人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

モーツアルトの作品に欠かせないケッヘルの話

2011年04月30日 12時23分01秒 | 日記
20日(土)。小宮正安著「モーツアルトを”造った”男 ケッヘルと同時代のウィーン」を楽しく読みました。新書版の帯に「凡庸な人物の非凡な試み あの626はいかにして決まったのか!?」とあります。

モーツアルトの作品にはK622というようにKが付いています。このKはケッヘルの頭文字で、ケッヘル番号と呼ばれています。1800年オーストリア生まれのケッヘルは在野の研究者として植物学や鉱物学に大きな関心を寄せるとともに、文学や評論にも造詣が深く、さらには音楽の分野でも史上初となるモーツアルト作品目録を作るなど、多方面にわたり才能を発揮しました。例えば鉱物学を例に取れば、3288個もの鉱石コレクションについて、採集年、採集地、種類を記したカードを作成し、石とカードに共通の通し番号を振り当て、目録を作成したということです。その手法がやがてモーツアルト作品目録の作成にも発揮されることになったのです。

小宮氏はケッヘルを「ディレッタント」と呼んでいます。「ディレッタント」は彼の前半生に当たるビーダーマイアー時代、非常に肯定的な意味で用いられていたらしく「金のためでなく、みずからの純粋な興味や愛ゆえに芸術や学問に情熱を注ぐ高貴な精神の持ち主」という意味だったといいます。

ケッヘルが編んだモーツアルトの作品目録の正式名称は「モーツアルト全音楽作品の年代別主題別目録」です。モーツアルトの作品を金をかけて収集し、成立年代順に並べると同時にジャンル別に作品をまとめ、ジャンル内でも若い順から作品を並べていくという工夫が凝らされています(全626曲)。この作業に当たって、彼は1作品についてカード1枚をあてがうという「カード式整理法」を採用したのです。この方法はケッヘル以前の作品目録には見られなかった独自のものでした。とくに彼の場合は目録作成と楽譜調査とを平行して行っていたため、途中で作品の順番を入れ替えなければならなくなったときに、カード方式なので自由自在にできたということです。かなり合理的な考え方の人だったのでしょう。

ケッヘル以降、ヤーン、アインシュタイン(物理学者アインシュタインの親戚)をはじめ多くの専門家がモーツアルトの作品の研究を進め、「ケッヘルの研究は不十分だ」と批判しましたが、結局のところケッヘルの振ったK1からK626までの作品番号から自由になることはできませんでした。

ケッヘルは1877年、77年の生涯を閉じましたが、彼の遺言により、モーツアルト目録の自筆や、彼が収集したモーツアルト作品の数々は、ウィーン楽友協会に寄贈されました。今でこそ「モーツアルトがなければケッヘルはない」といった脇役に追いやられていますが、小宮氏の言われるとおり「そもそもケッヘルの凡庸な取り組みがなければ、モーツアルトが現在のようなトップスターとしての地位を築けたかどうか、非常に怪しい」というのは間違いないでしょう。主役の影には必ず脇役がいます。その脇役の地道な活躍があってこそ主役が生きてくるのです。それは洋の東西、時代を問わず通用することでしょう。ケッヘルに感謝します。





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ラ・フォール・ジュルネとフィガロの結婚

2011年04月29日 19時31分37秒 | 日記
29日(金)その2.5月3日からの3連休に予定されていた「ラ・フォール・ジュルネ・オ・ジャポン」が中止になり、一旦払い戻しの上、新たに発表されたプログラムで仕切り直しになりました。急きょの変更で、しかもウイークデーからの発売ということもあって、思うようにチケットが取れませんでした。でも何とか9公演は押さえました

さて、今日はモーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」が完成した日です。1786年4月29日ですから今から225年前のことになります。当時モーツアルトは30歳でした。

原作はボーマルシェの「狂おしい1日、もしくはフィガロの結婚」です。フランス語では「ラ・フォール・ジュルネ・オ・ル・マリアージュ・デ・フィガロ」となります。フランスの都市ナントでこの音楽祭を始めたルネ・マルタンは「フィガロ」から音楽祭のネーミングを考えたのでしょう。朝から晩まで複数の会場で同時にクラシック音楽の公演を挙行する。まさに「狂おしい1日」ですね。
(写真のCDは1963年、カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団による日生劇場の杮落とし公演のライブ。ニッポン放送の録音テープを基に1989年にCD化したもの)

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アルゲリッチ=新日本フィルの「シューマン+ショパン」ライブCDは5月3日発売へ

2011年04月29日 15時21分00秒 | 日記
29日(金)昭和の日。午後、新宿のタワーレコードに出かけました。お目当ては26日のブログで紹介したアルゲリッチのピアノ、アルミンク指揮新日本フィルによるショパンとシューマンの「ピアノ協奏曲」のライブCDです。同日の日経「春秋」によれば「歴史に残る名演」とのこと。自分も昨年12月1日に生でシューマンとラベルの協奏曲を聴いただけに見逃せません

クラシックCD売り場としては渋谷店と並んで日本最大といえるタワーレコード新宿店を、片っ端からクルージングして探してみたのですが、お目当てのCDはどこにもありませんしかたなくクラシック担当のYさんに「日経で見たんだけど・・・」と尋ねると、あちこち手を尽くして調べてくれました。その結果分かったのは、「製作・発売=KAJIMOTO、CD番号KJ26001、発売予定は5月3日」ということでした。ただし、日本最大のCDショップ=タワーレコードでは扱いがないとのことです。どこに買いに行けばいいのか梶本に電話してみたのですが、今日は休日で誰も出ませんでした。月曜に問い合わせてみようかと思います。

手ぶらで帰るわけにもいかないので、またしてもクルージングして2枚のCDを買いました。1枚目はアルミンク指揮新日本フィルによるベルディ「レクイエム」。昨年9月10日、11日のトリフォニー・ホールでのライブ録音。なぜ買ったかといえば、ソプラノ独唱がノルマ・ファンティーニだからです。10日の公演を聴きにいきましたが、やっぱりファンティーニは素晴らしいです。彼女が歌っている唯一のCDだと思います。ソプラノ・リサイタル・アルバムを出してくれたらいいのになぁ、と切望します

もう1枚は「A Portrait of TITAN」。巨人のポートレート。これはこの5月3日から5日まで東京国際フォーラムで開かれる予定だったラ・フォール・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日・音楽祭)のコンピレーション・アルバムです。マーラー、ブラームス、リスト、シェーンベルクなどの曲が細切れで入っています。いわば後期ロマン派のエッセンスがこの1枚に凝縮されていると言ったらよいでしょうか。この音楽祭が大震災の影響を受けて中止となり、代替公演が実施されることになったため、幻のCDになってしまいました。発売元はNAXOSで定価1,000円です。商魂逞しい日本の音楽界ですから、代替公演の会場でもこのCDを売りまくるかもしれませんね




 
 
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音楽の捧げもの~紀尾井ホールで聴くバッハ

2011年04月28日 23時55分09秒 | 日記
28日(木)。紀尾井ホールに「J.S.バッハ 音楽の捧げもの~バロックの宮廷から~」を聴きに行きました。プログラム前半は①クープランの「趣味の和、あるい新しいコンセール集」より”コンセール第8番=劇場風”抜粋、②テレマン「新パリ四重奏曲第6番ホ短調」の2曲。後半はJ.S.バッハ「音楽の捧げものBWV1079」です。

演奏はバロック・バイオリン=古楽器演奏の第一人者・寺神戸亮、チェンバロ=1986年ブルージュ国際チェンバロ・コンクール入賞者・曽根麻矢子、バロック・フルート=バッハ・コレギウム・ジャパンのソリスト・菅きよみ、ビオラ・ダ・ガンバ=新日本フィルのフォアシュピーラー武澤秀平という、現在望みうる最高のメンバーと言っても差し支えないと思います。

クープランとテレマンは、このコンサートのテーマ通り「バロックの宮廷ではこういう音楽が流れていたのだろうな」と思わせる優雅な音楽でした。当時は一般の人々が王の前でこうした音楽を聴く機会などなかったでしょう。現代人は幸せです。

さて、今日の目的はバッハの「音楽の捧げもの」を聴くことです。この曲は1747年にバッハがプロイセン国王のフリードリヒ2世を訪問した際に、王から授けられた主題(王の主題)に基づいて作曲し、王に献呈された音楽です。出版に際して13曲にまとめられています。曲によってチェンバロ独奏、フルート、バイオリン、チェンバロのアンサンブルといったように組み合わせが変わっていきますが、何といってもこの曲の聴かせどころは最後の方の、バイオリン、ビオラ・ダ・ガンバ、チェンパロによる「トリオ・ソナタ」です。いつ聴いても「バッハは深いなぁ」と思います。バッハは常に神を意識して作曲していたのではないでしょうか。

演奏者のうち寺神戸、曽根、菅の3人はこの世界では名の知れたアーティストですが、今回、武澤秀平の演奏を聴いてすごくいいと思いました。新日本フィルの室内楽シリーズで彼のチェロの演奏を聴いたことはありますが、バロック時代の復元楽器ビオラ・ダ・ガンバ(チェロの足のないやつで、足に挟んで演奏する)を演奏するのを聴いたのは初めてでした。彼はこれから現代楽器の世界でも古楽器の世界でも通用するアーティストになると思います。

バッハの「音楽の捧げもの」は王のテーマを違う形に編曲して音楽を組み立てていきますが、2月中旬に始めたこのブログも、テーマを変えながら組み立ててきて、早いもので今回で100本目を迎えました。これまでお読みいただいた皆さまに感謝いたします。


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アルゲリッチのおかげ?~ブログ開始98本目にしてgooブログ中1080位に

2011年04月27日 21時46分44秒 | 日記
27日(水)。昨日のブログのアクセス数を見てびっくりしました。閲覧数891・PV、訪問者数562・IPで、1,572,113ブログ中1,080位とありました。昨日でブログ開始から98本目になりますが、自己最高記録です。アルゲリッチを取り上げたのがその要因だと思います。昨日のブログで「アルゲリッチは私の音楽観、ひいては人生観を根本から変えた大事なアーティストだ」と書きました。今日はその理由を書きます。

今から30年も前のことだったかもしれません。当時私はクラシックのLPレコードを500枚程度所有していましたが、不遜にも「もうクラシックは聴くだけ聴いたから飽きた。別のジャンルを聴いてみようかな」と思い、ジャズを聴くようになったのです。ディキシーランドからモダンジャズまで50枚くらいLPを買ったでしょうか。それと同時にジャズに関する本を20冊くらい買って、片っ端から読んで勉強しました。アルゲリッチのコンサートのチケットは、その半年前くらいに買ってあったので東京文化会館に聴きに出かけたのです。サントリーホールは当時はまだありませんでした。

4月6日だったと思います。小澤征爾=新日本フィルがアルゲリッチをソリストに迎えてラベルの「ピアノ協奏曲」を演奏しました。当時はアルゲリッチも若く、髪の毛も黒く、トレードマークの黒一色のコスチュームで颯爽と登場してピアノに向かいました。その演奏スタイルは獲物を追いかける豹のようでした。アダージョ楽章はリリシズムにあふれ一音一音が心に沁みました。

第3楽章は”オケがついていくのがやっと”といった感じのスピードで走り抜けました。その最後の一音が鳴り終わった瞬間、会場全体がふわっと浮き上がったように温度が急上昇し、会場割れんばかりの拍手がアルゲリッチに押し寄せました。アルゲリッチも観客の熱狂的な反応に気分をよくしたのか、小澤に耳打ちして、アンコールとして第3楽章をもう1度演奏しました。これがまた凄い演奏で、終わった途端にアルゲリッチは立ち上がって観客の拍手に応えたのでした。さらに彼女が小澤に耳打ちして「もう1回やろうよ」と持ちかけたようでした。しかし小澤は、多分新日本フィルの組合との契約上の問題があったのでしょう。首を立てに振りませんでした。アルゲリッチにとっても観客にとっても非常に残念でした。

このコンサートが、私をジャズの世界から再びクラシックの世界に引き戻したのです。それ以来、クラシックから離れることは1度もありませんでした。アルゲリッチはそれほどの力を持ったアーティストなのです。
(写真1994年、イタリア製のCD。ラベルはガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団の演奏。海賊版?)


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アルゲリッチ:ライブCD発売へ~東日本大震災復興支援に向けて

2011年04月26日 07時59分31秒 | 日記
26(火)。けさの日経コラム「春秋」にピアニストのマルタ・アルゲリッチのことが取り上げられていた。「彼女が震災直後に日本にメッセージを寄せている。”皆様の計り知れない痛みと、それに耐える勇気を感じ、強い愛と尊敬の念を抱いています。言葉ではとても表現尽くせなくてごめんなさい”」。

昨年日本で収録した曲を、急きょCDにして発売し、その印税を復興支援に寄付すると決めたという。競演した指揮者と交響楽団も二つ返事で同意したとのことで、曲目はショパンとシューマンの「ピアノ協奏曲」という。これは昨年12月に聴いた演奏だ。12月1日にすみだトリフォニー・ホールで開かれた「新日本フィル特別コンサート」で、指揮はクリスリャン・アルミンク。当日のプログラムはシューマンとラベルの「ピアノ協奏曲」だった。彼女はこの日の前にショパンの協奏曲(第1番、第2番)を同じメンバーで演奏しているはずだ。この時の演奏がCD化されるのだ。CDの製作は仙台にあるオプトロム社が当たるということで、CDには演奏者と並んで工場の名前が記されているという。

「春秋」の筆者はそのCDを聴いたらしく「歴史に残る名演である」と記している。それはそうだろう。シューマンは生で聴いたが、白熱の演奏だった。演奏後は何度も舞台に呼び出されてブラボーの嵐を受けていた。後でオーケストラのメンバーから聞いたところによると、アルゲリッチはこの時の来日に際して、ホテルに閉じこもって連日練習に明け暮れていたということだ。「あの天才アルゲリッチでさえも日々の努力を怠らないのだなあ」とそのバイオリニストは感心していた。

アルゲリッチは私の音楽観、ひいては人生観を根本から変えた大事なアーティストだ。このCDは是が非でも入手する!
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作曲家コルンゴルトとの出会い

2011年04月25日 06時17分47秒 | 日記
25日(月)。昨日、都響のプロムナード・コンサートのことを書きました。書き落としたことがあるので紹介しておきます。演奏を始めるにあたって指揮者リントゥがマイクで挨拶しました。「このたびの大震災で死去された方々に追悼の念を抱いています。フィンランドの国民も日本の皆さんの置かれた悲しい現実を心に留めています」。そしてバッハの「G線上のアリア」を演奏し、聴衆とともに1分間の黙祷をしました。

さて、ここでは当日演奏されたコルンゴルトのバイオリン協奏曲との出会いを書きます。今から30年ほど前のことです。当時、私は勤務帰りに神保町にある下倉楽器のフルート教室に通っていました。木曜7時のクラスは男女各3人のメンバーでしたが、その中に早稲田の大学院生O君がいました。イギリスの美術史を研究しているということでした。レッスン帰りに話をするとかなりクラシック音楽に詳しく、楽譜も相当読めることがわかりました。すっかり意気投合して、横浜にある彼の家に遊びに行くことになりました。

そこでいろいろと彼のレコード・コレクションを聴かせてもらったのですが、彼がかけるレコードはほとんどイギリスを中心とする名前も知らない作曲家ばかりなのです。彼は特にアーノルド・バックスの曲が大のお気に入りで第5番の交響曲などはスコアを見ながら聴いているのです。話をしていて気が付いたのは、当時お互いに約500枚位のLPレコードを持っていたのですが、たったの1枚も同じレコードを持っていなかったということです。私はかなりオーソドックスなコレクションで、ベートーベン、モーツアルト、ブラームス・・・いわゆる古典音楽が中心でしたが、彼はバックス、ボーン・ウイリアムス、ディーリアスといったイギリス中心のコレクションだったのです。

その中から1枚のLPを取り出して聴かせてくれました。灯台のサーチライトがジャケットいっぱいに拡大されていて強く印象に残るデザインでした。初めて聴く種類の音楽でした。いままで古典中心に聴いてきたので、こんなロマンチックな(ロマン的な、という意味)音楽があるのか!と新鮮な驚きを感じたのを覚えています。それがコルンゴルトのバイオリン協奏曲との出会いでした。

さっそく彼に教えてもらった神保町の裏通りの小さなビルの2階にある「バイロイト」というレコード・ショップで、そのLPレコードを手に入れました。ここに写真で紹介しようと1500枚のレコードを片っ端から探してみたのですが、見つかりませんでした。どこかに紛れ込んでいるのでしょう。

彼はいま帝京大学教授として西洋美術史を教えています。一昨年、オペラシティ・コンサート・ホールで偶然出会って話をしたのですが、すっかり老けてしまって人が変わってしまったようでした。でも、その日の演奏に対する感想は”さすが!”と思わせる彼らしいものでした。
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コルンゴルトとシベリウスを聴く~都響プロムナード・コンサート

2011年04月24日 18時50分32秒 | 日記
24日(日)その3.午後サントリーホールで東京都交響楽団のプロムナード・コンサートを聴きました。都響は定期会員ではないので、よほどプログラムが気に入らないとチケットを買いません。今回は、シベリウスの第5交響曲とコルンゴルトのバイオリン協奏曲を演奏するというので躊躇なく買いました。

プログラムは前半が①シベリウス「交響詩:タピオラ」②コルンゴルト「バイオリン協奏曲 ニ長調」、後半が③シベリウス「第5交響曲」④同「交響詩:フィンランディア」の4曲です。バイオリンは当初ドイツのヤッフェという女性バイオリニストの予定だったのですが、挟み込みスリップによると「体調不良のため出演が不可能となった」とあります。本当のところは原発が恐かったのかもしれませんが。代演は新日本フィルのコンサート・マスター豊嶋泰嗣。好きなアーティストです。指揮はフィンランドのハンヌ・リントゥ。2013年からフィンランド放送交響楽団の主席指揮者に就任するということです。

「タピオラ」は小手調べといったところ。待っていたのはコルンゴルトのバイオリン協奏曲。コルンゴルトは1897年~1957年に生きた比較的新しい作曲家です。子供のころマーラーに評価され、11歳の時に書いたバレエ「雪だるま」がウイーン宮廷歌劇場で絶賛を浴びるなど、天才として名を馳せました。なにしろフルネームが「エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト」といい、モーツアルトと同じ「ウォルフガング」が付けられているのです。両親の過大なまでの期待が込められています。

彼は1934年にハリウッドに招かれ映画音楽で評価されるようになりました。「ロビンフッド」などが有名です。ユダヤ系だった彼はその後、ナチ支配下となったオーストリアに戻れなくなり、ハリウッドの作曲家として生きる道を選びました。アカデミー賞でオスカーを2度獲得するなど華やかな活動で知られました。そんな彼が作曲したバイオリン協奏曲は、まるで映画音楽のような色彩感の溢れたロマンティックな曲です。この曲との出会いについては別に書こうと思います。長くなるので

ソリストの豊嶋泰嗣は急きょの代演ということで楽譜を前にしての演奏でしたが、コルンゴルトのロマンティシズムを見事に描ききりました。新日本フィルのコンサート・マスターがなぜ都響のソリストに選ばれたのか、その経緯は明らかではありませんが、人選に誤りはありませんでした。素晴らしいアーティストです。

シベリウスの第5交響曲は第2番、第1番に次いで演奏される機会が多い人気曲ですが、とくに金管楽器が大活躍する曲です。それだけに音を”外す”ことは許されません。都響のブラスは充実していると思いました。豊かな響きです。

第3楽章の聴きどころはフィナーレの6つの力強い和音の表現方法です。指揮者がどういうテンポで表現するのか興味があります。バーンスタインのように大きく間をとって締めくくるのか。コリン・ディビスのように、よりさっぱりと間をとるのか。リントゥは、せっかちでもなく、間延びするでもなく、中庸のテンポで堂々と締めました。すごく共感できました

最後の「フィンランディア」は、「これぞ我が国歌」と言わんばかりの堂々たる演奏でした。実際、この曲はフィンランドの第2の国歌とも言われています。自国の作曲家の曲を他国のオーケストラを鳴らして演奏するって、すごくいい気持ちだろうなと思います。日本の指揮者が海外で演奏する際に、日本の作曲家による曲を演奏する機会があまりないのは残念なことです




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文明と文化について

2011年04月24日 12時11分30秒 | 日記
24日(日)その2.けさの日経1面のコラム「春秋」に思わず納得した。「文化と文明の違いを、画家の安野光雅さんが”文化は方言のように範囲が限られているが、文明は標準語のように普遍性がある”と語っている。3月末に98歳で死去した彫刻家佐藤忠良さんとの共著”ねがいは普通”にある言葉だ。例えばこういうことだという。印刷した画集で名画を見るのは文明であって文化ではない。文化に接するには、ルーブル美術館ならルーブルまで行って目で見なければならない」

同じ文化としての芸術でも、音楽と美術はまったく違ったものだ。美術は作者の制作した作品は世界でひとつしかない。あとはコピーに過ぎない。しかし、音楽は確かに作曲家の作った曲の自筆譜は一つしかないが、それを演奏して再現することは誰でもできる。100通りの演奏があれば100通りの本物の音楽だ。それはコピーではない。でも、それらの演奏を聴くためにはそこに行かなければならない。それが文化に裏付けられた行動だろう。

もっとも音楽だって、CDに録音したものを流通させるのなら、それはコピーであって、文化ではなく文明だろう。私が常に生演奏にこだわるのは、結局のところ文化にこだわるからだ。聴きたい曲があって聴きたい演奏家がいれば、わざわざそこまで行って聴く。演奏家と聴衆との2度と戻らない一期一会の世界に浸っていたい。この方針は今後も変わることはないだろう
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ズービン・メータのチャリティー・コンサート~東日本大震災

2011年04月24日 08時15分52秒 | 日記
24日(日)。今朝はいつもより遅く6時20分に起きました。ニュースを見るためにNHK・BSをかけるとベートーベンの「第9」をやっていました。ほとんどフィナーレに近いところでしたが、オケはもちろん、合唱団もソリストも全員が黒服です。指揮者が映し出され、ズービン・メータであることがわかりました。

彼はインド出身の74歳。3月に、主席指揮者を務めるフィレンツェ歌劇場を率いて来日し、都内で地震に遭遇しました。フィレンツェ市長の命令で日程途中でやむを得ず帰国しましたが、本人の強い希望で再来日し、4月10日に東京文化会館でNHK交響楽団とともにチャリティー・コンサートを挙行したのです。その時の録画放送でした。

メータといえばロスアンジェルス・フィルと録音したストラビンスキーの「春の祭典」が強力なインパクトある演奏として記憶に残っています。強烈なリズム感に支えられたバーバリズムの具現といった演奏でした。当時は”ギラギラ”していた印象ですが、いまテレビで観る彼は”キラキラ”輝いています。

東日本大震災や福島第1原発事故の影響で、海外音楽家の来日キャンセルが相次ぐ中で、メータのように非常時の今こそ音楽によって支援を打ち出す親日派がいることは力強いことです。演奏後の拍手は聴衆総立ちで10分も続いたということです。真の音楽家とは考えさせられます。
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