援もあるのですが、彼女の結論は、

「一旦店を閉めて引っ越す。
 だけど、必ずここに戻ってくる」。

店長は、相変わらず
通りゆく数少ない人と笑みを交わしながら、

話してくれました。

想像はしていましたが、
あらためて身につまされます。

**** ** *** ** ***

今年は、異常な量の雪が、

4月になっても振り続けています。

先日、久々のオーロラ!
コロナ(爆発的に天から降り注ぐような現象)も現れました。

あんたこそ、コロナやったなあ。
そのパワーで、このコロナども、
地球から連れ去っとくれーーーー!


雪が積もって、キッチンの窓半分まで!ちなみにキッチンは2階です。
 
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「安心」と「福祉国家の一面」義母の脳梗塞から

2019-09-10 | ノルウェーの福祉

「そろそろリップス摘みに来てね!」と言おうと思っていた矢先のこと。

義母さんが倒れた!?

8月29日夜8時過ぎ、お義父さんからの電話。
「お母さんが倒れて、今、救急車を呼んだ」と。

私たちもすぐに駆け付け、
運ばれる母の意識がなく、体が傾いた様子に察しがついた。

「脳卒中だ」。

相方さんと義妹さんは病院へ、私は足の不自由な父と家で留守番。
義父は義母が倒れる瞬間を見ており、
すぐに電話したし、救急車の到着、対応も迅速。
これ以上早い対応はなかった。

よい結果を祈りつつ、待つこと4時間。
「血管内の血栓は、全て取れた。
しかし、2個の大きな血栓があったため、
既に脳に損傷があり、身体に後遺症が残る」。

私は、脳内出血と脳梗塞を患った父母の経験から、
これから起こることを想像した。

しかし、私には想像できなかった
家族の団結と医療システムの経緯を見ることになる。

ええ? もう始めるんですか?

翌日、義母に会う。

右半身麻痺、食べることができない、喋れない。

母の姿に泣き崩れた父、
車を飛ばし夜中に着いた妹さん夫婦を含め、
もう一人の妹さんと私で、医者から話を聞く。

その後、カフェで家族会議。

その日は、
一人の妹さん夫婦は、一人暮らしになる父のサポート申請など父のことを、
私ともう一人の妹さんで母に付き添うことになる。

たまたま私が一人でいる時、言語療法士が来て治療を始める。

しかし、母は、まだ自分で頭をもたげることもできない。

これで、もう始めるの?
と驚いていると、彼女は私に説明を始め、
「やってみて」と言う。

え?私?

しかし、母の嚥下リハビリにも携わった経験が私にスイッチを入れる。

「上手じゃない」とニッコリ。

また翌日も彼女は、
たまたま私が一人の時に来て、次の方法を伝授。
家族ができると、少しでも刺激の機会を増やすことができるからだ。

母が、顎を動かし、つばを飲み込んだ。
「やったー!」と喜ぶ私に、母もニコッ。

笑顔が出た。これも大きな変化。

もう一つ驚くことに、2日目から身体のリハビリも始まった。

椅子に座れて、椅子からベッドに歩いて移動するではないか!
右側は麻痺しているのに。

ちなみに義母は、84歳。
もちろん、個人の状態によるのだろうが、
この治療の進め方の早さに驚いた。

「明日、救急車でリハビリセンターに移ります」

入院7日目、医者から説明があるというので家族が揃う。

「明日、リハビリの為にFinnsnes(トロムソから車で3時間、船で1時間 半)に移ります。
 そこが彼女にとって最適なリハビリ場所だ。
 新たに脳梗塞発症の時には、トロムソで治療をする(救急ヘリコプターでトロムソまで10分)」。

どうして? トロムソにリハビリ施設はないの?
誰が決めたの? 家族が選べるんじゃないの?

そんな私に、相方さんは淡々と答える。

「彼女に最適なリハビリを受けられる場所が、
たまたまトロムソじゃなかったんだ。
先生が決めた。そこは病院の管轄だから。

病院には患者がどんどん入ってきて、ちゃんとリハビリできない。
ここはあくまでも治療だけで、
リハビリは別の場所で施されるんだよ」。

なるほど。

「病院でリハビリを受け、退院後の施設を家族が決める」
という日本と、システムが違うのだ。
病院の仕事の中で、
「治療」と「リハビリテーション」が早い時点で区別されるのだ。

● 父発熱

Finnsnesは、妹さんの家から近いので、お父さんも妹さんの家で暮らすことになった。

ところが、出発当日父は熱を出し、父は母より遅れていくことになる。

妹さん二人が、母の服などを用意して船で、

母は救急車でFinnsnesまで移動。

私が救急車の母を見送り、相方さんと父のフォローをすることになる。

● 環境でこんなに違うんだ!

妹さんたちがリハビリセンターに先に着き、母を迎える。

外の景色が見える自分の部屋で
目つきがはっきりした母の写真が妹さんから送られてきた。

2枚目には、
皆が集まるリビングでテレビのニュースに見入る母の姿。

翌日送られてきた動画では、
編み物の得意だった母が左手で毛糸を繰ろうとしている。
病衣でなく、自分のピンクのセーターを着た母は、イキイキと見える。

環境でこんなに違うんだ!

写真だけでも、たった2日のこの変化に驚く。

 **********************************

お父さんの熱も下がり、体調も戻ってきて、
安心してこれを書いています。

義母が倒れてから、最も近くに住む私たちが、
毎日父のところに行っていたのですが、
時間差で見舞いに行く家族から電話があり、
毎日、父を通して、母の進化を共有している感じ。

そのお陰で、長く病院におれない父にも、
母の様子がよくわかり、皆が笑顔でおれました。

当初こそ泣いたものの、前向きに相談しながら、
手分けして取り組む家族。
自分の父母の時のこととも思いだし、
泣けてくる私も、彼らから大きな安心をもらいました。

また、私の介護経験が生きたこと、
私の話す言葉が母に通じたこと、
私の手を左手で何度もギュウと握ってくれたり、
ニコッとしてもらえたこと、
私自身が「家族の一員」「役に立ってる」という実感を持てたこと。
トロムソに来て、初めての貴重な体験でした。

そして、これが、発症後10日にもかかわらず、
すでにリハビリセンターにも満足し、家族は安心して過ごしています。

さらに、この入院費用から全て無料です。

まだまだこれからですし、新たな脳梗塞の可能性も忘れてはいけません。
義母が、いろいろな面で、ラッキーであったことにも感謝です。

しかし、この10日間で、幸か不幸か、

「福祉国家」と呼ばれる国の一面に助けられたのも事実です。

来週は、私たちがFinnsnesに行くことになっています。

どんなお母さんに会るんだろう? 
リハビリセンターにも興味津々。
うーん、待ち遠しい。

病室に活けた薔薇は、我が家でまだ美しく咲いています。

コメント (2)
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