山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

破天荒の怪人伝

2024-01-26 22:48:02 | 読書

 夢野久作『近世怪人伝』(文春学芸ライブラリー、2015.6)を読み終える。冒頭に紹介された「頭山満」は、日本の対外膨張政策を推進する右翼的な黒幕でありながら、中国革命の父・孫文、朝鮮独立の闘士・金玉均、インド独立の革命家・ボースなどの指導者を匿ったり支援した「玄洋社」の頭領である。その後は自由民権運動へと流れていく。

            (画像は国立国会図書館webから)

  子どものころから頭山満に可愛いがられていた著者は、頭山満の客観的な忠君愛国的活動というよりその好々爺ぶりや超然とした風格を講談調に紹介してくれる。著者の父・茂丸が亡くなったとき顔をくちゃくちゃにして泣いてお別れする頭山氏を忘れない。肩書・名誉・金銭に拘泥しない巨頭の赤裸々な人間的自然をユーモアを持って逸話の数々を語る。

 著者が「明治・大正・昭和の歴史に出てくる暗殺犯人が大抵、福岡県人である」と明言する背景は、ある面では「天下を憂い国を想う志士の気骨」を持っていると、北九州の青年を讃える。

           (画像は、板澤書房古書店webから)

  著者の父である杉山茂丸も頭山満氏とともに「玄洋社」を支える領袖でもあった。茂丸も頭山満と人間的にも思想的にも似たような生き方だった。が、著者は父・茂丸との接点はあまりないくらい、茂丸は自宅にいなかった。そのぶん、政財界に神出鬼没に暗躍する無冠のフィクサーだった。それもどちらかというと、組織的に動くよりひとりで大きなことをやらかす魅力をたたえていた。だから、彼の周りにはそのカリスマぶりを慕う人脈がそれとなく形成される。また、政財界や皇室にも未だ心身の影響を与えている中村天風も軍事スパイとして玄洋社から大陸へ渡っていた。

 茂丸→著者・久作→龍丸へと続く杉山三代の縦横な活躍は目を見張るものがある。その背景は黒田藩の伝統があったと著者は述懐している。

 (画像は、1935年発行の雑誌『新青年』口絵から)

 三人目はあまり知られていない奈良原到だ。「殺気を横たえた太い眉、青い地獄色の皮膚、精悍そのもののような巨躯」と表現された彼は、「凄愴の気迫さながらの志士」であると著者はその怪人ぶりを紹介している。当時の編集者は、「現代のハイカラな諸君に、このおじいさんを紹介して、諸君の神経衰弱を一挙に吹き飛ばしてみたくなった」と言うが、まさにドッキリ、痛快怒涛編となっている。

        

 四人目は魚市場の元気過ぎるドンだ。著者はこの篠崎仁三郎に倍以上のページを割いている。「処世の参考になんか絶対になりっこない奇人・怪人」のトリがまさに無名の魚屋だった。著者が一番筆が走った怪人だったのではないかと思えるほど捧腹絶倒のエピソードがつづく

  本書を読んでから、戦後日本の右翼や政治家がいかに狭小なものかを痛感する。不平士族の坩堝だった玄洋社の懐の広さに、直線的・人情的な心情に考えさせられる。最近の近視眼的な日本のつまらない事件にうんざりするが、この怪人たちのスケールの大きさ・奔放さに刮目する。それに、これが書かれたのが日本の満州国傀儡化が始まった軍靴轟く1935年(昭和10年)だった。

 

 

 

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