人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ベルリンの壁の破片付ベートーヴェン「第9」のCD~ベルリンの壁崩壊から25年

2014年10月31日 07時00分56秒 | 日記

31日(金)。月日の流れは速いもので10月も今日で終わりです。わが家に来てから34日目を迎えたモコタロです 

 

          

         ねえねえ おそうじ まだおわんないの? 早くここから出して!

 

  閑話休題  

 

昨日お昼頃、当ビル1階のタバコ売店前の喫煙コーナーのゴミ箱から煙が出ているのを売店のN氏が発見、その場で消火しました たまたまタバコを吸いに行った当社のK君がその話を聞きつけ、私の耳に情報が入りました。さっそく当社の幹部に報告のうえ消防署に通報しました しばらくすると丸の内消防署から5名の担当官が来館し実地検分を行いました。その後、丸の内警察署からも8名の担当官が来館し事情聴取を行いました 当ビルの防火防災管理者である私も、自宅の住所から携帯電話番号、生年月日に至るまで事細かく聞かれました。検分中に”西新橋で火災発生”という情報が入ってきたため、消防署員は一人を残して消防自動車に乗って出動してしまったので、彼らの帰りを待たなくてはなりませんでした 検分によると、ゴミ箱の底に敷かれていた新聞紙が燃えた跡があったが、タバコの吸い殻は発見できなかった。しかしゴミ箱の上の部分が灰皿になっていることから、タバコの火だねが落ちて燻った可能性が高いということでした 当社の古株社員に聞いてみたら、ゴミ箱から煙が出たボヤ騒ぎは前代未聞とのことでした。喫煙コーナーは当ビルのテナント関係者はもちろんのこと、他のビルからもかなりの数の人が喫煙に来館します。どこの誰が火種を落としたのか分かりませんが、十分に気を付けてほしいと思います 今回はたまたま昼間の時間帯で、売店のN氏が居合わせたので大火に至らずに済みましたが、夜間だったらどうだったか、と考えると恐ろしくなります 対応策を検討した結果、ゴミ箱と灰皿を別々にして設置することにしました 皆さま、タバコは所定の場所でマナーを守って吸いましょう。くれぐれも火種を灰皿の外に落とさないようお願いします

 

  閑話休題  

 

昨日の朝日朝刊・国際面に「壁崩壊から25年なお格差 統一ドイツは今(上)」という記事が載っていました。超約すると

「東西冷戦の象徴だった『ベルリンの壁』が崩壊して、11月9日で25年の節目を迎える 東西のドイツ市民がツルハシで壁をたたき、歓喜に沸いたあの日から四半世紀。敗戦国から欧州の盟主に生まれ変わっても、分断が生んだ格差のひずみの古傷が今もうずく 昨年春、約320キロの上空で国際宇宙ステーションから撮影されたベルリン市街の夜景がネット上で話題になった。ブランデンブルク門等から放射状に広がった街の東半分が黄色に、西半分が白く輝き、くっきりと分かれて見えたからだ 撮影したカナダ人宇宙飛行士と交流があるドイツの物理学者は語る。『西側の白い光は蛍光灯やガス灯、東側の黄色はナトリウム灯の光。実際の壁はなくなっても、光が今も、ベルリンを東西に隔てている』。東ではガス灯よりも安価なナトリウム灯が使われるようになっていった。『光の壁』は今も残る東西の違いを映し出しているかのようだ」

この記事を読んで思い出したことが2つあります。一つは1989年の11月に壁が崩壊した翌々年の1991年1月に「欧州新聞労務事情視察団」に同行して訪れたドイツの新聞社で聞いた話です ディ・ヴェルトという新聞社を訪れた際、視察団メンバーが同社の幹部に「東西統一から1年以上経ちましたが、西側の新聞は東側に行き渡っているのですか?」と質問したのに対し、幹部は「まだまだこれからです」と答えていました。当時は経済格差も相当あったはずですから、さもありなん、という印象を持ちました

もう一つ思い出したのは、崩壊したベルリンの壁の破片が付録で付いてきたCDの話です ドイツグラモフォンから発売されたベートーヴェンの第9交響曲のライブCD(1989年12月25日。ベルリン)で、レナード・バーンスタインが指揮をとり、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、ニューヨーク・フィル、パリ管弦楽団などの有志による寄せ集め集団が演奏しています 2枚組の分厚いCDジャケットの右上の片隅に小さな小窓があり、その中に”ツルハシで壁を叩いた”破片が納められています。数量限定とのことで、CDの左下に通し番号が書かれています。貴重な”お宝”なので未だに破片を取り出して見ておらず、CDも聴いていません。CDもこうなると”骨董品”ですね

 

          

 

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ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルでマーラー「交響曲第5番」、シューベルト「交響曲第6番」を聴く

2014年10月30日 07時01分28秒 | 日記

30日(木)。わが家に来てから33日目を迎えたモコタロです 

 

          

           ”押し倒し”でおいらの勝ちだぜ! ン? 寄り倒し?

 

  閑話休題   

 

昨夕、NHKホールでズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートを聴きました これは「NHK音楽祭2014」の一環として挙行されたものです。プログラムは①シューベルト「交響曲第6番ハ長調」、②マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」です

 

          

 

自席は2階C10-6番、センターブロック左通路側席です。会場は9割方埋まっている感じです 公演に先立って、奥田佳道氏によるプレ・トークがありました

「指揮者のズービン・メータは今年78歳を迎えました。本日指揮するイスラエル・フィルも創立78年を迎えます イスラエル・フィルの前身であるパレスチナ交響楽団が誕生したのは1936年でした。本日の演奏曲目はシューベルトの交響曲第6番とマーラーの交響曲第5番ですが、シューベルトの方は、名曲にも関わらず演奏会で滅多に取り上げられません シューベルトが20~21歳の時に作曲されましたが、その頃、尊敬するベートーヴェンは現役のバリバリでした。また、イタリアのロッシーニが人気を博している時代でもありました この第6番にはベートーベンとロッシーニの影響が垣間見られます。さて、それはどの部分でしょうか。お聴きになってご判断ください 一方、マーラーの第5番は、本日のメイン・プログラムです 第4楽章『アダージェット』はヴィスコンティ監督の映画『ヴェニスに死す』で全編を通して流れていました ”世界一の弦”と評価されるイスラエル・フィルの魅力が十分生かされる演奏になると思います。5つの楽章から成りますが、マーラーは第1・第2楽章を第1部、第3楽章を第2部、第4・第5楽章を第3部として書きました。第1楽章冒頭でトランペットを吹くのはメルターさんです。また第3楽章でホルンの独奏をするのはコックスさんです。彼はヨーロッパ各地で開かれる演奏会ではひっぱりだこの人です それではお楽しみください

 

          

 

ステージの客席側には端から端まで色とりどりの生花が飾られています まるでウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのようです。ステージの左右、会場のそこかしこにテレビカメラがスタンバイしています 大きな拍手の中、オケのメンバーが登場します。態勢は左奥にコントラバス、前に第1ヴァイオリン、右にチェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります。弦楽器に日本人らしき女性が2~3人見受けられます。プログラムに掲載されているメンバー表には日本人の名前はないので客員奏者でしょう

 

          

 

シューベルトの交響曲第6番は数年前にスダーン指揮東京交響楽団で聴いて以来ですが、ここ数日はナクソスのCDで予習しておいたので、メロディーはかろうじて頭に入っています メータがゆったりとした足取りで指揮台に向かいます。タクトが振られ第1楽章が始まります。この楽章はハイドン風とでも言いましょうか。シューベルト特有の同じメロディーが執拗に繰り返されます ”弦のイスラエル~”と言われ、もちろん弦楽器の音色は美しいのですが、フルートもオーボエも素晴らしい演奏をします ”弦”だけではありません。第3楽章「スケルツォ」は極めてベートーヴェン風だと感じました 最後の第4楽章は前半がややロッシーニ風だと思いました プレ・トークの解説の通り、シューベルトは当時の先端を行く作曲家たちから影響を受けているようです メータは楽章間は、あまり間を置かず、次に進めます。緊張感を持続するためでしょう

演奏が終わると、私の席の後方で「ボー!」の掛け声が聞こえました。間違いなく東京交響楽団サントリー定期で私の後方席の中年男性会員です 「ブラボー」の「ボー」しか聴こえないので、私は彼のことを「ノーブラの某さん」と呼んでいます。休憩時間に顔を確認しました 私が行くコンサートで時々お見受けします。嗜好が似ているのかも知れません

 

          

 

休憩後は、待ちに待ったマーラーの交響曲第5番です。メンバーが拡大してフル・オーケストラになっています コンマスが代わりました。メータが登場し、トランペットに合図を送ります。メルター氏が”葬送のテーマ”を高らかに奏で、大交響曲の始まりを告げます このトランペットは非常に安定感があります。第2楽章ではうねる様な弦が印象的です 第3楽章はさながらホルン協奏曲です。冒頭からコックスのホルンが会場の隅々まで響き渡ります この人は相当肺活量があるのではないか、と思います。並みのホルン奏者が3人かかっても負けないかも知れません

そして、”弦のイスラエル・フィル”の腕の見せ所、第4楽章「アダージェット」に入ります。冒頭は聴こえるか聴こえないかという微かな弦の響きが立ち上がり、美しいハープが加わります。何と深みのある美しい響きでしょうか この美しいメロディーを聴きながら、以前(相当昔)ここNHKホールでロシアの巨匠スヴェトラーノフ(故人)がN響を指揮してこの曲を演奏した時のことを思い出しました 第4楽章が始まるのとほぼ同時に会場右側の客席の上空から白い蝶が飛んできて、ステージ右サイドのチェロ側の上空を飛び、管楽器の上空を横切り、第1ヴァイオリンの方に移動していきました。驚いたことに、この楽章が終わるとほぼ同時にステージから客席の方に戻ってきて、どこへとなく消えていったのです 指揮をしていたスヴェトラーノフは気が付かなかったでしょうが、楽員たちは上空を見上げていました。あの蝶々は何だったのでしょうか?きっと長調だったのでしょうね

第4楽章が静かに収束しようとするとき、静寂を破ってホルンが第5楽章の幕開けを告げます この楽章を聴くとマーラーが語ったと言われている「やがて私の時代が来る」という言葉を思い起こします 勇壮で奇想天外で予測不能な音楽を聴いていると、「そう、あなたの時代が来た」と叫びたくなります。マーラーの音楽にはすべてがある。混迷の時代こそマーラーは聴かれる音楽だ

第5楽章がフィナーレを迎え、最後の音が鳴り終ると会場割れんばかりのブラボーと拍手 がステージに押し寄せました。メータはトランペットとホルンを真っ先に立たせ、ついで他の管楽器奏者を立たせます。そして弦楽器の首席と握手をしますが、なぜか第1ヴァイオリンの2人の首席とは握手をしません これは何か訳があるに違いない、と思って拍手をしていると、4回目のカーテンコールでメータはタクトを持って登場しました。これはアンコールの合図です 客席に向かってヒンズー語訛り(メータはインド出身)の英語でアンコール曲を紹介し演奏に入ります。曲はマスカー二のオペラ「カヴェレリア・ルスティカーナ」から間奏曲です。この曲は弦楽器の魅力がたっぷり味わえる曲です。これほど芳醇な演奏を聴いたことはありません。これぞ世界一の弦楽でしょう 会場が興奮の坩堝の中、メータはここで初めて第1ヴァイオリン首席二人と握手をしました。これ以上アンコールはありません、という合図です

この日のコンサートは10月31日(金)午後7時30分からFM「NHK音楽祭」で、11月16日(日)午後9時からEテレ「クラシック音楽館」で放送されます。是非お楽しみください

 

          

          

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川村元気著「世界から猫が消えたなら」を読む~消してはいけないものは何?

2014年10月29日 07時12分28秒 | 日記

29日(水)。わが家に来てから32日目を迎えたモコタロです 

 

          

           tora家に来てから1カ月を超えちゃったよ・・・・・・

           

  閑話休題  

 

昨日午後、当ビルで「秋の総合防災訓練」を実施しました。午後3時に大地震が発生し2階のテナントT社から火災が発生したという想定で、通報、消火、救護、避難など総合訓練として実施しました 訓練終了後、西側私道で、丸の内消防署館内の自衛消防訓練審査会で「優秀賞」を受賞したプレスセンター警備隊(指揮者:I隊員、一番員:T隊員、二番員:H隊員)による消火栓操法の模範演技を見ていただきました 約100名の避難訓練参加者が見学する中、3人の隊員はキビキビした演技を披露し、大きな拍手を受けていました 普段、テナントの皆様は防災センターで鍵の受け渡しくらいしか接触の機会がないので、今回普段と違う一面を知っていただけたと思います

夕方から関係者30数名が集まり、当ビル地下のRで訓練反省会と称して打ち上げをやりました 火点(出火元)になっていただいたT社からはH社長、防災管理者のSさん、避難誘導係のYさんが参加され楽しいひと時を過ごしました 読書の話題になったとき、Sさんが「お薦め本はJ.K.ローリングの『ハリーポッター・シリーズです。全部読みました』とおっしゃったのには驚きました 2年前、同社との暑気払いの時に彼女がお薦め本として挙げていたのは水村美苗の「日本語が亡びる時」「私小説 from left to right」「本格小説」だったので、Sさんのカバー範囲は相当広いなぁと感心しました。K大卒の才女で元ミス・リクルートの彼女は40代前半(?)の今なお輝いています

約7名でHCビル地下のK亭に行って2次会をやりました。そんな訳で今日も朝から頭が頭痛です そう言えば、今夕はNHKホールにズービン・メータ指揮イスラエル・フィルのマーラーを聴きに行くんだった・・・・男はつらいよ

防災訓練の運営に携わっていただいた皆さん、火点になっていただいたT社の皆さん、避難訓練に参加してくださったテナントの皆さん、ご協力ありがとうございました。お陰さまで訓練を成功裏に終了することができました。お疲れ様でした

 

  も一度、閑話休題  

 

川村元気著「世界から猫が消えたなら」(小学館文庫)を読み終わりました 川村元気は1979年生まれ。東宝で「電車男」、「告白」、「悪人」、「モテキ」等の映画を製作してきました

主人公は郵便配達員として働く30歳・独身の青年。映画オタクの彼は猫の”キャベツ”と二人暮らししている。ある日突然、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告され、家に帰ると自分とまったく同じ姿をした悪魔が待っていた 悪魔は『この世界から何かを消せば、その代わりにあなたは1日だけ命を得る』という取引を持ちかけられる 青年は生きるために何かを消すことを決める。最初に持ちかけられた消す対象は『電話』、次に『映画』、次に『時計』・・・・そして次に『猫』を消すことを持ちかけられる 彼はどういう結論を出すのか・・・・

 

          

 

「何を消すか」を決める時に、青年は考えます。例えば電話

「携帯はその登場から、たったの20年で人間を支配してしまった。なくてもよかったものが、たった20年で、なくてはならないものかのように人間を支配している 人は携帯を発明することにより、携帯を持たない不安も同時に発明してしまった

青年の母親が生前にいつも言っていた「何かを得るためには、何かを失わなければね」という言葉がこの小説を支配しています

この世の中から消してはならないものはあるのだろうか。「電話」を消して、「映画」を消そうとするときに、青年は考えます。No music、No life・・・「音楽がなければ生きていけない!」か

「果たして、音楽なしの世界で僕らは生きていけるのだろうか。きっと生きていけるだろう。きっと。雨の日にひとり部屋にこもり、大好きなショパンを聴けなくても、いままでどおりそれなりに心地よく過ごせるだろう」

そして青年は結論を出す。No music, Yes my life .

さて、このテーマを自分自身に当てはめてみるとどうだろうか・・・・・もう40年以上もクラシック音楽を聴いてきて、音楽は私の生活になくてはならない”生活必需品”になっているけれど、命と引き換えに消せと言われた時に、消せいないかと問われれば、そんなことはない、命を優先するでしょう

この小説は、余命数日と宣告された時に、あなたは残り少ない人生をどういう風に生きますか?と問いかけています さらに言えば、健康な毎日を過ごしている今だからこそ、消してはいけない大事なものを意識しながら生きていくべきだということを主張しています

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ベートーヴェン/リスト「第9交響曲」(ピアノ版)コンサート・チケットを買う~若林顕

2014年10月28日 07時00分35秒 | 日記

28日(火)。わが家に来てからちょうど1か月を迎えたモコタロです 

 

          

          隅っこに追いつめられた~おらの逃亡生活もオシマイだぁ

 

  閑話休題  

 

12月21日(日)午後2時から晴海の第一生命ホールで開かれる「若林顕 ピアノで聴く『第9』」公演のチケットを買いました プログラムは①リスト「コンソレーション第3番」、②同「愛の夢」、③同「ハンガリー狂詩曲第2番」、④ベートーヴェン/リスト編「交響曲第9番」(ピアノ独奏版)です

これから12月末までに聴くコンサートを手帳で確認していたら、「第9」がないことに気が付きました 第9を聴かない年なんてあり得ないだろう、ということで買ったチケットです。ただ、たまにはオケでなくピアノ版もいいんじゃないか、ということで

若林顕は東京芸大卒。1985年ブゾーニ国際コンクール第2位、87年エリーザベト王妃国際コンクール第2位などの受賞歴を持つ実力者です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

「第一生命プレゼンツ 国際モーツアルトコレクション&コンサート『250年の響き』」が11月22日(土)から28日(金)まで第一生命・日比谷本社1階南ギャラリーで開かれます 250年前に製作されモーツアルトが愛用していたヴァイオリンが展示され、そのヴァイオリンでロビー・コンサートも開かれるとのことです

ギャラリーは午前9時30分から午後7時30分まで公開され、入場無料とのこと ロビーコンサートは11月22日、23日、24日、25日、28日は午後6時から、26日と27日は午後4時から開かれます。これは是非行かなくっちゃ

 

          

          

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古典四重奏団の「ムズカシイは面白い~モーツアルトの弦楽四重奏曲」レクチャーコンサートを聴く

2014年10月27日 07時00分38秒 | 日記

27日(月)。わが家に来てから30日目を迎えたモコタロです 

 

          

          月曜の朝から良いお目覚めだよ 何かいーことあるかな?

 

  閑話休題  

 

昨日、晴海の第一生命ホールで、古典四重奏団の「ムズカシイは面白い~モーツアルトの弦楽四重奏曲」レクチャーコンサートを聴きました 今回はモーツアルトの最後の回です。プログラムは①弦楽四重奏曲第7番変ホ長調K.160「ミラノ四重奏曲」、②同第13番ニ短調K.173「ウィーン四重奏曲」、③同第20番ニ長調K.499「ホフマイスター」、④同第19番ハ長調K.465「不協和音」です

 

          

 

自席は1階5列13番、センターブロック左通路側です。会場はいつもと同じで寂しい入りです。いつももったいないと思いながら聴いています

今回のレクチャープログラムは「ミューズへの反逆」。古典四重奏団のメンバーが登場します。第1ヴァイオリン=川原千真、第2ヴァイオリン=花崎淳生、ヴィオラ=三輪真樹、チェロ=田崎瑞穂です 彼らは1986年に東京藝大と大学院の卒業生によって結成され、すべてのコンサートを暗譜で演奏するという離れ業を披露して名を馳せています

最初に、モーツアルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」K.527の序曲とフィナーレ直前の地獄落ちの場面が、弦楽四重奏版で演奏されます そして、早速チェロの田崎氏のレクチャーが始まります

「モーツアルトは、父親への手紙にも書いているように『音楽は美しくなければならない』と考えていました この序曲の”地獄落ち”の場面は最も恐ろしい音楽であるはずですが、モーツアルトはあくまでも美しい音楽を書きました

次いで、モーツアルトの弦楽四重奏曲第6番K.465"不協和音”の第1楽章冒頭部分を演奏して、レクチャーに入ります

「モーツアルトと同じ時代に生きていて、彼の音楽に慣れている人がこの冒頭の音楽を聴いたら『いったい、モーツアルトはどうなってしまったのか?』と訝しんだでしょう それまでの調和のと取れていた音楽から一転、不協和音が鳴っていたからです

次にピアノのための”ファンタジア”ハ短調K.475を演奏し、レクチャーに入ります

「この曲を作曲者名を隠して演奏したら、きっと作者はベートーヴェンだと答えるでしょう

確かに、暗く冥想的な感触はモーツアルトというよりもベートーヴェンに相応しい曲想と言えるでしょう

次いで、弦楽四重奏曲第20番の第1楽章の冒頭を演奏してレクチャーをします

「この曲の冒頭は論理的にアンバランスです。同じテーマを4回も繰り返しています しかし、今までの音楽から外れた”夢のような”曲想です。これはロマン派に通じるところがあります

そして最後に、リート「別れの歌」を弦楽四重奏で演奏しました 解説のように、極めてシューベルト的です。歌で聴いても良いのですが、弦楽四重奏で聴いてみたら新鮮でした

ここで10分間の休憩があり、弦楽四重奏曲第7番が演奏されました。レクチャーの時と違い、彼らの前には譜面台がありません すべて暗譜で演奏します。この曲はモーツアルトが17歳の時の曲です。第1楽章を聴くと、弦楽四重奏曲と言うよりはディベルティメント(喜遊曲)と呼んだ方が相応しいような明るく伸び伸びした曲です

次いで、同じ17歳の時に作曲した第13番が演奏されました。この曲は、23曲の弦楽四重奏曲の中でたった2曲の短調の作品の一つです もちろんもう一つは第15番「ハイドン四重奏曲第2番」K.421です。モーツアルトの短調の作品特有の”疾走する哀しみ”に溢れた作品です

3曲目はモーツアルトが30歳の時に作曲された第20番K.499です。事前にレクチャーで知識を得ていたので、なるほど、と思いながら聴いていました

 

          

 

2回目の休憩が15分間あり、最後は第19番K.465です。この曲もレクチャーで聴いていたので理解が深まりました 冒頭、チェロ→ヴィオラ→第2ヴァイオリン→第1ヴァイオリンとテーマが受け継がれていきますが、当時では考えられない和音で書かれていたため、出版の際に訂正されたり、批判の的になったりしたようです

不協和音が終わり、一転して明るい曲想が姿を現しますが、この場面は、暗い雲間が裂けて、明るい日光が差しこんできた時のような爽快感を感じます 音楽の先駆者は不協和音で音楽の壁をぶち破り、すぐに調和の取れた和音で聴衆を納得させたのだと思います

これでモーツアルトのレクチャーコンサートは終わりです。プログラムで来年の予定を見ると「ムズカシイはおもしろい!!」シリーズは、10月4日にスメタナとヤナーチェクを、10月31日にブラームスの第1,2,3番の四重奏曲を取り上げることになっています。今から楽しみです

 

   も一度、閑話休題  

 

第一生命ホールにHJリムのピアノ・リサイタルのチラシが置いてありました カラー・チラシやっと出来たか、という感じです 何でもっと早く手配できないのかね 皆さん、11月22日(土)午後2時から第一生命ホールで開かれるのはオール・ベートーヴェン・プログラムです。これは必聴です チラシに踊る「疾風怒濤のベートーヴェン。」はウソではありません。現代のベートーヴェン演奏の最前線はここにあります

12月12日(金)午後7時から銀座のヤマハホールで開かれるのはバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻です。誠に残念ながら私はフォーレ・クァルテットのコンサートを聴きに行くので、行けません。とても悔しいです 代わりに行ってください。お願いします

 

          

 

          

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園子音監督「愛のむきだし」を観る~使用音楽はラヴェル、ベートーヴェン、サン=サーンス

2014年10月26日 11時41分45秒 | 日記

26日(日)。わが家に来てから29日目を迎えたモコタロです 

 

          

            これでも ウインクしたんだけど わかったかな・・・・

 

  閑話休題  

 

昨夜、池袋の文芸坐で園子音監督映画「愛のむきだし」を観ました これは新文芸坐の「園子音長尺ナイト」(園子音監督による長編映画3作品のオールナイト)の1本目です 園子音(そのしおん)監督の映画は大好きなのですが、3作品のうちこれまで観たことのあるのは「冷たい熱帯魚」(2010年。146分)だけで、「愛のむきだし」(2008年。237分)と「紀子の食卓」(2006年。159分)はまだ観たことがありません 最初は3作品全部を観るつもりだったのですが、翌日(つまり今日)もコンサートを控えてるし、2本目の「紀子の食卓」まで観て帰ると、終わるのが深夜3時過ぎなので池袋から巣鴨まで歩いて帰らなければならないし、7時間以上にも及ぶ”座りっぱなし”は腰痛持ちにとっては身体的に致命的なので、涙を呑んで「紀子の食卓」を諦めて、最初に上映される「愛のむきだし」だけ観る決心をしました

午後7時45分から整理番号順に入場しましたが、私は4番だったので余裕で良い席を確保しました 会場は多くの「園子音」ファンと思しき人たちで埋まりました

 

          

 

2008年公開のこの映画のストーリーは次の通りです

「敬虔なクリスチャンの家庭に育ったユウ(西島隆弘)は、幼少時に母親を亡くし理想の女性像(マリア的存在)を追い求めている。ある出来事を境に神父の父(渡部篤郎)に懺悔を強要され始めるが、ユウは父の期待に応えようと、懺悔をするために毎日罪を作るようになる その行為がエスカレートして、彼はいつの間にか女性を狙う盗撮魔になってしまう そんなある日、ユウは求めていたマリア的な存在、運命の女ヨーコ(満島ひかり)と出会う。そして生まれて初めて恋に落ちるが、ユウはその時、女装していたため、誤解されたまま愛情を抱くことになる 父親は入信してきたある女性と結婚することになるが、その娘ヨーコこそユウが求めていたマリアだった。しかし、一家に新興宗教の魔の手が伸びてきて、ユウと家族は引き裂かれる。ユウはどういう行動に出るのか・・・・」

この映画は実話を基にした作品とのことです 映画は約半分のタイミングで10分間の休憩が入りましたが、午後8時に始まった映画が終わったのは午前0時10分でした

さて、私は先ほど「園子音監督の映画が大好き」と書きましたが、その大きな理由の一つは、園監督は映画の中で必ずクラシック音楽を使っていることです 今回の「愛のむきだし」では3つの名曲が重要な局面で流されていました

最初はラヴェルの「ボレロ」です。主に映画の前半で流されていました。同じメロディーが淡々と繰り返されていきますが、ソロを務める楽器は次々と代わっていきます。そして最後にはどんでん返しが待っています 戦闘シーンなどで流れていました

次に、ベートーヴェンの「交響曲第7番イ長調」です。数年前に空前の大ヒットとなった「のだめカンタービレ」で、この曲の第1楽章「ポコ・ソステヌートーヴィヴァーチェ」がテーマ音楽として使われていたことは記憶に新しいところです ワーグナーが「舞踏の神化」と呼んだように、全体的にリズミカルで生命力に溢れた曲です この映画で使われているのは第2楽章「アレグレット」で、重々しい葬送行進曲です。当時、この曲がウィーン大学での公開演奏会で「戦争交響曲」とともに演奏された時には、この第2楽章がアンコールされたと言われています

この映画では、新興宗教の呪縛を解くべく、ユウがヨーコを浜辺のバスに監禁し、隙を狙ったヨーコがバスから脱出し、ユウが連れ戻そうとしてもつれる場面、ヨーコが聖書の一編(愛について)を長々と朗誦し「この節を知っているか?あなたはクリスチャンと言うけれど、何も知らない」と罵倒する満島ひかり迫真の演技のシーンで重々しく流れます いくつかの他の場面でも使われています

3曲目はサン=サーンスの「交響曲第3番ハ短調」です。この曲もいくつかの場面で流されていますが、一番有効に使われていたのは最後のシーンです。ヨーコが、精神を病んで入院しているユウを見舞った時に、ユウのことを誤解していた、これからあたなが私にしてくれたことの恩返しをする、と告白するシーンです

ここで流れていたのは第3番の第1楽章の後半部分(第2部)「ポコ・アダージョ」です サン=サーンスの交響曲第3番ハ短調は2つの楽章から成っていますが、実質的には第1楽章、第2楽章ともに第1部、第2部から成る4楽章形式に等しい曲です 第1楽章の後半部分の冒頭は、パイプオルガンが通奏低音として重々しく響く中、弦楽器が宗教的な静けさでアダージョを奏でていきます

園子音監督はなぜこの曲を使ったのか?私の想像では、ユウの父親が神父であり、ユウ自身もクリスチャンであること。一方、キリスト教には教会が、教会にはパイプオルガンが”付きもの”であることから、パイプオルガンが登場する曲を選んだのではないか、ということです

「パイプオルガンの響き」ということで言えば、バッハでもブルックナーでも良かったはずですが、園監督はサン=サーンスを選びました バッハでは”荘重過ぎ”、ブルックナーでは”敬虔過ぎ”、サン=サーンスは宗教的な荘重さの中にも明るさがある、とでも思ったのでしょうか?毎回のことながら、園監督のセンスの良さを感じます 園監督の映画は文句なしに面白い

次に機会があれば是非「紀子の食卓」を観たいと思います

 

          

 

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藝大フィルハーモニア定期演奏会「生誕150年 オール・Rシュトラウス・プログラム」を聴く

2014年10月25日 08時22分57秒 | 日記

25日(土)。わが家に来てから28日目を迎えたモコタロです 

 

          

                  窓から脱出をはかるで~

 

          

                           そら、えいや~

 

          

             あかんかったわ  面目丸つぶれや・・・・・

 

  閑話休題  

 

昨夕、上野の東京藝大奏楽堂で藝大フィルハーモニア定期演奏会「生誕150年 オール・Rシュトラウス・プログラム」公演を聴きました プログラムは①オペラ「ばらの騎士」から「ワルツ第1番」②同「ワルツ第2番」③ホルン協奏曲第2番④メタモルフォーゼン⑤交響詩「死と変容」です。③のホルン独奏は日高剛、指揮は高関健です

 

          

 

全自由席のため少し早めに会場へ。1階14列13番、センターブロック左通路側の良い席がとれました 会場は7割くらいの入りでしょうか。すでにハープの2人が練習をしています。プログラムで名前を確かめると、一人は高野麗音とありました。この人は2~3年前、ピアノの萩原麻未とジョイント・リサイタルを開いたハーピストです プログラムに、もう一人お馴染みの名前を発見しました。オーボエに森明子(賛助出演)の名が。彼女は新日本フィルのオーボエ&コーラングレ奏者です さらにヴィオラには安藤裕子の名が。彼女は室内楽の演奏会で時々見かける人です

オケはオートドックスな態勢、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという配置です 生前リヒャルト・シュトラウスの演奏が得意だったヘルベルト・フォン・カラヤンに師事した高関健が指揮台に上がります

1曲目はオペラ「ばらの騎士」よりワルツ集第1番と第2番です。番号と違って、第3幕の音楽で構成されたワルツ集第2番の方が先に出来ました(1911年) 第1番は、何とその33年後の1944年に作曲されました。どちらも、腕に傷を負ったオックス男爵がワインを片手にワルツを踊るシーンの音楽を中心に据えて、きらびやかな音楽が展開します 私は音楽を聴きながら、オットー・エーデルマンがオックス男爵を演じて歌ったカラヤン+ウィーン国立歌劇場管弦楽団版の映像を思い出しました

 

          

 

次の目は「ホルン協奏曲第2番変ホ長調」です。藝大准教授の日高剛が登場、高関の合図で第1楽章を開始します 冒頭から明るいホルンの音が会場を満たします。リヒャルト・シュトラウスの父フランツはミュンヘン宮廷楽団の第1ホルン奏者だったこともあり、大きくその影響を受けています 3つの楽章から成りますが、全体的に明るく生き生きとした曲想です

 

          

 

休憩後の1曲目は「メタモルフォーゼン」です。この曲はリヒャルト・シュトラウスが80歳の時に作曲されました。元々は23の独奏弦楽器のための作品ですが、高関は、師匠のカラヤンが実践していたとおりの弦楽合奏版で演奏する方法を選びました 例えば、冒頭の部分は、チェロ5人、ヴィオラ2人、コントラバス1人だけで演奏するといったように、極めて室内楽的な演奏スタイルをとります 楽器が少ない分、音楽の透明感が増します。それだけに全員で演奏する時の迫力が増すことになります。弦楽だけによる音楽の魅力に溢れた名曲です

最後は交響詩「死と変容」です。前の曲が80歳の時の作品だったのに対し、この曲は20代半ばの若い時代に作曲されました。管楽器が加わり、フルオーケストラで大曲に挑みます

この交響詩は簡単に言えば、志半ばで病に倒れた芸術家の魂が浄化されていくさまを音楽にしたものです。「メタモルフォーゼン」が淡々と静かに進行していくのに対し、「死と変容」は静かだったと思ったら、急に激しい音楽が展開したりして変化に富んでいます

解説によると、藝大フィルハーモニア(東京藝術大学管弦楽研究部)は東京藝大に所属するプロのオーケストラで、年2回の定期演奏会をはじめ、いろいろな方面で活躍している演奏団体です。歴史は古く、ベートーヴェンの第5番(運命)、第9番(合唱付き)、チャイコフスキーの第6番(悲愴)などを本邦初演しています また、リヒャルト・シュトラウスの生誕70年にあたる1934年には、交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、「アルプス交響曲」などを本邦初演しました。歴史のあるオーケストラなのですね

 

          

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「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 枕草子」を読む~紫式部が嫌った女性の随筆

2014年10月24日 07時02分01秒 | 日記

 24日(金)。わが家に来てから27日目を迎えたモコタロです 

 

          

          わーい、玉のりだーい・・・・・で、どうやって降りたらいいの?  

 

  閑話休題  

 

昨夕、本当は有楽町の映画館で「フランソワ・トリュフォー没後30年映画祭」を観るつもりでいたのですが、どういうわけかHCビル地下のKB亭でX部長とS建設のF氏と飲むことになってしまいました。観ようと思った映画は「アントワーヌとコレット」と「夜霧の恋人たち」の2本立てです。自分の意志の弱さをつくづく感じる今日この頃です

 

  閑話休題  

 

「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 枕草子」(角川文庫)を読み終わりました この本はかなり前に買ったものです。「枕草子」と言えば清少納言が書いた随筆集です

 

          

 

今から1000年程前の平安時代に清少納言と呼ばれる才女がいました 清少納言というのは本名ではなく彼女が宮仕えしていた時の女房名です。本名は不明です。清少納言は歌人清原元輔の末娘で、一条天皇の中宮定子の女房(侍女)でした

「枕の草紙」と言えば高校の「古典」の授業で習った第一段「春は曙、やうやう白くなりゆく、山際すこし明りて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる・・・」を、真っ先に頭に思い浮かべます 高校時代、私は古典が大好きでした。したがって、この「枕草子」や、「つれづれなるままに・・・・」の吉田兼好の「徒然草」や、「祇園精舎の鐘の音・・・・」の「平家物語」などは冒頭部分を中心に暗記していたものです 「枕の草紙」の第一段は今でも少し練習すれば暗唱できます

あらためて「枕の草紙」を読んでみると、今では使わない言葉や、今でも使っているけれども当時と意味が変わっている言葉があることが分かります

例えば、今では使わない言葉では「かたはらいたし」があります。食中毒でお腹が痛くなったのかと思いきや、当時は「はらはらして困るもの」という意味で使われていました

今でも使っているけれど当時と意味が変わっている言葉としては「わびし」があります。「わびしげに見ゆるもの」というのは「つらそうに見えるもの」という意味です

「枕草子」は人生を語ります。第162段は次のような内容です

「遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲」

つまり「遠いくせに近いもの。それは極楽。船の旅。男女の仲」

「舟の旅」は「飛行機の旅」に置き換わるにしても、「男女の仲」は今でも”遠くて近きもの”ですね

また、第245段は次のような内容です

「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よわい)。春、夏、秋、冬。」

これも時代を超えて共通する真理ですね。秋の夜にしみじみと感じ入ります

解説によると、同じ時代に生き、「源氏物語」を著した紫式部は清少納言のことを毛嫌いしていたことが分かります。「紫式部日記」には次のような記述があるそうです

「清少納言こそ、したり顏にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり」(清少納言こそ、得意顔に偉そうにしている人です。あれほど利口ぶって、女のくせに漢字を書き散らしていますが、よく見ると生半可な所がたくさんあるのです)

「女の敵は女」というのは、いつの時代にも共通する真理なのかも知れませんね

清少納言  紫式部 いとをかし

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「世界から猫が消えたなら」「十角館の殺人」「紙の月」を買う

2014年10月23日 07時00分53秒 | 日記

 23日(木)。わが家に来てから26日目を迎えたモコタロです 

 

          

            散歩に出たら 迷っちゃって 机の下にきちゃったよ

 

  閑話休題  

 

昨夕、娘といしょに餃子を作りました 1カ月ほど前に作った時は、「何それ?」と、へたくそな餃子作りを罵倒されましたが、昨夕は「ずいぶん上手になったねぇ」とお褒めの言葉をいただきました。結局、2人でチーズ入りを含めて70個ほど作って、その半分を娘が焼いて3人で食べました。写真の餃子は全て私の作った分ですが、自分で作った餃子は格別でした ボク、いいお嫁さんになれるかな

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

本を3冊買いました 1冊目は川村元気著「世界から猫が消えたなら」(小学館文庫)です。川村元気は1979年生まれ。東宝で「電車男」「告白」「悪人」「モテキ」等の映画を製作した人です 本の帯に「僕と猫と陽気な悪魔の忘れられない7日間の物語」とあります。いったいどんなストーリーか、楽しみです

 

          

 

2冊目は綾辻行人著「十角館の殺人」(講談社文庫)です 綾辻行人は1960年京都府生まれで、京都大学大学院卒。1987年にこの「十角館の殺人」で作家デビューしました その後のミステリー界に大きな影響を与えたと言われています。私は彼の作品を読むのは初めてです

 

          

 

3冊目は角田光代著「紙の月」(ハルキ文庫)です 角田光代は1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞してデビューし、以後、2004年の「対岸の彼女」での直木賞受賞をはじめ数々の賞を受賞しています 「紙の月」って、英訳すれば「ペーパームーン」のことだよね。どういう物語なんだろうか

 

          

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宮部みゆき著「火車」を読む~クレジットカード社会の悲劇を描く力作

2014年10月22日 07時00分55秒 | 日記

22日(水)。わが家に来てから25日目を迎えたモコタロです 

 

          

            ぼく、口が無いみたいに見える? 無口だからね 

 

  閑話休題  

 

コストパフォーマンスの高いコンサートをご紹介します 10月26日(日)午後2時から上野の東京藝大奏楽堂で開かれる「ウィーンの魔笛 ヘンリク・ヴィーゼを迎えて」コンサートです ヘンリク・ヴィーゼは1971年ウィーン生まれ。2006年からバイエルン放送交響楽団の首席フルート奏者を務めています。プログラムはモーツアルト「フルート四重奏曲K.285a」ほか。他に漆原朝子(ヴァイオリン)、川崎和憲(ヴィオラ)、河野文昭(チェロ)などが出演します 入場料は全席自由2,000円です。チケットは、チケットぴあ、イープラス、東京文化会館チケットサービスほかで扱っています。私は当日、古典四重奏団のコンサートがなければ間違いなく聴きに行っています

 

          

 

  閑話休題  

 

宮部みゆき著「火車」(新潮文庫)を読み終わりました 日本におけるミステリー界で彼女の名前を知らない人はいないでしょう 1960年、東京生まれ。これまで数々の賞を受賞していますが、この「火車」で1993年に山本周五郎賞を、99年には「理由」で直木賞を受賞しています

休職中の刑事、本間俊介は遠縁の和也から彼の婚約者、関根彰子の行方を捜してほしいと頼まれる 彼女は突然、彼の前から姿を消したが、なぜそうしなければならなかったのか?調べていくうちに関根彰子と名乗っていた女性は実は別の人物であることが判明する それではその女性はなぜ、関根彰子を名乗らなければならなかったのか・・・・・・そこには、クレジットカード社会の犠牲者とも言うべき自己破産の実態が隠されていた

 

          

 

本間やその協力者たちは、ついに関根彰子の名前を語る女性を突き止め、遂に彼女の目の前にしますが、この作品は、本間の捜査協力者で関根彰子の小学校時代の同級生・保がその女性の肩に手を置くシーンで物語を閉じます

このエンディングは凄いと思います これからいくらでも物語が展開するはずなのに、それを語らない。そのきっかけだけを提示して680ページを超える物語を閉じる。こういう手法を考えつくのだから宮部みゆきは凄いと思うのです

ところで、私が読んだすべての本は当ビル7階の某所に運ばれ、そこで回し読みしてもらっていますが、この本を持って行ったら「あら、いやだ、これ以前回ってきた本でしょ!」と言われてしまいました 恥ずかしながら、私にとって宮部みゆきの作品はこれで2冊目で、「火車」も初めて回したのだと言うと、意外な顔をされました 「ミステリー好きなら宮部みゆきの本は当然のこととして全作品を読破しているはず」という思い込みがあるようです。これまでの年間実績から言って、クラシック・コンサートを100とすれば映画が25、読書は40の割合です。とても宮部みゆき全作品読破なんて達成できません

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