山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「竹垣の青き切り口年明ける 」

2024-01-08 21:46:32 | 屋外作業

 年末から年始にかけて、庭にあった植木鉢に防寒対策をする。オラんちの庭は冬には陽が全く当たらなくなる。そこで、畑の隣で陽当たりがよさそうな所に植木鉢を移動して防寒対策をしようとしたわけだ。地上から10~20cmほどの所に厚い板をかけ、そこに植木鉢を運搬する。つい水やりを忘れ枯らしてしまった失敗も重ねている。

           

 次は、支柱をX状に打ち込んでから寒冷紗を被せるが、そこにグラスファイバーの支柱を入れてパッカーで縦横に補強する。これは失敗の試行錯誤から産み出した創作作業だ。この作業は風が強い時を避けないとふりだしに戻される。   

 しかも、寒冷紗の上にビニールを被せるから余計だ。ビニールシートに穴あけもしてあるので喚起や雨浸透もなんとかクリアする。強風をさらに緩和するために竹を伐ってきて両側に補強する。内側には刈り取ってきた枯れ草をたっぷり配置してあるので霜よけにもなる。年末はこの作業だけでずいぶん時間がかかってしまった。現代俳句「竹垣の青き切り口年明ける」と詠んだ 高野清美さんに共感のエールを送りたい。

       

 上から見ると、雨が入るようにしてあるのがミソだ。これを全面的にビニールで覆ってしまうと突風ですべてを失ってしまう。山と川に挟まれたこの地は風の谷のナウシカならぬジェット気流地帯となってしまう。さらに、この上にべた掛けのシートを掛けて完成へ。

      

 植木鉢が多すぎて移転できなかった庭には、防寒のための枯れ草を被せた上にシートを覆う。ビニールでないので雨でもOKだ。それでも、防寒は植物にとっても人生??の一大危機でもある。バタフライガーデンの枯れ草がここでやっと活躍する。

          

 裏側の庭にあった植木鉢は山の枯葉を撒いてシートは使っていない。枯葉は意外に防寒対策にアイテムとなる。ただし、突風があると無くなってしまうので補充を常に考えなければならない。畑の野菜もべた掛けと寒冷紗でなんとか寒さをしのげそうな状態で、このところ、ルッコラ・大根・ニンジン・ネギ・キャベツ・白菜などを少しだが収穫できている。この防寒対策をやっていないと野菜は全滅になるのが今までの教訓だ。

 

 

 

 

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砂漠のポツンと一軒のカフェで…

2024-01-05 22:16:26 | アート・文化

 録画で映画「バグダッドカフェ」を観る。制作国は西ドイツだが、舞台はロサンジェルスとラスべガスを結ぶ砂漠の中のハイウェイ沿いにあるモーテル・カフェだ。監督はパーシー・アドロン、1987年公開の映画。監督も出演者も有名とは言えなかったが、ミニシアターで上映されて以来80年代でロングランヒットとなる。

  

 荒涼とした砂漠のハイウェイにトラックが無機質に走り、その脇に貨物輸送の鉄道がとおる。そこに褐色の砂漠に褐色の夕日がときおり映し出される。そこに、いかにも場末の殺風景なカフェであることに意味が込められている。そのため、お客もまばらで経営もやる気のないわけあり家族がたむろする。

    

 そこに、夫婦喧嘩で別れた巨体のドイツ人妻・ジャスミンが車から出て砂漠を歩きだす。必死の思いでたどりついた先がこのカフェだった。そのカフェのブレンダは夫を追い出したばかりのストレス満載の女主人。大汗を拭く巨体のジャスミンと苛立つ黒人・ブレンダとはそれぞれタオルで顔を拭って初めて出会うのが印象的な出だしだ。

 始めは登場する人間の関係がよくわからなかったが二度観てその奥行きが分かってきた。当初の怒鳴り合うブレンダのタンカに辟易しそうだったが、それがジャスミンの登場でじわじわ変わっていく展開が見どころだ。

   

 カフェでコーヒーを飲みたいと注文しても、「コーヒーマシンは修理が必要」という言葉もこの物語を象徴する。またジャスミンが使っていたポットにコーヒーが入っていて、それでとりあえず飲めたというのも希望の伏線となる。

 小さなカフェには、ヨーロッパ人・アフリカ系アメリカ人・ネイティブアメリカンという多様な人種が登場し、そこに、まともではないような癖のある人物が事態を攪乱させる。ヒーローもイケメンも美女もいない。

   

 そうしたなかで、ジャスミンの掃除・手品などのサポートがカフェを盛り上げる。いつのまにか、お客が集まり出し、ミュージカルのようなショータイムまで上演されるようになる。始まりの荒涼とした場面が後半で笑顔と信頼のきずなが形成されていく場面へと仕組んでいくところが感動的だ。80年代のレトロさは今見ても新鮮でもあった。  

  

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真言から祝詞へ

2024-01-03 22:14:35 | できごと・事件

 集落の小さな神社で元旦の午前7時ごろから新年会を行う。数年前までは、午前0時前に集まり、新年が来ると同時に「あけましておめでとう」のあいさつを行っていた。そのときに、サンスクリット語の真言をみんなで唱えていた。しかし、その意味を解する人が一人もいなかった。

 そこで、おらがたまたまその当番に当たってしまったので、わかる言葉の祝詞にしようと提案したら全員一致で了承された。その新年の祝詞は、一般的によく使われている「祓え給い、清め給え、神(カム)ながら守り給い、幸(サキワ)え給え」という言葉だ。

             

 たまたま知り合いからいただいていた「獺祭(ダッサイ)」の大吟醸・磨き二割三分と炭酸がある獺祭の「スパークリング」を奉納する。祝詞が終わるとともに、みんなで獺祭を堪能する。一応に「うまい」の連発。酒が苦手の人もすいすいスルーしてしまう。いつもだと、湯呑茶碗に酒を注ぐが、今回はお猪口にしたのが正解だった。獺祭効果か、話題も尽きずにささやかな新年会がはんなりと終了することができた。

   

 新年会が終わりしな、山から浮き出たご来光をみんなで見ることができたのも大発見。「来年以降はこの祝詞にしていこう」という声もみんなからいただいた。とはいえ、オラはアニミズムの自然信仰をよしとするので神道や仏教とは肌に合わない。

 そのうちに家に帰ってまもなく、近所の人がヤマノイモから作った「芋汁」を持って来てくれた。さっそく、新年の簡素で贅沢な朝食となった。戦時下の生死を抱えているガザ地区やウクライナ、それに北陸を襲った津波・地震の規模を想うと、心が痛くなる。それだけに、普通に生きていられることを感謝するのみだ。今年もこうした事象と対峙する一年になりそうだ。

 

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心の平安こそ時代閉塞を拓く

2024-01-01 19:28:37 | 意見・所感

 あけましておめでとうございます。

ネットやスマホやAIの飛躍的な発達がわたくしたちの生活を便利に変えていっているにもかかわらず、世界は人間どおしの殺戮や戦争が拡大し、気候変動による全地球的災厄が日々を襲ってきている。それで時代は・人間は進歩・成長しているのだろうか、という根源的問題が揺らいでいる。そんなとき、やや説教的提起だが、沖縄国際大学の福里盛雄教授の次のような「人生雑感」が宮古毎日新聞の2024年元旦号に掲載されていた。

「心が平安であれば、問題課題に遭遇しても、その問題課題から逃避することなく、全力を集中して、その問題課題を解決していく努力の継続の過程に成長のための大変有益な力となるエネルギー源が隠されていることを知ることができるのです。そして、問題を一つ解決するごとに一段一段と人格的にもその人は魅力を増していきます。

そんな意味で、「平安是福」の意味が増幅されるのではないかと思われた。本年もよろしくおつきあい願います。

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