夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ひとつの世代が終わり、そして私達の世代も過ぎさり・・。

2010-01-14 16:54:06 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳であり、
1944(昭和19)年の秋、東京郊外の農家の三男坊として生を受けた身である。

一昨年の秋頃から、私は長兄夫婦に逢う時、ごく内輪で母の13回忌を、
と話し合ったりしてきた。
そして、過日の11日の成人の日の祭日に、私の母の13回忌、次兄の33回忌の法事を行った。

この日の当日の朝は、どんよりとした曇り空で日中の最高気温も8度前後で、
ときおり風が吹く、寒い一日となった。
私の住む地域は、年末年始から冬晴れの日が続いていたので、
『これで雪が降ってきたら・・お母さんの日にふさわしい・・』
と私は玄関を出る前に、家内に微笑しながら云ったりしていた。

私の母の仮通夜の深夜から、この地域として珍しい15センチ前後の大雪となり、
翌日の通夜は風雪の中、公共交通機関の影響でたりし、
長兄宅で葬儀を行っていたので、ご近所の方たちに雪かきなどをして頂いたりした。
何よりも、通夜に参列して下さった方たちに、もとより私は恐縮で、戸惑ったりしていた。

このようなことがあり、私達夫婦はこの地域に雪が舞い降る情景を眺めたりすると、
亡くなった母のしぐさ、何気ない言葉を思い出すのである。

お寺の指定時間の30分前に私達夫婦は到着し、
まもなく寺院の控え室で父の妹の叔母の方たちに私は挨拶を交わしたりした。

亡くなった父は明治末期の生まれで、妹4人、そして亡くなった弟の6人兄妹であり、
妹と云っても93歳から75歳までの高齢者であったので、
この人たちの息子、娘に参列して下さったのである。

長兄夫婦、私達夫婦、妹夫婦、そして長兄の長男夫婦、次男夫婦、妹の長兄の長男夫婦、次男夫婦など、
この甥っ子の子供たちが加わってくれたのである。


このように法事、そして別会場のお清めの会食をしたりすると、
長兄、私にしろ高齢者の身であり、叔母たちは跡継ぎの人たちのメンバーとなり、
私にしてみれば甥っ子の35歳から40歳近い人たちから、
『叔父さん・・』と親しげに呼ばれても、
叔母の世代が終わり、そして長兄、私達の世代はひとつの役目が終った、と実感させられたのである。



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コメント
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