山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

真言から祝詞へ

2024-01-03 22:14:35 | できごと・事件

 集落の小さな神社で元旦の午前7時ごろから新年会を行う。数年前までは、午前0時前に集まり、新年が来ると同時に「あけましておめでとう」のあいさつを行っていた。そのときに、サンスクリット語の真言をみんなで唱えていた。しかし、その意味を解する人が一人もいなかった。

 そこで、おらがたまたまその当番に当たってしまったので、わかる言葉の祝詞にしようと提案したら全員一致で了承された。その新年の祝詞は、一般的によく使われている「祓え給い、清め給え、神(カム)ながら守り給い、幸(サキワ)え給え」という言葉だ。

             

 たまたま知り合いからいただいていた「獺祭(ダッサイ)」の大吟醸・磨き二割三分と炭酸がある獺祭の「スパークリング」を奉納する。祝詞が終わるとともに、みんなで獺祭を堪能する。一応に「うまい」の連発。酒が苦手の人もすいすいスルーしてしまう。いつもだと、湯呑茶碗に酒を注ぐが、今回はお猪口にしたのが正解だった。獺祭効果か、話題も尽きずにささやかな新年会がはんなりと終了することができた。

   

 新年会が終わりしな、山から浮き出たご来光をみんなで見ることができたのも大発見。「来年以降はこの祝詞にしていこう」という声もみんなからいただいた。とはいえ、オラはアニミズムの自然信仰をよしとするので神道や仏教とは肌に合わない。

 そのうちに家に帰ってまもなく、近所の人がヤマノイモから作った「芋汁」を持って来てくれた。さっそく、新年の簡素で贅沢な朝食となった。戦時下の生死を抱えているガザ地区やウクライナ、それに北陸を襲った津波・地震の規模を想うと、心が痛くなる。それだけに、普通に生きていられることを感謝するのみだ。今年もこうした事象と対峙する一年になりそうだ。

 

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