ストローハットの行ってきました

あっちこっちお出かけ写真です。

西国第十四番札所 三井寺 Ⅱ

2023年12月06日 | 西国33ヵ所

12月3日「西国第十四番札所 三井寺(みいでら)」に行ってきました。滋賀県大津市
園城寺町(おんじょうじちょう)京阪電車 石山坂本線「三井寺駅」より歩いて10分

ほどです。



08:30 駅に着きました。12月です。ちょっと寒い。  (^^♪



駅を出てすぐ「琵琶湖疎水(そすい)」が流れています。 



7年ぶりにお参りに来ました。その時は桜の季節でした。



冬の桜。 (^^♪





桜は7年前の画像です。 (^^♪



今回は紅葉。今年最後の紅葉狩りになりそうです。 (^^♪



疎水の紅葉 きれいです。 (^^♪



「仁王門」へ。県道47号伊香立浜大津線(いかだちはまおおつせん)を歩いていき
ます。この道は琵琶湖を自転車で反時計回りに一周する長距離サイクリングルート
通称「ビワイチ」のコースの一部になっています。 (^^♪



「仁王門」が見えました。(ユネスコ「世界の記憶」国際登録)1992年後世に語り伝
えるべき文書や写真を残すために創設され、本年5月25日三井寺が所有する「世界最

古のパスポート」と云われる文書が登録されました。 詳しくは後ほど。 (^^♪



正式名称「長等山 園城寺(ちょうとうさん おんじょうじ)」7世紀頃の創建とされ
開基は天智天皇の孫にあたる「与多王(よたのおおきみ)」貞観元年(859年)に唐
から帰国した留学僧の「智証大師 円珍(ちしょうだいし えんちん)」が再興した
天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山です。



「仁王門」宝徳(ほうとく)4年(1452年)常楽寺(じょうらくじ 現滋賀県湖南市)
に建立。のちに伏見城に移築。慶長6年(1601年)伏見城から徳川家康が当寺院に寄
進しました。 お引っ越し大変ね。 (^^♪





拝観料を納めてと。



受付正面。「食堂(じきどう)」



「釈迦如来像」をお祀りしています。



「金堂(こんどう)」へ。 いい色ですな。



石段を上がり、「三井の晩鐘(ばんしょう」です。宇治の平等院、高雄の神護寺とと
もに日本三銘鐘に数えられています。



妖しげなパネル。「鉄鼠(てっそ)」平安時代、園城寺の阿闍梨「頼豪(らいごう)」
が白河天皇より戒壇道場建立の勅願を得ましたが当時対立していた比叡山延暦寺の横
やりにより頓挫。護摩行21日間のち壇上で果ました。その怨念が8万4千匹の鼠となっ
て比叡山の堂塔や経典食い荒らしたそうです。 おそろしや(^^♪



こちらが「金堂」 正面の画像なかった。 (^^♪



慶長4年(1599年)北政所により再建。天智天皇が信仰していた弥勒仏が秘仏として
祀られています。



金堂より。





「三井寺の 門たたかばや けふの月」 松尾 芭蕉 句碑
 
元禄4年(1691年)旧暦八月 中秋の名月の日に「義仲寺(ぎちゅうじ)」(現在の
JR琵琶湖線「膳所駅」の近く)で開かれた句会で一同盛り上って琵琶湖に舟を漕ぎ
出し、芭蕉が舟から三井寺の塔頭をながめて詠んだ句だとか。 風流やね。 (^^♪





「唐院」智証大師の御廟所です。



前述の「最古のパスポート」とは智証大師が唐留学時代に役人から交付された「過所
(かしょ)」と云う通行許可証です。よく残っていましたな。 (^^♪









休憩処。いい雰囲気やね。 (^^♪



「智証大師 像」





「観音堂」へ。 残ってる紅葉より落ちた紅葉のほうが多いですな。



俯いてはる。 (^^♪





この石段を上がると「観音堂」です。



ふり返ると。



「観音堂」 元禄2年(1689年)再建。 御朱印をいただいてと。 (^^♪





左が「観音堂」紅葉の所から上がってきました。



「手水場」





「大津絵(おおつえ)」寛永年間(1624~1644年)今の大津市辺りで発祥したと伝わ
る民俗絵画です。土産物や護符として売られていました。いいタッチですな。 (^^♪

「大津絵の 筆のはじめは 何佛」  松尾 芭蕉




上に展望所があります。 見晴らし良いけど膝には良くない。やめとこ。 (^^♪



ここからでも琵琶湖見えます。 ヨットに観光船。 (^^)/





冬が来る 秋はここにと 浮く伊呂波   (^^)/~~~







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西国第十一番札所 醍醐寺 Ⅱ

2023年11月22日 | 西国33ヵ所

11月19日 「西国第十一番札所 醍醐寺(だいごじ)」に行ってきました。京都市伏見
醍醐東大路町(だいごひがしおおじちょう)京都市地下鉄東西線「醍醐駅」より歩
いて15分
ほどです。



08:40 駅に着きました。



今シーズン初の紅葉狩りです。「おけいはん、紅葉のなかへ」行きましょい。!(^^)!



正面は「醍醐山」かな。



いい感じの住宅街ですな。色づいているです。 (^^♪



「総門」に着きました。7年ぶりの来訪です。前回は桜の季節でした。手前の道は
「京都府道・滋賀県道782号醍醐大津線(旧奈良街道)」です。 



「三宝院(さんぼういん)」庭園が有名な醍醐寺さんの塔頭寺院です。並んでるな。
もっと並ばないうちにここを先に見に行こう。



「三宝院」永久3年(1115年)創建。醍醐寺第14代座主「勝覚(しょうかく)」開山。
御本尊は弥勒菩薩です。



門の右側「唐門(からもん)」平成23年(2011年)修理完了。北政所(きたのまん
どころ)の寄進で建立されたとも云われています。きれい、金ぴかやね。 (^^♪



りっぱ。 なんの木かな。 (^^♪



「三宝院庭園」へ。



慶長3年(1598年)に催された「醍醐の花見」のために秀吉自ら設計したとか。



きれいな流れ。 秋が沈んでいます。 (^^♪



「唐門」なかから。 (^^♪



それでは「大玄関」からなかへ。



きれいな襖絵。「長谷川等伯(はせがわ とうはく)」一派の襖絵だとか。



「表書院」唐門とともに国宝になっています。撮影禁止と表示している仏像とか
以外はすべて撮影OKです。



表書院から眺めるための「観賞式庭園」です。なかには入れません。(^^♪



「五大力尊仁王会(ごだいりき りきそん にんのうえ)」五大力さんですな。鏡餅を
持ち上げる2月の恒例行事です。テレビで毎年中継しています。レプリカよね。(^^♪





「純浄観(じゅんじょうかん)」醍醐の花見の造られた茶室を三宝院に移築したも
す。いいなぁ。 秋やねぇ。 (^^♪



「葵の間」下鴨神社から上賀茂神社へ向かう葵祭の行列が描かれています。



しだれ桜。 先ほどの紅葉の襖絵のつづきに描かれています。両方とも風景画家の
浜田泰介(はまだ たいすけ)氏の作です。伏見稲荷や石清水八幡宮の障壁画も描か
れている方だとか。違い棚、ぴっかぴっか。 (^^♪



額縁の秋。(^^♪



それでは、金堂・五重塔へ。 (^^♪



「桜馬場」総門から仁王門までの560mの参道です。両脇に桜が植えられています。
それで桜馬場かな。(^^♪



「仁王門」正式名称「西大門」慶長10年(1605年)豊臣秀頼により再建。



仁王像迫力あります。



こちらは阿形像。



「醍醐山 醍醐寺」貞観(じょうかん)16年(874年)創建。「聖宝(しょうぼう)」
開山。真言宗醍醐派の総本山。上醍醐と下醍醐合わせて200万坪以上の境内を持つお寺
さんです。





「金堂(こんどう)」永仁・文明年間に二度の焼失。紀伊湯浅「万願寺」の本堂を
秀吉の命により
慶長5年(1600年)に移築。



「五重塔」醍醐天皇の死後、菩提を弔うため第三皇子の代明(よしあきら)親王が
起工。20年後の天暦5年(951年)に完成しました。総髙38㍍ 国宝です。(^^♪




いい色 (^^♪



「日月門(にちげつもん」。昭和5年(1930年)実業家の「山口玄洞(げんどう)氏」
が寄進しました。そのほかの神社仏閣や育英慈善事業にも多額の寄付をし昭和・大正
の寄付金王と云われた人物とか。お金持ちだったのね。(^^♪



「観音堂」 醍醐天皇一千年御忌を記念して昭和5年(1930年)建立。上醍醐にある
それまで十一番札所であった「准胝堂(じゅんていどう)」が平成20年8月24日未明
の落雷により焼失してからこのお堂が札所になりました。HPは「准胝堂跡」と記載
してましたのでまだ再建はしていないみたいです。



御朱印をいただいてと。





「弁天池」が見えます。観音堂を出てお池へ。







「弁天堂」に渡る朱色の橋、映ってますなぁ。 (^^♪



「弁天堂」弁財天をお祀りしています。ここが醍醐寺の紅葉の見どころです。(^^♪



お池をひと回りと。





(^^♪



ここまでが下
醍醐。柵の向こうが上醍醐です。「准胝堂跡」まで坂道を歩いて1時間
以上おっちゃんまだ行ったことありません。だってしんどいのいやだもん。 !(^^)!







映る秋 ふすまの秋と 落ちる秋    (^^)/~~~








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西国第十七番札所 六波羅蜜寺

2023年02月08日 | 西国33ヵ所

2月5日「西国第十七番札所 六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)」に行ってきました。
京都市東山区轆轤町(ろくろちょう) 京阪電車「清水五条(きよみずごじょう)駅」
より歩いて7分です。



09:20 駅に着きました。



5番出口ね。



地上に上がってきました。 まっすぐ行くと四条大橋です。



南天かな。 



上の道は川端通り。



右に曲がってと。



いい暖簾やね。一棟貸しのお宿だそうです。 (^^♪



あと3分 (^^♪



ここね。



8年ぶり、5回目のお参りです。



「 補陀落山 普門院(ふだらくさん ふもんいん)六波羅蜜寺」 天暦(てんりゃく)
5年(951年)創建。 開基 村上天皇  開山 空也(くうや)上人。真言宗智山(ちさん)
派のお寺さんです。



境内は入った門から奥に見えるお堂まで。こじんまりした街なかのお寺さんです。
十一面観音立像のお出迎え。(^^♪



一つ 二つ 三つ・・・十一と。  (^^♪



まずはご本堂へ。



ご本尊は「十一面観音」像高258㎝ 12年に一度辰年の時にのみ開帳される秘仏です。
お参りをすまして御朱印をいただいてと。(^^♪ 堂内撮影禁止です。



ご本堂正面からの写真撮り忘れた。 (^^♪



「福寿弁財天堂」草創以来600年の日本最古の七福神巡りのお寺さんでもあります。
冒頭の弁財天像の置かれているお堂です。七福神で唯一の女神。金運・財運の神様
であります。おがんどこ おがんどこ (^^♪



鎌倉幕府が「六波羅探題(たんだい)」をおいた場所なのね。幕府の京都支部みたい
なもんですかね。(^^♪



その昔この辺りは、京都三大墓地の化野(あだしの)・蓮台野(れんだいの)・鳥辺
野(とりべの)のなかの鳥辺野という処でした。当時は風葬が主だったようでそこら
中に髑髏(どくろ)が転がっていたとか。現在の地名のろくろ町はどくろから変化し
てなったという説があるそうです。 怖いところだったのね。 (^^♪




弁財天堂とご本堂の間です。



左は「平清盛公乃塚」です。 この辺りは平氏の本拠地でもあったとか。



御頭だけね。



赤い前垂れ たくさんのお地蔵さん。 昭和44年(1969年)の本堂解体修理の時に
境内の発掘調査で発見されました。 葬送の地やったからね。ありますわな。 (^^♪




手水 コロナで水出ません。 (^^♪



「一願石」 なんか回してはります。



あの円盤を回すのね。それではおっちゃんもくるくると。 (^^♪





「なで牛」



ツノはさわったらあかんのね。 (^^♪



「銭洗い弁天堂」へ。七福神めぐりの御朱印やお守りを授けているお堂です。





一番左が「銭洗い弁天様」です。





「結縁お守り」



それでは銭洗い弁天様にお願いをと。



かごに入れて、お水をかけてと。百円はお賽銭にと。



お守りを買ってと。



なかにキーホルダー型のお守りが入っていました。 残りの100円はお守りの入って
いた紙袋に買っていたLOTOと一緒に包んでケースに入れました。
お願いね。 !(^^)!




みなさんも お願いね。  (^^)/




お守りいろいろ。 (^^♪





「令和館」 最近できたのね。



寺宝を展示してます。見にいこ (^^♪



ここはいるのね。



きれいね。梅が咲いてる。(^^♪





かの有名な「空也上人立像」を展示しています。運慶の四男 康勝(こうしょう)作。
南無阿弥陀仏を称えるくちから六体の阿弥陀が現れたという伝承のままに造られた
写実的彫刻である。 とパンフレットに書いてました。 (^^♪




ひとたびも 南無阿弥陀仏と いふ人の はちすの上に のぼらぬはなし
 (一度でも南無阿弥陀仏と称えた人は阿弥陀様の救いによって極楽浄土の蓮台の上
   に生まれ変わる)
         空也上人「拾遺抄(藤原公任 ふじわらのきんとう)撰」より



何回も ロト当たってと いう人の さいふに金は あるときはなし 
(年がら年中宝くじ当たってと云うとるような貧乏くさい奴は金持っとるわけがない)
          ストローハット「戯言抄(むぎわらぼうし)撰」より   (^^)/~~~












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西国第三十番札所 宝厳寺Ⅲ

2021年10月06日 | 西国33ヵ所

10月3日「西国第三十番札所 宝厳寺(ほうごんじ)」に行ってきました。滋賀県長浜市
早崎町(はやざきちょう)JR湖西線「近江今津駅」から琵琶湖汽船「今津港」発 竹生島
クルーズ船に乗換え25分です。

駅前まっすぐ歩いて行きます。



今津港 たくさんいるね。 (^^♪



車窓から撮りました。 琵琶湖いい天気です。 (^^♪



法衣の先達(せんだつ)さんがいました。お参りの団体さんですな。 (^^)/



09:30 出港です。 !(^^)!



漁師さん おはようございます。 (^^)/



「琵琶湖」面積669.26k㎡(滋賀県面積の1/6)周囲長235.20㎞  平均水深41.2m
貯水量27.5k㎥ 湖中島 4島 近畿の水がめ 日本一の湖であります。(^^)/




髪が風にふらふら スマホ持ってる人差し指がちょっといい感じ (^^♪



航跡(ウェーキ)もいい感じです。(^^♪



「竹生島(ちくぶじま)」見えてきました。面積0.14k㎡  海岸線長2000m 花崗岩の
一枚岩で形成。 琵琶湖で2番目に大きな島です。「神の島」 (^^♪



夜間は無人島になります。人が往来するのは島の南の一部で北部ではカワウ(川鵜)
のコロニーが形成され糞害でかなり樹木がやられたとか。



あそこに接岸ね。琵琶湖湖岸から竹生島に行くには3コースあります。彦根港からと
長浜港そして今津港 (^^♪




魚釣りしてはります。 いいね のんびり (^^♪



高速船「いんたーらーけん(びわ湖光秀号)」全長26.1m 最高速力21.02ノット
旅客定員170名  竹生島に接岸であります。定員の6・7割乗ってはったかな。




ようこそ竹生島へ 5年ぶりであります。土産物屋さんだいぶ模様替えしはったみたいです。



ゴミ箱ございません。 (^^♪



「琵琶湖周航の歌 歌碑」 加藤登紀子さんバージョンがお気に入りです。(^^♪



きれいになってるね。 (^^♪ この先が拝観受付です。



左の石段を上がります。



5年ぶりの階段であります。 かなり急だ。しんどい。5年の月日は長い。(^^♪



石段にそれぞれ名前彫ってある。今まで気づきませんでした。「今津 橋本 兵右門」
奉納石段なのかな。前回までまっすぐ前をみて上がってましたが、今日はヒーヒー
云いながら下向いて上がってたからね。ケガの功名 使い方あってるかしら。 (^^♪



なまずさん描いてる。「ビワコオオナマズ」は琵琶湖の固有種として有名です。(^^♪





「本堂(弁才天堂)」まで上がっていきます。



本堂見えました。「厳金山(がんこんさん)宝厳寺」神亀(じんき)元年(724年)
聖武天皇の勅願により「行基(ぎょうき)」が開山したと伝わる真言宗豊山(ぶざん)
派の寺院。ご本尊は「大弁才天」です。


「竹生島棒術発祥之地  石碑」平安時代末期 流祖「難波平治光閑」が竹生島弁財天
より夢想奉得したと伝わる古流棒術の一派です。現在は十八代宗家「松浦 寛澄 氏」
が長崎県大村市の本部道場で活動中とか。続いているのね すごい (^^♪




御本尊様以外は撮影OKということで。きれいですな。



「弁才天の幸せ願いダルマ」 ダルマさんの中に願い事を書いた紙を収めて奉納します。 (^^♪





本堂横 きれい (^^♪



「三重塔」に上がってきました。平成12年 江戸時代に焼失したものを350年ぶりに
再建しました。



後ろがせまいんでね。 正面からの全景はむりでございます。 (^^♪



「唐門(からもん)」へ



港が見えます。ここ降りるのね。手すりを持ってと。



「楽寿 観世音菩薩像」



拝んどこ 拝んどこ  (^^♪



「唐門」前回は修復中でした。本日はこれを観るためにお参りにきました。
昨年修復が終わり、きれいです。 (^^♪




秀吉を祀った京都東山の豊国廟の正門である極楽門を秀頼の命により移築しました。



ちょいズーム。堂内は人いっぱいで撮影できませんでした。残念 (^^♪



「観音堂」撮影禁止 を通り「舟廊下」に来ました。観音堂と「都久夫須麻(つくぶ
すま)神社を結ぶ渡り廊下です。




慶長17年(1602年)にこれも豊国廟から移築されました。秀吉の御座船「日本丸」
の用材を使用したことから「舟廊下」と呼ばれています。




振り返ると。



御本殿左から出てきました。近接撮影禁止です。「都久夫須麻神社」雄略天皇3年
(459年)に創建されたと伝わる神社です。ご神体は「竹生島」そのものだとか。 (^^♪



「社殿」かわらけ投げしてきます。 以前は「竹生島神社」でしたが、明治の神仏分離
で今の名称に強制変更されたとか。 いろいろあるのね。 (^^♪



「八大竜王拝所(はちだいりゅうおう はいしょ)」波打ち際に見えているのは
「宮崎鳥居」です。



社殿からこの土器(かわらけ)を投げて鳥居をくぐったら願い事が叶うと云われて
います。1枚目は名前2枚目は願い事を書いてと。願い事は宝くじお願いしますです。
年金生活者でございます。頼りになるのは現ナマしかございましぇん。 !(^^)!



2枚目通った。!(^^)! !(^^)! !(^^)!  年末ジャンボお願いします。 (^^♪



「舟廊下」の下を通ります。 「懸造り(かけづくり)」ですな。




赤い船は彦根港から来た観光船です。 (^^♪



見上げると「唐門」 (^^♪



岸にいるのは、サギさんかな。 



神の島 願いが沈むは 神の湖(うみ) (^^)/~~~



 

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西国第二十番札所 善峯寺Ⅲ

2021年06月30日 | 西国33ヵ所

6月26日 「西国第二十番札所 善峯寺(よしみねでら)」に行ってきました。京都
市西京区大原野小塩町(おおはらのおしおちょう)阪急電車京都本線「東向日(ひが
しむこう)駅」から阪急バスに乗換え「善峯寺」バス停で下車、参道坂道歩いて10分ほどです。



紫陽花シーズンは07:00拝観開始(通常08:00)です。始発のバスが到着するのは09:00
なので坂道歩くのしんどい&空いてるうちに行きましょうというわけで、東向日駅から
タクシーに乗って山門近くの一般駐車場までやって来ました。ぜいたくしちゃった  (^^♪




駐車場入り口から紫陽花咲く坂道を歩いて駐車場まできました。見えているのは山門
です。07:20 すでに参拝のお客さん来ているようです。4年ぶり前回に引き続きアジ
サイでございます。(^^♪




「文殊寺宝館」の後ろのお山は「釈迦岳(しゃかだけ」です。



「楊谷寺(柳谷観音)」、「光明寺」、「善峯寺」を合わせて「西山三山(にしやま
さんざん)」と称し三寺を繋ぐ道のことを「西山古道」と呼んでいました。祈りの道
信仰の道ですな。戦後交通機関の発達などで廃れてしまったそうです。他の二寺は既
にプログで紹介さしてもろてます。 (^^♪




あらためて「山門」前です。「西山 善峯寺」長元(ちょうげん)2年(1029年)源算
(げんさん)上人が創建したと伝わる天台宗系の単立寺院である善峰観音宗の本山。
ご本尊は十一面千手観音菩薩です。



全体はわかりますが、それぞれの名称が剥げててわかりゃん。 (^^♪



境内に入りました。あじさい見頃です。



窓に映ってるのもきれい。 (^^♪



「おちないお守り」



阪神大震災の時、阪神高速から落下せずにすんだ観光バスの運転手さんが持っていたのが
このお寺さんのお守りということで有名になりました。当時ニュースでよく見ました。



観音堂(本堂)前です。元禄5年(1692年)建立。お参りしてきます。



振り返るとこんな感じ。



鉢植えのお花もきれいです。 (^^♪



石段を上がります。



鐘楼が見えます。



釈迦岳(標高630.8m)の北東の支峰「善峯」の中腹(約300m)に位置しています。
今日はあいにくの曇りです。 (^^♪



「鐘楼堂」桂昌院(けいしょういん)寄進。五代将軍徳川綱吉の御生母です。母親
が娘のお玉(桂昌院)を連れて後妻に入った本庄家が以前から善峯寺とつながりが
あり、そのご縁で応仁の乱で焼失した堂宇の大半が桂昌院の寄進で復興したそうです。



因みに寺紋は「繋ぎ九目結紋(つなぎここのつめゆいもん)」本庄家の家紋が寺紋に
なっています。提灯の紋がそうです。 (^^♪



「護摩堂」



御本尊は五大明王(みょうおう)です。「不動明王・降三世(ごうさんぜ)明王・軍荼利
(ぐんだり明王)・大威徳(だいいとく)明王・金剛夜叉明王」



濡れてるアジサイ。 (^^♪



濡れてる葉。 (^^♪



「遊龍(ゆうりゅう)の松」樹齢六百年超。現在全長37m。国指定の天然記念物です。!(^^)!



標石は 明治26年 鳥尾小弥太(とりお こやた)陸軍中将の書です。





下から。



「多宝塔」国指定重要文化財



わんちゃんもご一緒に  (^^)/



本日のメインの「白山あじさい苑」に行きます。



「幸福地蔵」この下があじさい苑です。(^^♪



「自分以外の幸せを願いましょう」なるほどね。でもおっちゃん日頃、人様の為に
なんて考える心の余裕ないんで急には願い事思い付きましぇん。残念! (^^♪



見下ろすと。 !(^^)! !(^^)!




先ほどの地蔵堂です。懸崖(けんがい)造りですな。


谷へ降りていきます。


真ん中のあたりはガクアジサイみたいです。



上がったり下りたり。 (^^♪



地蔵堂を見あげて。 



見下ろして。(^^♪


いい色 いい濡れ (^^♪








約3000坪の庭苑に8000株のあじさいです。(^^♪


ひと回りしました。




「釈迦堂」へ。



手水舎 アジサイ見えます。 (^^♪



「釈迦堂」明治18年(1885年)建立。ご本尊は「釈迦如来像」源算上人の作と伝わります。





なんか立て札がある。



悠仁(あきひと)親王殿下のお印である「高野槙(こうやまき)」です。お誕生の
時に植樹されたのかな。お印とは皇族方が身の回りの品に付けられるシンボルマーク
みたいなもんです。因みに御父上の秋篠宮様は「栂(つが)」御母上の紀子様は「檜扇
菖蒲(ひおうぎあやめ)」です。 (^^♪



お堂はまだあるんですが、おっちゃん足が痛くなってきたので今日はここまでにします。 (^^♪



帰り道へと。



ここからね。 いい感じ (^^♪



これが高野槙ね。



日本の固有種ですか。


なんか巻き巻きしてる。 それで高野 槙なのかな。 知らんけど。 (^^♪



東門より歩いてバス停まで行きます。帰りはバスでと。(^^♪


かなり急なのよね。 おっちゃんもうこの坂は上がれんばい。 (^^)/




見上げる紫陽花 見下ろす紫陽花 (^.^)/~~~





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