人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

今年印象に残ったコンサート ~ 脇園彩、アンネ・ゾフィー・ムター、映像ノット ✕ 東響の「英雄」、久石譲&外山雄三 ✕ 新日フィルの「ベト7」、「フィガロの結婚 庭師は見た!」

2020年12月31日 07時23分53秒 | 日記

31日(木)。いよいよ今日で、コロナに明けコロナに暮れた2020年に終わりを告げます 思い起こせば、今年は「新型コロナウイルス」という言葉を見たり聞いたりしない日はなかったのではないかと思うほど、全世界をコロナの恐怖が襲いました 明日から始まる2021年はコロナを克服し、絶対に良い年にしなければならないと思います

ということで、わが家に来てから今日で2282日目を迎え、年末の挨拶をするモコタロです

 

     

     1年間 僕のつぶやきにお付き合いいただき ありがとう  来年もヨロシクお願いね!

 

         

 

昨日、息子が夕食に「魯肉飯(ルーローハン)」と「人参とチンゲン菜のスープ」と「生野菜サラダ」を作ってくれました 調理時間はかかりますが、息子の料理が一番美味しいと思います

 

     

 

          

 

昨日の朝日朝刊・国際面に野島淳ベルリン特派員のリポートが載っていました 超訳すると、

「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは来年の元日、初めて無観客での開催となる 新型コロナの感染拡大防止の規制が続くためだ。放映する公共放送は、奇抜な仕組みを取り入れる 事前登録した人たちがコンサートの時間にサイトに接続し、演奏を聴きながら、スマホなどを使って会場に拍手の音を届けるのだ 実験では、自分の拍手がどう届いたのかの実感はなかった 今回指揮をとるリッカルド・ムーティはオーストリアメディアに「観客がいなければ、私たちの仕事は無意味になってしまう。自分たちのためではなく、ほかの人たちのために演奏しているのだから」と語る。私が住むドイツでも、コロナ規制のためコンサートはいくつも中止になり、今年は行けずじまいだった

演奏中 客席側に大きなスクリーンを立てて、それに別会場で演奏を聴いている人たちを映し出した方が、演奏する側にとって少しは励みになるような気がしますが、どうでしょう

 

         

 

今年はクラシック・コンサートを98回聴きましたが、これは例年の半分以下です 激減の原因は言うまでもなく、新型コロナウイルス禍の影響によるものです 2月26日に政府から「大規模イベント自粛要請」が出されたのを皮切りに、4月7日には政府から「緊急事態宣言」が発令され、あれよあれよという間に、コンサートや音楽祭は次々と中止に追い込まれていきました 在京オーケストラの「定期演奏会」をはじめ、3月の「都民芸術フェスティバル」(池袋、上野)、3~4月の「東京・春・音楽祭」(上野)、5月の「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」(有楽町)、6月の「サントリーホール  チェンバーミュージック・ガーデン」といった音楽祭も次々と中止になりました この結果、私に関わるクラシック・コンサートの中止は112公演(2021年分も含む)、延期7公演、合計119公演に及びました これらの中止がなければ200公演以上聴いていたことになります

例年は200回前後のコンサートの中から「マイベスト10」を選んでいますが、今年はその半数なので、とても10公演も選べません というのは、中止になった公演の中に「マイベスト10」に入る候補がいくつか含まれていたと思うからです ということで、今回は独断と偏見で 特に印象に残ったコンサートを選ぶことにしました なお、番号はコンサートの開催日順で、ランク付けではありません。また、それぞれの公演の感想は、各公演の翌日のtoraブログにアップしてありますので、興味のある方はご覧ください

1.新国立オペラ:ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」(2月6日。新国立劇場)

  この公演はロジーナを演じたメゾ・ソプラノ脇園彩の魅力がすべてと言っても良いほどの活躍でした 彼女の歌を初めて聴いたのは2019年5月に新国立オペラのモーツアルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラを演じた時ですが、「将来 最も有望なメゾ・ソプラノ」と確信しました    彼女が次に新国立オペラで歌うのは、2月7日から始まるモーツアルト「フィガロの結婚」のケルビーノです 若干役不足の感が否めませんが、今から楽しみです

 

     

 

2.アンネ・ゾフィー・ムター「ベートーヴェン生誕250周年記念」演奏会(2月20日、22日、24日。サントリーホール)

  カラヤンの秘蔵っ子と言われたムターの3回連続公演です 第1日目はクリスティアン・マチュラル指揮新日本フィルのバックでベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」と「ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重奏曲」(Vc=ダニエル・ミラー・ショット、P=ランバート・オルキス)が演奏され、第2日目はベートーヴェンの「弦楽三重奏曲」「弦楽四重奏曲”ハープ”」他(Vn:イェウン・チェ、Va=ウラディミール・パぺシコ、Vc=ダニエル・ミラー・ショット)が、第3日目はベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ第4、第5、第9番」(P=ランバート・オルキス)が演奏されました いずれも、ムターの”カラヤン好みの輝くヴァイオリン”が健在でした

この公演では すでに、ほとんどの聴衆がマスク着用で熱心に演奏を聴いていました

 

     

     

3.映像ノット指揮東京交響楽団によるベートーヴェン「英雄交響曲」(7月25日。サントリーホール)

  東京交響楽団の第682回定期演奏会は当初マーラー「交響曲第5番」他の予定でしたがコロナ禍を受け、①ストラヴィンスキー「ハ調の交響曲」、②ベートーヴェン「交響曲第3番”英雄”」に差し替えられました さらに指揮者ジョナサン・ノットが渡航制限措置により来日できないため、①は指揮者なしで、②は予めノットの指揮姿を映像に収め、それを楽団員がモニター画面を見ながら演奏するという前代未聞の試みにより実施されました 日本におけるクラシック演奏史に残る画期的な出来事だったと思います 周到なリハーサルが重ねられた演奏は集中力に満ち、楽団員の演奏レヴェルの高さを証明するものとなりました

 

     

     

4.久石譲指揮新日本フィルによるベートーヴェン「交響曲第7番」他(8月4日。ミューザ川崎)

  「フェスタ サマー ミューザ」参加公演のこのコンサートは、ベートーヴェン①ヴァイオリン協奏曲(Vn=豊嶋泰嗣)、②交響曲第7番というプログラムでした ①ではヴァイオリン協奏曲を作曲者自身がピアノ協奏曲に編曲した際のカデンツァを久石氏が再構築したものが演奏され興味深く聴けました ②では、「これ以上速く演奏できない」というほど超高速テンポによる演奏で、「ベートーヴェンはロックだ」と言わんばかりの過激な演奏が聴けました 「”となりのトトロ”の久石譲」は微塵もありませんでした

 

     

 

5.外山雄三指揮新日本フィルによるベートーヴェン「交響曲第7番」(10月16日。トリフォニーホール)

  新日本フルの「第54回ルビー・コンサート」のプログラムは①大澤壽人「サクソフォン協奏曲」、②ベートーヴェン「交響曲第7番」他でした 上野耕平のソロによる①も素晴らしかったのですが、個人的には②における日本の作曲界の大御所・外山雄三の指揮に感銘を受けました 最初から最後まで、悠然としたテンポで力強く音楽を押し進め 妥協を許しません    かつて巨匠オットー・クレンペラーはこのような演奏を展開していました    同じ曲を同じ新日本フィルが演奏しても、指揮者によって全く違う仕上がりになることに改めて驚かされます    久石譲の第7番が「ベートーヴェンはロックだ」という演奏なのに対し、外山雄三の演奏は「現代の高速テンポ重視の演奏に対するアンチ・テーゼ=異議申し立て」だと思います

 

     

 

6.井上道義 ✕ 野田秀樹「フィガロの結婚 ~ 庭師は見た!」公演(11月1日。東京芸術劇場)

  この公演は5年前(2015年)に初上演されクラシック界の話題をさらったオペラ公演の再演です スザ女役の小林沙羅、フィガ郎役の大山大輔をはじめ歌手陣が充実していますが、狂言回し役のアントニ男を演じた廣川三憲の活躍に目覚ましいものがありました それも野田秀樹による底抜けに楽しい演出の賜物で、時間の経つのを忘れるほどでした 井上義道の軽快な音楽運びが冴え渡っていました 会場はマスク一色でしたが、約2000席の東京芸術劇場コンサートホールは市松模様配置をとらず通常配置でしたが、ほぼ満席でした 大ホールでほぼ満席の状態を見たのは本当に久しぶりのことでした 井上 ✕ 野田のコンビで別のオペラの公演もやってほしいと強く思います

 

     

 

以上、独断と偏見で今年特に印象に残ったコンサートを6つ挙げてみました 皆さんはいかがでしたでしょうか

来年は、何としても例年のペースに戻したいと思っています 現在、私が定期会員になっているのは①NHK交響楽団、②読売日響、③新日本フィル、④東京交響楽団、⑤東京都交響楽団、⑥バッハ・コレギウム・ジャパン、⑦新国立オペラ、⑧読響アンサンブル、⑨東京フィル(文京シビック・響きの森)ですが、来年はこれに①東京フィル(サントリーホール)と②東京シティ・フィルを加える予定です 東京フィルはすでにチケットが届いています また、今年コロナ禍で中止になった①1~3月の「都民芸術フェスティバル」(チケット手配済み)、②3~4月の「東京・春・音楽祭」、③5月の「ラ・フォル・ジュルネ  TOKYO」、④6月の「サントリーホール  チェンバーミュージック・ガーデン」については、出来るだけ多くの公演を聴くつもりです 夏には、例年通り「フェスタ サマー ミューザ」を聴きに行きます   コロナに負けているわけにはいきません

ということで、皆さま  この1年間toraブログをご購読いただき ありがとうございました お陰を持ちまして、今年も1日も休まず書き続けることが出来ました 来年も根性で毎日書いて参りますので、モコタロともども よろしくお願いいたします

 

【忘備録】

2020年12月31日現在におけるtoraブログのトータル・アクセス数とランキング

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新国立オペラ「ワルキューレ」先行発売に申し込む / ピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル監督「ファヒム パリが見た奇跡」 & アルマ・ハレル監督「ハニーボーイ」を観る

2020年12月30日 07時27分47秒 | 日記

30日(水)。新国立劇場から「オペラ公演『ワルキューレ』実施決定のお知らせと特別先行販売のご案内」が届きました 3月11日から23日までの間に5公演が上演されます キャストは下のチラシの通りですが、アイン・アンガー、イレーネ・テオリン、藤村実穂子をはじめ錚々たるメンバーが出演します しかも指揮は飯守泰次郎です 私はいつも通り、プルミエ(初日公演:3月11日)のA席を取ることとし、さっそく申し込んでおきました 海外在住の歌手陣が無事に来日することを祈るばかりです

 

     

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2281日目を迎え、米政権・議会による9千億ドル(約93兆円)の新型コロナウイルス対策は、署名を拒否していたトランプ大統領が一転署名したことから、27日 ようやく成立した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     署名拒否は 大統領選敗北後の 影響力を誇示する パフォーマンスだったんだろうな

 

         

 

昨日、夕食に勝浦市在住の大学時代の友人S君が送ってくれた「秋刀魚」を塩焼きにして、「生野菜サラダ」「ジャガイモと玉ねぎの味噌汁」を作り、真鯛の刺身といっしょに食べました 秋刀魚は脂がのっていて美味しかったです

 

          

 

         

 

昨日、ギンレイホールで「ファヒム  パリが見た奇跡」と「ハニーボーイ」の2本立てを観ました

「ファヒム  パリが見た奇跡」はピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル監督による2019年製作フランス映画(107分)です

2011年、バングラデッシュで天才チェス少年として有名だったファヒム(アサド・アーメッド)は、8歳の時に家族を残し 父親とともにパリに移り住むことになった    政治難民としてフランスに到着し、強制送還に怯える日々を送る中、ファヒムはフランスで最も優秀なチェスのコーチの一人であるシルヴァン(ジェラール・ドパルデュー)に出会う 最初は警戒心を抱いていたファヒムとシルヴァンは、次第に師弟関係を築き友情を育んでいく。チェスのフランス国内大会がスタートする一方、ファヒムの父親に強制送還の脅威が迫っていた

 

     

 

この映画は、バングラデッシュからパリに逃れた政治難民がチェスのチャンピオンを目指した実話をもとに描いたヒューマン・ドラマです

この映画を観て初めて知ったのは、チェスの世界にも囲碁・将棋の塾や道場のようなものがあるということです まあ、当然と言えば当然ですが、どこの国でも子供の頃から英才教育を施していることがわかります この映画では、主人公のファヒムを演じたアサド・アーメッドの澄んだ瞳がとても印象的です ジェラール・ドパルデューは、大会で優勝できなかった過去を引きずりながら、子供たちに夢を託し熱意を持って指導にあたるコーチの役を貫禄で演じていました 2020年のバングラデッシュはどんな景色が見られるのだろうか

 

         

 

「ハニーボーイ」はアルマ・ハレル監督による2019年製作アメリカ映画(95分)です

ハリウッドで人気子役として活躍する12歳のオーティス(ノア・ジュブ)は、彼のマネージャーを務める父親のジェームズと一緒に暮らしていた 前科者で無職のジェームズはオーティスに対し不器用な愛情表現しかできず、オーティスはいつも彼に振り回されていた そんなオーティスを心配する保護観察官のトム、モーテルに住む隣人の少女、共演する俳優たちとの交流を通して、オーティス(22歳=ルーカス・ヘッジズ)は新たな世界へと踏み出していく

 

     

 

この映画は、「トランスフォーマー」のシャイア・ラブーフが自らの経験をもとに初めての脚本を手掛け、オーティスの父親役でも出演しています 

オーティスは、自分に厳しく、すぐに頭を叩く父親ジェームズに愛されていないのではないかと思い、それがトラウマになったまま成長していきます しかし、実はジェームズも親から虐待を受け、アル中になったものの、断酒会に参加して酒の誘惑を断ち切ったという過去を持っています ただ、オーティスに対してはうまく愛情表現ができないので、オーティスが悩んでしまうことになります どうも、母と子の関係よりも父と子の関係の方が難しいように思います しかし、子供は成長するにしたがって親の立場を理解するようになるものだ、と思います

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岡田暁生著「音楽の危機 『第九』が歌えなくなった日」を読む ~ 新型コロナウイルス感染拡大の真っ最中だからこそ書けた危機下の音楽

2020年12月29日 07時21分32秒 | 日記

29日(火)。昨日は大掃除第3弾として風呂場とトイレを清掃しました 油汚れがないので簡単でした。ただ、今回はコロナの関係で壁面も丁寧に清掃しておきました

ということで、わが家に来てから今日で2280日目を迎え、映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が興行収入324億円に到達し、「千と千尋の神隠し」(2001年)の316.8億円を抜いて日本歴代興収1位になった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「不滅の記録」を達成したわけだ!  吾峠呼世晴さんも「この世の春」ってわけね

     

         

 

昨日の夕食は「ビーフ・カレー」と「生野菜とアボカドのサラダ」です 例によって、ビーフは牛バラ肉を使いました

 

     

 

         

 

岡田暁生著「音楽の危機 『第九』が歌えなくなった日」(中公新書)を読み終わりました 岡田暁生氏は1960年、京都市生まれ。大阪大学大学院博士課程単位取得退学、大阪大学文学部助手、神戸大学発達科学部助教授を経て、現在、京都大学人文科学研究所教授。文学博士。著書にサントリー学芸賞受賞作「オペラの運命」(中公新書)をはじめ多数あり

 

     

 

本書の大部分は新型コロナに関わる緊急事態宣言下にあった2020年4月から5月にかけて執筆されています 日本では2月26日に政府から大規模イベント自粛要請が出され、次第にライブやコンサートの数が減っていき、4月7日の緊急事態宣言発令を経て、映画館も閉鎖され、いつの間にか何もなくなりました この間、クラシック・ファンの間では「果たして、三密の象徴とも言える 年末恒例の『第九』は演奏されるのだろうか?」という声があちこちで囁かれていました    著者は「まえがき」の中で次のように書いています

「コロナ禍は、まるでレントゲン写真のように、人間社会が暗黙のうちに前提としてきた『当たり前』の本質と脆さをあぶり出した 音楽も例外ではない。例えば、『音楽は人が集まらないとできない』という常識。これがどれほど危うい前提のうえに立つものか、今回の事態を通して痛々しいほど露わになった ほかにも『非常時において、音楽は遊興風俗と十把一絡げにみなされ、自粛を強いられる存在でしかない』ということ、『これまでのコンサートライブは巨万の富を生み出す一大産業だった』ということ、『大都会住人は毎日が祭りのような娯楽生活を送ってきた』ということ、『感染症対策で忌避される三密(=密閉・密集・密接)こそが音楽の母体だった』ということ、等々・・・・。本当は以前からわかっていたはずなのに、今更のようにこんなことを実感したわたしは、初めて真剣にその意味を考えるようになった

著者はそのような危機感のもと、タイトルに「音楽の危機」を、サブタイトルに「『第九』が歌えなくなった日」を掲げ、次のような章立てで本論を展開していきます

第1部 音楽とソーシャル・ディスタンス・・・巷・空間・文化

第1章 社会にとって音楽とは何か・・・「聖と俗」の共生関係

第2章 音楽家の役割について・・・聴こえない音を聴くということ

第3章 音楽の「適正距離」・・・メディアの発達と「娯楽」

《 間 奏 》 非常時下の音楽・・・第一次世界大戦の場合

第2部 コロナ後に「勝利の歌」を歌えるか・・・「近代音楽」の解体

第4章 『第九』のリミット・・・凱歌の時間図式

第5章 音楽が終わるとき・・・時間モデルの諸類型

第6章 新たな音楽を求めて・・・「ズレ」と向き合う

終 章 「場」の更新・・・音楽の原点を探して

以上のようにテーマが広範囲に及ぶため、ここでは私が興味を持った章を中心にご紹介したいと思います

最初にご紹介するのは「第3章 音楽の『適正距離』・・・メディアの発達と『娯楽』」の中の「『録楽』しかなくなった世界?」です 著者は書きます

「コロナ禍がもたらした最大の災いは『空気の共有』に対する全世界の人々の忌避感である 音楽は人と人との間の距離を縮めるために存在してきたはずだ。だから『ソーシャル・ディスタンス』を強いられては、音楽は商売あがったりになってしまうだろう 例えばシールドでステージと客席を仕切ってライブハウスを再開したとして、最初は久方ぶりの生の音楽ということで感慨もひとしおだろうが、やがてシュールレアリスム的な乖離間が生じないだろうか また、文学や美術は『孤独な鑑賞』の側面が強いが、音楽は違う それはモノではなく、空気振動をリアルタイムで共有する芸術形式だ。したがって、人と人とが空気を共有しなくなったら存在しないも同然になろう しかしまた、複数の人が空気振動を同時に共有するからこそ、音楽だけが持つあの興奮と熱狂と一体感は生まれてくる

「『コロナ禍による自粛期間中も一人自宅で音楽を熱心に聴いていた』という人もいるかもしれないが、音楽にはまったく性格が違う2種類の音楽がある 『ライブ音楽』と『メディア音楽』(電気メディアを通して聴く音楽)だ 私が『音楽が消えた』と言うときに指しているのは前者であり、自粛期間中に聴いていたという人が指しているのは後者だ。私は『ライブこそが本来(本物)の音楽なのだ』と主張しているわけではない。ライブ音楽とメディア音楽を『まったく別のもの』と考えることで初めて見えることもあると言いたいだけだ 音楽とはその場でステージと客席が一緒になって作り上げる何かではなくて、通販のパッケージのようなものだったのか? 情報伝達の利便性だけが選択基準になっていいか

と主張します 2種類の音楽を「まったく別のもの」と捉えることには合理性があります ライブには生演奏にしかない出会いや感動があり、メディア音楽(CDや配信等)には、「いつでもどこでも」気軽に観たり聴いたりできるという利便性があります それぞれの特性を理解した上で利用すれば良いのだと思います

次にサブタイトルにある「『第九』が歌えなくなった日」を扱った第4章「『第九』のリミット・・・凱歌の時間図式」をご紹介します

著者は次のように主張します

「第九で、ステージにところ狭しと合唱団やオーケストラ・メンバーを並べることで得られる圧倒的な響きの密度は、単なる音響効果にとどまらず、世界中の人々が抱き合うという友愛理念の可聴化にほかならないのである しかるに衛生上の理由から合唱メンバー間にシールドを立てたりしたら何が起きるか?『抱き合え』と歌っているのに、歌手同士はお互いよそよそしく、いつまでたっても距離を縮めようとしないという、ブラックジョークのような光景が出現するはずであろう 今やこの高邁な理念は衛生学の前に屈し、『感染リスクの高い行為』のレッテルを貼られた・・・・どう考えてもコロナ後の『第九』上演は、この悪い冗談のような現実を思い知らさせる場とならざるを得ないと感じるのだ

さて、2020年12月を迎えた今、在京オーケストラの『第九』公演は12月4日付toraブログでご紹介した通り、12月だけで約30公演に及びます 多くの公演は政府の入場制限緩和措置を受けて通常の座席配置により埋められ、合唱はアマチュア合唱団を避け、プロの合唱団でも人数を絞ったうえで挙行されています 合唱メンバーの間にはシールドは立てられていません。もちろん、これらはスーパーコンピューターのシミュレーションによる科学的なデータに基づいて実行された措置です

岡田氏は「少人数の合唱団のメンバーが ソーシャル・ディスタンスを取って、スカスカの空間で合唱を歌うなんて・・・」と否定的な考えを述べていますが、実際に聴いた新日本フィルの「第九」公演では、たった16人の合唱でしたが、ベートーヴェンの熱い理念が伝わってきました 必ずしも人数の問題ではない、と思った出来事でした

もっとも、在京オーケストラの年末の「第九」公演は、どちらかと言えば「ドル箱」的な収入源である一大イヴェントを何としても開催しないと、経営状況がおぼつかないという、苦しい台所事情が背景にあったと言うべきかもしれません

いずれにしても、「予想が外れた」からと言って、岡田氏を批判することは出来ません 今年の4~5月の時点では、年末に『第九』公演が聴けると思っていた人の方が圧倒的に少なかったはずです むしろ、「近い未来が見通せないなかで、よくぞここまで踏み込んで書いてくれました」と称賛されるべきだと思います

なお、著者は「あとがき」の中で次のように書いています

「本書の原稿はもともと、オンライン化を余儀なくされた大学の授業資料として、着想されたものだった イベント業界はこの状況下で『もつ』か、また『もたせる』ためには何が必要かについて、自分がなじんでいるジャンルに即して論じるようにーというテーマでレポートを書いてもらったが、多くの領域についての斬新な意見を聞くことができた その中で、『出来上がった作品=ステージよりもはるかに面白いのは、実はステージを作り上げていくプロセス(つまり練習)なのではないか、その部分を今までのようにクローズドにするのではなく、観客と演者とのより親密なコンタクトの機会に、あるいは聴衆が音楽家から直接いろいろ音楽について学ぶ場にできないのか、そうやってこそ、ステージと客席の熱い交流を回復させられるのではないか』という趣旨のものもかなりあった この『メイキングは完成ステージより面白い』という点は、本書の最後で論じた『通りすがり』の問題と並び、今後の打開策を考える鍵となる気がしている

この指摘は興味深いと思います 新日本フィルでは、賛助会員・維持会員になると、年に何度か本公演の前に公開リハーサルを見学することが出来ます 私はいつもこれを楽しみにしているのですが、指揮者がオーケストラとどういうやり取りをして曲を作り上げていくかが、素人ながらも分かります これなどは、典型的なメイキングの面白さです

本書はコロナ禍における『第九』の演奏論については ややタイミングがずれた感がありますが、全体として現在のクラシック音楽界が置かれた状況について良く書かれていると思います 強くお薦めします

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ピエトロ・マルチェッロ監督「マーティン・エデン」を観る ~ J.S.バッハ「カンタータ第156番」から「アリオーソ」も流れる / 「不要不急」と「必要」の間 ~ 朝日「異論のススメ」から

2020年12月28日 07時21分15秒 | 日記

28日(月)。昨日は天気が良かったので、大掃除第2弾としてキッチンとレンジフードの清掃をしました レンジフードは油汚れ用洗剤と、セスキ炭酸ソーダ配合のクリーナーと、メラニンスポンジを駆使して油を落としました 何とか短時間にできたのは、”優秀な”洗剤が活躍したのと 毎年のことで慣れてきたからだと思います  これで一番面倒な箇所の掃除が終わったので、後はトイレ、風呂場、リビング、玄関、廊下や床などを少しずつ掃除しようと思います

さて、一昨日の朝日朝刊「オピニオン&フォーラム」欄に京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が「不要不急と必要の間」について文章を寄せていました 超訳すると、

「人は最低限の『必要』だけで生きているわけではない しかしまた、『不要不急』の無限の拡大は、人の生から本当に必要なものを奪い取りかねない そしてわれわれは『必要なもの』と『不要なもの』の間に、実は、『大事なもの』があることを知った 信頼できる人間関係、安心できる場所、地域の生活空間、なじみの店、医療や介護の体制、公共交通、大切な書物や音楽、安心できる街路、四季の風景、澄んだ大気、大切な思い出 これらは市場で取引され、利潤原理で評価できるものではない 『必要』も『不要不急』も、この『大事なもの』によって支えられ、またそれを支えるべきものである

われわれは、物事を判断する時に、「イエスか、ノーか」「必要か、不要か」「良いか、悪いか」というように”二者択一”で考えがちです しかし、佐伯氏のようにその中間を考える視点が重要だと思います

ということで、わが家に来てから今日で2279日目を迎え、菅義偉首相は27日、ジャーナリストの田原総一朗氏と国会内で会い、新型コロナウイルス感染症が急拡大する中、計8人でステーキ会食に参加して批判を浴びたことを受け、年末年始の過ごし方について「もう会食しない」と伝えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     支持率がこれ以上急落したら内閣総辞職になってしまうから  会食くらいは我慢か

 

         

 

新文芸坐でピエトロ・マルチェッロ監督による2019年製作イタリア・フランス・ドイツ合作映画「マーティン・エデン」(129分)を観ました

イタリア・ナポリの労働者地区に生まれた貧しい船乗りの青年マーティン・エデン(ルカ・マリネッリ)は、上流階級のエレナ(ジェシカ・クレッシー)と出会って恋に落ちる 彼はそれをきっかけに文学の世界に目覚める 独学で作家を志すようになったマーティンは、夢に向かい一心不乱に文学にのめり込んでいくが、生活は困窮し、エレナの理解も得られなかった それでも、様々な本を読みながら、さまざまな障壁や挫折を乗り越え、マーティンは名声と富を手にするまでになる そうした彼の前に再び現れたエレナを、彼は許すことが出来なかった

 

     

 

この映画は、アメリカの作家ジャック・ロンドンの自伝的小説をイタリアを舞台に映画化した作品です 貧しく無学なマーティンは、エレナや他の人たちから「小学校からやり直し」と言われますが、エレナに認められたい一心で努力を続けます しかし、作品を書いては出版社に送りますが、「発送者に返送」の烙印を押されて戻される日々が続きます そして、「エロイカ」という出版物に初めて作品が採用されてから彼の快進撃が続きます これは「何事も根気よく続けていれば、いつかは誰かが認めてくれる」という教訓を示しているかのようです

ところで、映画の序盤で、マーティンはエレナの弟を窮地から救ったことでエレナの家に招かれ歓待されますが、エレナの弾くドビュッシー(多分)のピアノ曲に感動して拍手をしますが、まだ演奏は終わっていませんでした これはエレナ一家とマーティンの教養の差、ひいては身分差を表すエピソードとして描かれていますが、このシーンを観て、曲の途中で拍手をすることについて頭に浮かんだことがありました

私は普段から、クラシック・コンサートでは演奏される作品について事前にプログラムノート等で、何楽章から構成されているのかを確かめてから聴くべきで、演奏が終わっていないのに途中で拍手をするのは緊張感を失わせ 演奏者に対し失礼になる、と思っていました しかし、しばらく前、音楽関連の本(あるいは雑誌だったか)を読んで、考え方が変わりました    それは、ある指揮者が楽団員に対し「1楽章が終わったところで拍手をするお客さんを笑ってはいけない。そのお客さんは初めてクラシック・コンサートを聴きに来た人かもしれない そうだとすれば、新たな聴衆が一人増えたわけだから、オーケストラにとっては喜ぶべきことだ」と語ったという内容でした これは私にとって「目から鱗が落ちる」経験でした 私は演奏する立場の側の人間ではありませんが、クラシック・ファンが増えるのは大歓迎です その文章に出会って以来、楽章間に拍手をする人に舌打ちするのを止めるようになりました

さて、私の記憶違いでなければ、劇中とエンドロールで静かにゆったりと流れていたのは J.S.バッハのカンタータ第156番「わが片足すでに墓穴に入りぬ」から第1曲「アリオーソ」です この曲は後に「チェンバロ協奏曲第5番BWV1056」の第2楽章「ラルゴ」に転用されています バッハの音楽は普遍的です

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子供たちが選んだ今年の漢字は『笑』『幸』『新』 ~ ベネッセの調査から / ぺドロ・アルモドバル監督「ペイン・アンド・グローリー」を観る ~ 新文芸坐

2020年12月27日 07時22分24秒 | 日記

27日(日)。昨日の朝日朝刊「はぐくむ」コーナーに「2020年  子どもが選んだ漢字は」という記事が載っていました    超訳すると、

「ベネッセコーポレーションが11月、児童7661人に行った意識調査で、子供たちが選んだ今年の漢字の上位3つは『笑』『幸』『新』だった 『笑』は284票を集め、『コロナでもいつも笑顔で頑張れた』といった理由が寄せられた また『幸』(250票)には『学校に行ける幸せを感じた』、『新』(178票)には『コロナで新しい生活になった』などの理由が寄せられた。一方、社会現象になった人気漫画作品の影響もあり、10位に『鬼』が入った 『”鬼滅の刃”にはまった』『コロナが強くて鬼みたい』などが理由だった

たしか日本漢字能力検定協会による「今年の漢字2020」では、『密』『禍』『病』がトップ3だったと思います これらと比べて、子供たちの選んだ漢字は何と明るく希望に満ちていることでしょうか 日本の未来も捨てたものではないな、とあらためて思いました

ということで、わが家に来てから今日で2278日目を迎え、米大統領選で敗北確実となったトランプ大統領を支持する現象が、インターネットを中心に世界に拡散し日本でも広がっており、トランプ氏が批判するメディアや中国政府に不信感を抱く支持者が 東京でも大統領選で不正が行われたと主張するデモを開催した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     中国政府に反感を抱くのは分かるが  それが即トランプ支持になる? 理解できない

 

         

 

昨日、新文芸坐でペドロ・アルモドバル監督による2019年製作スペイン映画「ペイン・アンド・グローリー」(113分)を観ました

脊髄の痛みから生き甲斐を見い出せなくなった世界的映画監督サルバドール(アントニオ・バンデラス)は、心身ともに疲れ、引退同然の生活を余儀なくされていた そんな中、昔の自分をよく回想するようになる。子ども時代と母親(ペネロペ・クルス)、その頃移り住んだバレンシアの村での出来事、マドリッドでの恋と破局。その痛みは今も消えることなく残っていた そんな時、32年前に撮った作品の上映・講演依頼が届く 思わぬ再会が心を閉ざしていた彼を過去へと翻らせていく

 

     

 

この映画はスペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の自伝的作品と言われています サルバドールは脊髄の痛みから解放されるため、過去に映画で使った俳優を通じてヘロインを覚えますが、自力で悪習から脱し、新しい映画の脚本を書こうと決心します 脊髄の痛み(ペイン)を誤魔化すヘロインから自力で抜け出し、新たな創作意欲を得て栄光(グローリー)を掴もうと一歩前進したと言えるかもしれません ペネロペ・クルスが 貧しい中でも逞しく懸命にサルバドールを育てる母親の役を力強く演じています 若く美しかった彼女も、美貌を失わないまま すっかり母親の役が板についたものだ、と感心しました

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「バッハ・コレギウム・ジャパン2021~2022シーズン」会員継続へ / 外山滋比古著「読みの整理学」を読む ~ 「アルファ―読み」から「ベータ読み」へ:難しい本を何回も読み返す

2020年12月26日 07時24分45秒 | 日記

26日(土)。昨日は天気が良かったので大掃除第1弾としてガラス戸と網戸の清掃をしました 最初に網戸に取り掛かりましたが、ブラシでこすって埃を落とし、掃除機をかけ、アルカリ電解水(激落ちくん)を吹き付け、網たわしで拭き取りました 次にガラス戸に取り掛かりましたが、こちらは激落ちくんを吹き付けて水雑巾で拭き取るだけで済みました とはいえ、大小6か所のガラス戸・窓の清掃は結構大変で、「大掃除なんて寒い冬にやることはないんだよ 夏にやれば早く乾くし効率的なんだけどなぁ」などと独り言を言っているうちに作業が終わると汗びっしょりになりました このほか大掃除で毎年大変なのはキッチンのレンジフードの油汚れ落としです これも「夏にやれば・・・」と思いながら いつの間にか12月になってしまい、年末に油汗をかいて清掃することになります。これも近日中にやらなければなりません

ということで、わが家に来てから今日で2277日目を迎え、安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」の前日に開いた夕食会の費用を安倍氏の私費から補填していた問題で、安倍氏は25日午後、衆院の議員運営委員会に出席し、「私が知らない中とは言え、道義的責任を痛感している。国民、全ての国会議員の皆さんに心からおわび申し上げたい」と謝罪した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     道義的責任ではなく 管理監督責任の欠如が問題だ 一般企業なら社長は辞職してる

 

         

 

昨日は娘の誕生日でしたが、娘が自分で「ローストビーフ」と「オニオンスープ、チーズ載せ」を作りました 牛ブロック肉はオージー・ビーフなのでちょっと硬かったのですが、味付けが上手に出来ていたので美味しかったです

 

     

 

私は花とケーキを用意しました ケーキは毎年「FRENCH POUND HOUSE」のイチゴケーキなのですが、娘がたまには違うお店のを食べたいと言うので、初めて同じ地元の巣鴨にある「PATISSERIE   Yohinori  Asami」のイチゴケーキにしました これはこれで甘さ控えめで美味しかったのですが、やはりイチゴケーキに関しては 娘も私も FRENCH POUND HOUSE のアルコール入りのルージュの方が美味しいと思いました

 

     

     

 

         

 

バッハ・コレギウム・ジャパンから「2021‐2022シーズン定期演奏会」継続案内が届きました 新シーズンではバッハの宗教曲の他に、管弦楽曲や協奏曲が、そして、ベートーヴェンとモーツアルトの作品が取り上げられているのが特徴です 私は2000年シーズンから定期会員を継続していますが、今のところ6公演とも他のコンサートの予定が入っていないので、今シーズン同様、B席を継続することにしました なお、4月の「マタイ受難曲」は東京オペラシティコンサートホールが改修閉館期間のためサントリーホールで開催され、2日(金)と3日(土)のどちらかを選択できるようになっているので、3日を選びました。さっそくスマホで申し込みフォームを呼び出して手続きを済ませました

 

     

 

         

 

外山滋比古著「読みの整理学」(ちくま文庫)を読み終わりました 外山滋比古は1923年生まれ。東京文理大学英文科卒業。「英語青年」編集長を経て、東京教育大学、お茶の水女子大学などで教鞭を執る。「思考の整理学」は大ベストセラーになった。2020年7月30日、胆管がんのため死去、享年96歳

 

     

 

筆者は「はじめに」で次のように書いています

「外国語だけではなく、一般の読みについて、二通りの読み方があることに気付いた 内容がわかっている文章を読むのがそのひとつ。もうひとつは、書かれている内容がよくわからない文章の読みである 同じ読みといっても、両者はまったく別のものであると言ってよいほど異なっていると考える。いくら、前者、つまり既知の読み方ができても、後者の未知の読み方はそれにつれてうまくいくとは限らない、どころか、まったく読めていない そういう言わば発見である

そして、「内容がわかっている文章を読む時」の読み方を『アルファ―読み』、「書かれている内容がよくわからない文章を読む時」の読み方を『ベータ読み』と名付けます

その上で、スポーツ欄の記事を例に挙げ、野球の試合結果を報じた新聞を読む場合、その試合を実際に観戦したりテレビやラジオで観たり聴いたりした人は、書かれていることを何の苦もなく読むことができる 一方、野球が好きでもその試合を観ていない人や、野球が好きでもない人にとっては分かりにくく難しく感じる 前者の読み方が『アルファ―読み』である、と解説します

一方、自分の知らないことや、未経験の内容の文章を読む時は、別の読み方をしないと内容が理解できない、として『ベータ読み』をする必要があると解説します そして「(ベータ読みは)難しい内容の本を繰り返し読むことによって到達できる 素読はその好例である。素読でなくても、十回、十五回と読み返すうちに、未知を読むことは自然に体得できる どんなにわからない文章や本でも、反復読んでいれば、そのうちにわかってくる それを古人は、『読書百遍意おのずから通ず』と言った。これぞすなわち、ベータ読みの王道である」と述べています さらに、「ベータ読みのコツを捉えるには、古典、古典的書物の百篇読みがもっとも確実な方法であろう ただ、これが当世風でないところが泣き所である」としています。そして「昔のことは古い。だからと言って古くさいとは限らない。新しいことはおもしろそうだが、時の試練をくぐり抜けていない。新しいものごとは古くなるが、古いものはもう古くならない」と述べています

筆者は、「よほどの傑作でも、物語、小説は再読がせいぜいだ。十遍読める小説があったらお目にかかりたい」と書いているので、私が普段読んでいるミステリーやエンタメ小説は古典、古典的書物には入らないようです 「論語」とか「徒然草」とか「方丈記」とか、そういった書物を想定しているのだろうな、と推測します そういえば、高校の授業で「素読」をしました

本書が最初に世に出たのは2007年、今から13年前です 『読書百遍意おのずから通ず』と言って、難しい本を何回も読み返すことは、ご本人が認めている通り「これが当世風でないところが泣き所である」というのが正直なところだと思います しかし、分からない文章に遭遇すると、何回も読み直して理解しようとすることも確かです それなりに合理性があるのだと思います

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日経「今年の収穫 映画」~ 「異端の鳥」「名もなき生涯」「パラサイト」「はちどり」「シチリアーノ」「風の電話」「ストーリー・オブ・マイライフ」他 / 中止公演 最後のチケット代払い戻し

2020年12月25日 07時20分53秒 | 日記

25日(金)。昨日は年賀状制作に勤しみました 例年、雑誌形態で付録にCDROMが付いている年賀状ソフトを買ってきて絵柄を選んで、自宅のパソコンで印刷し、ソフトの住所録により宛名を打ち出しているのですが、カラーインクを大量に使うので決して安くはないと気が付きました そこで、今回は郵便局が販売している絵入り年賀状を購入して、宛名だけソフトで打ち出すことにしました いい加減に年賀状も止めたいのですが、年に一度 ご無沙汰している人にあいさつをし、相手の安否を知るには最良の手段なので止められません

ということで、わが家に来てから今日で2276日目を迎え、トランプ米大統領は23日、2021会計年度の国防予算の枠組みを定める国防権限法案に拒否権を行使した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     共和党のメンツは丸つぶれだけど トランプはそんなこと全然気にしてないだろうな

 

         

 

昨日はクリスマスイブだったので、市販のローストチキンを買ってきて、「トマトとレタスの卵スープ」を作りました 今冬 初めて🍓を買いました。わが家は25日が娘の誕生日なので今日がメインです

 

     

 

         

 

一昨日、東京フィルから「2021ー2022シーズン」の会員チケット8枚が送られてきました さっそく来年の手帳に予定を入れておきました 一方 昨日、都響から2021年1月、2月、3月の公演中止に伴う払い戻し金が現金書留で送られてきました 払い戻しは多分これで最後だと思います。結局、中止に伴う払い戻しは合計112公演、延期は7公演となりました こういう面倒なのは もうごめん被りたいと思います

 

         

 

昨日の日経 夕刊文化欄の「今年の収穫  映画」に、映画評論家4人と日経編集委員1人が選んだ「今年のベスト3」が掲載されています 日経は週1回「シネマ万華鏡」で最新映画を紹介していますが、5人はその執筆者です

中条省平氏が選んだベスト3は①異端の鳥(ヴァ―ツラフ・マルホウル監督)、②シチリアーノ 裏切りの美学(マルコ・ベロッキオ監督)、③燃ゆる女の肖像(セリーヌ・シアマ監督)です

宇田川幸洋氏のベスト3は①あなたの顔(ツァイ・ミンリャン監督)、②新喜劇王(チャウ・シンチ―監督)、③れいこいるか(いまおかしんじ監督)です

渡辺祥子氏が選んだベスト3は①ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語(グレタ・ガーヴィグ監督)、②TENET テネット(クリストファー・ノーラン監督)、③パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ監督)です

村上匡一郎氏のベスト3は①死霊魂(ワン・ピン監督)、②名もなき生涯(テレンス・マリック監督)、③風の電話(諏訪敦彦監督)です

古賀重樹編集委員の選んだベスト3は①はちどり(キム・ボラ監督)、②燃ゆる女の肖像(セリーヌ・シアマ監督)、③空に住む(青山真治監督)です

今年は本日現在で206本の映画を観ましたが、上記のうち私が観たのは①異端の鳥(ヴァ―ツラフ・マルホウル監督)、②シチリアーノ 裏切りの美学(マルコ・ベロッキオ監督)、③ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語(グレタ・ガーヴィグ監督)、④パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ監督)。⑤名もなき生涯(テレンス・マリック監督)、⑥風の電話(諏訪敦彦監督)、⑦はちどり(キム・ボラ監督)の7本です

「異端の鳥」について中条氏は「薄っぺらにきれいなデジタル映像とは異なる、モノクロフィルムの物質的手応えに震撼させられる この上なく残酷な人間の愚行を描きながら、それが魂を震わせるほど美しい映像にもなるという奇跡だ」と評しています この作品は、私にとってもマイベスト1と言ってもよい映画です

次に印象に残るのは「名もなき生涯」(テレンス・マリック監督)です 村上氏は「キリスト教の名でナチス信奉を拒否して処刑された実在の人物を題材に、出来事を劇的に語ることなく、短いエピソードの集積から記憶に刻むべき物語を紡ぎ出す」と評しています。私は、音楽の使い方が素晴らしいと思いました

「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)について渡辺氏は「韓国映画では初のアカデミー賞作品賞受賞作になった本作は、昨今数多く製作されている韓国映画が放つ”勢い”の象徴として心に残る」と評しています

なお、私が観た206本のうち7作品については、それぞれ以下の日付のtoraブログにアップしていますので、興味のある方はご覧ください

①異端の鳥(ヴァ―ツラフ・マルホウル監督)=10月14日

 

     

 

②シチリアーノ 裏切りの美学(マルコ・ベロッキオ監督)=9月19日

 

     

 

③ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語(グレタ・ガーヴィグ監督)=12月19日

 

     

 

④パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ監督)=1月29日

 

     

 

⑤名もなき生涯(テレンス・マリック監督)=10月12日

 

     

 

⑥風の電話(諏訪敦彦監督)=8月13日

 

     

 

⑦はちどり(キム・ボラ監督)=11月18日

 

     

 

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ベートーヴェン「ピアノと管楽のための五重奏曲」他を聴く ~ 「芸劇ブランチコンサート ~ 第27回 主役は豪華な管楽器」 / クリスマスとクリスマスイブの違いは?

2020年12月24日 07時19分14秒 | 日記

24日(木)。19日付の朝日朝刊のコラム「ことば  サプリ」は「クリスマスイブ 『24日の晩』は『25日当日』?」というテーマでした 超訳すると、

「12月24日はクリスマスイブ イエス・キリストの降誕を記念する25日を祝うのに、なぜ24日がメインのようになっているのか 英語の『クリスマス(Christmas)』の語源はChrist(キリスト)のmass(ミサ=礼拝)。『イブ(eve)』はイブニング(evening)の略で晩、夕べの意味 eveningは昼の終わりから夜就寝するまで、午後5時頃から11時頃までの時間で日本の夕方より長めの時間である 『24日の晩』は、実は『25日の当日』だと言ったら驚くだろうか キリスト教が生まれた地域で使われていたユダヤ教暦では、日没が1日の区切りとする考え方がある キリスト教もこの考え方を受け継いでいる 24日の日没後から25日の日没後までが『クリスマス当日』ということになる

クリスマスとクリスマスイブの違いも解らないまま、やれケーキだ、プレゼントだと騒いでいる日本人の何と多いことか? チコちゃんに叱られそうです

ということで、わが家に来てから今日で2275日目を迎え、トランプ米大統領は22日、ロシア疑惑を巡って実刑判決を受けた、自身の陣営の元外交政策顧問パパドプロスら15人に恩赦を与え、同日のSNSに改めて「われわれは選挙で圧勝した。国民はそれを分かっている」などと投稿した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     どこまでも 私利私欲に基づき職権を乱用するトランプ  国民はそれを分かっている

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ麻婆茄子」と「舞茸の味噌汁」を作りました 「豚バラ~」は久しぶりに作りました。娘が辛いのが苦手なので今回は豆板醤を少な目にしたのですが、従来の辛さで大丈夫とのことだったので、次回は元に戻します

 

     

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールで「芸劇ブランチコンサート ~ 第27回  主役は豪華な管楽器」公演を聴きました プログラムは①シューマン「3つのロマンス作品94」より第2曲、②プーランク「ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲」、③ベートーヴェン「ピアノと管楽のための五重奏曲」です 演奏はオーボエ=吉村結実、クラリネット=伊藤圭、ホルン=福川伸陽、ファゴット=水谷上総(以上全員がN響首席奏者)、ピアノ=清水和音です

 

     

 

会場は市松模様配置ですが、よく入りました

1曲目はシューマン「3つのロマンス 作品94」より第2曲(イ長調)です この曲はロベルト・シューマン(1810ー1856)が1849年に作曲したオーボエとピアノのための作品で、第1曲(イ短調)、第2曲(イ長調)、第3曲(イ短調)から成ります 今回は第2曲「素朴に、心より」がホルンによって演奏されます

清水の伴奏で福川が朗々と柔らかな音色で美しいメロディーを奏でますが、この名人にかかると、この曲が元々ホルンのために書かれているように思えます 余裕たっぷりの素晴らしい演奏でした

ここで、進行係を兼務する清水が福川氏にインタビューします

「今日の出演者は皆、無口な人ばかりで、トークができるのは福川さんだけだと言うので、よろしくお願いします 今日の出演者は全員N響のメンバーですが、次に演奏する2人について、どんな人かご紹介していただけますか

という問いに福川氏は、

「オーボエの吉村さんは今年4月からN響の首席奏者として迎えられたピチピチのニューフェイスです 演奏は期待できると思います ファゴットの水谷さんはベテラン奏者ですが、人に語りかけるような演奏が印象的な人です

と答えます この人は無口でなく六口のようです そして2人を迎えます

2曲目はプーランク「ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲」です この曲はフランシス・プーランク(1899ー1963)が1926年に作曲、同年ロンドンで初演され、スペインのファリャに献呈されました 第1楽章「プレスト」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「ロンド」の3楽章から成ります

第1楽章は重い感じの序奏から開始されますが、次いで、プーランクらしいエスプリに満ちた軽妙な音楽が奏でられます 第2楽章は3人のアンサンブルが美しい 第3楽章は喜びに弾むような曲想です オーボエとファゴットの丁々発止のやり取りが楽しく聴けました

 

     

 

最後の曲はベートーヴェン「ピアノと管楽のための五重奏曲 変ホ長調 作品16」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770ー1827)が1796年に作曲したオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット、ピアノのための五重奏曲です この曲は、モーツアルトが1784年(28歳)に作曲した同編成による五重奏曲K.452を意識して作曲されたことが分かっています 第1楽章「グラーヴェ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」、第3楽章「ロンド:アレグロ・マ・ノン・トロッポ」の3楽章から成ります

華やかで優美な第1楽章が素晴らしい ホルンの福川氏は初登場ながら余裕の表情で演奏しています 第2楽章では吉村結実の、伊藤圭の、福川伸陽の、水谷上総の名人芸が聴けました 第3楽章では愉悦感に満ちたアンサンブルが繰り広げられました この曲をライブで聴いたのは今回が初めてでしたが、N響の首席クラスの演奏で聴けたのはラッキーでした

 

         

 

帰りがけに、ロビーの一角で発売されていた来年4月以降の「芸劇ブランチコンサート」の3枚セット券を購入しました 今から楽しみです

 

     

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「クラシック音楽 今年の収穫」 ~ 音楽評論家はどの公演を選んだか?:日経の記事から / 松山善三脚本・渋谷実監督「酔っぱらい天国」&「好人好日」を観る ~ 笠智衆の別の魅力を発見!

2020年12月23日 07時16分07秒 | 日記

23日(水)。昨日の日経夕刊 文化欄に「今年の収穫  音楽」が掲載されていました 5人の音楽評論家がそれぞれ「今年のベスト3」を選んでいます このうちオペラは1人、クラシックは2人(東京と関西)がそれぞれ「ベスト3」を選び 選評を書いています

山崎浩太郎氏が選んだ「オペラ」のベスト3は、①藤倉大「アルマゲドンの夢」(11月、新国立劇場)、②バッハ・コレギウム・ジャパンによる「リナルド」(11月、東京オペラシティコンサートホール)、③「ルチア ~ あるいはある花嫁の悲劇~」(11月、日生劇場)です

このうち①について山崎氏は「新たな状況下でも失敗を恐れず、新たな創造に挑戦するオペラ芸術監督、大野和士の功績である」と論評しています

江藤光紀氏が選んだクラシック公演(東京)は、①ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィル(11月、サントリーホール)、②サントリーホール「サマーフェスティバル2020」(8月)、③イリーナ・メジューエワ「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲演奏会第5・6回」(9月、東京文化会館)です

このうち①について江藤氏は「様々なハードルを越え来日したウィーン・フィルは演奏によって壮絶なメッセージを発し、芸術の力・存在感を示した」と評価しています

藤野一夫氏が選んだクラシック公演(関西)は、①沼尻竜典企画「神々の黄昏」(3月、びわ湖ホールより配信)、②小林研一郎指揮読売日響によるベートーヴェン「交響曲題3番」(10月、フェスティバルホール)、③ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィル(11月、フェスティバルホール)です

このうち①について藤野氏は「無観客ライブ配信で注目を集めた 最強の自主制作オペラ」と高く評価しています

上記のうち私が実際に聴いた公演は藤倉大「アルマゲドンの夢」だけです 偶然にもオペラの内容がコロナ禍の不安な現況を映し出した公演で、作曲家の高い予知能力を感じました

私の今年の「マイベスト10」は12月31日にアップする予定ですが、今年はコロナ禍の影響で例年の半分も聴けなかったので、「ベスト5」に留まるかもしれません こんなに酷い年は初めてと言っても過言ではありません

ということで、わが家に来てから今日で2274日目を迎え、安倍晋三前首相が開いた「桜を見る会」前夜蔡を巡る収支が安倍氏の関連政治団体の政治資金収支報告書に記載されていない問題で、東京地検は22日までに、安倍氏から任意で事情聴取したが、特捜部は聴取の結果を踏まえ、安倍氏の刑事責任追及は難しいとみているもようだ  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     どうせ「秘書に任せていたので知らなかった」と言い逃れたんだろう  政治屋だな

 

         

 

昨日の夕食は仕事休みの娘が「ハンバーグ」と「野菜とチーズのスープ」を作ってくれました とても美味しかったです ハンバーグにはワインですね

 

     

 

         

 

昨日、新文芸坐で「酔っぱらい天国」と「好人好日」の2本立てを観ました

「酔っぱらい天国」は松山善三脚本・渋谷実監督による1962年製作映画(モノクロ・94分)です

会計課長の渥美耕三(笠智衆)は30年前に妻を亡くし一人息子の史郎(石濱朗)と二人で暮らしているが、二人とも大酒飲み 耕三は史郎を溺愛しているが、ある日、史郎が看護婦をしている櫻井規子(賠償千恵子)と結婚したいと言い出す。史郎は結婚したいがために赤ん坊ができたと嘘を言う 耕三はしぶしぶ規子と会う。史郎は喜んで友人の森山と飲み歩く 二人はバー「ベンハー」でプロ野球の東京ファイターズのエース片岡(津川雅彦)と出会う。森山と片岡は些細なことで喧嘩を始め、止めに入った史郎はバットで殴られ入院してしまう 耕三は片岡を告訴しようとするが、ファイターズの監督が耕三の会社の専務と友人関係にあり、専務を通じて示談にされてしまう しかし、その後 史郎は死んでしまう     耕三は妊娠している規子を引き取り一緒に過ごそうと考える。一方、規子は片岡に復讐を果たそうとするが、逆に片岡自身も悩んでいることを知り、同情心が湧き、付き合うようになる 耕三は片岡と規子が一夜を共にしたことを知り、また規子が妊娠していることが嘘だったことを知り絶望する 耕三はトップ屋くずれの小池にそそのかされ、バーで酒を飲んで片岡を殺傷しようとするが、誤って別人を刺してしまい、殺人未遂の罪で告訴され、収監されてしまう

 

     

 

笠智衆といえば、小津安二郎監督による「晩春」「東京物語」をはじめとする「小津作品」や、山田洋二監督による「男はつらいよ」シリーズの柴又帝釈天(題経寺)の御前様としてお馴染みの俳優です 俳優に「静」と「動」があるとすれば、「静」を代表するような穏やかで静かな佇まいを思い浮かべます しかし、この映画における笠智衆は、そのイメージを根底から覆す「動」の顔を見せています。上司に対してはこびへつらい、部下に対しては高圧的な態度を取る。普段は真面目だが、一旦酒が入ると前後不覚になるまで飲み倒しハチャメチャな行動を取ります。こんな笠智衆を見たのは初めてで、びっくりしました 渋谷実監督が多くの俳優の中から あえて笠智衆を起用したのは小津作品への対抗意識があったのだろうか、とさえ思ってしまいます

 

         

 

「好人好日」は松山善三脚本・渋谷実監督による1961年製作カラー映画(88分)です

奈良の大学の教授を務める尾関等(笠智衆)は世界的な数学者だが、数学以外のことには全く無関心で、奇行奇癖が多く世間では変人で通っている 妻の節子(淡島千景)はそんな尾関に30年連れ添ってきた    娘の登紀子(岩下志麻)は市役所に務めているが、職場の同僚・佐竹竜二(川津祐介)と付き合っている    しかし、竜二の家は飛鳥堂という墨屋の老舗で、何かと格式にこだわり 登紀子との結婚に乗り気でない 竜二は尾関に気に入ってもらおうと羊羹やポータブル・テレビを持っていくが、尾関は娘を取られたくないので良い顔をしない そんな折、尾関に文化勲章の授賞が決まったという知らせが舞い込む 尾関は勲章はどうでもよいが50万円の年金が出るというので喜んで受けることにする 授賞式に出席するため夫婦で東京に赴き、学生時代にいたオンボロ下宿に泊まり、主人の修平を感激させる その夜、宿に泥棒(三木のり平)が忍び込み、勲章を盗まれてしまう そんな中、奈良では尾関の授賞を祝う会を開こうと関係者が大騒ぎをしていた 奈良に帰った尾関はマスコミの取材に追われ、疲れ果てて独り下市の和尚のところに身を隠してしまう 尾関は迎えに来た娘に「登紀子は良いお嫁さんになる。お母さんのようにね」と伝え、結婚を祝福する その後、勲章を盗んだ泥棒が「文化勲章を受けた先生が 同じ貧乏だと知らずに勲章を盗んでしまった。お返ししたい」と返しに来た   幸せそうな親娘を東大寺が優しく見守っていた

 

     

 

この作品は日本有数の数学者・岡潔をモデルに製作されたとのことです

笠智衆はこの映画でも、小津作品におけるイメージをぶち壊すような演技力を見せています 少年とボクシングをやって身軽なところも見せています

「酔っぱらい天国」では呑兵衛を演じている笠智衆ですが、「好人好日」では一切酒が飲めず、その代わりコーヒーが大好きという役柄も面白い設定です

なお、この日上映の2本を含め、渋谷実監督映画の多くは 黛敏郎が音楽を担当しています この当時の日本映画の多くは、黛敏郎に限らず、伊福部昭、武満徹などクラシック(現代音楽)の作曲家が手掛けています 作曲家にとって、まだテレビが全盛前の”古き良き時代”でした

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日経コラム「春秋」の「第九も消えた」に異議あり! / 新交響楽団第252回演奏会(飯守泰次郎指揮によるスメタナ「わが祖国」全曲)案内届く

2020年12月22日 07時20分52秒 | 日記

22日(火)。わが家に来てから今日で2273日目を迎え、米大統領選で敗北したトランプ大統領が18日、選挙結果を覆す方策についてホワイトハウス側近らと会議を開き、戒厳令の発出や特別顧問を任命して選挙での「不正」を捜査させることなどを協議したと主要メディアが20日伝えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     戒厳令は 敗北を認めず大統領の座に居座るトランプを排除するために発出すべきだ

 

         

 

昨日、夕食に勝浦市在住の大学時代の友人S君が送ってくれた赤尾魚を煮つけ、「生野菜サラダ」と「ジャガイモと玉ねぎの味噌汁」を作りました 前回、赤尾鯛を煮つけた時に、鱗を取り除かないまま煮たため 娘からクレームがついたので、今回はまず熱湯で湯がいたあと氷水で冷やしてから鱗を削いで煮つけたのでバッチリでした 和食には日本酒の熱燗ですね

 

     

 

         

 

昨日の日経朝刊 第1面のコラム「春秋」はアメリカのピアノ、スタインウェイについて書いていました 「創業1853年、欧州の老舗が木製ピアノを工房で手作りするなか、金属のフレームに低音、高音の弦を交差させて張る独自のデザインで、ピアノのスタンダードを一新させたといわれる」と紹介しています それは良いとして、最後のシラブルを読んで「ちょっと違うのではないか」と疑問を抱きました それは、次のような文章です

「今年、音楽公演が中止された各地の劇場では市民がスタインウェイを弾くイベントがひそかな人気を集めた。大空間を借り切って名器を独り占め。ぜいたく気分を味わうかたわら、こう思ったファンも多かったろう。一人もよいが、あのコンサートホールの熱狂が懐かしい。恒例の『第九』も消えた、さびしい年末である。」(原文のまま)

私が疑問に思ったのは「恒例の『第九』も消えた」というフレーズです 12月4日付toraブログでもご紹介した通り、在京7オーケストラの年末における「第九」公演は合計29回に及びます。これに大みそかのコバケンによる「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会」を含めれば30回になります たしかに各オケとも例年よりは公演回数が少ないし、東京シティ・フィルは演奏しません。また、東京以外の地域では第九公演がなくなったケースがあるかも知れません しかし、12月だけで30回の公演数を「第九も消えた」と言えるでしょうか

コラム「春秋」は朝日で言えば「天声人語」にあたる第1面の顔とも言える看板エッセイで、社内でも相当優秀な編集委員・論説委員クラスの書き手が執筆しているはずです しかし、このエッセイに関する限り、事実を知らないと言わざるを得ません 日本のオーケストラは、演奏者や合唱団の人数を絞ってでも「第九」を演奏する気概があることを知ってほしいと思います 本日以降も都内の各コンサート―ホールで「第九」公演が開かれます 「春秋」執筆者には是非「第九」公演に足を運んでほしいと思います

 

         

 

アマチュア・オーケストラの新交響楽団から1月17日(日)14時から東京芸術劇場コンサートホールで開かれる「第252回演奏会」の案内が届きました 飯守泰次郎の指揮によりスメタナ「連作交響詩”わが祖国”」全曲が演奏されます 飯守氏のスメタナはどんな風になるのでしょうか 楽しみです

 

     

コメント
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