人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

湯浅卓夫 ✕ 新交響楽団でシベリウス「交響曲第2番」、バルトーク「舞踏組曲」、芥川也寸志「オーケストラのためのラプソディ」を聴く ~ 「芥川也寸志 没後30年」記念演奏会

2019年04月30日 07時21分14秒 | 日記

30日(火)。今日は平成最後の日です 昨日の朝、息子が山形から深夜バスで帰ってきました。久しぶりに元気な姿を見て安心しました これで平成生まれの息子も、昭和生まれの娘とともに、平成から令和にかけてわが家で過ごすことになります。何よりも家族が健康であることが一番です

ということで、わが家に来てから今日で1670日目を迎え、トランプ米大統領が民主党の大統領候補者に対し「眠たげなジョー(バイデン氏)や変人のバーニー(サンダース上院議員)に自分と同じようなことができると思うか?」と”口撃”を強めている というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプと同じことをやっていたら 世界中の国から総スカンを喰らうだろうよ!

 

         

 

昨夜は息子が「スペアリブ」と「人参とキャベツのスープ」を作ってくれました 私は普段オーブンは使わない(後が面倒なので)のですが、息子はオーブンで焼き上げました 山形のアパートでは自炊しているので、料理は私よりも上手いかも知れません ニンニクの丸焼きを食べたのは何年ぶりだろうか? どれも美味しく頂きました

 

     

 

         

 

昨日、東京劇術劇場コンサートホールで新交響楽団「第245回演奏会《芥川也寸志 没後30年》」を聴きました プログラムは①芥川也寸志「オーケストラのためのラプソディ」、②バルトーク「舞踏組曲作品77」、③シベリウス「交響曲第2番ニ長調作品43」です 指揮は東京藝大名誉教授・湯浅卓夫です

 

     

 

自席は1階N24番、センターブロック右通路側です。会場はいつものように1階席を中心にかなり入っています

弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並びです コンミスはいつものように青山学院高等部教諭の堀内真実さんです

1曲目は芥川也寸志「オーケストラのためのラプソディ」です この曲は芥川也寸志(1925-1989)が1971年に作曲した作品です プログラム冊子にヴァイオリンの滑川友人という方が詳細な曲目解説を書いていますが、それによると この曲は「崩壊した調性に対するパロディー風な答え」のようです   芥川氏は初演プログラムに「明るく、少しおかしく、楽しげに響くことを期待している」と書いているそうです

この曲を湯浅氏のタクトで聴く限り、冒頭の馬のいななきのようなユーモラスな曲想といい、中盤の馬子唄のような曲想といい、躍動感あふれるテーマを執拗に繰り返すオスティナートといい、「無調」に走った現代音楽を蹴散らしているかのような爽快感がありました

2曲目はバルトーク「舞踏組曲作品77」です この曲はベラ・バルトーク(1881-1945)が、1923年のブダペスト市成立(ブタとペストの合併)50周年記念式典のために委嘱された作品です 第1楽章「モデラート」、第2楽章「アレグロ・モルト」、第3楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「モルト・トランクィロ」、第5楽章「コモド」と、フィナーレ「アレグロ」から成りますが、すべての楽章はアタッカで切れ目なく演奏されます

バルトークはハンガリーとその周辺の国々の農村を訪ね、古くから伝わる民俗音楽の収集に努めたことは広く知られていますが、その数は12年間で9,000以上と言われているそうです

湯浅氏のタクトによる新響の演奏は、バルトークが集めた民族音楽の集大成とも言えるようなこの曲をリズム感もよく 色彩感豊かに表現しました

 

     


プログラム後半はシベリウス「交響曲第2番ニ長調作品43」です この曲はヤン・シベリウス(1865‐1957)が1902年に作曲した作品です 第1楽章「アレグレット」、第2楽章「テンポ・アンダンテ・マ・ルバート~アンダンテ・ソステヌート」、第3楽章「ヴィヴァティッシモ~レント・エ・スアーヴェ~アタッカ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・モデラート~モデラート・アッサイ~モルト・ラーガメンテ」の4楽章から成ります

コンミスがもう一人の女性に代わります。残念ながら名前は分かりません

第1楽章冒頭、弦楽器による「ミミ・ミミミ・ファファファ・ソソソ」と静かに潜行する旋律はいいですね 第2番が始まるぞ、という合図のようです 私が好きなのは第2楽章の冒頭、ティンパニのトレモロで開始され、低弦のピッツィカートに続いてファゴットが第1主題を演奏するところです ティンパニも コントラバスも チェロも ファゴットも すべて良かったです   それから、第3楽章から第4楽章かけての盛り上がりが素晴らしいですね ここは速すぎてもいけないし、遅すぎてもシラケますが、湯浅✕新響のテンポは最適でした    第4楽章後半は金管がややお疲れ気味のようでしたが、全体的には力強い演奏でした 大人数による演奏のため透明感はイマイチですが、マスの力で迫力は満点でした アマチュア・オケでもここまで演奏できるのですから大したものだと思います

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アル・パチーノ主演「狼たちの午後」、ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォード共演「大統領の陰謀」を観る ~ フェイク・ニュースを連発するトランプ政権下だからこそ観るべき映画

2019年04月29日 07時31分20秒 | 日記

29日(月・祝)。わが家に来てから今日で1669日目を迎え、トランプ米大統領は26日、通常兵器の国際取引を包括的に規制する武器貿易条約の署名撤回を宣言した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      集票力のある全米ライフル協会の意向に沿った行動だ  すべて自分の選挙 第一だ

 

         

 

現在、池袋の新文芸坐では「魅惑のシネマ・クラシックスVOL.31 ワーナー・ブラザース シネマ  フェスティバル」を開催中です 昨日はその第1日目で、「狼たちの午後」と「大統領の陰謀」の2本立てを観ました

「狼たちの午後」はシドニー・ルメット監督による1975年アメリカ映画(125分)です

 ニューヨークの猛暑の昼間、銀行に3人組の強盗が押し入る しかしそのうちの一人は怖気づいてすぐに逃亡してしまう その上、銀行には少額の現金しかなかったことが分かる 犯人のソニー(アル・パチーノ)とサル(ジョン・カザール)はあっという間に警官隊に包囲され、人質とともに籠城せざるを得なくなる 一方、集まった野次馬たちは犯人を英雄視して応援するという異常な事態に発展する そんな中、ソニーが犯行に走った理由が明らかになる。彼は大切な”伴侶”の手術代が必要だったのだ ソニー、サルと人質たちを乗せたバスが空港に到着し海外への逃亡まであと一歩のところまできたが、警察は甘くなかった

 

     

 

この映画は実際に起きた事件をもとに描かれた犯罪サスペンスです

銀行強盗をはたらくのに覆面を付けていないし、押し入ったのが銀行に現金がない時間帯だったことも知らないし、人質から「ちゃんと計画したの?」とまで言われてしまうドジな強盗をアル・パチーノが真剣に演じています それにしても、と思うのは、建物内に人質がいるにせよ、数百人の警官を動員しながら すぐ目の前の強盗を捕まえられない警察は極めて牧歌的だな、ということです 人質も人質で、ソニーから銃の扱い方を習って笑ったりしています 銃が手に入るのなら犯人に立ち向かうことが出来るのに、やらないのです また、支店長は糖尿病で倒れますが、呼ばれて駆けつけた医者の手当てを受けた後、病院で精密検査を受けるよう勧告されたのに、人質に残ると言い張ります。これも極めて牧歌的です 普通だったら、一刻も早く解放されたいでしょう 

かくして、この映画は犯人も、人質も、警官も、馴れ合いで銀行強盗事件に関わっているようで、どこか締まりのない映画のように思えますが、ただ一つビックリするのは、今から40年以上も前にLGBTを取り上げていることです

 

     

 

         

 

「大統領の陰謀」はアラン・J・バクラ監督による1976年アメリカ映画(138分)です

1972年6月、ワシントンD.Cのウォーターゲートビルにある民主党本部に不審な5人組が侵入し、逮捕される ワシントン・ポスト紙の新米記者ボブ・ウッドワード(ロバート・レッドフォード)は裁判を取材し、当初は単なる窃盗目的と思われた犯人たちの裏に何か大きな存在をかぎ取る 先輩記者のカール・バーンスタイン(ダスティン・ホフマン)と組んで事件の調査に当たることになったウッドワードは、ディープ・スロート(陰の情報提供者)の助言や編集主幹ブラッドリーの後ろ盾を得て調査報道を展開し、徐々に真相に迫っていく

 

      

 

この映画は、ウォーターゲート事件の知られざる真相を暴き、ニクソン大統領を失脚に導いたワシントン・ポスト紙の記者カール・バーンスタインとボブ・ウッドワードの回顧録「大統領の陰謀  ニクソンを追いつめた300日」を映画化した社会派サスペンスです

二人の記者がスクープをものにし、一国の大統領を辞任に追いやることが出来たのは、地道な調査報道のほかに、「ディープ・スロート」(喉の奥)や政権に近い情報提供者の協力があったからです ウッドワードは、3年前の海軍在籍時に親しくなった政権内部の重要人物に接触し、1972年10月の深夜、ワシントンのポトマック湖畔の ある駐車場で面会し、事件の真相を尋ねました それが「ディープ・スロート」(政権内部の匿名の密告者)との接触の発端でした ウッドワードは「取材源の秘匿」を条件に彼の協力を取り付けました そういうこともあって、長い間「ディープ・スロート」の正体は謎に包まれていました そして2005年5月、事件当時FBI副長官だったマーク・フェルトが自分がディープ・スロートだったことを雑誌「バニティ・フェア」の記事をきっかけとして公表しました ただし、マーク・フェルトは内部告発を行ったわけではなく、また直接 情報機密情報を漏らしたわけでもなく、「どこに行けば事件に関連した情報が得られるか」といった”情報を得る方法”を記者たちにアドヴァイスしたに過ぎません その情報を得るのはあくまでも記者たちの仕事でした

共和党の選挙管理委員会などの関係者への取材は、上層部からの圧力により箝口令が引かれてなかなか協力が得られませんが、二人の記者は粘り強く説得に当たり、情報を引き出します その時も「情報提供者があなたであると名指しして記事に書くことはしません。迷惑をかけないので本当のことを話してください」という「取材源の秘匿」を約束します。これは報道する者にとっての憲法のような鉄則です これを破ったら、誰もその新聞に情報提供する人がいなくなります

事件が起こったのが1972年、この映画の製作が1976年、私が新聞関係団体に入職したのは ちょうどその中間の1974年でした この映画が公開された時は、「あの映画もう観た?」というのが職場で合言葉のようになっていたことを懐かしく思い出します

ここで、いつものように突然音楽の話になりますが、バーンスタインがウッドワードの家に新情報を持ってきた時、ウッドワードはいきなりステレオのスイッチを入れ、大音量で音楽を流します    彼は「ディープ・スロート」から「君たちも狙われている。警戒すべし」と警告を受けていたので、「盗聴されているかも知れない」と考えたからです その時に流れたのはヨーゼフ・ハイドンが1796年に作曲した「トランペット協奏曲変ホ長調」の第1楽章「アレグロ」でした これを大音量でかけられたら人の声が聴こえないばかりか、文字通り話になりません 二人はタイプライターに文字を打って”会話”をしていました

映画の話に戻ります。同じワシントン・ポスト紙がニクソン政権を相手に戦ったものに「最高機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)」のスクープがあります これはニクソン政権下の1971年、ベトナム戦争に関する国防総省の調査・分析文書「ペンタゴン・ペーパーズ」の一部が暴露され、政府の欺瞞が明らかにされた事件です これはスティーヴン・スピルバーグ監督により2017年に「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」として映画化されています。興味のある方は、2018年4月17日付toraブログをご覧ください。「大統領の陰謀」が記者の視点から描かれているのに対し、「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」はワシントン・ポスト紙の社主キャサリン・グラハムの視点から描かれています

ところで、ロブ・ライナー監督による2017年アメリカ映画「記者たち」(91分)がロードショー公開されています この映画は、イラク戦争の大義名分となった大量破壊兵器に疑問を持ち、真実を追い続けた「ナイト・リッダー」の記者たちの姿を描いています これは是非観なければ、と思っています

さきにご紹介した「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」にしても、この「記者たち」にしても、2017年1月に誕生し「自分の都合の悪い情報を流す報道機関のニュースは全てフェイク・ニュースだ」と断じて止まないトランプ米大統領の言動を考える時、撮るべくして撮られた映画だと言えるでしょう

 

     

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ライナー・キュッヒル氏「現代のコンマスの役割、若手指揮者の傾向」を語る~N響「Philharmony」のシリーズ「オーケストラのゆくえ」より / 吉田秀和著「バッハ」を読む

2019年04月28日 07時20分35秒 | 日記

28日(日)。わが家に来てから今日で1668日目を迎え、トランプ米大統領は26日の日米首脳会談で、新天皇と会見するため国賓として訪日するよう安倍首相から打診された際、「スーパーボールと比べてどれくらい大きいものなんだ?」と尋ね、安倍首相が「だいたい100倍くらいだ」と答えると、トランプ氏は「行く。そうだったら行く」と来日を決めた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

        アメリカ大統領の外交の判断基準はいつからスーパーボールになったんだい?

 

         

 

N響のプログラム冊子「Philharmony」は、現代のオーケストラを巡る様々なトピックを「オーケストラのゆくえ」というシリーズで取り上げてきました 4月号掲載の最終回では元ウィーン・フィルのコンサート・マスターで現在N響のゲスト・コンマスを務めるライナー・キュッヒル氏がインタビューに答えています 超訳すると、次の通りです

「コンマスの立場は微妙だ。第1ヴァイオリンのセクションをまとめるにとどまらず、オーケストラ全体を助け、時には指揮者も助けなければならない 指揮者がどうにもならない場合は楽員を困難から救い出す義務もある。指揮者は音楽面で最強の存在だ しかし、音楽的には優れていても、バトン・テクニックの危うい指揮者もいる すばらしい音楽のアイディアがあれば、テクニックは二の次でもよいが、協奏曲などの伴奏指揮ではそうも言っていられない 最大限の努力で演奏を成立させなければならない。かつてウィリー・ボスコフスキーがウィーン・フィルのコンマスを務めた時代は、ダメな指揮者には はっきり「あなたはウィーン・フィルを振る器ではない」と言い放ったそうだ    半面、本物のマエストロたちには最大限の尊敬を払っていた。面白いのは同じ指揮者が10のオーケストラを振ったとしても、それぞれに固有の伝統があるため、10通りの異なる音の結果が出ることだ   例えば、カラヤンは基本的にトロンボーンをゆっくり、重く吹かせるのを好んでいたが、ベルリン・フィルとウィーン・フィルでは異なる指示を出していた   若い指揮者に関しては、カラヤンやマゼールのようなマジックを発揮できるマエストロが極端に少なくなったと言わざるを得ない キャリアを作ることに汲々とし、イメージ戦略に熱中する傾向が顕著だ。楽譜の背後に身を置き、音楽の奉仕者に徹する指揮者は非常に少なくなった 残念ながら現状は、テクニック偏重だ。テクニックだけを極めていけば、指揮の未来は人間ではなく、ロボットの手に委ねられるのではないか 音楽は危機に瀕している。この方向での発展には区切りをつけ、原点に立ち返るべきだ コンサートマスターの権威づけも行き過ぎた。他の楽員全員がチューニングを終えるのを待ってソリストのように現れ、いきなり演奏するオーケストラのリーダー(コンマス)は明らかに威張り過ぎの感じがする 自分はいつも同僚と同時に入場する。オーボエ奏者が厳かにチューニングを開始する習慣も、ウィーン・フィルでは廃止して久しい。ひとりの奏者に全員が音程を依存するリスクは意外に高い N響は過去半世紀、ゲバルト(暴力)といっても過言ではないほど急激に、力を上げてきた 自分は1971年にウィーン・フィルに入団したが、当時の楽員は今とまったく違う顔ぶれだった。しかし、ウィーン独特の奏法は見事に保たれていた。オーケストラの形態が変わる今日ではそれを引き継ぐのは非常に難しくなった もし腕前だけでオーディションを実施したら、ウィーン・フィルの音は雲散霧消してしまうだろう 奏法や音楽性、音色を慎重に検討しながら、シュトラウス・ファミリーのワルツを『それらしく』奏でられる集団の個性を維持することは難しい時代になった。日本のオケは十分な発展を遂げ、いくつかの団体は世界のトップクラスに比してまったく遜色のない演奏水準を備えている 世界の名門楽団は優秀な音楽家を獲得しようと国際オーディションを繰り返した結果、かつて固有だった響きの個性を失いつつある その点、日本のオーケストラは言語や地政学の問題もあって、日本人の割合が多いままに構成され、世界的にみても優れた奏法の一体感がある 21世紀はN響をはじめ、日本のオーケストラが一段と強い個性を発揮して、世界に羽ばたく時代と言えるだろう

 

     

 

キュッヒル氏のインタビューを読んで真っ先に知りたいと思ったのは、「指揮者がどうにもならない場合は 楽員を困難から救い出す義務もある」という発言で、「どうにもならない指揮者」って具体的に誰ですか?ということです   まあ、これは答えられないでしょうね

次に気になったのは、「キャリアを作ることに汲々とし、イメージ戦略に熱中する傾向が顕著だ。楽譜の背後に身を置き、音楽の奉仕者に徹する指揮者は非常に少なくなった。残念ながら現状は、テクニック偏重だ。テクニックだけを極めていけば、指揮の未来は人間ではなく、ロボットの手に委ねられるのではないか」という若手指揮者についての発言です   これについても、具体的に誰と誰ですか?と訊きたいところですが、これも答えられないでしょうね   でも、それってブザンソンをはじめ、世界各地で行われている指揮者コンクールの影響はないのでしょうか? 私は素人なのでよく分からないのですが、指揮者コンクールって しっかりしたバトン・テクニックがないと上位入賞は難しいのではないかと思うのですが、どうなんでしょう

最後に「日本のオーケストラは言語や地政学の問題もあって、日本人の割合が多いままに構成され、世界的にみても優れた奏法の一体感がある」という発言は、「そういう見方もあるのか」と意外な感じがしました また、 「21世紀はN響をはじめ、日本のオーケストラが一段と強い個性を発揮して、世界に羽ばたく時代と言えるだろう」という発言は、N響のゲスト・コンマスの立場からのリップサービス半分としても、日本のオーケストラの楽員にとっては嬉しいコメントではないかと思います

そのためには「世界に羽ばたく」前に、国内での定期演奏会の会場を聴衆でいっぱいにしなければならないと思います


         


吉田秀和著「バッハ」(河出文庫)を読み終わりました この本は、音楽の友社が2002年に刊行した「吉田秀和作曲家論集6  J.S.バッハ、ハイドン」から、バッハに関する文章のうち26本をまとめたものです

吉田秀和は1913年東京日本橋生まれ。東大仏文科卒。戦後、評論活動を始め「主題と変奏」(1953年)で指導的立場を確立。1948年には、斎藤秀雄らと「子供のための音楽教室」を創設し、後の桐朋学園音楽科設立に参加。館長を務めた水戸芸術館開設を記念し吉田秀和賞が設けられている。著書多数。2012年没

 

     


巻末の「発出一覧」を見ると、「朝日新聞」と「レコード芸術」が多いようです 朝日新聞は30年以上定期購読しているし、「レコード芸術」は世紀が変わる20年ほど前に定期的に読んでいたので、一度読んだことのある文章もあると思われますが、すっかり忘れているので、どれも初めて接するような気持ちで読みました 登場するアーティストは、ヴァイオリンではシェリング、ヴァルガ、ミルシテイン、ミンツ、ピアノではフィッシャー、グルダ、グールド、リヒテル、シフ、ミケランジェリ、チェロではマイスキー、ビルスマ、鈴木秀美、オーケストラではカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団といった往年の演奏家・団体です 吉田氏は彼らの演奏を通してバッハの魅力に迫っていきます 

【 下の写真はカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団によるバッハ「マタイ受難曲」のLP 】

 

     

 

この本を読んで一番驚いたのは、吉田氏が「バッハの宇宙の大きさと深さにおいて頂点に立つのは『ロ短調ミサ曲』と『マタイ受難曲』である」と書きながら、「私は『マタイ受難曲』を これまでに ほんの数回しか聴いたことがない   レコードでも初めから終わりまで聴いたのは、何度あったか。数は覚えてはいないが、10回とはならないのは確かである    私は、それで十分満足している。私は、こんなすごい曲は、一生にそう何回も聴かなくてもよい、と考えている」と書いていることです。天下に名の知れ渡った音楽評論家はこんないい加減でいいのだろうか    ただ聴く回数を増やせば良いという問題ではないにしても、正味3時間の「マタイ受難曲」を一生に10回も聴いていないなんて、それでよく音楽評論家が務まったものだと思います

それにも関わらず、ケンプの弾くバッハのコラールを取り上げて、吉田氏は次のように言ってのけます

「バッハが聴ける、いや、バッハが楽しめることが、どんなにかけがえのない幸福であるか お節介な言い方で大変恐縮であるが、音楽が好きだったら、バッハに心から没入できるようになった方がよい。いや、私は、むしろゲーテを真似て『バッハの味を知らない人は幸福である。その人には、人生で最大の至福の一つが待っているのだから』というべきかもしれない

ここで「バッハに心から没入できるようになった方がよい」と言うのだったら、『マタイ受難曲』を全曲通して聴くべきではないのか

吉田氏が朝日新聞の「音楽展望」や「レコード芸術」誌で取り上げたアーティストの演奏録音の中で最も高い評価を与えたのは間違いなくグレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」の1955年録音盤(モノラル)です これはグールドのデビュー・レコードでしたが、吉田氏はこのレコードを初めて聴いた時、「ほとんど、飛び上がらんばかりにびくりした」と語っています。グールドの才能に惚れ込んだ吉田氏は評論家として初めて、日本コロンビアから依頼されてレコード・ジャケットに「グールド讃」を書きました グールドはその後、同じ曲を1981年にステレオ(デジタル)録音していますが、吉田氏は「ステレオになってからの盤はなぜか、迫力が薄れてしまった」と書いています

【 写真は上が1955年モノラル録音盤、下が1981年ステレオ録音盤 】

 

     

 

     

     

本当のことを白状すると、この本に出てくるLPやCDは持っていない方が多かったので、読み進めるのに難儀しました もし持っていれば、文章の中で紹介されているCDやLPを聴きながら読み進めれば理解がいっそう深まるはずです その点はちょっと残念でしたが、巻末の「解説」に小池昌さんが書かれている「読むと聴きたくなるのは当然のこと CD・DVDは入手困難でも、現代にはユーチューブを始めとして様々な映像媒体もあるから、探して聴きながら本書を読んでみたい」というのは気の利いた提案だと思います

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大野和士 ✕ 東京都交響楽団でシベリウス「交響曲第6番」、ラフマニノフ「交響的舞曲」、武満徹「鳥は星型の庭に降りる」を聴く ~ 30年ぶりに都響の定期会員となる

2019年04月27日 00時03分47秒 | 日記

27日(土)。今週は 月曜日にバックステージツアーに参加して、火曜日に映画を2本観て、水・木・金の3日間で5つコンサートを聴いたので、いささか くたびれました 今日は休養日にします と言っても、いつものように読書をしながら来週のコンサートの予習を兼ねてCDを何枚か聴きます

ということで、わが家に来てから今日で1667日目を迎え、2020年の米大統領選の民主党候補者指名争いに向けて、オバマ政権時代の副大統領だったジョー・バイデン氏が立候補を表明したのを受け、トランプ大統領は25日 ツイッターで「眠そうなジョー、選挙戦にようこそ。予備選で成功を収めるだけの知性が、あなたにあることを望んでいる」と挑発した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      知性の代わりに痴性あふれるトランプにだけは 言われたくないだろうな~

 

 

  昨日は、娘も私も外食だったので夕食作りはお休みしました  

 

         

 

昨夕、サントリーホールで東京都交響楽団の第877回定期演奏会(Bプロ)を聴きました プログラムは①武満徹「鳥は星形の庭に降りる」、②シベリウス「交響曲第6番ニ短調作品104」、③ラフマニノフ「交響的舞曲作品45」です 指揮は都響音楽監督・大野和士です

私が前に都響の定期会員だったのはガリー・ベルティー二が「マーラー・ツィクルス」をやっていた30年ほど前のときでした それ以降は、年明けの「都民芸術フェスティバル」や夏の「フェスタ・サマーミューザ」などで聴くくらいで、あまり都響の音に接する機会はありませんでした この4月から都響が加わったことにより、私が定期会員になっているのは①N響、②読響、③東響、④新日フィル、⑤都響、⑥東フィル(文京)、⑦新国立オペラ、⑧バッハ・コレギウム・ジャパン、⑨読響アンサンブルの9つとなります

さて、1階センター後方の自席に着いてホール全体を見渡してビックリしたのは、他の在京オケの定期演奏会よりも聴衆の数が多いということでした 比較の問題ですが、N響とほぼ同じ、読響よりも、東響よりも、新日フィルよりも空席が少ないと思いました この日のプログラムは3曲ともどちらかと言えば地味目のラインアップですが、要因は何でしょう? 多分、定期会費の料金設定が他のオケと比べて低く抑えられているからだと思います 何しろ東京都からの助成金がありますから強いです 他のオーケストラは「入場料金 対 入場者数」の関係を分析して対応を図った方が良いと思います

オケの面々が入場し配置に着きます   弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並び。コンマスは四方恭子です

1曲目は武満徹「鳥は星形の庭に降りる」です この曲は武満徹(1930-1996)がサンフランシスコ交響楽団の委嘱により1977年に作曲し、同年11月30日にエド・デ・ワールト指揮サンフランシスコ交響楽団によって初演されました 作曲のきっかけは、武満氏がマルセル・デュシャンの回顧展で、後頭部が星型に剃ってある彼のポートレートを観て、その夜に見た夢をもとに作曲したそうです 後頭部に注目して作曲に結び付けるとは高等な技術、頭いいです

武満徹の曲を聴くときにいつも思うのですが、インターナショナルな曲であるのに、なぜか日本を感じさせる曲想だということです この曲にもそれを感じました。やはり日本人のDNAが曲に反映されているのかも知れません

2曲目はシベリウス「交響曲第6番ニ短調作品104」です この曲はヤン・シベリウス(1865-1957)が、大成功を収めた「第5交響曲」から4年後の1923年に作曲した作品です 第1楽章「アレグロ・モルト・モデラート」、第2楽章「アレグレット・モデラート」、第3楽章「ポーコ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「アレグロ・モルト」の4楽章から成ります

演奏を聴く限り、全体的にどこか捉えどころのない曲想で、独特の浮遊感が漂っています ひと言でいえば、起承転結のない穏やかな音楽に思えます 逆に言えば、温かみを感じる曲想と言っても良いかも知れません


     


プログラム後半はラフマニノフ「交響的舞曲作品45」です この曲はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が1940年に作曲、翌41年1月3日にユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団により初演され、彼らに献呈されました 第1楽章「ノン・アレグロ」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」、第3楽章「レント・アッサイ~アレグロ・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります

大野氏のタクトで演奏に入りますが、特に第1楽章におけるアルトサクソフォンとコーラングレの演奏は、1918年にアメリカに亡命し、二度とロシアの土を踏むことのなかったラフマニノフのロシアへの郷愁を、そこはかとなく表現していて秀逸でした

大野氏については、オペラは良いが、オーケストラの指揮は いま一つ物足りなさを感じていました しかし、この演奏を聴いて、やっとその不満が払拭されました この曲の演奏をひと言で言い表すのは難しいのですが、あえて表現するなら「大野和士のメリハリのあるタクトのもと、オーケストラが同じ呼吸をしていた」ということです

これから1年間、都響の演奏を定期的に聴いていくのが楽しみになりました

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下野竜也 ✕ ワディム・グルズマン ✕ N響でショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、ヴァインベルク「交響曲第12番」を聴く

2019年04月26日 07時19分42秒 | 日記

26日(金)その2.よい子は「その1」も見てね。モコタロはそちらに出演しています

 

         

 

昨夕、サントリーホールでN響第1911回定期演奏会(Bプロ)を聴きました プログラムは①ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77」、②ヴァインベルク「交響曲第12番作品114”ショスタコーヴィチの思い出に”」です 演奏は①のヴァイオリン独奏=ワディム・グルズマン、指揮=下野竜也です

弦はいつもの並びで、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという編成。コンマスはマロこと篠崎史紀氏です

1曲目はショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77」です この曲は、ドミートリ・ショスタコーヴィチ(1906ー1975)が1947年から翌48年にかけて作曲しましたが、完成後に作曲者に対する批判が出たため、初演は7年間お預けとなり、1955年10月29日にレニングラードでダヴィッド・オイストラフのヴァイオリン、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルにより行われました 第1楽章「ノクターン:モデラート」、第2楽章「スケルツォ:アレグロ」、第3楽章「パッサカリア:アンダンテ」、第4楽章「ブルレスカ:アレグロ・コン・ブリオ」の4楽章から成ります

1973年ウクライナ生まれ、イスラエル国籍のワディム・グルズマンが下野竜也氏とともに登場、さっそく演奏に入ります 楽譜を見ながらの演奏ですが、かなりの技巧派で、緩徐楽章はじっくりと歌わせ、アレグロ楽章は超絶技巧を凝らして下野✕N響との丁々発止のやり取りをしながら猛スピードで駆け抜けます 十数年前 みなとみらいホールで 生まれて初めてこの曲を聴いたヒラリー・ハーン ✕ ヤンソンス ✕ ベルリン・フィルの鮮やかな演奏を思い出しました

終演後、「4月から休憩時間は20分となりました」というアナウンスが流れました N響の場合、プログラム冊子「Philharmony」には、ただ「休憩」と書かれているだけでしたが、今号から「休憩(20分)」と表示されるようになりました 今までは15分しか休憩がなかったので、トイレの列が解消されないうちに後半開始チャイムが鳴り始め、「トイレには行きたいけれど 時間はなし あわただしきことこの上なし」でした 一歩前進です


     


プログラム後半はヴァインベルク「交響曲第12番作品114”ショスタコーヴィチの思い出に”」です この曲はユダヤ系ポーランド人として生まれたミェチスワフ・ヴァインベルク(1919-1996)が1975年から翌76年にかけて作曲、1979年10月13日にモスクワで、マキシム・ショスタコーヴィチ指揮モスクワ放送交響楽団により初演されました 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アレグレット」、第3楽章「アダージョ」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

この曲のサブタイトルは「ショスタコーヴィチの思い出に」となっていますが、ショスタコーヴィチの曲想に似ているのは、第2楽章及び第3楽章の一部と第4楽章のフィナーレくらいのものです 千葉潤さんによるプログラム・ノートには「マーラーやショスタコーヴィチを思わせる悲劇性やアイロニー・・・・」といった表現が使われていましたが、「目先がクルクルと変わり 先がまったく読めない」という意味ではマーラーの交響曲に似ていますが、曲想はまったく似ていません ストーリーに関係なくいきなりダンスが踊られるインド映画(ボリウッド)のようです 「この人はいろいろと辛い目に遭って不満が鬱積していたのだろう その辛い気持ちを交響曲の中にランダムにぶちまけたのだろう」と思ったりしました

1時間にも及ぼうとする長大で難解な交響曲を聴きながら、その昔、若者たちの間で空前のヒットを記録したザ・ブロードサイド・フォーの名曲「若者たち」を想い起こしていました

 君の行く道は 果てしなく遠い だのに なぜ 歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで 

 君の聴く曲は 果てしなく長い だのに なぜ 歯を食いしばり 君は聴くのか そんなにしてまで 

冗談はさておき、終演後、何だかよく分からない曲だったけど熱演だったと カーテンコールが繰り返されました   女性ヴァイオリン奏者から花束を受け取った下野氏は、それを譜面台上のスコアブックの上に載せ、ヴァインベルクに敬意を表して 楽譜に拍手を送りました   コンマスの篠崎氏には、古典派やロマン派だけでなく、あえて現代のクラシックを取り上げる下野氏をリスペクトする姿勢が見て取れました

ところで、N響のプログラム冊子「Philharmony」は「オーケストラのゆくえ」というテーマでオーケストラを巡る様々なトピックを取り上げてきましたが、4月号はその最終回として元ウィーン・フィルのコンマスで、N響のゲスト・コンマスを務めるライナー・キュッヒル氏がインタビューに答えています。これが実に面白いのです。これについては後日あらためてご紹介することにします

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藝大モーニングコンサートでブラームス「ピアノ協奏曲第1番」(Pf:葛原寛)、アッペルモント「カラーズ」(Tb:岩瀬麟之助)を聴く ~ 高関健 ✕ 藝大フィルハーモニア管弦楽団

2019年04月26日 00時03分42秒 | 日記

26日(金)その1.わが家に来てから今日で1666日目を迎え、東京都は25日、港区の防潮扉に落書きのように書かれていたバンクシーが描いた可能性のあるネズミの絵を、都庁第1庁舎2階北側のフロアで公開した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      本当の作者が どこかでせせら笑っているような気がしてならないんだけどなぁ

 

         

 

昨日、夕食に「塩だれ豚丼」を作りました 何度も作ったので失敗はありません

 

     

 

         

 

昨日、午前11時から藝大モーニングコンサートを、午後7時からN響定期演奏会(Bプロ)を聴きました ここでは新年度第1回目の藝大モーニングコンサートについて書きます

全自由席です。1階13列12番、左ブロック右通路側を押さえました 会場は7割くらいの入りでしょうか

 

     

 

この日の指揮者は高関健氏のため、オケはヴァイオリン・セクションが左右に分かれる対向配置をとります コンマスは植村太郎です

1曲目はアッペルモント「カラーズ」です この曲はベルギー出身のベルト・アッペルモント(1973~)が、元バンベルク響首席トロンボーン奏者ベン・ハームホウストの委嘱により1998年2月に作曲、同年12月29日に初演されたトロンボーン協奏曲です 各楽章にはカラー(色)の名称が付けられており、第1楽章(イエロー)「マエストーソ」、第2楽章(レッド)「ヴィヴァーチェ」、第3楽章(ブルー)「ラルゴ・エスプレッシーヴォ」、第4楽章(グリーン)「アレグロ」の4楽章からなります 4つの楽章は切れ目なく続けて演奏されます

トロンボーン独奏は1997年生まれ、山口県出身の藝大4年生・岩瀬麟之助君です

高関氏のタクトで第1楽章が開始されます 現代音楽にありがちな難解さはなく、親しみを感じさせるメロディーが続きます イエローの色調を現すかのような明るい音楽がトロンボーンによって表現されます

第2楽章に入ると、まるで「エル・サロン・メヒコ」のようなラテン的な音楽が奏でられ、次第に情熱的で激しい「レッド」を感じさせる音楽に転化していきます

第3楽章はゆったりした音楽の中からトロンボーンがふわっと浮き上がるようなクールな「ブルー」を感じさせる音楽を奏でます そして 第4楽章に入ると、速いパッセージの壮大な音楽が演奏され、スター・ウォーズか   と言いたくなるようなスケールの大きな音楽が展開しフィナーレを迎えます

岩瀬麟之助君の演奏は確かな技巧に裏づけられた素晴らしい演奏でした それは高関氏✕藝大フィルハーモニアのしっかりしたバックがあってこそ実現した演奏でした

 

     

 

2曲目はブラームス「ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15」です ヨハネス・ブラームス(1833-1897)は、1854年春に3楽章構成による2台のピアノのための「ピアノ・ソナタ」を書きましたが、その後、楽器編成に不満を持ったブラームスはこれを「交響曲」に変更しようと試み、第1楽章を管弦楽化します しかしこの結果にも満足できず、交響曲への改作は頓挫します 翌55年、ブラームスは原曲のピアノ的な書法を活かした「ピアノ協奏曲」として改作することとし、ヨーゼフ・ヨアヒムの助言を得ながら、56年に「ピアノ協奏曲第1番」として完成させました 1859年1月22日にハノーファーで、ヨアヒム指揮、ブラームスのピアノ独奏により初演されました   第1楽章「マエストーソ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「ロンド:アレグロ・ノン・トロッポ」の3楽章から成ります

ピアノ独奏は1997年生まれ、仙台市出身の藝大4年生・葛原寛君です

高関氏のタクトで第1楽章が開始されます   冒頭のティンパニによるトレモロの強打が凄い 一気にブラームスの世界に引き込まれます スケールの大きな長大な序奏に続いて独奏ピアノが入ってきますが、ピアノはオーケストラの一部と化しています。これがブラームスの狙いでしょう 独奏ピアノとオケが混然一体となって次第にヒートアップしていき、ダイナミックな演奏を展開します 第2楽章は優しく穏やかな曲想が続きます 葛原君のピアノの何とデリケートでニュアンスに満ちていることか 第3楽章に入ると一転、独奏ピアノとオケとの推進力に満ちた情熱的な音楽が展開します

ソリストの葛原寛君の演奏は力強くもあり、抒情性もあり、スケールも大きく、何よりも説得力のある演奏でした そして、特筆すべきは高関健 ✕ 藝大フィルハーモニアによる迫力に満ちた渾身の演奏です こういうバックに支えられて演奏できる葛原君は幸せだと思います

 

     

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「トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーン」でシューベルト「交響曲第5番」、ブルッフ「ClとVaのための協奏曲」、シュトラウス兄弟「ポルカ&ワルツ集」を聴く~東京オペラシティコンサートホール

2019年04月25日 07時39分59秒 | 日記

25日(木)その2.よい子は「その1」も見てね。モコタロはそちらに出演しています

昨日の朝、娘が「スーパーSIで午前10時から限定販売する『いちごバター』を買っておいてください」というので、コンサートのついでに池袋地下のSIに行ってみたら「売れ切れました」と冷たく通告されました しかたないので、ダメ元で地元の巣鴨に戻りアトレ内のSIに行ってみたら十数個も残っていました 「お一人様1個限り」とあったので、1個買って、ぐるりと店内を一周してもう一度並んで1個買いました 出資者の特権で娘が食す前にパンに塗って食べてみましたが、結構美味しいです

 

     

 

         

 

昨夕、東京オペラシティコンサートホールで「ウィーン・プレミアム・コンサート」を聴きました プログラムは①シューベルト「交響曲第5番変ロ長調D485」、②ブルッフ「クラリネットとヴィオラのための協奏曲ホ短調作品88」、③ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ヴェネツィアの一夜」序曲、④J.ランナー:ワルツ「ロマンティックな人々」、⑤ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「遠方から」、⑥ヨハン・シュトラウス2世「宝石のワルツ」、⑦同:ポルカ・シュネル「急行列車」、⑧同「入江のワルツ」です

演奏する「トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーン」は、ウィーン・フィルのコンマス、フォルクハルト・シュトイデが芸術監督・コンサートマスターを務め、ウィーン・フィルやウィーン交響楽団などの精鋭30名から成る特別編成室内オーケストラです 私は毎年このコンサートを聴くのを楽しみにしています

 

     

 

自席は1階20列9番、左ブロック右から2つ目です。会場は9割くらい埋っているでしょうか

シュトイデをはじめ、オケのメンバーが入場し配置に着きます。弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並びです とは言え、管楽器を含めて30人なので各セクションの人数は極めて少数です 指揮者を置かないため、コンマスのシュトイデが指揮者の代わりに合図を送ります

1曲目はシューベルト「交響曲第5番変ロ長調D485」です この曲はフランツ・シューベルト(1797-1828)が19歳の時、1816年秋に作曲しました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」、第3楽章「メヌエット:アレグロ・モルト~トリオ」、第4楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

シュトイデの合図で第1楽章に入ります。溌剌として推進力に満ちた曲想は、確かにシューベルトのDNAが認められます 少数精鋭メンバーによるオケはシューベルトのアイデンティティーを掬い上げます 第3楽章「メヌエット」もシューベルト特有の曲想です 第4楽章を聴きながら思ったのは、これがたった30人のオケの音だろうか、ということです まるでフル・オーケストラが演奏しているように感じました ウィーン響のソロ・フルート奏者、エルヴィン・クランバウアーの演奏が溌剌として素晴らしかった

2曲目はブルッフ「クラリネットとヴィオラのための協奏曲ホ短調作品88」です この曲はマックス・ブルッフ(1838-1920)が1911年にクラリネット奏者だった息子のために作曲した作品です 第1楽章「アンダンテ・コン・モート」、第2楽章「アレグロ・モデラート」、第3楽章「アレグロ・モルト」の3楽章から成ります

オケのメンバーの二人、クラリネットのゲラルド・パッヒンガ―(ウィーン響首席)とヴィオラのエルマー・ランダラー(ウィーン・フィル)がソリストとして登場します

シュトイデの合図で第1楽章に入ります 全体を聴いた印象は、思いついたメロディーをつなぎ合わせたような曲想で、美しいとは思うものの起伏が少なく、曲としての魅力に乏しい感じがします やはり、同じ時期に活躍したブラームスにはとうてい及ばないと思います

 

     

 

プログラム後半はウィーンのオケが得意とする「ワルツ・ポルカ集」です 1曲目はヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ヴェネツィアの一夜」序曲です この曲はワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)がベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム劇場の開場を記念して作曲、1883年秋に初演された喜歌劇の序曲です ワルツあり、ポルカあり、ギャロップあり、とテンポが目まぐるしく変化しながら展開します 30人のオケの演奏はまるでウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの縮図のようです 第1ヴァイオリンのメイン・メロディーに対して、第2ヴァイオリンとヴィオラが微妙にテンポをずらして演奏するのが何とも言えない魅力です 彼らは嬉々として演奏します これぞウィンナワルツと言いたくなるような演奏です

次はヨーゼフ・ランナー(1801-1843)のワルツ「ロマンティックな人々」です この曲はワルツ王の父ヨハン・シュトラウス1世のライバル、ヨーゼフ・ランナーが1840年の舞踏会で発表したワルツです 優美なメロディーは豊潤なワインのようです

次いで、シュトラウス2世の弟ヨーゼフ・シュトラウス(1827-1870)のポルカ・マズルカ「遠方から」です ヨーゼフは兄のヨハンとともに1869年夏にサンクト・ペテルブルク近郊のハヴロフスクで開かれる舞踏会に出席するため現地に赴きましたが、ウィーンに残してきた家族に想いを寄せて「遠方から」を作りました 郷愁をさそう優美な音楽です

次いで、ヨハン・シュトラウス2世「宝石のワルツ」が演奏されます この曲はオペレッタ「ジプシー男爵」の中に出てくるワルツです この曲でも、第2ヴァイオリンとヴィオラが微妙にずれて演奏するスタイルが堪りません

次は同じくヨハン・シュトラウス2世のポルカ・シュネル「急行列車」です この曲は1866年秋に初演されました。軽快なテンポによるポルカが心地よく響きます

プログラムの最後は同じくヨハン・シュトラウス2世の「入江のワルツ」です この曲は1曲目に演奏された「ヴェネツィアの一夜」から編まれたワルツです 様々なワルツが出てくるので楽しく聴けました

30人のメンバーは満場の拍手とブラボーに応え、アンコールにエドゥアルト・シュトラウスのポルカ・シュネル「テープは切られた 作品45」を、それでも鳴りやまない拍手にヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「短いことづて 作品240」を圧倒的な速さで演奏し 会場の温度を2度上昇させました

聴き終わって感じたのは「こういうのを超一流の演奏と言うんだろう」ということでした

 

     

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芸劇ブランチコンサートでヴィヴァルディ「四季」他を聴く ~ 伊藤亮太郎、藤江扶紀、佐々木亮、辻本玲、西山真二ほか / 10月以降の「ブランチコンサート」のチケットを取る

2019年04月25日 00時19分53秒 | 日記

25日(木)その1.わが家に来てから今日で1665日目を迎え、米ツイッターのジャック・ドーシー最高経営責任者はホワイトハウスでトランプ大統領と非公開で会談したが、ロイター通信社は関係者の話として、トランプ大統領は自らのアカウントのフォロワー数が激減した理由に関する質問に多くの時間を割いたと伝えた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      質問も何も フェイクニュースばかり発信してたら 激減するのは当たり前だろう!

 

         

 

昨日、夕食に「鶏のトマト煮」を作りました この料理が大好物の娘のリクエストですが、超簡単で美味しいです

 

     

 

         

 

昨日、午前11時から東京芸術劇場で「芸劇ブランチコンサート」を、午後7時から東京オペラシティコンサートホールで「トヨタ・マスタープレイヤーズ、ウィーン」のコンサートを聴きました ここでは池袋の東京芸術劇場で開かれた「第18回 芸劇ブランチコンサート ヴィヴァルディの四季」について書きます

プログラムは、①タルティー二「ヴァイオリン・ソナタ”悪魔のトリル”」、②ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」です 演奏はヴァイオリン=伊藤亮太郎(N響コンマス)、大江馨、藤江扶紀(トゥールーズ・キャピトル国立管コンマス)、ヴィオラ=佐々木亮(N響首席)、チェロ=辻本玲(日フィル・ソロ奏者)、コントラバス=西山真二(N響首席代行)、ピアノ=清水和音です

 

     

 

今回から1階席左ブロックに移りました 会場はいつも通りほぼ満席状態です。約1時間のコンサートでチケット代が2400円と手ごろなところが受けているのでしょう ほとんどの人がリピーターだと思われます

1曲目はタルティー二(1692-1770)が1740年代後半に作曲したとされるヴァイオリン・ソナタ「悪魔のトリル」です 「1713年のある夜、タルティー二が夢の中で悪魔に魂を売ると、悪魔がこの世の物とは思えぬほど美しいソナタを弾き、目覚めた後にそれを再現した」という逸話が伝えられています 第1楽章「ラルゲット・アフェットゥーソ」、第2楽章「アレグロ」、第3楽章「グラーヴェ~アレグロ・アッサイ」の3楽章から成ります

ヴァイオリンの伊藤亮太郎、チェロの辻本玲、チェンバロの清水和音の3人が登場します ヴァイオリン・ソナタなのになぜ3人も出てくるのか 演奏後に清水氏が語ったところによれば、バロック時代は楽器編成が かなり自由なところがあって、ヴァイオリン・ソナタは通常ヴァイオリンとピアノ、ヴァイオリンとチェロなどの組み合わせで演奏されるが、楽器がひとつ増えても許されるだろう ということで3人で演奏することにしたそうです

チェンバロ・デビューを果たした清水氏を除き、伊藤氏、辻本氏は共に現代楽器で演奏しましたが、とくに辻本氏のチェロが古楽器のような柔らかい音色を出すのに成功していました 伊藤氏のヴァイオリンは特に3楽章のトリルが聴きごたえがありました チェンバロは音が小さいということもあり、居ても居なくても同じでした

 

     

 

2曲目はヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲『四季』」です この曲はヴィヴァルディ(1678-1741)が作曲したヴァイオリン協奏曲集です 1725年に出版された「ヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』」の第1曲から第4曲までを『四季』と呼んでいますが、『四季』は作曲者本人の命名ではありません 4つのヴァイオリン協奏曲は次のように構成されています

第1番「春」=第1楽章「アレグロ」、第2楽章「ラルゴ」、第3楽章「アレグロ『田園舞曲』」

第2番「夏」=第1楽章「アレグロ・ノン・モルト『けだるい暑さ』」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「プレスト『夏の激しい嵐』」

第3番「秋」=第1楽章「アレグロ『村人たちの踊りと歌』」、第2楽章「アダージョ・モルト『眠る酔っぱらい』」、第3楽章「アレグロ『狩』」

第4番「冬」=第1楽章「アレグロ・ノン・モルト」、第2楽章「ラルゴ」、第3楽章「アレグロ」

各曲にはソネット(14行詩)が添えられており、描写音楽として成り立っています

この曲では、衣装ともども紅一点の藤江扶紀さんがソロ・ヴァイオリンを務めます バックは左から、伊藤、大江、佐々木、辻本、西山、センター後方に清水という並びです

藤江さんの合図で演奏に入りますが、バックの男性陣がソロを盛り立てて実に楽しい演奏でした 「春」では小鳥たちの楽し気な声が聴こえてくるようで、「夏」では焼け付く太陽のギラギラ感が出ており、「秋」では収穫の秋を祝う喜びが感じられ、「冬」では凍てつくような寒さが迫ってきました ソリストの藤江さんを中心とする各楽器1つだけの少数精鋭による演奏は、ソネットがそのまま音楽になったようで素晴らしかったです

中でも一番印象に残ったのは、「秋」の第3楽章「アレグロ『狩』」の終盤、犬を連れた狩人たちが獣を追い詰めるシーンで、ソロを除く弦楽器が激しいピッツィカートを散発的に奏で、猟銃を撃っているような様子を表現していたことです。こういう演奏を聴いたのは初めてです

楽しく充実した1時間でした

 

     

 

         

 

帰りがけに、ロビー入口のチケット販売コーナーで、10月、12月、2月のブランチコンサートの先行販売をやっていたので、さっそく3枚セットで買い求めました @2400円✕3枚=7200円です。10月はベートーヴェン、12月はブラームス、2月はラフマニノフを特集するようです なお、上記3公演のチケットは26日(金)から同時発売されます

 

     

 

     

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是枝裕和監督映画「万引き家族」、上田慎一郎監督映画「カメラを止めるな!」を観る~ギンレイホール / JR上野駅の発着サイン音楽はプッチーニ「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」

2019年04月24日 07時21分43秒 | 日記

24日(水)。一昨日、東京文化会館に行くとき、JR上野駅の山手線ホームに降りたら、プッチーニ「トゥーランドット」のカラフのアリア「誰も寝てはならぬ」が電車の発着サイン音楽として使われていました 東京文化会館と新国立劇場がタイアップして実施する「オペラ夏の祭典」の一環として、7月12~14日に東京文化会館で上演される「トゥーランドット」を盛り上げるため、同会館がJRを巻き込んでPR活動を展開しているのでしょう 一方の新国立劇場の最寄駅・都営新宿線の初台駅の発着サイン音楽はヴェルディ「アイーダ」の「凱旋行進曲」です 新国立劇場でも同じプロダクションによる「トゥーランドット」が7月18~22日に上演されますが、その間は「アイーダ」から「トゥーランドット」に発着サイン音楽が変わるのでしょうか 注目したいと思います

ということで、わが家に来てから今日で1664日目を迎え、トランプ米大統領は22日、同氏の有力支援者で元実業家のハーマン・ケイン氏が米連邦準備理事会(FRB)理事への指名を辞退したと発表したが、利上げに反対するケイン氏の就任には「政治色が強すぎる」として人事を承認する上院に反対論があった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプって恥も外聞もなく 仲良しグループのメンバーだけを重用すると思わね?

 

         

 

昨日、夕食に「豚としめじの味噌チーズ炒め」「トマトとレタスとハムのスープ」「野菜サラダ」を作りました 「豚~」を作るのは2度目ですが、今回は美味しく出来ました

 

     

 

         

 

昨日、神楽坂のギンレイホールで「万引き家族」と「カメラを止めるな」の2本立てを観ました 平日の午前9時40分開演なのに館内はほぼ満席です 2本ともちょっと前に一世を風靡した話題作だからでしょう

「万引き家族」は是枝裕和監督による2018年製作映画(120分)です

下町の古い家で治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)夫婦、息子の祥太、信代の妹・亜紀(松岡菜優)の4人が祖母・初枝(樹木希林)の年金を頼りに暮らし、足りない生活費を万引きで稼いでいた 社会の底辺ともいえる生活環境の中にあっても、なぜかいつも笑いが絶えず仲良く暮らしていた ある日、万引きの帰り道、凍えている少女を見かけ、家に連れ帰りいっしょに暮らすことになり、6人の生活が始まる 少女ゆりは親から虐待を受けていたのだった。数日後、親から捜索願が出されていることが分かる。誘拐事件としてテレビが大々的に報道を始めたが、ゆりは親元には戻ろうとせず6人で生活することを選ぶ ある日、祥太とゆりが店で万引きをするところを店員に見つかり、祥太はゆりを救うため自分が犠牲になって店員に追わせる。追い詰められた祥太は歩道橋から飛び降り大けがを負って入院する それをきっかけに残りの家族5人の身元が警察によって明らかにされ、家族一人ひとりの本当の”正体”が明かされていく

 

     

 

ご存知の通り、この作品は第71回パルムドール受賞作です 確かに、何をやってもピタリとはまるリリー・フランキーは凄いし、圧倒的な演技力の安藤サクラは凄いし、そこに居るだけで存在感のある樹木希林は凄いのですが、亜紀を演じた松岡菜優、祥太を演じた城桧吏、ゆりを演じた佐々木みゆを含めた6人の一人ひとりが主役を張っているのが凄いと思います

映画を観ていると、まず最初に治と信代の二人がいて、そこから一人ひとりが家族として迎えられてきたことが分かってきます そしてあたかも本当の家族のような絆で結ばれて生きていくのです 治と信代は曰く因縁があって共に生活を始めたわけですが、彼らの基本スタンスは「捨てない」ということです 「使い捨て」の今の世の中、これがどれほど難しいか

劇中、学校に行っていないのに勉強家の祥太が、”父親”の治に「スイミー」の話を聞かせるシーンがあります 「スイミー」は、オランダ出身のアメリカの絵本作家レオ・レオ二が描いた絵本で、日本語訳は谷川俊太郎さんです 知人にあげてしまい今は手許にありませんが、子どもたちが小さいころは何度も繰り返し読み聞かせていた絵本のひとつです 「スイミー」は次のようなストーリーです

「スイミーは小さな魚。仲間たちがみな赤い小魚だったのに、スイミーだけは真っ黒な小魚だった しかし、泳ぎは他の誰よりも速かった 大きな海で暮らしていたスイミーと仲間たちだったが、大きなマグロに仲間を食べられてしまい、泳ぎの速いスイミーだけが助かる。岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす赤い小魚たちを見つけ、スイミーは一緒に泳ごうと誘うが、小魚たちはマグロが怖いからと出てこない そこでスイミーは、マグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚の形をつくって泳ぐことを提案する スイミーだけが黒い魚なので、自分が目になることを決意する。こうして、小魚が集まって作った大きな魚はマグロを追い払い、海をスイスイ泳げるようになった

祥太が治に「スイミー」について語るシーンは2度出てきますが、この映画の”核”となるエピソードだと思います 黒の両目は治と信代で、赤い魚は同居する”疑似家族”たちでしょう 一人ひとりが世の中から疎外された存在でも、ひとつに集まれば、たとえ血がつながっていなくとも ”家族”として幸せな生活を送ることができる 祥太が語る「スイミー」には、そんなメッセージが込められているように思います

 

     

 

         

 

「カメラを止めるな!」は上田慎一郎監督による2017年製作映画(96分)です

人里離れた山奥の廃墟で自主制作映画のチームがゾンビ映画を撮影していた。監督の要求がエスカレートしていく中、本物のゾンビが襲い掛かってくる ディレクターの日暮は大喜びで撮影を続けるが、撮影隊の面々は次々とゾンビと化していく

 

     

 

この映画は、映画専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップ「シネマプロジェクト」の第7弾として製作された作品です 前半はゾンビ映画の製作の途中で本物のゾンビが襲い掛かってくるシーンを30分以上にわたる長回しで撮影するなど、意欲を感じさせる作りになっています これだけで終わっていたら、「なーんだ、こんなもんか」で済んでいたでしょう しかし、本当に面白いのは後半でした 前半の各シーンがなぜそうなったのかについて、舞台裏の動きを見せることによって種明かしします 表面的にはスムーズに撮影が進んでいるように見えますが、裏側ではとんでもないアクシデントが次から次へと発生し、監督はじめ製作人が対応に追われてアタフタと動き回っている様子が映し出されます あまりお金をかけないアイディア勝負の傑作B級映画と言っておきます

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東京文化会館「バックステージツアー」に初めて参加する ~ 歌ってないのにカーテンコールも体験しました

2019年04月23日 00時18分25秒 | 日記

23日(火)。わが家に来てから今日で1663日目を迎え、東京・池袋での高齢者ドライバーによる死傷者事故に次いで、JR三ノ宮駅前で市営バスが歩行者をはねて死傷者が出た というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      いくら注意してても 突然ツッコまれたら防ぎようがないよ どーしたらいいんだ? 

 

         

 

昨日、夕食に「トマトチキンカレー」を作りました 初挑戦ですが美味しく出来ました

 

     

 

         

 

昨夕、「東京文化会館バックステージツアー」に参加しました 参加したのは事前に申し込みして参加費540円を支払った60人(のはず)です

 

     

 

集合時間の6時45分までに大ホールホワイエに集まり、大ホール内に移動、客席に座ってオープニングのデモンストレーションを観ました プッチ―二の「トゥーランドット」の音楽に合わせて、スポットライトが左右に動く中、幕や舞台装置を吊るすバーが上下に動かされます。まるで生き物のようです それが終わると、配布された資料の色によって、ピンクが たぬきさん チーム、ブルーが うさぎさん チーム、イエローが きつねさん チームと、3つのチームに分けられ、別々に行動することになりました    本当は順番にA班、B班、C班です   私はBの うさぎさんチームでした。モコタロといっしょで良かった

 

     

 

ステージに上がり説明を受けましたが、「舞台装置を吊るす数多くのバーはすべてコンピューター制御によって動かされ、最も重い物で900キログラムの物を吊り上げることが出来る」という説明には一同から「おおっ」と驚きの声が上がりました

 

     

 

オーケストラピットに入りました。一番低い底で、2メートル55センチの深さ。そこからコンピューター制御で、指揮者が舞台上の歌手の動きが見える位置まで上げられました 「この位置で楽員は演奏しているんだな」と納得しました。舞台の裏側に回ります。下を覗くと、格納ピット(幅21.6メートル、奥行き10メートル、深さ16メートル)に納められた音響反射版(幅20.7メートル、奥行き9.3メートル、高さ12.5メートル、重さ90トン)が収納されています コンサートをやる時には、この巨大な音響反射版(下の写真の白い壁のようなもの)が 床とともに 分速1メートル、全操作で20分かけてせり上がります

 

     

 

歩いて5階席まで上がりました。センターにはスポットライト(ピン・スポット)が2台設置されています 二人ずつ交代でステージ上の人たちにピン・スポットを当てる経験をしました 1階のステージにカーテンコール体験で出てくる たぬきさん チームに向けてスポットライトを当てるのですが、スポットの輪を大きくしたり小さくしたり、明るくしたり暗くしたり、左右に動かしたりと、とても楽しく 良い経験になりました 意外だと思ったのは、5階正面席は結構良い席だなということです 席に着くまでに疲れ果てますが

また1階まで降りて、ステージのプロンプターボックスの説明を受けました。ここに入るのはオペラ公演の時の副指揮者で、歌手に合図を送ったり、次の歌詞を教えたりしますが、すごく狭い冷暖房もない所で長時間にわたり座っていなければならないとのことで、気の毒に思いました 公演の真っ最中にトイレに行きたくなったらどうするんだろう 早く行っトイレとも言えないし・・・文字通り不便だ・・・水に流してください

カーテンコールを体験をしました 歌ってもいないのに 隣の人と手をつないで、幕が上がるとそのまま前に出て 手を上げて礼をし、元の位置に戻るという動作です 次に幕が降りたまま、幕の間から出ていくカーテンコールの体験をしました。グループが半分に分かれ、半分が出て行って一礼して戻るのですが、残り半分は彼らが出られるように幕を手で持って引く係です 「そうか、これは人間が手でやっているんだな」と初めて知りました

移動する途中の舞台裏、通路など所かまわず どこの壁や柱にも来館したアーティストたちのサインが残されています 思っていたよりも圧倒的に多くてビックリしました   1967年が一番古いらしいです

 

     

 

最後に音響反射版がゆっくりとせり上がってくるところをじっくり見学してバックステージツアーの幕を閉じました

 

     

 

とても楽しいバックステージツアーでした。オーケストラの演奏やオペラ公演の舞台裏がどういう仕組みで動いているのかがよく分かりました 東京文化会館のこのような試みはとても良いことだと思います 今度は小ホールも取り込んでやってほしいと思います

なお、このバックステージツアーは写真撮影は原則OKということだったので要所で写メしましたが、個人の顔が特定できるような写真は載せないこととし、差し支えない範囲のものだけを掲載しました

コメント
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