愛子内親王の記者会見について書きます。
最初映像で見た時は清楚なスーツ姿と髪型にほっとし、意外とちゃんと話せるんだなと思いました。
けれど、それが13分くらいしか公開されなかったこと。
かなり日本語がおかしかったこと。
どうも本人が本音で話しているとは思えないこと。
これらの事が違和感として募って来ました。
女性誌にも「愛子様の記者会見の内容は陛下と相談している」と書かれていますし、推敲に推敲を重ね、尚且つリハーサルして、始まる10分前までやるかどうか決めかねていたという話を聞いて、一体、これはどういう事なのか?
普通の女子大生が話すならこの程度でも立派と言えるかもしれないけど「超ご優秀」がつく内親王が30分の記者会見を3ヶ月かかって丸暗記して、それに「お見舞い」の言葉を付け加えるのに丸一日かかったと考えると、やっぱりこの方、どういう人なの?と思わざるを得ません。
今時の女子大生が使わないような言葉が羅列されていますので、作ったのは他の人として、推敲したのは雅子さんか天皇ではないかと思っています。
学習院の日本語学科の方がこのような感じで「女帝」云々と喧伝されたくないというのが本心です。
内親王の前には一人の女性がいて、彼女だけが質問をして、そちらを見て答えているような気がしたし、何か合図を送られていたのかも
ーーご成年を迎えられたお気持ちをお聞かせください。成年皇族として公務や行事に取り組まれた感想と、今後の活動や抱負についてもお聞かせください。
まずお答えに先立ちまして、昨夜の地震により、亡くなられた方がいらっしゃると伺いまして心が痛んでおります。
御遺族の皆様と被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
突如「亡くなられた方」を出してくるあたりが雅子さんっぽい。きちんとニュースをみていないで「死者〇人」だけで判断している。
心が痛んでいる・・という言い方もよくありません。
「昨夜の地震には私も大変驚きましたが、宮城・福島ではさらに大きく揺れ、被災された方々も多いとのニュースに心を痛めております。心からお見舞いを申し上げますと共に、一日も早い日常の復活を望んでいます」
でよかったんじゃない?
では、質問にお答えいたします。
昨年12月1日に成年を迎えまして、まず二十歳という節目を無事に迎えることができましたことを嬉しく思っております。
そして、今までの、あっという間のようで長くも感じられる充実した月日を振り返りますと、これまでのあらゆる経験は、多くの方の支えや御協力があってこそ成し得たものであると身をもって感じております。
これまで様々な形で支えていただき、成年を温かく祝福してくださった皆様に、心より感謝をお伝えしたいと思います。
「あっという間のようんで長くも感じられる充実した月日」は余計な一言で老成しすぎです。
「あらゆる経験」も一体、この方、何十年生きてるの?と思いませんか?
漠然としすぎている印象があります。「成年とはいえ、まだまだ未熟者でございます。これからの経験を大事にしていきたいと思います」程度でよろしいと思います。内親王の場合、確かに多くの手を経てようやく今のようになったわけですけど、殊更漠然とした「皆さま」に感謝しなくてもね。
誕生日当日は、成年を迎えたという実感がまだあまり湧いておりませんでしたが、12月5日の成年行事の折に天皇陛下より勲章を親授していただきまして、初めて身に着けた時に、勲章の重みをひしひしと感じて、身の引き締まる思いがいたしました。
「勲章を親授」ではなく「勲章親授の儀」に臨みました時に初めて成年になったという実感に包まれ、勲章の重みが私の責任の重さであると思いました・・・程度ですね。
言葉が重なっているというか、「勲章を親授して頂き」「身に着けた」「勲章の重み」「身のひきしまる」全部1行で終わらせればよかったのです。
そして、新年には、成年皇族として初めて「新年祝賀の儀」に出席しまして、また年末から年始にかけてはいくつかの宮中祭祀にも参列いたしまして、初めてのことばかりで緊張もございましたし、これまで両親から話を聞くだけであった行事に自分が参加しているということには少し不思議な心持ちがいたしましたけれども、自分が成年皇族の一員であるという自覚が芽生え、個々の行事に責任感を持って臨まなければならないと感じた瞬間でございました。
この文章には「。」がないんです。だらだらとしてますが。
腹が立ったのは「不思議な心持がした」という部分で、いやいや、行事参加こそ皇族の務めで、これは外から入った人が思う事じゃないか?
と思ったら言葉尻に「いたしましたけれども」という雅子語が入ってましたね。
新年祝賀の儀や祭祀に参列することで成年皇族としての責任を感じました。の一文で終わった筈。
今後につきましては、まだ大学生でございますので、当面は学業を優先させていただきながらにはなりますが、一つ一つのお務めを大切にしながら、少しでも両陛下や他の皇族方のお力になれますよう、私のできる限り、精一杯務めさせていただきたいと考えております。
「一つ一つのお務めを大切に」は雅子語ですね。
ちなみにここでは両陛下と呼んでいます。別に他の皇族方の力にならなくてもいいわけですけどね。
ーーご自身の性格や長所・短所について、具体的なエピソードを交えてご紹介ください。日々の生活で興味のあることや趣味、国内外の出来事で関心のあることについてお聞かせください。
私の性格は、友人や周りの方からは、「穏やか」であったり、「無邪気」と言われることが比較的多いような気がいたします。
「無邪気」にはいい意味もありますが悪い意味もあります。邪気がない。まさしく邪気なく人を傷つける事もあります。最近は「無邪気」はいい意味では使わないのでは?しかも「穏やかで無邪気」となると空気読めない典型例じゃないか?
長所は、自分ではなかなか気付きにくいものでございますけれども、事前にこの御質問を頂いたのでじっくりと考えてみまして、強いて申し上げるなら、「どこでも寝られるところ」でしょうか。
以前、栃木県にある那須の御用邸に行き、その着いた晩に、縁側にあるソファーで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた、なんてこともございました。
ここ、笑う所だけど寒い空気しか流れませんでした。
うちの旦那は「そんなにほったらかしにされたいたのか」といい、思わず笑ってしまったんですけど、御用邸の縁側のソファで寝たまま朝を迎えたなんて内親王のなさるべき事ではない。誰も起こさなかった不思議です。
「自分では~~」「事前に~~」はいりません。
「長所は、強いて言うならどでも寝られるところで、修学旅行などでも寝つきがいいねと言われたことがあります・・って言えば可愛いのに。
「栃木県にある那須の御用邸」という言い方は皇族はしません。
自慢してるのか?せめて「那須へ行きましたおり」程度にしてくれたら嫌味じゃないのに。とにかくユーモアのつもりがブラックジョークになってます。
短所といたしましては、今のエピソードからお分かりかもしれませんが、自由に伸び伸びと育ったようで、「少しマイペースな部分があるところ」だと自覚しております。また、小さい頃から人見知りのところがございますので、これから頑張って克服することができれば、と思います。
「自由にのびのびと育った」は自分で言うべき言葉ではないですね。親が思うことです。
「今のエピ~」はいりませんね。
人からは「穏やかで無邪気」自分ではどこでも寝られる性格だけどマイペースで人見知り・・矛盾を感じますよね。
普段は、飼っている生き物のお世話をしたり、時間があるときには音楽を聞いたり、運動をしたりして過ごしております。
昔から体を動かすことが好きですので、父と一緒に敷地内をジョギングしたり、以前は家族3人でテニスをしたり、現在は新型コロナウイルス感染症の感染対策を徹底しつつ、職員とマスクを着用したままバドミントンやバレーボールをしたりすることもございます。
一瞬、え?勉強してないの?授業受けてないの?って思いませんでしたか?
せめて「今はオンライン授業の毎日でレポートなどの製作に追われ、合間に猫や犬の世話をしたり音楽を聴いたりしています」ならいいけど、「時間があるとき」っていつ?「飼っている生き物」って具体的になに?
生き物の世話に追われて時間があるときは音楽聞いているの?
「新型コロナ~~徹底しつつ」にはびっくり。何の宣伝やねん?
マスクしたままバドミントンやバレーボールやったら苦しいでしょ。親や職員としか遊ばないのね・・・
ここでは「陛下」じゃなき「父」になってます。
とにかく遊んでいる毎日という事はよくわかりました。
日々の生活では、緑豊かなところに住んでおりますので、自然には興味がございます。
移居の後、敷地内を探索する時間がまだ十分には取れておりませんけれども、皇居にはどのような生き物が生息し、どのような生態系が広がっているのかということは、とても気になります。
これまたびっくり。「緑豊かなところに住んでいる」はまさに雅子語ですが、無邪気に嫌味ですよね。「うちは敷地が広くて緑が多い都内の一等地なんだよ。羨ましいだろう」と言っているようなもの。
その自慢ゆえに「自然」に興味があるっていうのも傲慢。
「いきょ」って何?と思ったら「移居」なのね。話し言葉では使わないでしょ。普通は「皇居に移りましてから・・・」ですが、論文じゃあるまいしね。
毎日生き物の世話してバドミントンしてるけど敷地内を探索する時間が取れないとはどんだけ寝ているの?悠仁殿下にぶつけて「生態系」を口にしたか?気になるなら調べればいいのに、そういう事はしないのね。
また、国内外の関心事につきましては、近年自然災害が増え、また、その規模も徐々に大きくなってきていることを心配しています。
そのような中で、ボランティアとして被災地で活躍されている方々の様子をテレビなどの報道で目にしまして、自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました。
私の親しい友人にも、東日本大震災で被災した福島県の復興支援にボランティアとして携わっている友人がおりまして、私自身、災害ボランティアなどのボランティアにも関心を持っております。
「自分の住んでいる街であるとかないとか」はいらないでしょ。ボランティアの定義を知らずにお話されてますか?
「親しい友人」の件はしつこくて、「私自身」はいらない。「災害ボランティアなどの」もいらない。
関心をもっていますという割には何一つ活動してないんですが。
「私の友人は福島県の復興支援ボランティア活動をしてますが、本当に素晴らしい活動だと話を聞く度に思います」と言えば簡単なのに。
そしてもう一つ、盲導犬や聴導犬といった働く動物たちにも、学校主催のイベントや、動物についてのフォーラムの折などに触れる機会がございまして、動物好きの私といたしましては、心惹(ひ)かれるものがございます。
「動物好きの私といたしましては」も雅子語で余計な一言ですね。
盲導犬に興味があるのはサーヤを真似ているだけ?
何で「折にふれ盲導犬や聴導犬などのイベントやフォーラムに触れる機会があり、働く動物たちの活躍にも関心がございます」