すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

「段取り」とは別の「わけのわからなさ」

2009-06-30 | 素老日誌

 09.6.27.より

● 私がいないと何もできなくなる?

「わけがわからんようになってきた。
何したらええんやろ。
晴子ぉ~!教えてちょうだいか」。

私の母の口癖である。

「口癖」というのか、
そう言わざるをえない心境に陥りやすいということだろう。

「自分がしたいことしたらいいやないの」
「自分でも考えてみたら?」

 いくら母に返しても、パニくってくるばかり。

そんな母を見ていたら、つい
「あれ、したら?」「これしてちょうだい」
と指示してしまうのだ。

することがわからないと
母は、すぐにベッドに横になって眠ってしまう。

こんなことしていたら、私がいなきゃ、何もできなくなってしまう。
ずっと横にいなくてはならなくなってしまうのではないだろうか・・・。
どうしたらいいんだろう?

そうは思っても、「指示をする」しかなかったのだ。

● だから、わけがわからなくなっていたんだ!

先日、母の心境を少し垣間見たような気がした。

「何か役に立つことをしよう。
何したら役に立つんやろう?」
そう思うと、わけがわからなくってきて、頭がおかしくなってくる。

「さあ、今日はデイサービスだ。何着ていこう? 
前と違う服を着ていこう。
前は何を着ていったんやったかなあ? 」
ところが、前に来て行った服が思い出せない。
昨日の服も思い出せない。
そのうち頭が変になってくる。

そういうことらしいのだ。

認知症の特徴として、
「段取りができない」ということがある。

どういうことか、というと・・・

「服を着る順番がわからなくなる」
「次に何をする。その前に何をする」
ということを考える力が衰えてくるのだ。

母の「わけがわからんようになってくる」は、
そういうことだろうと、ひとくくりに解釈していた。

しかし、「段取り」とは別の「わからなさ」があったのだ。

「役に立ちたい」
「その日だけでなく服装で自分を演出する」
ということをずっと考えて、母は生きてきたんだ。

だから、わけがわからなくなるのだ。

なるほど~!と、私は妙に納得した。

そこで、ちょっと母への返答を変えてみることにした。

「今、何がしたいのか?」
「今、どうしたいのか?」

「今の自分」に気持ちを向けてもらうようにしてみよう。

その成果というのだろうか・・・
先日、母にちょっとした変化が起こった。

それについては、また明日書くことにしよう。

 


最近泣いたことありますか?

2009-06-26 | おむすびティータイム

 おむすびティータイム

今日はどんな人に出逢うかな?
おむすびティータイムは、
参加者で作るライブの場です。

 

2009年6月18日より

●泣いたって、いいんだよ

今日の参加は、7人。
久しぶりにインタビューゲームをしました。

Tさんは、いつもティータイムまでの車の中、
今月のできごとを思い出してみるのだそうです。

 豊吉:今日はどんなことを思い出していました?
 Tさん:いつも楽しいことばっかり出てくるのに、

     今日は泣けてきたことが思い出されてきました。

     泣けてくることだから、話さなくていいです。

 そういえば・・・・

 インタビューのはじめの質問を決めることが、時々あります。

「嬉しかったこと」
「ドキドキしたこと」
「ときめいたこと」など・・・・

でも、「泣いたこと」は、まだありませんでした。

泣くことが悪いわけじゃないし、 
泣きながら話したっていいのだし、 
話したくなければ話さなくていいのだし・・・

ということで

「最近泣いたこと、ありますか?」

この出だしで、インタビューゲームをすることになりました。 

●話すうちに消えていく「涙」

インタビューのまとめに
「泣く」ということが出てこないものもありました。

泣いたときの話をしているうちに
「泣くほどのことでもなかったか」と気持ちが変わっていき、
 結局違う話で盛り上がってしまったというのです。

 なーんだ!めでたし、めでたし!

●子どもの前だけで見せる「涙」

子どもとのやり取りで、
うまく伝わらないもどかしさを感じることはよくあります。

「どうして伝わらないの?」と泣き、
「何で泣くんや」という子どもの表情を見て泣き・・・

ところが、

同じ人でも夫の前では、泣くことはないと言われます。

「この人に感情をぶつけてもダメ」と思っているからだそうです。

相手によっては、
「もどかしい」と言っていつも泣けるわけでもないんですね。

子どもに甘えているのか、
子どもの前だと正直になれるのか?

伝えようとする前段階の気持ちは、
何によって違ってくるのでしょうね?

●陰で流す「涙」 

話しても話しても平行線。

それが本当にわかってほしい相手であればあるほど、泣けてくる。

だけど、目の前では泣けない。

これは結構つらいかも・・・・

そういう時は、ティータイムでお話してみてください。

話しているうちに
心の重荷を軽くしていただけるかもしれません。

●共感して出る「涙」

若いころは、友人が泣くのを見て
「どうしてこんなことで、泣くんだろう?」とよく思ったもの。

それが、

最近で本や映画やテレビ、音楽を聞いていても、すぐ泣ける。

年齢と共に体験も増え、共感できることが増えたってことでしょうか?

人生が豊かになるとともに、泣けることも増えるんですね。

●今の自分には理由がわからない「涙」

人の話しを聞きながら涙が出ているんだけど、
共感したり感情が高ぶったりしているわけでもなく、
涙が勝手に出ているときがある。

ある特定の神仏の前や美しいものに出会ったときに、
考える間もなく瞬間的に涙が勝手に流れていることがある、
という話もありました。

人には、生きている自覚している記憶だけでなく、
遺伝子が持つ記憶というものがある、という話を聞いたことがあります。

そういう部分に触れて泣けているのかもしれませんね。

まだまだ「未知の自分」が潜んでいるわけです。

 

まだまだいろいろな涙がありますよね。

ふと、こんな詞が浮かんできました。

     あれ、いつもの私と違うみたい・・・・

 

涙・・・
それは、感情を伴うこともあれば、
感情を伴わないこともある。

だけど、間違いなく
何か理由あって、あふれ出してくるもの

それが何なのか?

そう想うだけで、
今の自分が見えてくる
未知なる自分を感じることができる

涙は、魂のゆらぎ。

抑えることなく 素直になってみよう

 


 


これが、麦だよ!

2009-06-11 | ほっとひといき

教室の子どもたちに前回の麦畑の写真を見せてみました。

  晴子:これ、何だかわかる?

  生徒:えー、なんやろ・・・?

     秋みたいやなあ。

  晴子:これ、3日前に撮ったんだから、秋じゃないよ。

  生徒:そうなん? わからんー!

  晴子:これよー。(この写真を見せる)

  生徒:・・・

  晴子:麦よ、麦。

  生徒:あ~、麦。麦って今なんやー!

 

「どの写真がいい?」と8人(小5~中1)に聞いてみました。

ばらばらに聞いたのですが、

8人とも選んだのが、

この写真でした。

やっぱり、わかりやすいのがいいのかな~?

 


梅林の隣に麦畑があったなんて!

2009-06-11 | ほっとひといき

この時期の恒例行事になっているのが、梅採りです。

 「今年は梅の生りが悪くてなあ・・・」。

毎年梅採りに行かせていただいているおばちゃんからでした。

そこで、「今年の梅採りはなし・・・また来年!」

ということになりました。

 

梅採りを予定していた6日。

梅の様子を見に、ドライブがてら行ってきました。

こで、大発見!

いつも梅を採っていた梅林の裏に、麦畑が広がっていたのです。

毎年、そこにあったのでしょうが、
これまで全く気がつきませんでした。

そのことにびっくり!

私にとって、気持ちよく癒された気分になっていましたが、
「梅」にしか神経がいっていなかったのか・・・・。

 麦畑、青空、新緑のコントラストがとっても鮮やかで綺麗です。

 来年はもう少しゆったりと梅の季節を楽しみましょう。


城跡の風に吹かれて ~ 雲龍・笛の演奏会 ~

2009-06-09 | セミナー・イベント

●無謀な企画・実現に感謝

「垂水城で雲龍さんの演奏会をしてほしい」。

今回は、その一声で始まりました。

私にとって、
垂水に垂水城があった、という事実は、
驚きであり、興味深いことでした。

そこで、「垂水城のことをもっと知りたい。
他の人にも知っていただけるチャンスだ!」
と企画することにしました。

垂水たんけん隊では、垂水城の勉強会もしました。

風に吹かれ、
雲龍さんの笛とともに夕陽を見ながら、
古に今に思いを馳せていただきたい。

なーんて、ロマンチックなことを考えたものの、
公園の使用許可や駐車場や諸々に対処していたら、
皆さんにお知らせできたのが、当日2週間前。

雨続きでお天気もどうなることかと心配しましたが、
寒いもののお天気に恵まれ、
43人もの方々に参加していただけました。

無謀な企画だったかもしれませんが、
いろいろなお助けで無事終わることができました。
本当に本当に感謝感謝でした。

●垂水を感じながら

演奏会の前に、私から垂水城の案内をさせていただきました。
5月14日の勉強会の講師の方にも来ていただいておりました。
勉強の成果はいかに・・・!?

「垂水城のことも、この公園にも初めて来ました」。
近隣に住む人でも、そういう方がほとんどでした。

お話の内容は、
垂水たんけん隊活動日誌VOL.3をご覧ください。

http://www7.plala.or.jp/tarumitanken/

●晴れても雨が降っても、大丈夫!

 会場が屋外ということで、
「雨降ったらどうするの?」と何度も聞かれました。
どうしたものかと考えるうちにふと気がつきました。

 そうだ、雨が降ったら、S.L.S.すぎなですればいいんだ。
そうすれば、雲龍さんの笛を身近で聞いていただけるのだし、
垂水城の話を聞いてから、また垂水城に足を運んでいただけばいい。
 だから、晴れても雨がふっても、大丈夫!

 「晴れたら、よし」という縛りから解き放たれた瞬間でした。

●風は、あまのじゃく

 演奏会が始まって間もなく、私は自分の耳を疑いました。
 雲龍さんの笛の音が小さくこもってしまっているのです。

 「そうか・・・風が吹き込んでいるんだ!」

 野外なら、風に乗ってどこまで笛の音が届くことだろう。
なんて胸を膨らませていましたが、
四方八方上から下から吹く風なんて、
想像もしていませんでした。

私は主催者として、
自分の浅はかさに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

しかし、雲龍さんは、顔色一つ変えず、
言い訳一つせず、吹いていらっしゃいます。

風と吹き込む息との加減を探るべく、
全神経を集中していらっしゃるかのようでした。

そうか・・・雲龍さんは、この風を承知でここに立たれたのだ。

聞かせるだけの笛の演奏家なら、こんな状況ではきっと吹かない。

自然と一体になって感じるままを音にしようという雲龍さんだから、
この風と向き合っておられるのだ。

「風のあまのじゃく!いい加減にして!」

と言いたいところですが、仕方がありません。

私にできることは、何だろう?

しっかりと耳を傾けること。
この貴重な場に専心すること。
  
私は緊張した体の力を抜きました。

●自然とのコラボレーション

時とともに風も次第に穏やかになり、
雲龍さんの笛も風に乗ってきていました。
あの風のおかげでしょうか。
すっかり雲も晴れています。
陽は、西の空低くなり、
布引山や広がる雲は黄金色から茜色に染まり始めました。
 
最後の曲を吹き終わり、
雲龍さんが唇から笛を離す・・・夕陽の最後の影が山の端に落ちる。

その絶妙なタイミングにため息、歓声、拍手!

笛の音とともに、夕景をお届けしたい。
そんな私の思い以上の状況に言葉も出ませんでした。
「自然とのコラボレーション」とは、こういうことでしょうか。
  
●風を受け入れる

演奏会後、
雲龍さんは、演奏中の胸中をこのように語ってくださいました。

「どんな状況でも吹かせていただく。それが私の原点です。
『大丈夫かな』と思いながらも向かうことが大事。
後は、任せるしかありません。

風に逆らわない。風を受け入れる。
それは、祈り。
自分で何かをしようと思わず、身を任せること。

背に風と陽を受け、大地のぬくもりを感じながら、
風に乗っかっていくんだな、と思いました。
また、皆さんの思いが伝わってきて、助けられました。

 最後は、『完結した。それまでの笛は必要だった』と思いました。 
 でも・・・正直言って、必死。『時間』の観念がなくなりました。
穴があったら入りたい気持ちがありましたよ(笑)」。

 


  自然は思い通りいくものではない。
  いつも味方をしてくれるとも限らない。
  晴れもよし、雨もよし、風もまたよし。
  どんな状況も逆らうことなく、
  すべてを受け入れる。
  その結果、
  思いもしない贈り物があるものだ。

 

夕陽を背に笛を吹く雲龍さんのシルエット、
名も知れぬ公園に43名もの人が耳を傾けている。

私には、忘れえぬ光景になることでしょう。
 
この贅沢なひとときを皆様とともに迎えられましたことを
心より感謝申し上げます。ありがとうございました。 
                            


やろうと思ったことを全部しようと思ったら、ダメ!

2009-06-03 | 縁側の日

縁側の日
 月に一度
 中道和久さんをお招きして開いています。
 認知症に関心のある人、
 どなたでもどうぞ!

 

この日の参加者は、中道さんを入れて7人でした。

ケアマネージャーをしていらっしゃる人が、新しく参加してくださいました。

この日は、他にも初めて参加される方がお二人あり、自己紹介をしているうちに時間となってしまいました。
一人ひとりの話が濃厚で、自己紹介を通じて出てきた話だけで、たっぷりでした。

その中で印象的だったのは・・・・

● やろうとしたことを全部しようと思ったら、ダメ!

お父様とお母様が二人とも、認知症

・・・つまり「認認介護」の状態になり、このまま放っておけない。

そこで、両親のお世話をするために仕事をやめた、という方が参加されました。

 もしも、自分がこの方の立場ならどうでしょう?

 「仕事までやめたのだから」と、

あれもこれもしてあげよう、と思ってしまいませんか?


 私なら、きっと思います。

 そして、「あれをしてもだめ、これをしてもだめ。

仕事をやめてまで、ここにいるというのに、何やっているんだろう」と自分を責めるような気がします。

 この日、中道さんからも初めて参加されたケアマネージャーさんからも出たアドバイスがありました。

 「やろうと思ったことを全部しようと思ったら、ダメだよ。それでは、自分がつぶれていくからね」。

これには、私ははっ!としました。

これは、認知症の介護に限らずいえることではないでしょうか?

「完璧を望まない」。

物事に取り組むとき、何事にも言えることではないのかなあ。

ほっと気が楽になる言葉でした。

本当はもっと伝えしたいことがあったのですが、
今回の報告は、短いですが、ここまでにいたします。

全部しようと思ったらつぶれますから。(笑)