ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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愛子内親王の記者会見4

2022-03-19 09:00:11 | 皇室報道

ーー先ほど、両陛下との御関係の中で、愛情深く育てていただいたという感謝の気持ちですとか、ちょっと楽しいエピソードも御紹介いただきましたが、愛子さまのこれまで歩んでこられて、困難に直面された時に、両陛下からどんなお支えや言葉があったのか、また、愛子さまのお生まれになった時に、皇后さまが「生まれてきてくれてありがとう」とおっしゃったことを御存じかと思うんですけれども、今、二十歳(はたち)をお迎えになって、愛子さまが逆に両陛下にお伝えになりたい言葉がもしあればお聞かせください。

具体的にどのような言葉というのは、ここでは差し控えさせていただきたいと思うのでございますけれども両親は私がどのような状況にありましてもいつも私の気持ちに寄り添ってくれて、また、何か問題に直面した時は、その問題に真剣に向き合ってくれまして、私の意見や考え、気持ちを尊重しつつ、的確なアドバイスをくれたように思います。

そして、両親からもらった大きな愛情や励ましが、そのような時に私の支えとなっておりました。

また、両親にどのような言葉を伝えたいかという御質問でございますけれども、母の「生まれてきてくれてありがとう」という言葉に掛けて、私も「生んでくれてありがとう」と伝えたいと思います。

また、これまで両親には様々な機会を与えていただいたり、私の成長を、愛情を持って温かく見守ってきていただいていて、そして、そういった両親の生活面で支えてくれているところなどにも深く感謝しておりますので、そのことについてお礼を伝えたいと思います。

そして、「これからもどうかお体を大切に。これからも長く一緒に時間を過ごせますように」という言葉も添えたいと思います。以上でございます。

 「両親」に逆戻りで、先の質問に対する答えと重なっています。

「生んでくれてありがとう」はないな~~普通の女子大生じゃないんですから。せめて「この世に生み出して頂きありがたく思います」とか。

敬語と標準の文章がごちゃごちゃで、ここらへんは日本語学科としてはどうなんでしょう。

 それにしてもまるで「両親」が恋人のようにぴったりと自分にひっついているような印象を受けるのですが。

なんと別室で雅子皇后がずっと聞いていたんですってね。そりゃあ省くわけにもいかないですね。

 ここまで「両親」が深く内親王の中に突き刺さっているという事なのでしょうか?それとも書き手が自分達(両親)を最大級の賛辞で飾らないとすまない性格だったのでしょうか?



ーー愛子さまは中学の卒業文集で世界の平和を願う文章をつづられて、私もその文章に大変感銘を受けた者の一人なんですが。

ありがとうございます。

ーー今のウクライナ情勢がですね、緊迫度を増していまして、ウクライナ人の多くの方が犠牲を強いられ、核の脅威にもさらされているのが今の現状なんですが、愛子さまはどのように日々のそういった現状を御覧になっておられますか。

そうでございますね。ウクライナ国内で多くの尊い命が失われていることに非常に心を痛めております。

現在の国際情勢は厳しいものがございますが、天皇陛下がお誕生日の記者会見の折におっしゃった言葉と同じ言葉をそのままお伝えしたいと思うので、メモを見させていただきます。

お誕生日の御会見では「国と国との間では、様々な緊張関係が今も存在しますが、人と人との交流が、国や地域の境界を越えて、お互いを認め合う、平和な世界につながってほしいと願っております」というお考えを示されましたが、私もこのお考えと同じ思いでおります。

今広島の文集の話もしていただきましたけれども、私は中学3年生のときに広島を訪れ、原爆ドームとそれに併設する広島平和記念資料館を訪れましたが、その時に見た、目を覆いたくなるほどのとても凄惨な光景を今でもはっきりと覚えております。

その時に平和の尊さを改めて強く感じまして、私は今でも平和への強い願いを持っております。以上でございます。

 戦争について質問する方もする方だと思うけど、結局何も考えられなくて天皇お言葉をそのまま引用するという手に出た浅はかさも感じます。広島へ行った事をいかにも自分の手柄のように語りますが、愛子様、あなたは何度供花されましたか?一度もしてないですよね?

ーーありがとうございます。

ーーこの度は新型コロナウイルスがあり、またウクライナ情勢があり、また夕べは地震もございました。そのような中で、今日の記者会見についてどのようなことを大切に準備に臨まれたのでしょうか。また、天皇皇后両陛下からのアドバイスがあればそれもお教えください。

どのようなことを大切に準備したかと申しますと、一つ一つの御質問、事前に頂いた御質問に対して、なるべく具体的に自分の言葉で自分の思いを皆さんに知っていただけるように伝えたいと思って準備してまいりました。

その準備に当たっては、両親から「もうちょっとこの言い方はこっちの方がいいんじゃないか」ですとか、そういうアドバイスを頂いたりしました。

また、天皇陛下や皇后陛下、両親がその記者会見に臨んだ時の体験も踏まえて「こういうふうにすると緊張が少し和らぐよ」などのアドバイスをもらったりして、それを今、少し実践できているような気がいたします。以上でございます。

 ここでも「両親」が最大のアドバイスを与えて・・・というより手取り足取り指導している姿が目に浮かびます。20歳になって自分一人で自分の考えを話すのではなく、全て「両親」のアドバイスを踏まえての所作なんだという事がよくわかりました。

一人っ子にしても、あまりにも両親が介入しすぎではないでしょうか?

そうでないと生活が成り立たないのなら、早くそういう風にカミングアウトすべきでは?30歳になっても40歳になっても「両親」のアドバイスが必要だったら困るでしょう?

 ここらへんに来ると文章がめちゃくちゃ。

「天皇皇后両陛下、両親が」とはどういう事なんでしょうね。言い間違いなのかな。「天皇皇后両陛下・・あ、両親が」って感じ?

記者会見拒否している雅子皇后がどんなアドバイスを与えることが出来たというのか、不思議です。



ーー差し支えがなければ、どのようなことで緊張が和らぐのか、そのことをお聞かせいただけますか。

から聞きましたのは、聞いてくださっている皆さんの顔、お一人お一人の顔を見ながら、目を合わせつつ、自分の伝えようという気持ちを持って話していくというのがコツだというふうに他にもございますけれども、そのようなことをいろいろ教えていただきました。以上でございます。

 完璧な雅子語で終了。

 こんな支離滅裂で長い文章をよくぞ覚えたな~~内親王殿下。偉い偉い。疑問も感じずに丸暗記できる素直なお姫様なんですね。

両親に逆らうなんて事は夢のまた夢。何の為の記者会見なのかもよくわからず、とにかく数カ月の特訓の成果は上々でしょう。

 

雅子皇后が別室で見守る・・・・この方、まだ付き添い感覚が止められないんですね。これでは20歳で成人しているとはとて言い難いです。

一般的には娘が大人になっていくのを阻止しているような親に見えますが。

内親王の場合はしょうがないんですね。

それにしても、冒頭13分しか公開されなかった内親王っていましたっけ?これでも女性週刊誌は「素晴らしい!女帝!」っていうんでしょうね。異常です。

悠仁親王はもう武蔵野陵に参拝を済ませましたよ。愛子内親王はいつ行かれるのですか?

「新型コロナの収束」がないとダメなの?一人で行けるの?「ご両親」お付き添いじゃないといけないかもしれませんね。

でも世間ではまん延防止阻止解除で日常へ戻っていきますが、延々と親子三人でオンラインを続けるのでしょうかね。

 

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愛子内親王の記者会見3

2022-03-19 08:00:45 | 皇室報道

私は、現在、学習院大学の文学部日本語日本文学科に在籍しております。

本学科では、2年次に、日本語日本文学系と日本語教育系の二つのコースに分かれ、私は前者の日本語日本文学系を選択いたしました

日本語日本文学の、日本語学の方は、日本語のルーツや文法など、日本語に関する基礎的な事柄を幅広く学習しております。

一方の日本文学につきましては、平安時代から昭和初期にかけての多様な文学を通して様々な考察を深める授業であったり、紀行文を民俗学的な視点で読む授業などを履修しております。

 一々学習院大学の文学部の説明する必要ありますか?

栃木県にる那須の御用邸とか東日本大震災の犠牲者の数とか、説明せずにはいられない性分なんですね。

 学習院大学から「宣伝お願い」って言われたのかな。



関心のある分野は、いまだ模索中といったところではございますが、以前から興味を持っておりました、『源氏物語』などの平安時代の文学作品、物語作品を始め、古典文学には、引き続き関心を持っております。

この約2年間、新型コロナウイルス感染症の蔓延により、多くの学校関係者、先生方や学生さんが、様々な面で不便を感じつつ、試行錯誤しながら学校生活と向き合ってこられているのではないかと思います。

私も、現在、大学の2年目が終了したところでございますが、感染防止の観点から、普段は大学には通学せず、全科目をオンラインで受講しております。

 よくまあ堂々と「感染防止の観点から」全科目オンラインで受講なんて言えるなあ。

「先生方や学生さんが」って他人事のように言うんですね。それで自分は一番安全圏の「自宅」で「全科目オンライン」が出来ると。学習院は今年の4月からは登校を勧める筈ですけど。

 これじゃ、電車に揺られて学校へ通っている学生さんたちが浮かばれないよね~~やっぱりどこかで特権意識があるんでしょうね。

 「興味を持っている」「引き続き関心を」っておかしくないですか?「源氏物語」や古典のどこが興味深くて、どういう部分に関心があるのか、大学2年生ならそれくらい具体的に言えるのではないですか?

「平安時代の和歌の作り方を学び、現代の歌にどのように生かせるか」とかせっかく皇室にいるのに関心を持つだけか~~~と。

学習院大学では、対面授業を再開している教科も一部ございますが、そのような授業については、対面とオンライン両方の受講を可能とするハイブリッド形式により、授業の同時配信をしていただいており、そういった先生方の御配慮のお陰で、学業が続けられていることを有り難く思っております。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大が一日も早く収束し、このような厳しい状況が落ち着いた先に、少しでも不安の少ない環境で、皆が有意義な学校生活を送ることのできる未来が待っていることを願っております。

最後に、私の今後の進路につきましては、現時点ではまだ考えがまとまっておらず、これからの大学生活を通して、知識を広げながら自分の興味を深めていく中で、決めていくことができればと思います。

 ひえ~~同時配信ですか~~そりゃまた面倒な事を。

  学校へ行きなさいよ。友達出来ないよ?いつまでも家族で引きこもっているつもりですか?

 今の時代「少しでも不安の少ない環境」なんて先の話。でもみんな頑張って学校に通っているんだよっ自分だけ楽な位置にいるのが「国民と苦楽を共にする」皇族の在り方なんですか?

 

 

結婚は、私にとってはまだ先のことのように感じられ、今まで意識したことはございません。

理想のお相手については、特別これといったものはございませんが、一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております。

眞子さんの結婚の経緯につきましては、朝見の儀や納采の儀などの儀式を行わない運びとなったのは、天皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下の御判断によるものと伺っておりますので、私から発言することは控えさせていただきたいと思います。

眞子さんは、私の10歳年上でございますので、物心付いたときには既に頼りになるお姉様のような存在で、周りを見渡し、自ら率先してお手伝いをされる姿が特に印象に残っております。

また、私が生まれた当初から同じ敷地内に住んでいらっしゃいましたので、赤坂のお庭で一緒に遊んでいただいたことや、折に触れて楽しくお話をさせていただいたり、ゲームで盛り上がったりしたことは、私の眞子さんとの大切な思い出でございます。

幼い頃から、いつも変わらず明るく、優しく接していただいたことを有り難く思うとともに、従姉妹として、末永いお幸せをお祈りしております。

  眞子様の結婚について儀式を行わなかった事に触れる必要があったでしょうか?

 「私が生まれた当初から同じ敷地内に住んで・・・」はいらないでしょう。どうしてこういう余計な一文を付けたがるのか。

また遊んでもらった割には「末永い」と定型文でおわり。もう少し思い出を語るとかなかったんでしょうか?ゲームは何をしたとか、どんな話をしたとか。実際は何とも思ってないことがまるわかり。

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愛子内親王の記者会見2

2022-03-19 07:05:00 | 皇室報道

両親は、私の喜びを自分のことのように喜び、私が困っているときは自分のことのように悩み、親身に相談に乗ってくれるような、私がどのような状況にありましても、一番近くで寄り添ってくれるかけがえのない有り難い存在でございます。

これまでたくさんの愛情を注ぎ育ててくださったことに深く感謝しております。

また、両親と話をしておりますと、豊富な知識や経験に驚かされることが多々ございまして、また、両親の物事に対する考え方や、人との接し方などからは学ぶことが多くございます。

両親との思い出といいますと、やはり私の学校の長期休みに出掛けた旅行のことが真っ先に思い浮かびます。

どの旅行も非常に思い出深いものでございますけれども、静岡県の下田市にある須崎御用邸に行き、海で泳いでいる時に、綺麗なお魚の群れを発見して皆で観賞しましたり、また、須崎はほとんど波のない穏やかな海でございますけれども、サーフボードを浮かべて、そこに3人で座る挑戦をして、見事全員で落下した思い出など、お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません。

 20歳の女性がこんなにご両親を讃えるものだろうか?と。これは全部雅子さんが書いた文章なのでは?

「私の喜びを自分の事のように・・」の件はうざい親にしか見えません。

こりゃ親がいないと生きていけません宣言みたいですよね。

「かけがえのない」「ありがたい」まで行くともう・・・どんな親子なんだ?と。心配になります。

 といいつつ突如敬語が出てきて「育てて下さった」と始まる。

陛下 → 父 → 両親 普通は「父に関しては「母は」というけれど「両親」といっしょくたにしているのが不思議です。

知識豊富・経験豊富・物事に対する考え方、人との接し方・・・こんな完璧な両親いないですわ~~~

で、「下田の御用邸」も変だって。何でわざわざ「静岡県の」ってつけるの?これって自慢?

「あんた達がいけないプライベートビーチで海上保安庁の船が見守る静かな海でサーフボートに3人で乗って見た」みたいなどこのボンボンだよ?って話で全然笑えません。

こういう事を「ユーモア」とみるお母さまの考え方がゆがんでいるんじゃないですか?人が持ってないものを持っている喜びしか感じません。

 


日頃から、家族では、その日にあった出来事などいろいろな話をいたします。

最近では、北京オリンピックやパラリンピックを観戦して、その試合の様子について話したり、感動を共有したりいたしました。

アスリートの皆さんのひたむきに競技に打ち込まれる姿や、夢の舞台を最大限に楽しもうとされる姿には、たくさんの感動や希望、そして勇気を頂きました。

また、両親と一緒に、飼っている犬や猫と触れ合う時間も、私の心安らぐ時間になっていると感じております。

これからも、ペットを含め、家族で過ごす時間を大事にしてまいりたいと思っております。

 北京五輪の「天皇」の懸念によって突如国中が「五輪反対」に傾き、雅子さんは開会式ボイコット、天皇は「祝い」を止めた・・といういきさつがあるのに、呑気にテレビで応援していたのかと思うと妙に腹が立つ。

天皇の誕生日会見でも同じような不愉快さを感じたものでした。

 飼っている生き物 → 飼っている犬や猫 → ペット どうしたらこんな風に文章が流れるのか。全然可愛がってないでしょ。

親子3人でカプセルの中で仲良しごっこをしているような恐ろしさを感じます。



続きまして、皇室の一員としての在り方をどのように学んでいるかということでございますけれども、私は幼い頃から、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下を始め、皇室の皆様が、国民に寄り添われる姿や、真摯に御公務に取り組まれるお姿を拝見しながら育ちました。

 両親 → 天皇皇后両陛下に格上げ

 「皇室の皆さま」という言い方に違和感。皇族が同族に「皇室の皆さま」って言いますか?「宮家の方々」ならわかるけど。まるで外のひとみたい。

 愛子内親王にとって不登校の時に延々と付き添いをしてくれた「母」の存在や適応障害で公務が出来なくて批判されてきた「母」の姿はまるきり見えなかったって事なんですね。

そのような中で、上皇陛下が折に触れておっしゃっていて、天皇陛下にも受け継がれている、皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、私は認識しております。

 この文章も変。日本語学科でしょうよ。

「受け継がれている言葉に・・というのがあります」で切って「それが最も基本的な精神と思います」と繋げるべきなんです。

 そもそも認識が違います。

皇室は「祭祀が一番」なんです。内親王の母君が全然やらない祭祀が最も大事なんですよ。「国民と苦楽を共にする」とかいいつつ御用邸生活を披露、緑ゆたかなところに住んで、プライベートビーチでサーフィンボードは真逆ですよ。

 皇族の在り方は「国家の安泰を祈る」のが一番重要です。

 

国民と苦楽を共にする」ということの一つには、皇室の皆様の御活動を拝見しておりますと、「被災地に心を寄せ続ける」ということであるように思われます。

先週で東日本大震災から11年の時が経過いたしました。

街には徐々に活気が戻ってきているようにもうかがわれますけれども、いまだに2、500人以上もの方の行方が分かっておらず、また、4万人近い方が今もなお避難生活を続けていらっしゃいます。

被災された方々の心の傷が癒えるのは容易なことではないと思いますし、また、時間を要するものであると想像されます。

そういった苦難の道を歩まれている方々に思いを寄せ続けるということも、大切にしていくことができればと思っております。

 ちょいまてって思いませんか?

「苦楽を共にする」ことが何で「被災地に心を寄せる」ことなのか?

そもそも「思いを寄せる」ってどういう事なの?祈るわけでもないし、支援するわけでもないし、数字を覚えて「心を寄せる」だけが仕事と思っているならそれは間違い。上皇も天皇も間違っている事になります。

阪神大震災もあれば中越地震もあるんだよ~~東日本大震災だけじゃないんだよ~~

 


また、皇室の皆様は、歴史であったり、生物であったり、児童文学であったり、様々な福祉活動に携わっていらっしゃったりと、御自身の関心のある分野を深めていらっしゃいます。

お一方お一方がそれぞれに専門とされるような分野をお持ちでいらっしゃって、その深い知識を公的なお仕事にも役立てられている御様子を拝見いたしますと、このような立場で研鑽(さん)を積むということの意義をお示しくださっているように思います。

そのほかにも、行事の際などに皇室の皆様にお目に掛かった折には、皆様の御所作や立ち居振る舞いをお側(そば)で拝見し、そのなさりようをお手本とさせていただきながら、少しでも皆様に近づくことができますよう、努力したいと思っております。

 またも「皇室の方々」と。皇族でない人が作った文章なのでは?

せめて「皇嗣殿下には家禽の研究、妃殿下には手話の研究など」と具体的な文言を入れず、漠然と「皇室の皆さまは生物であったり・・・」変ですよね。一番さきに「陛下は水の専門家であり」くらい入れて上げればよかったのに?

 みんな専門分野を持っているからなによ?ご自分にもライフワークがある筈では?

結果的に雅子さんが趣味が皆無。読書も芸術も何も知らないと言う事が、娘にも大きな影響を与えたと思います。

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愛子内親王の記者会見1

2022-03-19 07:00:00 | 皇室報道

 愛子内親王の記者会見について書きます。

最初映像で見た時は清楚なスーツ姿と髪型にほっとし、意外とちゃんと話せるんだなと思いました。

けれど、それが13分くらいしか公開されなかったこと。

かなり日本語がおかしかったこと。

どうも本人が本音で話しているとは思えないこと。

これらの事が違和感として募って来ました。

女性誌にも「愛子様の記者会見の内容は陛下と相談している」と書かれていますし、推敲に推敲を重ね、尚且つリハーサルして、始まる10分前までやるかどうか決めかねていたという話を聞いて、一体、これはどういう事なのか?

普通の女子大生が話すならこの程度でも立派と言えるかもしれないけど「超ご優秀」がつく内親王が30分の記者会見を3ヶ月かかって丸暗記して、それに「お見舞い」の言葉を付け加えるのに丸一日かかったと考えると、やっぱりこの方、どういう人なの?と思わざるを得ません。

今時の女子大生が使わないような言葉が羅列されていますので、作ったのは他の人として、推敲したのは雅子さんか天皇ではないかと思っています。

学習院の日本語学科の方がこのような感じで「女帝」云々と喧伝されたくないというのが本心です。

内親王の前には一人の女性がいて、彼女だけが質問をして、そちらを見て答えているような気がしたし、何か合図を送られていたのかも

ーーご成年を迎えられたお気持ちをお聞かせください。成年皇族として公務や行事に取り組まれた感想と、今後の活動や抱負についてもお聞かせください。

まずお答えに先立ちまして、昨夜の地震により、亡くなられた方がいらっしゃると伺いまして心が痛んでおります

御遺族の皆様と被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 突如「亡くなられた方」を出してくるあたりが雅子さんっぽい。きちんとニュースをみていないで「死者〇人」だけで判断している。

 心が痛んでいる・・という言い方もよくありません。

「昨夜の地震には私も大変驚きましたが、宮城・福島ではさらに大きく揺れ、被災された方々も多いとのニュースに心を痛めております。心からお見舞いを申し上げますと共に、一日も早い日常の復活を望んでいます」

でよかったんじゃない?

 

では、質問にお答えいたします。

昨年12月1日に成年を迎えまして、まず二十歳という節目を無事に迎えることができましたことを嬉しく思っております。

そして、今までの、あっという間のようで長くも感じられる充実した月日を振り返りますと、これまでのあらゆる経験は、多くの方の支えや御協力があってこそ成し得たものであると身をもって感じております。

これまで様々な形で支えていただき、成年を温かく祝福してくださった皆様に、心より感謝をお伝えしたいと思います。

 「あっという間のようんで長くも感じられる充実した月日」は余計な一言で老成しすぎです。

「あらゆる経験」も一体、この方、何十年生きてるの?と思いませんか?

 漠然としすぎている印象があります。「成年とはいえ、まだまだ未熟者でございます。これからの経験を大事にしていきたいと思います」程度でよろしいと思います。内親王の場合、確かに多くの手を経てようやく今のようになったわけですけど、殊更漠然とした「皆さま」に感謝しなくてもね。



誕生日当日は、成年を迎えたという実感がまだあまり湧いておりませんでしたが、12月5日の成年行事の折に天皇陛下より勲章を親授していただきまして、初めて身に着けた時に、勲章の重みをひしひしと感じて、身の引き締まる思いがいたしました。

 「勲章を親授」ではなく「勲章親授の儀」に臨みました時に初めて成年になったという実感に包まれ、勲章の重みが私の責任の重さであると思いました・・・程度ですね。

 言葉が重なっているというか、「勲章を親授して頂き」「身に着けた」「勲章の重み」「身のひきしまる」全部1行で終わらせればよかったのです。

 

そして、新年には、成年皇族として初めて「新年祝賀の儀」に出席しまして、また年末から年始にかけてはいくつかの宮中祭祀にも参列いたしまして、初めてのことばかりで緊張もございましたし、これまで両親から話を聞くだけであった行事に自分が参加しているということには少し不思議な心持ちがいたしましたけれども、自分が成年皇族の一員であるという自覚が芽生え、個々の行事に責任感を持って臨まなければならないと感じた瞬間でございました。

 この文章には「。」がないんです。だらだらとしてますが。

腹が立ったのは「不思議な心持がした」という部分で、いやいや、行事参加こそ皇族の務めで、これは外から入った人が思う事じゃないか?

と思ったら言葉尻に「いたしましたけれども」という雅子語が入ってましたね。

 新年祝賀の儀や祭祀に参列することで成年皇族としての責任を感じました。の一文で終わった筈。



今後につきましては、まだ大学生でございますので、当面は学業を優先させていただきながらにはなりますが、一つ一つのお務めを大切にしながら、少しでも両陛下や他の皇族方のお力になれますよう、私のできる限り、精一杯務めさせていただきたいと考えております。

 「一つ一つのお務めを大切に」は雅子語ですね。

ちなみにここでは両陛下と呼んでいます。別に他の皇族方の力にならなくてもいいわけですけどね。

ーーご自身の性格や長所・短所について、具体的なエピソードを交えてご紹介ください。日々の生活で興味のあることや趣味、国内外の出来事で関心のあることについてお聞かせください。

私の性格は、友人や周りの方からは、「穏やか」であったり、「無邪気」と言われることが比較的多いような気がいたします。

 「無邪気」にはいい意味もありますが悪い意味もあります。邪気がない。まさしく邪気なく人を傷つける事もあります。最近は「無邪気」はいい意味では使わないのでは?しかも「穏やかで無邪気」となると空気読めない典型例じゃないか?

長所は、自分ではなかなか気付きにくいものでございますけれども、事前にこの御質問を頂いたのでじっくりと考えてみまして、強いて申し上げるなら、「どこでも寝られるところ」でしょうか。

以前、栃木県にある那須の御用邸に行き、その着いた晩に、縁側にあるソファーで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた、なんてこともございました。

 ここ、笑う所だけど寒い空気しか流れませんでした。

 うちの旦那は「そんなにほったらかしにされたいたのか」といい、思わず笑ってしまったんですけど、御用邸の縁側のソファで寝たまま朝を迎えたなんて内親王のなさるべき事ではない。誰も起こさなかった不思議です。

 「自分では~~」「事前に~~」はいりません。

「長所は、強いて言うならどでも寝られるところで、修学旅行などでも寝つきがいいねと言われたことがあります・・って言えば可愛いのに。

 「栃木県にある那須の御用邸」という言い方は皇族はしません。

自慢してるのか?せめて「那須へ行きましたおり」程度にしてくれたら嫌味じゃないのに。とにかくユーモアのつもりがブラックジョークになってます。

 


短所といたしましては、今のエピソードからお分かりかもしれませんが、自由に伸び伸びと育ったようで、「少しマイペースな部分があるところ」だと自覚しております。また、小さい頃から人見知りのところがございますので、これから頑張って克服することができれば、と思います。

 「自由にのびのびと育った」は自分で言うべき言葉ではないですね。親が思うことです。

「今のエピ~」はいりませんね。

人からは「穏やかで無邪気」自分ではどこでも寝られる性格だけどマイペースで人見知り・・矛盾を感じますよね。



普段は、飼っている生き物のお世話をしたり、時間があるときには音楽を聞いたり、運動をしたりして過ごしております。

昔から体を動かすことが好きですので、と一緒に敷地内をジョギングしたり、以前は家族3人でテニスをしたり、現在は新型コロナウイルス感染症の感染対策を徹底しつつ、職員とマスクを着用したままバドミントンやバレーボールをしたりすることもございます。

 一瞬、え?勉強してないの?授業受けてないの?って思いませんでしたか?

せめて「今はオンライン授業の毎日でレポートなどの製作に追われ、合間に猫や犬の世話をしたり音楽を聴いたりしています」ならいいけど、「時間があるとき」っていつ?「飼っている生き物」って具体的になに?

生き物の世話に追われて時間があるときは音楽聞いているの?

 「新型コロナ~~徹底しつつ」にはびっくり。何の宣伝やねん?

マスクしたままバドミントンやバレーボールやったら苦しいでしょ。親や職員としか遊ばないのね・・・

ここでは「陛下」じゃなき「父」になってます。

とにかく遊んでいる毎日という事はよくわかりました。

 

日々の生活では、緑豊かなところに住んでおりますので、自然には興味がございます。

移居の後、敷地内を探索する時間がまだ十分には取れておりませんけれども、皇居にはどのような生き物が生息し、どのような生態系が広がっているのかということは、とても気になります。

 これまたびっくり。「緑豊かなところに住んでいる」はまさに雅子語ですが、無邪気に嫌味ですよね。「うちは敷地が広くて緑が多い都内の一等地なんだよ。羨ましいだろう」と言っているようなもの。

その自慢ゆえに「自然」に興味があるっていうのも傲慢。

 「いきょ」って何?と思ったら「移居」なのね。話し言葉では使わないでしょ。普通は「皇居に移りましてから・・・」ですが、論文じゃあるまいしね。

毎日生き物の世話してバドミントンしてるけど敷地内を探索する時間が取れないとはどんだけ寝ているの?悠仁殿下にぶつけて「生態系」を口にしたか?気になるなら調べればいいのに、そういう事はしないのね。

 

また、国内外の関心事につきましては、近年自然災害が増え、また、その規模も徐々に大きくなってきていることを心配しています。

そのような中で、ボランティアとして被災地で活躍されている方々の様子をテレビなどの報道で目にしまして、自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました。

私の親しい友人にも、東日本大震災で被災した福島県の復興支援にボランティアとして携わっている友人がおりまして私自身災害ボランティアなどのボランティアにも関心を持っております。

 「自分の住んでいる街であるとかないとか」はいらないでしょ。ボランティアの定義を知らずにお話されてますか?

「親しい友人」の件はしつこくて、「私自身」はいらない。「災害ボランティアなどの」もいらない。

 関心をもっていますという割には何一つ活動してないんですが。

「私の友人は福島県の復興支援ボランティア活動をしてますが、本当に素晴らしい活動だと話を聞く度に思います」と言えば簡単なのに。



そしてもう一つ、盲導犬や聴導犬といった働く動物たちにも、学校主催のイベントや、動物についてのフォーラムの折などに触れる機会がございまして、動物好きの私といたしましては、心惹(ひ)かれるものがございます。

 「動物好きの私といたしましては」も雅子語で余計な一言ですね。

盲導犬に興味があるのはサーヤを真似ているだけ?

何で「折にふれ盲導犬や聴導犬などのイベントやフォーラムに触れる機会があり、働く動物たちの活躍にも関心がございます」

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